目覚めたばかりのかわいい僕では、この魔女を処理できません
澄んだ歌声が、近くから聴こえている。懐かしさと寂しさがない混ぜになったような感情が、僕の心を満たしていく。
ぼんやりと目を開けて、歌が聞こえた方を向く。
窓枠に、誰かが座っているようだった。
「あれえ、起こしちゃった?」
腑抜けた声を聞いて、今歌っていたのが誰だったのか瞬時に理解する。
僕はシーツの裾を引っ張り上げて半身を隠し、そいつの名を叫んだ。
「パ、パ、パパパイネ! ど、どうやってここに?」
「あたしは魔法が使えるからさあ」
「何の説明にもなってないよ!」
怒気を込めて叫んだつもりだったが、彼女にとってはどこ吹く風だ。手のひらの上で妖しく浮かぶランタンを弄び、楽しそうにけらけらと笑った。
そしてその後ろから、カリンが申し訳なさそうな表情でひょっこりと顔を出した。
「まさか私も、こんな訪ね方だとは思わなくて……びっくりさせちゃってごめんね?」
カリンは取り繕うように咳払いしてから続けた。
「ほら、昨日はとくに挨拶もなく別れちゃったでしょ?
帰るまえに挨拶しようと思ったんだけど、私みたいな平民が上層街に入っていいのかなって思って」
そうか、カリンは親の付き添いでアルトラに来ているんだった。
おそらく、家は別の場所にあるんだろう。
でも、とカリンが照れ臭そうに笑った。
「ダメ元でパイネに話したら連れてってくれるって言うから、お願いしちゃった」
窓際に近づいてみると、彼女は浮いていた。
スカートがまるでクラゲのようにふわふわと形を変えて、捲れ上がりそうになるたびに慌てて押さえつけている。
なるほど……こういうのも可愛さを引き上げてくれていて……なんていうか、とても女の子らしくて、勉強になりますね。
可愛さの研究に余念のない僕が頷きまくっていると、カリンはスカートを押さえたまま、パイネの袖を軽く引っ張った。
「パイネ、部屋に入っちゃダメなの?」
「足をつけたくないの」
「ンな、泥棒じゃないんだから……」
思わず僕が突っ込む。
パイネは一つため息をついて、チラリと下を見た。
「……まあ、お目こぼしを貰っているだけだからねぇ。あんまり長居はできないから」
下? 下になにがあるんだろうか?
僕が身を乗り出して下を覗こうとしたとき、一瞬、パイネと目があった。
彼女の目が一瞬鋭く光ったのを、僕は見逃さなかった。
あれは間違いない。何か良からぬことを企む魔女の目だ。
「……なんとなくだけど、挨拶に来ただけじゃないんでしょ?」
僕が恐る恐る聞くと、これは心外だとばかりにワザとらしく肩をすくめて、パッと窓枠から手を離した。
空中でゆるりと一回転して、僕に向き直った。
「そこの主人想いの奴隷によれば、君は冒険者だそうじゃないかあ」
振り返ると、少し距離を取った位置に、マリオンがいた。息を潜めていたのだろうか。正直、全然気が付かなかった……
もしかしてミリーも? と思い隣のベッドを見ると、彼女は静かに寝息を立てて、ぐっすりと眠っていた。そこは姉妹で違うんだ……
「主ちゃん。私は彼女に何も教えていない。
恐らく、私のプラウトラから情報を抜き取ったのだろう」
マリオンは腕を組んだまま、片目だけ開いてパイネを射抜くように睨みつけている。
見かねたカリンがパイネの頭を小突き、申し訳なさそうに会釈した。
「そんな言い方ないでしょ。さっき話したじゃない。あちらはマリオンさん。守羽ちゃんのお友達……で、合ってるよね?」
「……どちらかというと、そこの魔女の方が的確だ」
マリオンは苦い顔をしながらも、パイネの言葉を肯定した。
そんな”魔女”は、なおも余裕そうにふわふわと浮きながら、わざとらしい表情を作った。
「ごめんねえ。気に障った?
悪気はなかったんだよ」
「僕たちは兄……姉妹だよ。
ええっと、で、要件は?」
険悪な空気を払うように、僕は言葉を差し込む。
パイネはにたりと笑みを浮かべた。
「いやなに、君たちに依頼をしようと思ってね」
「断る」
僕が何か言うよりも早く、マリオンがきっぱりと言い切った。
けれど、パイネは表情を一切崩さないどころか、あざけるような目で僕を見た。
「いんや、断れないね。
ね、守羽ちゃん?」
身体の芯から冷えていくような声色に、僕はビビり散らかしてひっくり返りそうになった。
マリオンが後ろから支えてくれなかったら、本当に倒れていたかもしれない。
そうか、そういうことか……
僕は頭を抱えるしかなかった。彼女が不自然に親切だったのも、僕に服を渡したのも、きっとこの依頼を通すためだったんだ。
大きいツケだと思っていた。けれど、まさかこんなに早く払うハメになるなんて……
「い、一杯食わされた……」
けれど、まだ内容を聞いていない。
それに、親切にしてもらったのは事実だ。それに、彼女の家にある本を読んで、僕は僕と同じ姿の天使に再び出会えたんだ。
あれがなければ、昨日の夜の襲撃をスムーズに撃退できなかったかもしれない。
僕はぐっと拳に力を込めて、一歩前に歩み出た。
「それで、依頼って?」
パイネは待ってました! とばかりに顔を輝かせ、極めて楽しそうな口調でこう言った。
「黄昏の図書館をぉ、爆破してほしいんだよねぇ」
「……は?」