55 準備はできた
この世界には奴隷制度というものがあり、人が人を所有することができる。所有される人は、奴隷と呼ばれ、それぞれ所有者の都合で仕事をさせられる。
力仕事や人に忌避されるような仕事。人に快楽を与えるような仕事。
そんな奴隷、快楽を与える奴隷が働く場所で、人々は集まった。それは快楽を求めるためでなく、見届けるため。
奴隷と奴隷を戦わせて、それを観賞する場所。闘技場と呼ばれる場所の客席に、各国の要人たちは腰を下ろす。
奴隷たちが戦う場所を、客席がぐるりと囲って配置されている。戦う場所から遠い席ほど、高い位置にあり、まるで階段に囲われているようだ。
中央に一人の男が進み出る。
「そろそろ時間でございます。勇者様は、前挨拶は不要とのことですので、魔王到着後の登場となります。皆様、しばしお待ちを。」
そう言って、司会の男は頭を下げて立ち尽くす。普段は客をあおり、闘技場で行われている賭け事を盛り上げたりする彼だが、今日ばかりは無駄口をたたかず進めた。
今日、この闘技場で行われるのは、娯楽的な戦闘ではない。
人類の存亡を左右する戦い。勇者と魔王の決闘が行われる。
普段は、ヤジや歓声が飛びっぱなしの客席だが、今は静まり返っている。人も違えば状況も違うのだから当たり前だが、普段を知っている者からすれば、一層不気味に思えて不安に押しつぶされそうになる。
人類は勝てるのか?
もし、勇者が負けてしまったら?
そんな不安が渦巻く中、轟音と共に空から何かが中央に落ちてきた。司会がいる場所からは離れているが、落ちた拍子に舞った土埃が、中央部分を客席から見えなくしてしまい、客席からはどよめきがもれた。
「お待たせしてしまったかしら?」
響く女の声。それは、ここにいるすべての人間が、一度は聞いた魔王の声だ。
緊張が走る人間たちをつまらなそうに見やって、魔王は髪をかき上げた。
「勇者は?」
魔王の言葉に、司会はハッとして、裏方に合図を送った。
「異世界からの救世主、勇者様のご登場です!」
司会の言葉に、客席の前方で待機していた楽団が音楽を奏で始めた。そして、魔王の対面、司会を挟んだ向こう側の扉が開く。
扉が開くと、待機していた者の姿が露になった。
銀の鎧を身にまとった男が、台車にのせられている。台車は2人の男が引いていて、鎧の男は台車の上に立っているだけだった。
なんだあれは?そう思いながらも、客席からは遅れて拍手の音が響き渡る。
「あら、あれは・・・」
台車を引く、ローブを着た男を見て魔王は笑った。
「なかなか骨があったのよね。あの時は少しだけ楽しめたわ。」
その時のことを思い出して、魔王は少しだけ勇者に期待した。何の力もないと言っていたが、骨のある魔術師を従えているのだ。何かがあるかもしれないと期待した。
ゆっくりと、魔王の前まできて、台車は止まる。台車を引いていた男2人は、鎧の男を抱えて、地面におろす。
「ありがとな。」
鎧が礼を言った。その声を聞いて、若い男だと魔王は判断する。今のところ、鎧の男からは何の力も感じられないが、勇者で間違いないだろう。
ここで偽物を出す理由もないし、勇者を知る部下から、鎧の男が勇者だと報告が今来た。
「勇者が鎧男だなんて、初耳だわ。報告では、軽装で武器はダガーと聞いていたのだけど?」
「ジョブチェンジってやつだ。ま、気にしないでくれ。俺が勇者であれば、それ以外は問題ないだろう?」
「えぇ、問題ないわ。あなたが勇者だという確認も、こちらでとれているし。」
勇者は魔王と話を終えて、台車を引いていた2人に顔を向ける。
「じゃあな。」
たった一言発した勇者を、2人は名残惜しそうに見たが、勇者はもうそちらに顔を向けなかった。もう話すことはないとでも言うように。
「やはり、私も一緒に!」
剣を装備した男が声をあげるが、勇者はそれを遮った。
「決闘だ。俺以外は必要ない。」
「ですが!」
「別にいいわよ。」
「な!?」
言い争いを始めようとした2人に、魔王は軽く声をかける。
「別に、2人でも100人でも、結果は変わらないわ。何人増えても同じよ。私と戦う人間の人数は制限しないわ。」
「聞きましたが、勇者様!これならば・・・」
「ダメだ。」
「勇者様!」
「ロジ、サウスを連れていけ。俺一人で十分だ。だから、頼む!」
ローブの男は、勇者を見つめた後、頷いた。
「小僧・・・ワシらも、共に最後まで戦いたかった。じゃが、ワシはお主の考えを尊重する。さらばじゃ。」
ローブの男が魔法で剣を装備した男を捕らえ、出てきた扉に戻っていく。その後ろ姿を見て、魔王はため息をついた。
「まさか、勝てると?」
「まさか。」
勇者は、笑った。その顔はひきつって、若干涙が目に浮かんでいたが、フルメイルのおかげでその様子はわからない。
「犠牲になるのは、俺一人で十分だ。」
これで、もう引き返せない。もう、誰も勇者を守る者はいない。




