デート
王立魔法学園の隣に建てられている学園寮は、貴族が住むだけあってとても広く、立派な建物だった。不満があるとしたら、伝統ある建物なので、少々古いくらいか。
建物の東側が男性。西側が女性と分けられていて、基本的にそれぞれの棟を行き来することはできない。
セシリアに宛がわれた場所は寮の中でも広く、応接間と寝室、浴室。そしてふたりの侍女の寝室と、守護騎士であるアルヴィンの部屋があった。さすがに寝室は別だが、守護騎士は男性であっても主と同じ場所に住む。公爵家の屋敷にいたときからそうだったから、セシリアもとくに気にならない。
異性の守護騎士を持つ者は、皆同じだろう。
公爵家から持ち込んだ絨毯や調度品はすでに配置してあり、クローゼットには学園の制服が何着か、それと夜会やお茶会に参加するためのドレスもたくさん並んでいた。
セシリアは侍女が淹れてくれたお茶を飲みながら、配布された魔法学園の教科書にゆっくりと目を通していた。
「うーん、やっぱりほとんど勉強してしまったことばかりね」
「だから、そんなに勉強は必要ないと言っただろう?」
セシリアの部屋に設置されたソファーに、アルヴィンはラフな服装で座っていた。彼がそうやって寛いでいると、これからはここが自分の部屋だという実感が出てくる。
「そうよね。でもなんか受験って聞くと、頑張らなきゃって思ってしまって」
これも前世の記憶の弊害かもしれない。
でもせっかく入学が決まって、あさってから授業も始まるのだ。
「ねえ、せっかくだから今日は外で夕食を食べない? 合格したお祝いよ」
治安の良い王都では、貴族の令嬢も友人と買い物に出かけたりする。もちろん護衛と侍女は付き添うが、守護騎士とふたりならどちらも必要ない。普通の貴族ならありえないかもしれないが、なにせここは、恋愛ゲームの世界だ。わりと都合よくできている。
「別に構わないが、祝うようなことか?」
そう言いながらも身体を起こしたアルヴィンに、もちろんだと笑う。
「だって、ひとりで入学するつもりだったのよ。三年間もふたりで一緒にいられるのは、とても嬉しいことだわ」
「……そうだな。お祝いをしようか」
その言葉にふわりと柔らかく笑ったアルヴィンは、支度をするために自分の部屋に戻った。セシリアも町に出るのだから、もう少し動きやすい恰好をしなければならない。
侍女の手を借りて着替えをする。
動きやすいが、可愛らしいワンピース。
金色の髪はラフにまとめて、花の形をした髪留めをつける。
アルヴィンの方は、セシリアの希望で守護騎士の服装ではなく、シンプルな白いシャツに黒いズボンだが、その服装がまた美形をいっそう引き立てていた。何度見ても、思わず見惚れてしまうのだから、相当なものだ。
ふたりの侍女に見送られて、セシリアはアルヴィンと部屋を出た。
「どこに行く?」
「少し町を歩いて、それからパスタが食べたいわ。おいしい店があるらしいの」
「わかった」
寮の入り口にいる警備兵に外出届けを提出すると、馬車は呼ばずに歩いて大通りに向かう。
長身のアルヴィンは、歩調をセシリアに合わせてゆっくりと歩いてくれた。守るように、歩きやすいように導かれ、何だかくすぐったいような気持ちになって、くすくすと笑う。
「どうした?」
「何だかデートみたいだと思って」
「デートならもっと、それらしくしなければ」
ふいに肩を抱き寄せられて、どきりとする。
(いつのまにか、こんなに腕が逞しくなって。昔は、わたしより細かったのに)
アルヴィンも十五歳になって、確実に少年から男性の身体に変わってきている。顔立ちも少女のように可憐だったのに、美しさはそのままで、さらに精悍さが加わった。
急に胸の鼓動が早くなった気がして、慌てて笑みを浮かべる。
「設定だから?」
「そういうことだ」
これだけの美形と寄り添って歩いていると、嫌でも注目される。
(でも、昔ならいざ知らず、今はわたしだってそれなりの美少女。何とか釣り合いは取れているはず)
うらやむような声は聞こえてきても、貶めるような言葉はないのがその証拠だ。
「セシリア、覚えているか」
アルヴィンは立ち止まり、そんなことを言った。
「え?」
「ここで、俺たちは初めて出逢った」
「あ……」
十歳の頃の記憶が蘇って、セシリアは頷く。
「ええ、もちろんよ。アルヴィンはここに座り込んでいたわ」
「誰もが遠巻きに眺めていた俺に、まっすぐに近寄ってきたのには驚いた」
