僕にとって、"かわいい"……って、何?
黄昏の図書館を、爆破して欲しい……だって?
僕は絶句して、何も言えなかった。
パイネは真白の髪の毛を手でかき分け、三角帽子の隙間からにたりと笑っていた。
「あの……そもそも”黄昏の図書館”って、何?」
僕はようやく声を絞り出し、恐る恐る聞いた。
「あえー……そっから?」
彼女は数秒目線を外し、体を軽く揺らしてからこちらに手をかざした。彼女の手のひらの上を浮遊していたランタンが、紫色の炎を揺らしながら近づいてくる。
それはやがて、僕の顔近くに止まった。
「……守羽ちゃんは”記憶喪失”なんだよねえ?」
「あ、はい……でも、なんで記憶喪失って……」
初めて会ったときに、記憶喪失だって話したっけ?
頭のなかで記憶を追ってみても、心当たりがなかった。
……まあ正直、この世界について何も知らなすぎるから、僕の言動は違和感だらけだろうと思う。だから、彼女が勘づいたとしてもおかしくはないんだけど。
これを”心当たり”と言うのなら、まあ、そうだ。
「ふゥん、どこかに頭でも打ちつけた……ってワケじゃなさそうだねえ。
誰かに記憶を操作されているのか……でもねえ……」
パイネがブツブツと独りごちる間、僕は彼女が”記憶喪失”に着目した理由について考えてみた。自分自身の所在のなさを取りつくろう違和感だらけのゴリ押し説明文句、これすなわち”記憶喪失”というワケなんだけど。
一部の記憶を無くしているならともかく……ほとんど全ての記憶を失っているだなんて、よく考えてみるとおかしいよなあと思わなくもない。
パイネが宙に模様を指で描いていく。それは円形の魔法陣となって、妖しく光り出した。ランタンが呼応するように光り出し、上部の蓋がかこんと軽い音を立てて外れ、そこから小さな種火が外に出てきた。
種火はしゅるしゅると音を立てながら回転し、広がって……やがて薄い紫色の膜に変わった。
そこに映されていたのは、どこかの景色と、建物だ。
「これが、黄昏の……?」
言いかけて、気づく。
これ、どっかで見たことあるぞ……?
「私たちと出会った時に、遠くではあるが少し見えていた」
マリオンの言葉を聞いて、情景が脳裏に蘇ってくる。
ああ、そうだった。僕が姉妹に助けられた時に、崖っぷちに教会のような建物が見えていた。あれかあ。
「いや、”あれかあ”じゃないよ!
街に来た時に聞いたけど、あれ、カーリオ家の持ち物なんでしょ!?」
「そうねえ」
「僕、昨日そのカーリオ家のひとに会ったんだよ! しかも今日は街をぶっ壊したことの責任を問われるジャッジメント・デイなんだよ!」
「あのね、それなんだけーー」
何か話そうとしたカリンを片手で制して、パイネが真剣な表情でこちらを向いた。
「そうだねえ。守羽ちゃんはとても危機的状況だねえ。治世者に目をつけられ、そして魔女にも目をつけられ……その上、国への反逆とも取れる行為をするわけだからねえ」
「……でも、爆破するって、一体どうして」
「あそこにはね、あたしの友人が住んでいるーーいや、囚われているのさ」
「囚われている?」
「あたしの友人、”メリクラス”がね。千年間、ずっとねえ」
後ろで、マリオンが息を飲む音が聞こえた。
パイネの友人ーーメリクラスーーはずっと、黄昏の図書館に閉じ込められているってこと?
