魔法契約
アルヴィンは宣言通り、王太子が相手でも引くつもりはないらしい。
一方、ダニーとフィンは、いつもアレクと行動をともにするほどの忠誠心を持っている。そんなアルヴィンの態度が許せないのだろう。
「やめろ、ダニー。連絡もなく訪れた、こちらに非がある」
王太子のアレクがそう言うと、彼は悔しそうな顔をしながらも引き下がった。
だが、代わりにフィンが前に出た。
「王太子殿下と王女殿下がいらしているのに、守護騎士の背後に隠れたままの公爵令嬢も、かなり非礼だと思うけれどね」
冷笑を浮かべながらそう言ったフィンだったが、急に部屋の中が冷え込んだのを感じて、顔を引き攣らせる。
「アルヴィン、駄目よ。わたしなら大丈夫だから」
それが、急激に高まった魔力のせいだと気が付き、セシリアは慌ててアルヴィンの袖を引っ張る。
だが、アルヴィンの瞳は鋭いままだ。
ダニーの挑発は聞き逃していたが、セシリアを悪く言われて、受け流すつもりはないらしい。
「フィン、下がれ。彼を怒らせてはいけない」
アレクは鋭い口調でそう言うと、すぐにセシリアに謝罪をした。
「すまなかった。あなたと話をしたかったので、妹に頼んで同行させてもらった。少し時間をくれないだろうか」
ダニーとフィンは悔しそうに目を伏せるが、勝手に挑発して王太子を謝らせたのは自分たちだ。
「……わかりました」
さすがに王太子にここまで言われてしまえば、拒絶することもできない。セシリアはアルヴィンの背中から少しだけ顔を覗かせて、そう返事をした。
まさか彼らも、気弱な公爵令嬢が、守護騎士の後ろから自分たちの言動を注意深く観察していたとは思わないだろう。
「セシリア、大丈夫か?」
「うん。アルヴィンがいてくれるから、平気よ」
耳元で囁かれて、セシリアはそう返した。
ここで追い返しても、また日を改めると言われてしまいそうで面倒だ。さっさと用件を聞いて、帰ってもらったほうがいい。
彼らには応接間にあるソファーに並んで座ってもらい、その向かい側にアルヴィンと並んで座る。向こうは狭いかもしれないが、大勢で押しかけてきたのだ。それくらい、我慢してもらおう。
とりあえず、王女とアルヴィンが話すのは、何となく嫌だと思う。
セシリアはアルヴィンの手を握りしめたまま、王女のミルファーを見つめた。
「ミルファー王女殿下、わざわざお越しいただき、ありがとうございます」
「いいえ、急に訪ねたりして、本当にごめんなさい」
ミルファーはセシリアに語りかける。
「交流会のあとに気分が悪そうでしたから、どうしているかと心配だったのです」
「そうでしたか。お心遣い、ありがとうございます」
セシリアはそう答えて、感謝を示す。
でも、本当に王女がセシリアを心配して、部屋まで訪ねてきてくれたとは思わなかった。
今まで面識はなかったし、クラスも違う。
新入生の中で魔力が一番高かった王女が、平均値だったセシリアをそこまで気に掛ける理由はない。
おそらく、これは王太子がセシリアに会いに来るための口実――。本当に話があるのは、きっと彼らのほうだ。
しかもセシリアではなく、アルヴィンに。
セシリアを守るために示したあまりにも強い魔力で、この国に目を付けられてしまったのか。王太子の側近が、先ほどからやたらとアルヴィンを敵視していることも、関係があるのかもしれない。
「……」
沈黙が続いた。
セシリアは静かに王太子の言葉を待った。こちらから尋ねたら、またあのうるさい側近たちが何か喚くかもしれない。
(ゲームのときなら、攻略対象としてそれなりに気に入っていたけど、現実になると駄目ね)
溜息をこらえて、そう思う。
王太子アレクに対する忠誠はすばらしいものだと思っていたのに、いざ目にしてみると、かなり鬱陶しいものだ。しかも、アルヴィンを敵視している。
それだけで、セシリアの印象は最悪だ。
アレクはしばらく躊躇っていた様子だったが、ちらりと妹のミルファーに視線を向けると、口を開いた。
「今回、無理に妹に同行したのは、君の守護騎士について相談したいことがあったからだ」
(やっぱり……)
セシリアは、アルヴィンの腕をぎゅっと握りしめる。アルヴィンはそんなセシリアを支えるように、そっと背に手を添えた。
「私も立会人のひとりとして試験を見ていたが、あの魔力は凄まじいものだった。それを騎士団長、そして魔導師団長から聞いた父は、ブランジーニ公爵家の守護騎士が圧倒的な力を持っていることに、危惧の念を抱いている」
