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(41)女神ボア

 まだ神々が地上の楽園におわす頃、豊穣を司る美しい女神がいた。


 女神はその優しさと慈愛をもって多くの人から慕われ、彼女の周りには絶えることのない豊かな実りと切れることのない人の列が常であった。そんな光なる女神と食べ物に惹かれてやってきたのは、闇の生き物たち。多くの人はそれらを忌避し、嫌悪感を剥き出しにしたが、女神はそれすらも温かく迎えた。腹が減っただろうと果実を与え、その優しい手で頭を撫でた。人々はそんな懐の深い女神を褒め称えたのであった。


 産めよ、増やせよ、地に満ちよ。

 豊穣の女神はその加護を持って、植物や生き物たちをみるみると繁栄させていく。楽園の外に広がった大地には緑が広がり、動物達が営みを紡いでいった。人間は少しずつ楽園を離れ、その美しい土地に根を下ろしていったのだった。


 万歳、万歳。

 楽園にある女神の宮殿で、人々は彼女を褒め称える。遠い場所から闇の生き物たちも見つめていた。


 そんなある日、神々の中でも特に大きな力を持つ神が美しい女神に目をつけた。女好きであちこち浮名を流す神は強引に女神を自分の宮殿に連れ帰る。自分は多くの女を侍らすのに独占欲は誰よりも強く、女神には他の男を近づけることを一切許しはしなかった。それを窮屈に思ったのは女神だ。


 大いなる神に対して、きっぱりと断った。

 私は豊穣を司る者。貴方だけに愛を捧げることはできない、と。これに腹を立てた大いなる神は、ならば女神に好意を抱く者を全て塵とかすと言い放った。人質を取られる形となり、女神は言いなりとなるしかなかった。


 ずっと姿を見せない女神を助けに行ったのが闇の生き物である蜘蛛の化身だった。その小さな身体で宮殿へと入り込むと、囚われた女神を助け出そうとその手を取る。しかし蜘蛛にしてやられるほど神は甘くない。あっという間に二人は追い詰められ、大いなる神は雷の剣を振りかぶる。蜘蛛の化身は女神を守るように両手を広げ前に出た。


『女神よ、俺はお前を許そう。その薄汚い蜘蛛さえ始末させてくれたらな』


 その言葉に、女神は小さな蜘蛛の化身を抱きしめ、己れの腕の中に隠す。そして神に言った。


『私は貴方を愛している。それと同時にこの子も愛している。私は愛情に差異が付けられない』


 愛されたことのなかった蜘蛛の化身は喜びに震えた。常に愛されていた神は屈辱に震えた。


 結果として女神は楽園から追放された。

 大いなる神には誰も楯突くことはできない。あれだけ多くの人に囲まれた女神だったが、楽園の荘厳な門を出るときに誰も着いてくる者は居なかった。皆大いなる神の怒りを買うのが怖かったのである。


 ただ、闇の生き物たちは違った。

 女神の身を案じたのか、はたまた放逐された彼女を闇の世界へ誘おうとしたのかは分からない。だが闇の生き物たちだけが、楽園から去る女神の後をついて行った。


 思惑が外れたのは大いなる神だ。追放すると言えば、女神は泣いて許しを乞い、己れを側に置いて欲しいと言うに違いないと思っていたからだ。他の美しい女神達が必死に気を惹き、神の怒りをなんとかおさめてもらった。しかし腹の虫が治らず密かに命令を出す。女神を連れ戻せと。もはや女神に対する思いは愛情なのか憎悪なのかは分からなくなっていた。


 大いなる神の送った刺客から、命からがら女神を守ったのは闇の生き物たちだった。身体はボロボロで、それでも必死に女神について行き守ろうとする彼らがどうしても愛おしく思えた。と同時に、哀れにも思った。


 これ以上傷つく彼らを見たくない女神は、彼らをとある人間の老夫婦に託す。女神は夫婦にこう言った。彼らの傷が癒えるまで手厚く面倒を見てほしい。その間、ここら一帯は飢えることないよう豊穣の加護をつけようと。


 しかし闇の生き物たちは首を振る。貴女について行きたい。身体が壊れても構わない。最後まで貴女に寄り添いたい。


 女神は美しく笑うと、闇の生き物たちの頭を撫で、それから去っていった。後ろから聞こえる悲痛な声は無視した。女神だって闇の生き物たちがこれ以上傷つくのが嫌だった。それぞれを心から愛していたのだ。


 それから女神は楽園から遠い寂しい土地にたどり着いた。共にある者は誰もいない。一人きりで大地に寝転んだ。もう歩くのも疲れたのだろう。


 かつて多くの人に囲まれていた女神は豊穣を司るからこそ、おおらかな愛が必要だった。それはたくさんの実りを得るため。平等な愛は特別な誰かを決めることが出来ない。大いなる神にも、闇の生き物たちにも、たった一つに注げる愛情というのを女神は持ち得なかった。


 闇の生き物たちを預けた人間の夫婦は、歳をとってもなお仲良さそうに寄り添っていた。女神はそれが少しうらやましい。


 身体が大地に溶け込んでいく。岩だらけの寂しい大地はあっという間に豊かな緑で埋め尽くされていった。最後の加護でこの地を潤していると、一羽の鳥が飛んできた。


 鳥は問う。


『最後に何を望む?』


 女神は薄れいく意識の中で考える。

 今度生まれるなら人間が良い。だって、弱い彼らは誰かと支え合わないと生きていけないから。そして光も闇も包み込むこの緑の大地の上で、たった一人の誰かを見つけたい。愛し愛され、共に苦楽を分かち合いたい。


『ならばその願い叶うまで見届けよう』


 女神の身体はこの大地へと溶け、辺り一帯は美しく豊かな緑が広がっていった。



 ◇



「こうして女神は永遠の眠りにつきました。次に人間として生まれることを祈って……」


 舞台の幕が閉じ、古びた燕尾服を着た道化師が客席に向かい、朗々と声を張り上げる。


「物語はこれで終わり。果たして女神は、人間になることができたのでしょうか。もしかしたらお客さまの中にいらっしゃるかもしれません。愛を求めた、美しき女神の生まれ変わりが」


 うやうやしく礼をすると、客席に座っている女性たちがクスクスと小さく笑い声を上げる。冗談だろうと誰だって美しい女神の生まれ変わりだと言われたら乙女心が疼くというものだ。


 突然のことだった。道化師が勢いよくマントを翻すと、装いが一瞬で変わる。道化の面が外れ、ハット帽から獣の耳をのぞかせた狼男が現れたのだ。予想外の早着替えに会場が沸いた。


「もしいらっしゃったならば、どうか愛を乞うことを許してほしい。――ずっとずっと、我らは貴女を探していたのだから」


 狼男の後ろで舞台の幕が一気に落ち、現れたのは異形。演者が扮する闇の生き物たちがズラリと並んでいた。


 観客から歓声があがった。

 たちまち鳴り響く拍手の嵐。

 演者たちが舞台に並び、礼をするといっそう大きな喝采を浴びた。

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