(9)マルバジオの町
クリスとモニカが入った飯屋は夕暮れ時で混んでいた。エプロンをした若い女に言って席へ案内してもらう。客の合間を抜けるときに何かと視線を感じるのは、恐らくクリスの見た目とモニカの大きな胸のせいだろう。簡素なワンピースを押し上げるふたつのふくらみは、さらしで巻いていてもその存在を隠しきれていない。またクリスのさらりとした金髪も白い肌もこの辺りではなじみのない容姿であり、加えてあの可愛らしい顔だ。どちらも非常に目を引いた。もっともモニカの乳へはどちらかというと嘲りや侮蔑といったもので良い感情ではない。中には遠くの席から「おい見ろよ、すげーぞ」と乳を指差して笑う者もいた。
店員は席につくとモニカたちにくるりと向き直り、そばかすの浮いた顔をにこりとさせた。
「お客さんたち、ついてますよ。実は今日ここの娘さんの結婚祝いで店主が大盤振る舞いしているんです。といっても肉団子の煮込みをお客さんにふるまっているだけなんですけど」
「お、やったなモニカ」
嬉しそうにほほ笑むクリスに、店員と周りの客が小さく興奮した。十中八九「かわいいなオイ」と鼻息を荒くしているのだろう。クリスは店員からメニューを詳しく聞きながらテキパキと注文をした。小さな女の子がしっかりと受け答えする姿にまわりの人間は大変ほほえましく思っただろう。
厨房に戻っていく店員を横目で見ながら、クリスは小さな声で声をかけた。
「だいじょうぶか、モニカ」
「……はい」
モニカできるだけにこやかに返事をしたつもりだったが、思ったより沈んだ声がでた。さっきの騒動からまだ立ち直れておらず、顔色が若干悪いのだ。加えて不躾で好奇な視線。精神的に参るなと言う方が難しいのかもしれない。しかしモニカはそれを感じさせまいと笑顔をつくった。
「料理、楽しみですね」
運ばれてきた料理はモニカのいた村でもなじみのある料理ばかりだった。赤牛肉とトマトのたっぷりソースがからんだ、もちもちの細い麺。肉汁したたる豪快なボーンステーキ。店主がふるまっている肉団子のスープには野菜とパンがはいっていて、柔らかく湯気をあげている。芋をぶつ切りにして多めの油で揚げ焼きしたものは見事な黄金色だった。
「うわー、すごい……」
「すばらしい。ウィリアムはまだじゃが、先に頂こうか」
二人で食べるには多すぎる量なので周りは心配したのだが、クリスの食べっぷりはそれはもうすごかった。どの皿も少しずつ残しているのはウィリアムへの配慮か。縞リスのようにほっぺの両側を膨らませて食べる様子がかわいらしいが、いったいその小さな体のどこに収納されているのか。
「この辺りは食べ物がうまいな。私の故郷にはこんなおいしいものなかったぞ。なんだこの細長いのは。もちもちツルツルしてて、腹にたまる。ソースもうまい」
「それは小麦の粉を練って伸ばしたものです。パスタと言って、いろんな形があるんですよ。私の村でもよく食べるんです」
「うむうむ」
フォークに器用に巻きつけてパスタを食べる姿が可愛く、モニカはくすくすと笑いながらスープを口に運んだ。とろりとしたパンと野菜に肉のうま味が沁みている。結婚の祝いに作る特別なスープ。これもモニカの村と一緒だ。縁起の良い蝶の形をしたショートパスタと手間のかかる肉団子。家にある精一杯の材料で料理をふるまう、ということでたくさんの野菜と硬くなったパンもいれる。飯屋というだけあって、丁寧につくられていて味わい深く、美味しい。
唇の端にスープの雫がついたので、モニカは舌でペロリとなめとった。母に見られたら怒られそうだ。
