恋愛ゲームの世界
(どうして今まで気が付かなかったんだろう……)
前世の記憶があるのは確かだが、すべてを覚えているわけではないらしい。
思い出してみれば、前世の自分は根っからのゲーマーで、暇さえあればゲームばかりしていた。ちょうどあの頃お気に入りだったゲームが、目の前にいる少女がヒロインの、恋愛系ゲームだった。
ヒロインの、ララリ・エイター男爵令嬢。
庶民として町で暮らしていた彼女は、十五歳のときに母親が亡くなり、その遺言で父親が貴族だったことを知る。探し当てた父親は、ララリが魔力を持っていると知ると、すぐに彼女を正式に娘として迎えた。
理由は、この国の事情で知った通りだ。
魔力のある庶子は、魔力を持たなかった嫡子よりも優先されるのだ。
それから一年後、ララリはエイター男爵家の娘として、王立魔法学園に入学することになる。
(ああ、そうだわ。これからわたしたちが入学する、この学園だったわ……)
ゲームの内容を思い出しながら、目を閉じる。
ララリは平民育ちのせいか、無邪気で明るく、思っていることをすぐ口にする。それが貴族の男性には新鮮で、とてもかわいらしく見えるらしい。
学園で彼女は、多くの男たちを虜にしていた。
たしか攻略対象とされるキャラクターは、五人ほどいたと思う。
それだけの男たちがひとりの女性を愛し、なおかつ互いが仲良く協力関係であるなど、普通の貴族社会では考えられないことだ。
(まあ、それが成立しちゃうのが、恋愛ゲームなんだけど……)
攻略対象は誰だったのか、思い出してみる。
ひとり目は、王太子。
先ほどまでこのホールにいた、あの王太子だ。
たしかゲームではメインヒーローで、いかにも王子様といったキラキラしい外見だった。
ふたり目は、騎士団長の息子。
攻略した覚えはあるが、残念ながら詳細を思い出すことができない。
三人目の魔導師団長の息子も、四人目の神官も同じく。
この世界で実際に会うことがあれば、そのときに思い出すのかもしれない。
五人目は、何とセシリアの兄であるユージン・ブランジーニ。
(お兄様、攻略キャラだったのね)
たしか、見た目はマッチョなのに中身は繊細で、不幸な生い立ちや魔力の少なさによる悩みや、魔力の強い妹と比べられる苦しみなど、それなりにイベントは多かった気がする。
何といっても彼は、主人公ララリをいじめる悪役令嬢の兄なのだ。
(そう。それがわたし……)
セシリア・ブランジーニ。
公爵家の令嬢で、この国で一番強い魔力を持っている。さらに、攻略対象である王太子の婚約者だ。その立場のせいか、ヒロインを虐めるシーンがとにかく多かった気がする。
(どうしてわたし、そんな悪逆非道な悪役令嬢になってしまったの?)
