いいわけ
その数日後。
セシリアはアルヴィンを連れて、父の執務室に向かっていた。
魔法学園に入学することが正式に決まったので、明日から学園の寮に入ることになる。
その前に、父に挨拶をしなければならなかった。
すでに侍女たちが先に寮に向かっていて、セシリアが暮らしやすいように部屋を整えてくれていた。もちろん、守護騎士であるアルヴィンもセシリアの傍で暮らすことになる。
これから三年間は、長期休暇を除いたほとんどの時間を学園の寮で過ごす。兄も寮で暮らしているため、これからしばらくは、この屋敷には父と母だけだ。
(まぁ、お父様にしてみたら、お兄様とわたしがいなくても、お母様がいればそれでいいんでしょうね)
セシリアだって、もう十五歳だ。
いつまでも、子供ではいられない。
今となっては、両親の仲が良いのは、悪いことではないと思うようになっていた。
(でもお兄様は複雑でしょうね……)
兄は今でも自分を嫌っている。
彼が攻略対象だったときの記憶が戻ったセシリアには、その波乱万丈な人生に同情する気持ちもある。
それでも、歩み寄りたいとは思わない。
セシリアが望むのは兄や家族との和解ではなく、自分とアルヴィンの平穏な生活だ。それが得られるのなら、他のものはすべて取り上げられてもかまわない。
でも、ここがあの恋愛ゲームを元に作られているのだとしたら、この世界はヒロインであるララリのものだ。
どうしてもそう思ってしまい、不安になる。
(もし、どんなに頑張っても無理だったら? ゲーム補正みたいなものが働いて、どんなに生き方を変えても破滅しかないとしたら……)
考えすぎかもしれない。
でも、どうしてもその考えが頭から離れない。
(駄目ね。あの子と会った日から、どうも心が不安定だわ)
セシリアは立ち止まった。
ゆっくりと深呼吸をして、心を落ち着かせようとする。
「セシリア、どうした?」
背後を歩いていたアルヴィンが、心配そうに覗き込んできた。
「ねえ、アルヴィン。もし未来が変えられなかったら……」
気が付けば、そう口にしていた。
言ったあとに、後悔する。
何も知らない彼にそんなことを言っても、どう答えたらいいかわからないはずなのに。
「そのときは、セシリアを連れてこの国を出る」
迷う余地もなくそう言ったアルヴィンの姿を、セシリアは呆然と見上げた。
「……この国を?」
言われてみて気が付いたが、ゲームの舞台はこのシャテル王国だけだった。つまりシャテル王国以外は、ヒロインの世界ではないということになるのか。
(シャテル王国を出たら、乙女ゲームの世界から逃げ出せるかもしれないの?)
逃げ場があると思った途端、先ほどまでの不安が綺麗に消えていく。
「本当に、わたしを連れて逃げてくれるの?」
我ながら単純だと思うが、そんなことを言う余裕まで出てきた。それではまるで、愛の逃避行だ。
自分の考えに思わず笑いながら、冗談めいてそう言う。
だがアルヴィンは、セシリアが想像もしていなかった、真摯な顔で頷く。
「もちろんだ。俺はセシリアさえ無事なら、それでいい」
「そこは俺とセシリアが、と言って欲しいわね。わたしなんか、他国にひとりで逃れても、野垂れ死にするだけよ?」
「……たしかに」
納得しないでほしいと拗ねると、アルヴィンは本当のことだと笑う。
前世の記憶があるセシリアは、きっとひとりになっても何とか生きていける。
でも、隣にアルヴィンがいない生活なんて、耐えられそうにない。
彼を失うかもしれないと考えると、ヒロインに破滅させられるよりも恐ろしい。
「わたしを見捨てないでね」
だから、あえてそう言った。これからもふたりで過ごせることを祈りながら。
執務中だった父は、驚いたことに仕事の手を止めて娘を迎え入れた。