伏せられた瞳、か細い肩、耳にかけられた柔らかな髪。モニカは大きな乳に目がいきがちだが、決して不細工というわけではない。派手な美しさはないもののほっとするような可愛さがある。手の届きそうな気安さがある。胸のことがなければそれなりに男たちに声をかけられることだろう。モニカはゆっくりとスープ食べ進めた。そのうちに緊張で固まっていた四肢が柔らかくほぐれてきて、芯から温まってくる。頬が上気し、唇は赤みを取り戻した。時おり見える赤い舌と白い歯。首から鎖骨にかけてのラインはなめらかで、白くきめ細かい肌に視線が吸いよせられる。そしてそのすぐ下にあるまろやかなふくらみ。
ごくり、と誰かがのどをならした。
しかしそれも一瞬のこと。すぐさまモニカの乳には蔑む視線が送られる。それは先ほどよりも強く。男は自分を誘惑しそうになった悪魔をにらむかのごとく。女なそんな男の鼻の下を敏感に察知し、「このクソビッチが」とモニカの貞操事情を知ろうともせず決めつける。ねちねちとした視線がモニカに刺さる。そんな周りの様子をじっとクリスが見つめていた。もちろんほっぺたに食べ物を詰め込んでもぐもぐさせながら。
「まったく、何やってるんですか」
ウィリアムが遅れて席に着いた。もろもろを片付けてきてくれたらしい。
「手間かけたな」
「本当です」
そう言うとウィリアムも料理に手をつけ始めた。彼もどうやらお腹がすいているらしく、モニカが少量残したていた皿を平らげると、追加で注文をしていた。焼き立ての芋を頬張りながら、クリスからいきさつを聞いていた。
「いくらモニカが可愛いからってあれはあんまりじゃな。無理やりはいかん」
どの口がそれを言うといいたげな目をしているのはウィリアムだ。彼が今食べているのは良く焼かれた芋で、表面はカリッと中はほくほくだ。振りかけられた塩味が好みなのか、次々に口に入れている。
「それで? あの男たちはどうした」
「ひとまず店の裏手に置いておきましたよ。迷惑料をちょっとばかり頂きましたがね」
にんまりと悪い顔をしている。ウィリアムは悪びれずにそう言うとまた芋を口にほうりいれた。クリスはそれを聞いて「さすがだ」とけらけら笑っている。モニカもそれをきいて、やっと安心した。もし自分一人の時に遭遇していたらと思うとぞっとした。しかしそれと同時に自分がいなければこのような面倒事に巻き込まずにすんだのにと申し訳なく思う。
「ごめんなさい。私のせいで……」
スプーンを置いて、二人に改めて謝罪する。
「モニカも罪な女だのう、あんなにいっぱい男を引っかけて」
「お嬢、口が悪いですよ」
「ははは、冗談だモニカ。おぬしが一緒におってくれてわしは嬉しいんじゃ。ウィリアムと二人きりだと退屈でな。スペラーレの街まで楽しく過ごそうぞ」
「まあきっちり頂くものは頂きましたし、マイナスではありませんよ。こうやって美味しいご飯も食べられましたから。それにしてもこの芋うまいな」
モニカは二人の温かい言葉にほっとした。お互いの目的地であるスペラーレまでなんとか足を引っ張らずにいたい。途中でサジをなげられたらモニカは路頭に迷うしかないのだ。野宿の道具も心得もないし、道も謎だし、なによりさっきみたいに絡まれることだってある。気を引き締めなければ、とモニカがぺしぺしと頬を軽くたたいた。
クリスとウィリアムはその様子がおもしろくて、口元をほころばせた。モニカの考えている事が手に取るように分かる。確かに退屈はしないかも、とウィリアムは思った。自分がいない間クリスの面倒を見てもらえるのも助かる。また自分たちのカモフラージュにも……思いのほかモニカの存在は都合がいいのかもしれない。
「悪くない」
「何か言ったか?」
「いえ。――すいません、これおかわり」
言った瞬間、唐突に今朝みたモニカの肌色の後姿を思い出した。
白く、やわらかな乙女の背中。何もまとわず、産まれたままの姿。ぼっと顔から湯気がでて、おもわずむせる。食べていた芋が変なところに入ったらしい。
「ウィリアムのスケベ」
にひひ、と笑うクリスを、ウィリアムはせき込みながらにらむのであった。