彼女は十歳で魔力を暴走させ、一般市民を傷つけてしまう。
そのときはまだ幼かったこと、魔力の制御がまだできなかったことから、一週間ほど修道院で過ごすだけで許される。
だが、その間に両親と兄から愛されていなかったことを知ってしまい、次第に傲慢でわがままな性格になっていく。
そんな彼女に疲れた王太子は、次第にララリの素直で明るい性格に惹かれてしまう。
だがセシリアはそれが許せず、ララリを殺害しようとするのだ。
思えばあの予知夢のような記憶はゲームのストーリーで、その中でセシリアが嫉妬心から殺してしまったのは、このヒロインであるララリだ。
(殺されてしまったらバッドエンド。仲間たちと力を合わせて、うまく回避することができたら、王太子と結ばれていずれはこの国の王妃になるのよね)
恋愛系のゲームならよくあるシナリオだ。
「セシリア、どうした? 気分が悪いのか?」
「あ……」
心配そうな声が聞こえてきて、我に返った。
気が付けば、アルヴィンがひどく心配そうな顔をして、セシリアを覗き込んでいた。
「……アルヴィン」
労わるような優しい腕。
セシリアを心から案じてくれている彼の様子に、セシリアは泣きたいくらい安堵して、その胸に顔を埋める。
何度思い返してみても、あのゲームにアルヴィンという登場人物はいない。
彼はララリの攻略対象でも彼女の仲間でもないし、モブでも、隠しキャラでもない。
(アルヴィンなら、大丈夫。わたしよりヒロインを優先したりしない。仲が良いふりをして、セシリアの動きを探るスパイでもない)
震えながら胸に縋るセシリアを、アルヴィンはそのまま抱き上げた。
「休憩室に移動する。そこで少し休もう」
「……うん」
素直に身を委ねて、目を閉じた。
「私も行きます。とても具合が悪そうで、心配ですから」
明るく無邪気な声がしたが、アルヴィンはそれを無視して歩き出した。
「あ、待ってください」
「お前の手は必要ない」
アルヴィンは冷たくそう言うと、大切そうにセシリアを腕に抱き、そのままホールを出た。
ララリはアルヴィンの冷たい言葉と視線にびくりと身体を震わせ、その場に立ち尽くす。
でも、きっとすぐに誰かが慰めてくれるだろう。
(わたしとは違って、彼女はヒロインだもの……)
セシリアはララリのライバルキャラではなく、「悪役」だった。
ヒロインのライバルは王女のミルファーであり、彼女とララリは違いに競い合い、協力し合いながら、成長していく。
そのふたりを妨害するのが、「悪役」令嬢のセシリアだ。
このゲームは、難易度が高いことで有名だった。
とにかくセシリアの嫌がらせや妨害がひどくて、少しでも選択肢を間違えたら即座にバッドエンドになる。
そのバッドエンドがグッドエンドの三倍近くもあり、ヒロインを助けようとして、攻略対象が死んでも駄目。ライバルキャラである王女が死んでも、駄目なのだ。
悪役令嬢セシリアは魔力が高いせいでとにかく強く、王太子と王女が協力しても倒せない。
誰も死なせずにセシリアを修道院に入れることができれば、グッドエンド。
でもそのグッドエンディングの後には続きがあり、セシリアはヒロインに対する憎しみから魔族に身体を乗っ取られ、この国を滅ぼそうとする。それをヒロインは、攻略対象や仲間たちと、パーティを組んで倒さなければならない。
当時は、恋愛ゲームをしていたはずなのに、いつのまにか本格的なRPGゲームに変わっていると話題になっていた。
ちなみにヒロインが死んでしまうバッドエンドにも後日談があり、セシリアは修道院に向かう途中、ヒロインを殺されたヒーローに恨まれて殺害されてしまう。
セシリアが見た記憶の中では、その犯人は実の兄であるユージンだった。
(どのエンディングを迎えても、悪役令嬢は死んでしまう。そんなの嫌よ。ヒロインにもライバルキャラにも、攻略対象にも関わりたくない……)
どうしたらいいかわからない。
気が付けばセシリアはアルヴィンの腕の中で、声を押し殺して泣いていた。
急に蘇った記憶に、ヒロインたちに憎まれ、倒されるという自分の立場に、どうしたらいいのかわからなくなっていた。
「セシリア……」
アルヴィンは宥めるようにセシリアの名前を呼んで、抱きしめてくれた。
「大丈夫だ。何があっても俺が必ずお前を守る」
だから、泣かないでくれ。
そう懇願されたのに、その優しい声に、包み込むように抱きしめてくれる腕に、ますます涙が止まらなくなってしまう。
「……ごめん、なさい。わたし……」
この涙の理由など、アルヴィンはまったく知らないのに、それでも守ると言ってくれる。
こんなにも大切に抱きしめてくれる。
その事実が少しずつ、セシリアの心を落ち着けてくれた。