いつものように、仕事をしたままの父に一方的に話し、退出するだけだと思っていたセシリアは驚く。
あらためて、父の顔を見る。
こんなふうに視線を交わすことさえ、数年ぶりのことだ。
若い頃には魔力の高さと整った容貌で、王国中の憧れだったという父は、壮年となった今でも、その双方を保っている。
セシリアはその父の前に立ち、出立の挨拶をした。
「王立魔法学園の入学試験に合格し、明日から学園の寮に入ることになりました。ブランジーニ公爵家の娘として恥ずかしくないように、精一杯学んでまいります」
「しっかりと励め」
形式通りの返事をした父は、ふと何か言いたげに視線を反らした。
「……魔力測定の結果を聞いた。Bクラス相当だったそうだな」
やがて口にしたのは、試験の結果のことだった。
魔力に長けた公爵家の娘だというのに、Bクラスだったことを叱られるのか。そう思ったセシリアは、すばやく謝罪の言葉を口にする。
「はい。残念ながらわたしの努力が足りず、Aクラスにはなれませんでした」
「いや、お前の魔力がそれほど強くないと聞いて、安心した」
「お父様?」
それなのに、父がぽつりと口にした言葉は、驚くべきものだった。
「マリアンジュが体調を崩したのは、魔力が強すぎる子供を産んだせいだと思い、無意識にお前を疎んじていたようだ。だがBクラス程度の魔力しかないのなら、それは間違いだった」
すまなかったな、と言われ、セシリアは何も言えずに父を見つめる。本当に、父にとって大切なのは、母のマリアンジュだけなのだ。
「いえ、そこまでお父様に想われているお母様を、少し羨ましく思います」
慌ててそう答えたが、実際、セシリアの魔力はアルヴィンよりも高い。
自分よりも魔力の高い子供を産むのは、身体にかなり負担がかかると聞いたことがある。母の体調不良は間違いなくセシリアのせいだ。
むしろ父の怒りは正当なものだと思う。
複雑な思いで父のもとを退出した。
落ち込むセシリアとは裏腹に、父はいつもより上機嫌のようで、アルヴィンにわざわざ娘を頼むなどと声を掛けていた。
「セシリア」
とぼとぼと歩くセシリアに、アルヴィンは声を掛ける。
「気にする必要はない」
「でも」
「魔力が強すぎる子供は、母体を守るために守護魔法を使うらしい。だからセシリアはむしろ、母親を守っていたことになる」
「わたしが?」
「そうだ。体調を崩しただけで生きているということは、そういうことだ」
生まれる前の記憶などないから、嘘だとは言えない。
でも、そんな話は聞いたことがなかった。魔法に精通しているはずの父も、その話は知らないようだ。
「本当に?」
「ああ。俺の国ではよく知られている話だ。それができるくらい、セシリアの魔力は強かったということだ。だから公爵の的外れな怒りなど、まったく気にする必要はない」
セシリアを傷つけるような発言をした父に、アルヴィンは不快さを隠そうともしない。
「もう、アルヴィンったら。一応お父様は、あなたの雇い主よ?」
「俺の主はセシリアだけだ」
どんなときも味方でいてくれる彼の存在は、セシリアを優しく救ってくれる。
「そうね。もう三年ほどは、お父様ともほとんど会わないもの。あまり気にすることはないわね」
ようやく笑みを浮かべると、アルヴィンはあきらかに安堵した様子だった。
(お父様もこうして、お母様のことを常に気にかけているのかしら?)
そんなことを思ってしまい、ひとりで頬を染める。
(違う、わたしったら何を考えているの? わたしたちは、そういうのじゃなくて……。互いに納得した上での、偽装の恋人だからね)
誰にいいわけをしているのかもわからないまま、必死に自分に言い聞かせる。
ひとりで恥ずかしがるセシリアを、隣にいたアルヴィンは慈しむように見つめていた。




