第四十五話
ピジョウにある休火山に作られた、コハナデザインによる温泉は郷愁を誘われる木造を基調にしていた。
薫り高い樹の浴槽に溜まった温泉に浸かるのは非常に心地いいってもんだ。
入る前にやまほど湯を浴びて汚れを落とす。
その間にめちゃめちゃ身体冷えていたから、よりしみる。
「ふぉ……ふぉ……よう働いておるのう」
声をかけてきた先客を見て、肩を竦めた。
「ルウ爺。そりゃあ俺は勇者で領主だから。働かないと話にならないだろ?」
「女神に授かりし力もよう使っておるようじゃあ」
「え。知ってんの?」
そりゃあのう、と頷く爺さんに思わず前のめり。
「狼になった俺はどうなるの」
「元の世界には……戻れなくなるのう。純粋に異世界人の肉体であることが、戻る条件の一つじゃからのう」
「……まあ、それはいまさらどうでもいいよ」
コハナとの一件を思い返すと、どうも死ぬっぽいしなあ。
となると死の間際に召喚されたのか。転生って感じではないな。まあ、俺の場合はどうやら些細な違いでしかないようだが。
「この世界におる限りはまあ、強くなるのう。歴代の勇者もそうじゃった」
「はあ……」
「まあ元々は異世界人じゃあ。この世界の人間ほど、習性にとらわれはせんじゃろうよ」
習性。聞けば聞くほどこの世界の人間は獣じみてるなあ。なのに肉食と草食で食い合ったりはしていないので、そこまで殺伐としてはいないか。
まあクルルを初めて見たルカルー同様、俺もクルルを見たらうまそうと感じちゃうので、まったく関係ないわけでもなさそうだけどな。捕食関係っていうか、食物連鎖的なの。
「……待てよ? ってことはこの世界の人間には習性があるのか?」
「ふわっとざっくりとじゃがのう」
「……なんできっちりかっちりじゃないの?」
「女神が女神じゃからのう」
ああ、あの女神だもんね。っておい!
それで納得できちゃうのもどうなんだ。まあいいけどさ。
「しかしのう……なぜ混浴がないのじゃあ?」
「風俗関係は決めるの時間がかかってんの! うちの仲間は基本女子だからな」
ルウ爺の不満に前向きな返事をできない理由はそこに尽きる。
大人の社交場的なお店やそれにまつわる法整備に対しては慎重すぎるんだよな。
クロリアは呆れるし、クラリスは怒るし。
なかなか俺たちも万能ではないのですよ。
「とか言って、自分は仲間たちと混浴を楽しんでおるんじゃないかのう」
「……それは、べつにいいだろ」
こほんこほん。
「そろそろ上がるよ」
「またくるがええ」
「……なんだよ、じいさん。いっつも温泉にいるのか?」
「ずーっと墓におったんじゃ。温泉でこった身体をほぐしたいんじゃあ」
ああ……なるほどな。
狼帝の墓にずっといたじいさんだ。その間ずっと寝ていたなら、さぞかし身体も凝り固まっているだろう。納得だ。
挨拶もそこそこに温泉を出た。来る前に下水道を出たところで待ち構えていたコハナにもらった服に着替える。汚れた服はまとめて袋に突っ込んで館へと戻ろうと思ったのだが。
「遅い」
外に出たところでナコが待ってくれていた。
赤くなった頬が気になって触れてみると、結構冷えていた。
「……神田川」
「なに?」
「いや、ちょっと頭が痛くなっただけだ。もう仕事はいいのか?」
「……街に戻る道くらいは一緒に歩きたいでしょ?」
拗ねながらお前はなんて可愛いことを言うの! まったくもう。
「じゃあ街まで一緒に帰るか」
「うん」
俺の手をきゅっと握って涼しい顔で歩く。
だがその尻尾はぱたぱたと振られていた。
まるで犬みたいである。本来、狐はそういう感情表現をしないと前の世界で聞いた気もするが、考えてみればナコは村で仲間たちと暮らしていたからその限りではないのかもしれないな。
やれやれ。涼しい顔して興奮してるのか。ほっぺたも赤いしな。可愛すぎか。
弓の名手に心を奪われながら街へと帰り、入り口で別れて館へと戻る。
心配していたクラリスが飛びついてくる。
無事に帰るってわかってたけど心配してあげないこともないよみたいな面倒な顔をしたクルルの頭を撫でる。
壁に突っ込んだ時に傷つけていたらしい頬を出迎えてくれたルカルーに舐められた。
待ち構えていたクロリアに一日の報告をして、ルナとレオの遊び相手になり、シラユキとミツキとカレンの下の世話をする。ひと息ついた頃になってクルルから放送のアイディアないかと問われて頭を抱え、警備隊の仕事を終えて帰ってきたナコがお腹すいたと訴えるから、グスタフ直伝の料理をコハナが振るう。夜になって歌を聴いてと強請るペロリに連れられて夜の散歩をして、何気なく夜空を見上げた。
