(13)スペラーレ
スペラーレ。そこは海からと山からの物資が混じり合う、そこそこ規模が大きい商業地である。中心地の繁華街では絹織物から香辛料、はたまた使い方もわからないような珍品など、色んなものが売り出されている。行き交う人々にもチラチラと異国の人が見え、街も様々な文化が混じり合っていた。この街を見守る神も様々で、毛色の違う教会が随所に建てられている。
そして街のシンボルは大広場にある巨大な時計塔だ。毎日決まった時間に鐘が鳴る機械仕掛けの時計は、この街の人たちの一番の誇りである。そして遠くから来た人たちも、もの珍しさに時計塔に集まってくるのだ。
モニカたちもまた、この時計塔を目指した。街の真ん中である時計塔の下で、別れる為に。
クリスとモニカは手をつないで歩いていた。あちこちにある露天に首を伸ばして、あれはなんだ、これはなんだ、と楽しそうに話している。いつも日差しよけで被っているマントのフードも、この日ばかりは外していた。クリスの鮮やかな金髪がふわりとなびく。小さい顔にバランスよく配置された深緑の瞳はこの辺りでも珍しく、完璧な容姿も相まって通りすぎる人たちの視線を奪っていた。
「モニカ、見てみろ! すごくおいしそうじゃ!」
大きな体の店主がこれまた巨大な肉を火で炙りながらナイフで刮ぎ、平べったいパンに挟んでいる。
「ほんと、すごい……!」
目をキラキラさせて未知の食べものを見つめていると、店主がそのパンにをモニカ達に差し出した。
「姉ちゃんたち、えらいベッピンさんだな。良かったらこれサービスするから、ちょっとここで食べてかないか?」
モニカとクリスは顔を見合わせて一瞬きょとんとしたが、サービスという言葉にすぐ飛びついた。
「いいのか、店主!」
「おうよ。こりゃケバブつってな。お姉ちゃん達みたいな可愛い子たちが店先で食べてくれたら、客がいっぱい寄ってくるぜ」
そういうと店主は慣れた手つきで二人分のケバブを渡してくれた。
「ありがとうございます」
丁寧に受け取るモニカに、店主は思わず頰を染めてた。クリスのお人形さんみたいな完璧な美しさはないが、親しみやすい可愛いさがモニカにはある。おかげで店主は「いやいや、俺はカアちゃんひと筋だぜ!」と謎のいい訳を心の中でするハメになった。
店のすぐ横でケバブを食べる。たったそれだけだが、はしゃぎながらも美味しそうに食べるクリス達に通行人の目は釘付けになった。やはりクリスの美しさは別格だ。こんなに多くの人々を見ても、クリスと並ぶほどの美貌を持つ人がいない。遠巻きに見つめる人たちが輪をつくり、興味を引かれて足を止める人がそこへ加わる。クリスが小さな口でパンにかぶりつく。モニカがはねたソースを舌でぺろりと舐めとる。観衆の心がひとつになった瞬間だった。二人の具がそれぞれ違ったのか、自分の具に良さを熱弁した姿に、店主が涙目になった。クリスとモニカがお互いのケバブを「アーン」と食べさせあう姿に、感激の涙を流す老紳士がいた。たくさん入っていた具がひと欠片落ちてモニカの乳の上に乗ったのを見た青年が五体投地し、その乳の上の具をつまんでぱくっと食べたクリスのあまりの尊さに若い夫人が己の信じる神を捨てた。
結果的に、店主の思惑通り客が殺到した。
◇
「なーんでお嬢たちばっかり食べてるんですかねー」
自分だけのけ者にされたのが気に入らないのかウィリアムがむすくれている。しかし彼の手にはしっかりケバブが握られている。悔しいが美味しそうだからと並んで買ったらしい。
「そりゃわしとモニカが可愛いからじゃろ」
「……ぐぬぬ」
今はクリスとウィリアムと二人だった。モニカは少し離れた所にいる。つい最近まで二人だけで旅をしているのに、ずいぶん久しぶりに思える。
「この街は胸が大きいからとバカにされる事は少なそうじゃの」
「そうですね」
先ほどの街の様子を見る限り、その考えは間違っていないだろう。どうやらこの街には別の信仰があるようだ。
