不安と失言
ララリは男爵家に引き取られたとはいえ、当主のエイター男爵は実の父親である。魔導師団長の息子であるフィンに頼まれたと告げれば、彼が欲している品をすぐに用意してくれるだろう。
問題は、セシリアの方だ。どうやってこの魔法式を父に解読してもらうかと、頭を悩ませていた。
「ここはやっぱり、お母様を使うべきかしら?」
自分の部屋に戻ったセシリアは振り返り、傍にいてくれたアルヴィンに声をかける。
図書室から戻ってから、ずっと何かを思案しているらしい彼の様子が少し気になっていた。
「いや、公爵に聞く必要はない」
アルヴィンはセシリアから魔法式の紙を受け取ると、視線をそこに向けたまま、きっぱりとそう言った。
「アルヴィン?」
彼は手を伸ばして、セシリアの腕をそっと掴んだ。そこに嵌められている魔力を封じている腕輪に触れる。
「エイオーダ王国は、俺の出身国だ。この魔道具を作るための魔法式は、これのものとよく似ている」
「えっ……」
思ってもみなかった言葉に、ミラは思わず声を上げる。
アルヴィンがエイオーダ王国の貴族出身だとしたら、あの魔力の高さと魔法知識の豊富さにも納得がいく。
「そうだったの」
だが彼と出会ったときの状況や、話してくれた過去から考えても、良い思い出ではないことは確かだ。アルヴィンも詳細を話したくないから、あの場では父の名前を出したのだろう。
「材料さえ揃えば完全な魔道具を作ることができるだろう。だから、もう心配はいらない」
たしかに魔を退ける魔道具を手に入れることができれば、アレクは正常な状態に戻れる。それができれば、あとはララリがいる。きっと彼の弱い部分を理解して、支えてくれるだろう。
それに魔道具があれば、これから始まるだろう魔族との戦いも有利に運ぶことができる。
それなのに不安になるのは、そう言ったアルヴィンの顔が晴れやかではないからだ。
「アルヴィン」
セシリアは手を伸ばして、彼の頬に触れた。
初めて出会った頃は柔らかな子供の肌だったのに、今では引き締まり、身体つきも比べものにならないくらい逞しくなった。
少年が少しずつ青年に変わっていく長い時間を、ともに過ごしていた。
だからアルヴィンが落ち込んでいることが、セシリアにははっきりとわかってしまった。
「セシリア?」
「思っていることを話して。もしあなたが嫌なら、魔道具なんか作らなくてもいいのよ」
他の方法を探そう。
きっとふたりなら、もっと良い方法を見つけられるはずだ。
そう言うと、アルヴィンは首を横に振り、頬に添えられていたセシリアの手を、両手で包み込むように握り締める。
「いや、魔道具を作ることに反対しているわけではない。魔法式こそ複雑だが、魔法自体はそんなに難しいものではないから、材料さえ揃えば問題なく作れるはずだ」
「じゃあ、あなたを悩ませているのは何?」
「……」
アルヴィンは話すことを躊躇うように、視線を逸らす。セシリアは彼の言葉を、辛抱強く待った。
ここで有耶無耶にしてはいけない。きちんと、話し合いをしなくては。
そう思ったからだ。
「あの魔法書を書いたのは、俺の父だ。父は、魔道具に関する本を何冊も書き記している」
セシリアの根気に負けたのか、やがてアルヴィンは静かな声でそう語り始めた。
「アルヴィンの?」
「ああ」
彼は深く頷き、痛ましそうな顔をしたセシリアに笑みを向ける。
「言っておくが、前にも話したように、父のことはもう何とも思っていない。すべてはもう過去のこと。今の俺にはお前がいる。それだけで十分だ」
「じゃあ、どうしてそんな顔をしているの?」
アルヴィンは話すことを躊躇うように、唇を噛みしめた。
「お願い、話して。あなたが傷ついているのに、何も知らずにいるのは嫌だわ」
「……あの本を見たとき、父のことを思い出した」
妻を深く愛するばかりに、その死の原因となった一族や、生まれてきた子供さえも許せなかったアルヴィンの父。
「昔は幼かったから、父の考えを理解することなんてできなかった。だが、今なら……」
アルヴィンは、セシリアという存在を得た。何よりも大切で、かけがえのない存在だ。
それをもし失うことがあれば、自分も父のようになってしまうのではないか。
「もしセシリアを失うことがあったらと、そう考えただけで怖くなる」
「アルヴィン」
二度目の人生といえ、前世ではあまり恋愛の経験を積まなかった。
もしかしたら愛というものを、セシリアも深く理解できていないのかもしれない。
それでもアルヴィンのことを愛しいと思うし、互いに同じ気持ちなら、先のことを考えて不安になるよりも、今こうして一緒にいる時間を大切にしたいと思う。
だから、安心してもらいたくて、ついこう言ってしまった。
「大丈夫よ、アルヴィン。本来の魔力は私の方が強いんだから、もしふたりの子供が生まれても、きっと大丈夫だわ」
「……子供」
アルヴィンの白い肌がほんのりと赤く染まったのを見て、自分の失言に気が付く。
「あ、例えば、という話で……。そんなに深い意味は……」
同級生に比べるとかなり大人びているが、アルヴィンもまだ十五歳だ。
自分の精神年齢が二十代後半だったので、深く考えずについ言葉にしてしまった。でも十五歳の貴族の令嬢という立場を考えると、少し大胆だったかもしれない。
けれど、そんな焦っているセシリアを見て、アルヴィンは柔らかく微笑んだ。
「そうだな。セシリアは俺よりも強い。心配はいらなかったな」
そういう彼からは、先ほどまでの焦燥感を感じない。
「ええ、もちろんよ」
少し恥ずかしい失言だったが、それでもアルヴィンの雰囲気が和らいだことが嬉しくて、セシリアも微笑みを返した。
これで魔道具が完成すれば、王太子と敵対しなければならないという、不安要素がひとつ減る。王女ミルファーの高慢な物言いが魔族の影響だとしたら、きっと彼女も元に戻るだろう。
大きく変わってしまったゲームの流れが元の形に近付けば、これからどう動いたらいいのかも、見えてくるに違いない。
セシリアはこのとき、そう考えていた。