ピジョウはどんどん眩しくなっていく。
けれど満天の星空の美しさは変わらない。
温泉はできた。その極上の湯加減は今日体験したがなかなかのものだ。
次の課題は娯楽かな。
合戦や祭りについてもつめていかなくてはいけないが、ゆっくりと……けれど着実に一つずつ片付いてきている。
焦らず進もう。進めばわかるさ。破壊神の心を癒やす国作りの方法が。
ペロリの幸せそうな歌声を聞いていると、俺には明るい未来しか見えない。
だから、翌日コハナの寝室で目覚めて俺は震え上がった。
巨大な樹の幹が目の前にあって。館は半壊していて。
外に出て見上げたら空に届きそうな巨大な樹が生えていたから。
「タカユキさま……す、すみません」
青ざめた顔をしてレオを抱いたクラリスが地面にへたりこんでいた。
「どうした?」
急いで駆け寄り抱き上げようとしたのだが、クラリスは腰が抜けて立てないようだった。
俺の問い掛けに何度も応えようとするが言葉にならないようだ。
彼女が落ち着くのを待って、背中を何度もさすって。
やっとの思いでクラリスが言ったのは。
「料理の最後の素材を作って植えたら……こ、こんなことに」
なんて言葉で思わず目元を片手で覆ったよ。
どんな植物作ったの。育ちすぎだろ。
「いろいろ言いたいが……今はいい。で、何を作ったんだ?」
「世界樹の種です」
「一周まわってお前もうすごすぎないか!?」
「えへへ。コルリさまが以前破壊神をお連れになった時に、お土産をいただいたのでそれを素材にしてみたら我ながらうまくつくれちゃいました……で、でもお屋敷が」
ちょっと喜んでから我に返るのなんなの! ちょっと可愛いけど、えらいことしたよきみ!
「そうだね。半壊しているね」
「こ、こんなに大きくなるなんて聞いてなくて」
「コルリから説明でもあったのか?」
「錬金術を用いて栄養を与えるとちっちゃな樹が生えるよ。大いなる魔力を秘めているから誰かの助けになるかもね、と」
あいつめ……! 小さくないよ! 天界基準なの? ねえちっちゃいって天界基準なの?
「それにクルルやペロリ、ルカルーたちが上に」
「えええ……」
樹を見上げた。何度見ても空に届きそうだ。
根っこを見る。
「何を探していらっしゃるのです?」
「入り口があったら迷宮になってるのかなあ、と」
世界樹の。う、頭が(ry
「入り口なんてありませんよ?」
「だよね! ないよね! あったらむしろ困ってた!」
「元に戻すお薬を作らないといけません……」
「作れるんかい! 作れるんかい! ……いや早く作って」
「は、はい!」
あわててよろめきながら館に戻っていくクラリスと入れ違いで、いつかの着ぐるみパジャマのクロリアとコハナが歩いてきた。
二人揃って惚けた顔で世界樹を見上げる。
「なあ……これ、いっそ名物にしないか?」
「クロリア。朝起きてこれで思考停止するのわかるけど気づいて! 俺たちの館が壊れてるよ! 生やす場所はここじゃなくていいはずだよ!」
「……ははは」
だめだ。うつろなめになって空を見上げ始めた。
「飛んで行くにしても上につくまでに随分かかりそうです……」
「コハナ、世界樹のてっぺんにいるであろうクルルたちを助けに行ってもらえたりは」
「飛ぶのって結構疲れるんですよねえ」
疲労の問題なの!?
「なんて言ってられないですよねえ。仕方ないか」
ため息を吐いたコハナが悪魔の翼を出して、空へと飛んでいく。
俺たちの日常、もうそろそろ安穏と展開してもいいんじゃないかなあ。
はは。館めっちゃ壊れてる。半分から先がものの見事に世界樹の幹で破壊されてやんの!
……うそん。
「国への説明、放送はクルルが戻らないとできない。動揺する国民へのフォローしなきゃ……館の修繕、金ない金ない金ない」
「クロリア呟き怖いから! やめて!?」
ほどなく空から下りてきたクルルたち。クラリスの薬によって巨大な世界樹は小さな苗木になり、そっと遠くに植えることになりました。
館の修繕にルカルーを伴って、狼の大工連中に頼みに行ったんだけどさ。
「木を植えたらでかくなりすぎて館が壊れたって? はぁ?」
まあそんな反応になりますよね。
「こっちもよ。大事に長く使って欲しいなあって願いをこめて作ってんだ。勇者ってのは大変なんだろうが、気をつけてくれよ」
ぐうの音も出ない。マジですみません。
「すまないが、頼む」
「姫さまの頼みとありゃあ断れねえ。魔法ぶっぱなしても壊れない家を作ってやりますよ!」
呆れたように笑って言ってくれる頭領に何度も頭を下げました。
やれやれだ!
つづく。