「ここだったらモニカも平穏に暮らせるの」
「……そうですね」
ばくりとかじったケバブは、やっぱり美味しかった。
彼らは目的の時計台に到着したところだった。モニカが買いたいものがあると少し離れているが、もう少しで戻るだろう。「絶対動かないでくださいね」と三回も念押しされた。
「……もうモニカともお別れじゃな」
「さみしいですか?」
「まあな」
クリスの深緑の瞳はその切なさを噛みしめるように伏せられている。
「自分でもどうしてこんな気分になるか不思議じゃ」
いつになく人間味のあるクリスに、ウィリアムはやれやれと首をふった。自分の知っている主人は、猫かぶりな傍若無人大魔王だ。
「そんなに離れたくないのでしたら、いっそ旅の仲間にしてはどうですか」
「……」
しばらく考えたあと、クリスは首を横に振った。眉根をぎゅっとよせ、歯をくいしばる。
「……モニカには知られとうない」
悲痛な表情を浮かべるクリスに、なにか言葉をかけようとしたがそれも出てこなかった。そうこうしているうちに、モニカが「クリスさん、ウィリアムさん!」と小走りで帰ってきた。バインバインと乳が弾んでいる。
あまりの破壊力のある光景に二人とも先ほどまでの会話など忘れ、クリスはデレッと鼻の下を伸ばし、ウィリアムはさっと顔を逸らした。
「すみません、遅くなりました! 」
モニカはそういうと、二人にある物を差し出した。
「今まで、ありがとうございました。もしあの時クリスさんに声をかけてもらわなかったら、今ごろどうなっていたか見当もつきません。お礼には到底足りないんですが、良かったら使ってください」
それは木でできた深皿と平皿、それとスプーンだった。かなり軽いが丈夫な素材でできており、旅にはピッタリだ。
「実は自分の分まで買っちゃって。クリスさんたちとお揃いなんです」
えへへ、と照れながら笑った。
それぞれ一式を受け取ったクリスは、もうモニカが可愛すぎて健気すぎてどストライクすぎてどうにかなりそうだった。ウィリアムだって、密かに感動している。
気まぐれで声をかけた娘との別れがこんなに切ないものになるとは、あの時のクリスには想像もつかないだろう。
「モニカ、ありがとうな。わしもモニカと会えて良かった。楽しかった。できればこのまま一緒にいたかった」
ふいに湧いてきた涙に困惑しながらも、ぐっとこらえてクリスは笑った。できれば明るく笑いながら別れたい。モニカとの思い出をけっして悲しいものにしたくない。
「……ここでお別れじゃ。もしまた……また会うことがあったら、今度は、」
次の言葉は胸につかえて出てこなかった。いったん足元を見てからゆるゆる顔をあげると、優しく抱きしめられた。モニカの優しい匂いに包まれ、思わず鼻がツンと痛む。
「私も、お二人に出会えて良かったです。すごく救われました。絶対に、お二人のこと忘れません」
体が離れると同時に、そっと額にくちびるを落とされた。
「また会えます。それまで、お元気で」
にこりとほほ笑むモニカの姿に、一瞬誰かの面影が重なったように見えた。懐かしさと胸が痛くなるほどの悲しさが込み上がる。モニカはゆっくり離れていく。こちらを時おり振り返りながら去りゆく様子に、クリスは思わず地面に膝をつきそうになった。縋りたい。追いかけたい。側にいたい。
『 置いていかないで 』
心の奥底から湧き上がる想い。どうしてなのか自分でも理解できなかった。
(……置いていかないで? どうしてそんな風に思うんじゃ)
頭が混乱してきて思考がもつれる。もういっそ、何もかも夢なのかもしれない。しかし額に感じる熱さは本物だ。
側で立ち尽くすウィリアムもまた、不思議な表情をしていた。なぜか分からない、といった具合で、その頰には涙がひと筋流れたあとがあった。ウィリアムはクリスに気づかれないうちに、その頰をそっと拭ったのだった。




