第四話
縁談話がもちあがったという。
お滝は、それを祖父の清吉から知らされた。
「縁談……?」
「ああ。もうそんな年なんだね」
美しく成長した孫娘の姿を見ながら、しみじみと清吉は言う。
「お前と同い年の、お千佳さんがねぇ」
縁談が来たのはお滝ではなく、お千佳のほうだった。二人は十五の娘盛ではあるし、家付きの一人娘だ。お滝はもちろん、お千佳もなかなかかわいらしい容貌であるから、こういった話がくるのも当然であった。
それでも。弥助が運んできたお茶を一口飲むと、お滝はお千佳の弥一への思いを考えた。
「お滝や、お前はまだ先でいいね? ゆっくり慎重に相手を選ぶのがいいよ」
結局清吉が言いたいのはそういうことらしい。商売のことに関しては迷いのない采配をふるえるが、かわいい孫娘のことに関してはどうも違うらしい。
そんな祖父の心孫知らず、お滝は祖父への返事もおざなりに、お千佳の話を聞きたがった。
「どなたと?」
「紙問屋さんの二男坊だそうだ」
「そうですか……」
お滝の顔に陰りがはしったのを見て、そばにひかえていた弥助が付け加えた。
「真面目ないい方だそうですよ」
穏やかな笑顔は弥一ととてもよく似ているが、やはり年月を重ねた深みがある。
いい人が相手だ、ということに少し安心したが、お滝の胸の内のもやは晴れなかった。
遠くから弥一の後ろ姿を見ただけで、頬を染めて体を固くするお千佳。弥一に熱をあげる女は多いが、お千佳の思いは格別に深いような気がしてならなかった。そのお千佳が。
「失礼します」
廊下から弥一の声がした。
「お嬢さんにお客様です」
まっすぐな瞳は強気な態度とはうらはらに、どこかおびえた色をうつしていた。
お滝の部屋に通されたお千佳は、すぐに話をきりだした。
「お願い、弥一さんと二人で話をさせて」
とっておきの振袖にかんざしをまとったお千佳は、いつにもましてかわいらしい。その袖をきつくつかんで震えている拳はお千佳の覚悟の証だろう。
「お千佳ちゃん……」
「わかってる!」
お千佳はぎゅっと唇をかんだあと、続けた。
「わかってるの。今回の縁談話がなくなっても、うちは近いうち、誰か婿養子をもらう。それは絶対に……弥一さんじゃない」
わかってはいるが、どうしても思い切りがつけられない。
だから。
「私の気持ちだけでも、伝えたいの」
お滝はじっとお千佳を見つめた。
「うん。わかった」
はっと顔をあげたお千佳に、お滝はゆっくりとほほ笑んだ。
「これから弥一を呼んでくる。ここにいて」
お千佳の目がふっと揺らぐ。
「あ……ありがとう。ありがとう」
目から涙をこぼすお千佳を見ないようにして、お滝は部屋をでた。
人を好きになるというのは、こういうことなのか。お滝はぼんやりと考える。
自分は何かと美しいとほめられる。だが、それは『好き』だということではない。
こんなにまで誰かを慕い、慕われることは不思議なことだ。
一緒にいたい。話をしたい。笑顔を自分だけにむけてほしい。
わかるような、わからないような。その想いが叶えられないものならば、深ければ深いほど辛くなる。そんな気持ちをお滝はもったことがない。
もしあんな想いを持ったら、自分はどうなってしまうのだろう。あんな想いをぶつけられたら自分は。弥一は。
まだ昼間の稼ぎ時、店先から聞こえる喧騒が遠くに聞こえた。
足が重い。
「どうしました、お嬢さん」
「弥一」
足先を見つめていた視線を上げると、落ち着かない面持ちで歩いてくる弥一の姿があった。
「お人払いを、とのことなので控えていましたが、お茶もお持ちしないのでは、と思いまして。……顔色が優れないようですが」
「弥一」
「お嬢さん?」
お盆を持ったまま首をかしげる弥一はいつも通りだ。いつも通りすぎて、今まで何も感じていなかった。
弥一は私のそばにいる。話をする。笑顔を向けてくれている。
それは、私にとってどんな意味があるのだろうか。
「具合が悪いんですか、頭ですか、お腹ですか」
お滝は自分の考えにふけり、あわて始めた弥一をなだめることもできない。弥一はさらにあわてる。
「お嬢さん? しっかりしてください、お嬢さん!?」
「あ」
肩をゆさぶられ、ようやく目を覚ましたお滝は間近に迫った弥一の顔に気付いた。
「あ、ああ、びっくりした。弥一はずいぶん整った顔よね」
珍しく笑顔ではない弥一の顔は、目鼻口があるべき場所にあるべき形で見事におさまっている。
思わず言うまでもないことを口走ったお滝だが、次の瞬間ぎょっと目をむいた。
弥一の顔が一瞬で真っ赤に染まったのだ。
「いいいきなり、な、何をおっしゃるんですか」
「え。本当のことだけど」
「う、お、お、おじょうさんっ」
お滝を案ずる憂いを帯びた表情から一転、しわが顔の中心に集まり、見ほれて熱が出るどころか恐怖で凍りつく「いつも通り」の弥一の顔が現れた。
「あ、もどった」
いつも通りだ、とお滝がつぶやいたとき、後ろから「ぎゃっ」と悲鳴があがる。
びっくりして振り返ると、そこにはお千佳が立っていた。なかなか戻ってこないお滝にじれて、部屋から出てきてしまったのだろう。
しかし、今のお千佳には先ほどみえた覚悟の炎はすっかり消え失せていた。
「お、お、お滝ちゃん……」
「お千佳ちゃん、ごめんなさい、今すぐ席をはずすから」
お滝の言葉など聞こえていないように、お千佳は青ざめひきつった口元から声をしぼりだした。
「だ。誰なの……そこの人」
残すところ、あと二話です。
どうぞ、最後までおつきあいください。
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