1. 悪女リーフィニア・エルネスト
リーフィニア・エルネストは悪女である。
ーーざわっ
それは彼女が社交界デビューした時からの周知の事実だ。
「まぁ、あの令嬢をご覧になって」
「デビュタントよね?なんて奇抜な…」
舞踏会の会場で貴族達が1人の令嬢を注視する。
規則ではないが、社交界デビューをする令嬢は淡い色で露出も少ないドレスを着るのが通例だ。
特に、王室主催の舞踏会ならば尚更である。
しかし、そんな舞踏会に現れたのはとんでもなく目立つ女だった。
美しく長いストロベリーブロンドの髪を高い位置で1つに括り、キツめのアイラインを引いたルビーピンクの瞳の妖艶な令嬢。
その令嬢が纏うドレスは淡さとは程遠い真っ赤なドレスだ。
しかも胸元は谷間が見えるほどに大胆に露出したビスチェ。
スカートにも太腿部分まで大きくスリットが入っている。
真紅のルージュが塗られた口元に笑みを湛え婚約者と歩く姿は美しいが、とてもデビュタントとは思えない派手な装いだった。
「一体どこの令嬢だ?」
「ブレガー卿の婚約者って事は…エルネスト侯爵令嬢だった筈だ」
「なんてこと…麗しいブレガー様の婚約者があのような方でしたなんて」
「ええ。確かにお美しい方ですが…ねえ?」
皆が口々にヒソヒソと話すなか、リーフィニアの婚約者であるクリード・ブレガー伯爵令息も気まずそうな顔をする。
クリードは少しウェーブの掛かったライトグリーンの髪と、アーモンド型の目にオリーブ色の瞳を持つ端正な顔立ちの青年だ。
令嬢達にも人気があるが、そんな彼が霞んでしまう程にリーフィニアのインパクトは凄かった。
彼の羞恥など気にも留めず堂々と練り歩いている。
そんな様子を見た群衆の内の1人が、ぽそりと思わず本音を吐露した。
「うぅわ可哀想。俺ならあんな婚約者の隣歩きたくねぇわ」
オブラートにも包んでいないその一言は、騒めく会場でもやけに響いてリーフィニアの耳にも届いた。
「…なんですって?」
それまで自分が主役とばかりに笑んでいたリーフィニアが眉を顰めてグルリと身体を半回転させる。
高いヒールをカッカッと打ち鳴らし、唐突に飲み物などが並べられているテーブルへと歩きだした。
「お、おい…?」
エスコートの途中で置いてけぼりを食らったクリードが戸惑いながら声を掛けるが止まる事なく、リーフィニアは赤ワインが入ったグラスをガッと手に取る。
そのまま迷いの無い足取りで群衆へと向かった。
皆がまさかと思いつつも実行する筈がないと思った行動を、リーフィニアは体現してみせる。
ーーバシャッ
「な…」
先程呟いた令息の顔面にワインをぶちかけたのだ。
周囲が唖然としているにも関わらず、蔑むような笑みを令息に向ける。
「あぁらごめんなさい?汚いお口にはお酒が合いそうだと思ったのですが、勢い余って浴びせてしまいましたわ」
その姿は悪女そのもので、会場中の全員がゾッとした。
誰もがこの令嬢に関わってはいけないと認識する。
「わ、我が娘が申し訳ない!リーフィニア、きちんと謝罪しなさいっ」
「フン、嫌ですわ。悪いのはその男ですもの」
慌てて駆けつけた父、エルネスト侯爵に注意されても反省する様子など微塵も無かった。
衣装まで台無しになり退場するしかなかった令息を尻目に我が物顔で最後まで会場に居座ったリーフィニア。
そしてその日以降も、リーフィニアの悪女伝説は加速の一途を辿った。
「まぁ、随分見すぼらしい格好ですこと。わたくしだったら恥ずかしくて顔を出せませんわ」
ある時は大人しめな服装の令嬢を貶して泣かせ退場させた。
「素敵な婚約者ですわね。あの方に似てるわ!えぇとほら…そう!オーク!」
ある時は婚約者の令嬢を豚の魔物と揶揄して令息を激怒させ反応を愉しんだ。
「貴女のせいでドレスが汚れたじゃない!土下座して謝りなさい!」
ある時は言い掛かりをつけて土下座まで強要した。
なまじ身分が高い家の令嬢であったが故に、爵位の低い者は逆らうこともできなかった。
日を追うごとに皆から嫌われていき、どんどんと遠巻きにされる。
そして1年後、リーフィニアが17歳になった年についに婚約者からも見捨てられる事になった。
「見て!あれがリーフィニア様の妹君ですって!」
「なんて可愛らしいの!天使のようだわ!」
「リーフィニア嬢とは真逆だな!」
その日は、リーフィニアの妹であるミルディ・エルネストの社交界デビューの日だった。