「あのとき、とても寂しかったから。仲間だと思ったのよ」
前世を思い出す前の、セシリアの記憶。
孤独で寂しくて、自分なんかいらない存在だと泣いていた。
周囲を見渡してみると、あのときと同じように、町には幸せな家族が溢れていた。
でも、もう孤独は感じない。
だって傍には、アルヴィンがいてくれる。
「わたしはもう、寂しくないわ」
「ああ、俺もだ」
孤独だったふたりは、こうしてそれぞれの傍に自分の居場所を見つけた。
恋人同士のふりをすることなんて忘れて、仲の良い家族のように寄り添って歩いて行く。その姿は、幸せそうな家族の群れに違和感なく溶け込んでいた。
目当ての店は、とても繁盛していた。
外にまで行列が並んでいるのを見て、どうするかとアルヴィンが尋ねる。
「並ぶわ。楽しみにしていたもの」
公爵令嬢なら、食事をするために列に並ぶなんて考えられないことだろう。でも前世の感覚で考えれば、並ぶくらい何ともない。むしろ、間違いなくおいしい店だと期待値が上がる。
ふたりは列の最後尾に並び、順番を待つことにした。
人気店らしく、並んでいるほとんどが若い女性かカップルだ。
当然のようにアルヴィンに視線が集中しているが、慣れているのか、彼はまったく気にする様子がない。
むしろアルヴィンの目には、セシリアしか映っていない。目が合った瞬間、神々しいほどの笑みを向けられて、周囲から悲鳴が上がる。どこかに被弾してしまったようだ。
ご愁傷様です、と思いながら、だんだんと近づいて来た店の中をのぞく。
「何を食べようかな。デザートも評判らしいの」
「そうか。今日はお祝いだからな。好きなものを何でも食べればいい」
「あんまり甘やかさないで。太ってしまうわ」
「そうなってもセシリアなら、かわいいと思うが」
デザートは控えめにしようかな、と思うくらいの甘い言葉は、恋人同士を演じているからだろうか。赤くなった頬を冷ますように、片手でぱたぱたと顔を仰ぐ。
(もう、アルヴィンったら。本気を出しすぎよ)
男性とあまり関わったことのない身としては、どうしたらいいのかわからなくなるときがある。
それでも褒められると、やっぱり嬉しい。
ようやく順番が回ってきて、店内に入ることができた。さりげなくエスコートされる。
おすすめのパスタとドリンク、デザートのセットを頼む。アルヴィンは肉料理とスープのセットを頼んだようだ。
「わぁ、おいしそう」
クリームソースのパスタに、アイスティー。デザートには苺のシフォンケーキ。どれもおいしくて、しあわせだった。
「アルヴィンのは、チキンのトマト煮込み?」
「ああ。食べるか?」
小さく切り分けた鶏肉が、目の前に差し出される。思わずぱくりと食べたセシリアは、その柔らかさと味付けに感動するも、公爵家の令嬢がやっていいことではなかったと反省する。
「おいしい……。でも、はしたない、よね」
「気にするな。ここには俺たちしかいない」
周囲にはたくさん人がいるが、アルヴィンにとっては、ふたりきりらしい。
「そうね。うん、苺のシフォンケーキもおいしい」
気を取り直して、セシリアも笑顔でそう言った。せっかくのデートだ。楽しまないと損だろう。
帰り道は少し暗くなっていたから、手を繋いで歩いた。
「おいしかったね。今度は別の料理も食べてみたいな」
「俺は、セシリアの作ってくれた料理のほうが好きだ」
「え、本当に? わたしの料理なんて、簡単なものばかりよ?」
でも愛情はたっぷりだから、とふざけて口にする。
アルヴィンはそんなセシリアを、愛しそうな、眩しそうな目で見つめている。
(演技、だよね? 恋人同士のふりをしているから、わたしをそんなふうに見つめているんだよね?)
胸が高鳴って、苦しいくらいだ。
自分の異性に対する免疫のなさに苦笑しながらも、セシリアは笑顔でその視線を受け止める。
「じゃあ、明日は何か作るわ。何がいい?」
「セシリアが、最初に作ってくれたあれがいい」
「……チーズリゾット? 鶏肉ときのこの?」
「ああ」
「わかった。作るね」
「楽しみにしている」
そのあとは、ゆっくりと歩きながら他愛もない話をする。途中で酔っ払いが絡んできたが、アルヴィンは視線だけでそれを退けた。
セシリアの守護騎士は剣技と魔力に優れ、イケメンで、しかもセシリアにだけ優しい。
最高で、最強の守護騎士だ。
そう思いながら、繋いだ手に少しだけ力を込める。
この手が離れることは、きっとないだろう。