だとしたら、ただごとじゃないんじゃ……
パイネは表情を変えずに、言葉を続けた。
「今から丁度千年前に起こった”熾天の大世変”。これによって、あたしたちの世界は一変して、世の中に魔力が溢れた。生物たちが魔力を持つようになった……」
「あれは伝承の話だとーー」
マリオンが焦り気味に声を発した。
パイネはああ、君たちの認識ではそうなるのか、と軽く手を叩いた。
「君たちにどう伝わっているのかは知らないけどねえ。アレは間違いなく起こっているよ。まさか生きとし生けるもの全てが、千年足らずで死ぬとは思ってないよねえ」
マリオンは複雑そうな表情をして、僕のそばで押し黙った。
「その目で見てきたヤツも、まだいくつか生きているだろうさ。
“メリクラス”もその一人ってワケ。あたしは見てないけどねえ。なにせ妖人としてはまだまだ若くてねえ」
冗談っぽく言ったあと、パイネは目を細め、帽子を外した。
頭には小さな羽根のような触角が二つ生えていて、右側には紫色に輝くプラウトラが付けられていた。
「メリクラスを解放してあげて欲しいんだ。それが依頼の一つ」
「依頼が増えたね」
「それはついでさあ。あたしの気持ちだけなら、爆破させる必要なんかないんだよお。でも、”お茶会”の連中がうるさくてねえ」
「”お茶会”?」
「ああ、こっちの話さあ。とにかく、あの黄昏の図書館を利用されるのはあんまり良くないんだよお。あそこには”前時代の毒”があるからね」
「あの、一体何の話?」
途中から起きて話を聞いていたのか、ミリーが横から口を挟んだ。
「そうだねえ。ちょっと込み入った事情があってね、全部説明するのも難しいし、話していたら時間が無くなっちゃうからね。下に犬もいることだし」
「犬……昨日、私たちを案内してくれた侍女か。
だから、さっきから下を気にしていたんだな」
パイネは頷いた。
「あたしもこのアルトラで暮らす小市民なわけさあ。表立って事を構えるわけにもいかないんでねえ」
「色々知りたければ、黄昏の図書館に行くのが一番早いと思うよお。
メリクラスから、直接聞きなあ」
「……事情は分からないけど、友人を助けるって話には、乗ってもいいと思ってるよ。でも、爆破させるのは……」
「君の魔力なら問題ないだろう?」
「でも、それは、ちょっと”かわいくない”っていうか……」
そう言うと、パイネはぐいっとこちらに近づき、僕の目を見つめた。
赤黒い目に見られていると、心の全てを彼女に晒しているような気持ちになる。不安が押し寄せてきて、目を今すぐにでも逸らしてしまいたい。
パイネは、僕にだけ聞こえるような小さな声で、でも、僕の魂にまで伝わるような威圧感のある響きで、僕に問うた。
「守羽ちゃん。
君にとって、”かわいい”って、何?」
「え……?」
僕の喉から、乾いた声が漏れる。
「それは、あの」
「守羽ちゃんが誰の影を追っているのか知らないけどねえ。
そんな下らない理由であたしの依頼を受けないだなんて、言わないで欲しいんだよねえ」
「でも、天使……様が、僕にとって一番かわいくて」
「だから聞いたんじゃないかあ。
君にとって、”かわいい”って、何? ってさあ。
その天使様は”かわいい”って物質で出来ているのかい?」
違うよねえ? と、パイネは微笑した。
僕は何も言えなくて、ただ彼女の顔を見ることしかできなかった。
「じゃ、任せたからねえ。
状況はその種火から見守っているから、まあ、頑張んなよお」
そう言うと、パイネは帽子を被ると身を翻し、ランタンを手のひらに乗せた。
それは淡い光を放ち、箒に形を変えた。
「えっ、パイネ? 守羽ちゃんに何を言ったの?
ね、ちょっと! 引っ張らないでぇ!」
カリンが何か叫んでいるのは分かったが、パイネの問いが頭の中に反響していて、周りの様子が全く頭に入ってこない。
「ああ、もう!
私はイソレアに住んでいるから、もし良かったら遊びに来てね! 待ってるから!! ずっと!!」
“かわいい”が…………何かって?
その問いに、僕は呆然とするしかなかった。
「僕にとって、"かわいい"……って、何?」