シェルピンクの髪にリーフィニアと同じルビーピンクの瞳だが、雰囲気はまるで正反対。
デビュタントらしいパステルミントのドレスに身を包み、ふんわりとした柔らかい髪はおろされ可愛らしさも増している。
少し垂れ目の大きな目はあどけなく庇護欲を唆り、優しそうな雰囲気で見ているだけでもほんわかしてしまうような令嬢だった。
「な…なんだか皆様にすごく見られてませんか?恥ずかしいです…」
「はは、ミルディはとても愛らしいからな。仕方ないだろう」
エスコートしている父親も破顔して褒め、照れているミルディに貴族達も魅了される。
しかし、その状況をリーフィニアが面白く思う筈がなかった。
「わたくしより目立つなんて…生意気な妹ね。お灸を据えてあげなきゃ」
言うや否や、またしても赤ワインを手にする。
ツカツカと近付いてくるリーフィニアにミルディがビクリと反応した。
「お、お姉様?何を…」
「ふふ、社交界デビューおめでとうミルディ。でもそんなドレスじゃ地味すぎるでしょう?もっと良くして差し上げるわ」
怯えるミルディ目掛けてワインをかけようと手を持ち上げる。
しかし、何をする気か直ぐに勘付いたクリードが慌ててリーフィニアの手を掴んだ。
「や、やめないか!妹のデビュタントを台無しにする気か!?」
阻止されたリーフィニアはギロリとクリードを睨みつける。
「まあクリード様、なぜ邪魔しますの?貴方はわたくしの婚約者なのだからわたくしの味方をしてくださいませ」
まるでクリードが間違っているとでも言いたげな様子に、ついにクリードは怒りを爆発させた。
「もういい加減にしろ!ウンザリだ!リーフィニア、君とは婚約破棄させてもらう!」
息を切らせる程の大声で婚約破棄を宣言する。
だが、リーフィニアは真っ赤に塗られた唇を扇子で隠して余裕の笑みを浮かべた。
「クリード様ったらご冗談を。婚約破棄だなんて笑えなくてよ?」
「冗談ではない!君のような人間にこれ以上は付き合いきれない!」
「それを決める権限なんて貴方には無いのではなくて?いち伯爵令息の貴方には…ね」
リーフィニアは侯爵家の令嬢だ。
爵位が下の伯爵家であるクリード側から一方的に婚約破棄などできる筈がない。
けれど、クリードは逆に落ち着きを取り戻して淡々と話した。
「いいや。これは既に決定事項だ。以前からエルネスト侯爵とも相談し、了承は得ている」
「なんですって!?」
初めて取り乱したリーフィニアは父親である侯爵に目を向けたが、侯爵は否定をする様子もなく目を細める。
つまりは真実だということだろう。
更に、クリードは怯えているミルディを優しく引き寄せた。
「そして僕は、ミルディと婚約を結ぶことにした。君に散々虐げられたこの娘を…守ることにしたんだ」
優しく抱きしめてくれるクリードを泣きそうな顔で見上げるミルディ。
ギリと歯噛みするリーフィニアに、エルネスト侯爵も諭すように告げた。
「リーフィニア…私はお前が昔のように優しい娘に戻ることを期待していた。だがもう、見過ごす事は出来ない。クリード君のことは諦めなさい」
侯爵にここまでハッキリ言われては覆すこともできない。
流石のリーフィニアも侯爵にまで喰ってかかることはできず手を握りしめた。
そんなリーフィニアを見ていた貴族達は溜飲が下がりクスクスと笑いだす。
「可哀想に…婚約破棄ですって」
「でも仕方ありませんわよね」
「あんな可憐な妹を虐げていただなんて…信じられませんわ」
「来たる時が来たって感じだな」
「当然の結果だろ」
皆から好き放題言われ、悔しげに拳を震わせるリーフィニア。
そしてついに我慢が限界を迎えた。
「俺だってあんな女よりも妹の方を選ぶわ」
聞こえてきた言葉に黙っていられなくなったリーフィニアは、最後に耳に届いた声の主に向かって一直線に歩く。
先程ミルディにかけ損ねたワインを、勢いよく令息の顔面に浴びせた。
周りの貴族達が青ざめ逃げるようにサッと距離を取り、ワインをかけられた令息は血管を浮き立たせて濡れたベージュ色の髪を掻き上げる。
「てめぇ…またやりやがったなクソアマが」
「フン、地味な髪色を染めてあげたんだから感謝してほしいわね」
奇しくも、ワインをかけられたのはデビュタントの時に浴びせた令息と同一人物であった。
互いに苛立ちのピークで睨み合う。
この時は、まさかこの2人が結婚することになるなどとは誰も予想だにしなかった。