王の懸念は、ひとつの貴族が力を持ちすぎているというだけではなさそうだ。
父は今まで、この国でもっとも強い魔力の持ち主だった。
だがその関心は最愛の妻にだけ向けられている。
つまり父には、王家に対する忠誠など皆無なのだ。
王にとって、たとえ父が公爵で王家にとっては身内に近い存在でも、信用できる存在ではないのだろう。
むしろブランジーニ公爵家が王家に近い血筋だということが、安心ではなく疑惑を抱かせているのかもしれない。その父に加えて、娘の守護騎士は、王太子や王女に勝る魔力を持っている。
(国王陛下は、お父様のことを信じていないのね)
無理もない、と娘であるセシリアでさえ思う。
たとえば母が人質にでもなってしまったら、父は簡単にこの国を裏切るだろう。国どころか、兄や娘であるセシリアさえ簡単に切り捨てるかもしれない。
でもそのせいで、アルヴィンの立場が危うくなっている。
ブランジーニ公爵家が王家に逆心など抱いていないことを、どうやって示せばいいのだろう。
セシリアはアルヴィンにしがみついたまま、必死に考えを巡らせる。
そんなセシリアに、アレクは申し訳なさそうな視線を向けていた。
もしかしたら彼は、国王である父の命令に従っているだけなのかもしれない。
「一番良いのは、彼が特定の誰かの護衛騎士ではなく、国の魔導師団か騎士団に所属することだ。父は、あなたにその力にふさわしいだけの地位を与えると言っている」
「……そんな」
アルヴィンが連れて行かれてしまう。
セシリアは王太子の言葉に青ざめたが、アルヴィンはすぐにそれを退けた。
「それは不可能です。私は守護騎士になる際、公爵閣下と魔法契約を結んでいます」
「まさか、守護騎士の任命で魔法契約を?」
「はい」
アルヴィンは騎士服の袖のボタンを外し、腕を露出させる。その白い手首には、ブランジーニ公爵家の紋章が浮かび上がっていた。
「何と……」
アレクだけではなく、ダニーとフィン、そしてミルファーも驚きの声を上げた。
魔法契約は、本来ならば国同士の重要な条約などの際に使用されているものだ。国王も、まさか守護騎士としての契約に用いるとは思わなかったに違いない。
だが、魔法で契約が結ばれている以上、アルヴィンはセシリアの守護騎士を辞めることはできない。破れば、双方に甚大なダメージがあるのだ。
いくらその存在が脅威であったとしても、父の魔力がなければこの国の防衛に多大な影響がある。
恐ろしいが、失うわけにはいかない。
それがこの国にとっての父であり、アルヴィンの存在であった。
だからこそ、無理に契約を破らせることはできないのだ。
でも父とアルヴィンが魔法で契約を結んでいたなんて、セシリアにとっても初耳だ。驚いて彼を見上げるセシリアに、彼は後で詳しく話す、と小さく囁く。
「その契約の内容は?」
アレクの問いに、アルヴィンは即答する。
「セシリア・ブランジーニが、誰からも強制されずに自分の意志で婚約者を決め、結婚するまで守護騎士として守る。そういう契約になっています」
「自分の意志……」
戸惑ったのはアレクだけではなく、セシリアも同じだった。
考えてみれば、王家に忠誠を示すもっとも簡単で有効な手段は、セシリアがアレクと婚約することだ。そうすれば、父は王太子の義父。アルヴィンは、王太子妃の守護騎士となる。
ふたりを恐れ、そして必要としている国王が、それを考えないはずがない。
もしアルヴィンが騎士団に入ることを拒めば、次に王太子とセシリアの婚約を命じるつもりだったのかもしれない。
でも、それは父とアルヴィンの間に結ばれた魔法契約によって不可能となった。セシリアに婚約を強いれば、この国は恐ろしいほど弱体化してしまう。
でもあの父が、セシリアを気遣ってそんな契約を決めたとは思えない。
それにアルヴィンがセシリアの守護騎士になったのは、まだふたりが幼かったときのことだ。あの頃、まだアルヴィンは魔法が使えないことになっていた。
だからこの魔法契約は、アルヴィンがセシリアと魔法学園に通うことを決めたあとに結ばれたことになる。
きっと、予知夢で王太子と婚約し、最後には殺されてしまったと話したあとだ。
セシリアが、誰が相手だろうと婚約を強要させられることがないように。
(わたしを守るために?)




