俺の求めた…… (前)
「こんにちは。あなたもいっしょにあそばない?」
砂場近くのベンチに座り、一人ボーっと佇んでいた少年に向かって少女は、そう声をかけた。
少女の誘いを受けた少年は口を閉ざしたまま首を横に振る。
「どうして? あっ、うでをおケガをしてるからね!」
少年の腕に巻かれたギブスを見て、少女は納得したように言った。
「でも、おケガしててもダイジョーブよ」
「…………」
無垢な少女を一瞥することも、何も答えることもせぬまま立ち上がり、少年は少女を残して一人でその場を後にした。
ここは、なんの変哲もない小さな園。
まだ幼い子供たちが通う、いわば遊び場だった。
だが、その少年は違った。
園の先生が一緒に遊ぼうと手を引いても、他の園児たちが遊びに誘っても少年は黙って横に首を振る。
いつも一人ぼっちで、誰とも関わりを持とうとはしなかった。
園庭の隅っこで、皆が遊んでいる姿をただ眺めているだけ。
そんな毎日を送っていた。
しかし、いつの日からか、そんな少年の横には、いつも一人の少女の姿があった。
「ねぇ、あそびましょ?」
「……………………」
「きこえてる?」
「……あっちへいけ」
少女の方を向くこともなく、そっけない態度で返す。
決まって最後は、少年の方がどこかへ行ってしまうのが恒例だった。
けれども明確な拒絶の意思を見せられても、少女は毎日のように少年を遊びに誘った。
少女が少年を遊びに誘う様になってどれくらい経ったころだろうか……
「ねぇ、あなたもおままごとしない?」
「うるさいな……あっちへいけ……」
少年の態度に僅かばかりだが変化が見られるようになった。
首を振るだけだったのが、一言増え、今日は二言に増えた。
数日後には、ちゃんと顔を向け、少女の姿を視界に入れるようになった。
また数日後には、少女の目を見て話すようになった。
しかしそれでも、少年は少女の誘いを受けることはない。
そんな少年をいつしか少女は遊びに誘わなくなった。
「──それでね、ナツメちゃんは、おえかきがとってもじょうずなんだよ。あっ、ナツメちゃんっていうのは、あっちであそんでる子で……」
「…………」
代わりに少年の横で、いろいろな話をするようになった。
自分のこと、友達のこと、休日に親と出かけたときのこと……
とにかく少女は、話せるだけのことを少年に話した。
少年は、そんな少女の話を興味があるのかもないのかも、わからないような顔で耳に入れていた。
ただ少女の話が終わるまで、その場を離れることはなくなった。
「──でね、きのうママにリボンかってもらったの。かわいいでしょ?」
今日も少女は天真爛漫に少年に休日の話を聞かせていた。
「……ねぇ」
「ん、なに?」
初めて少年の方から声をかけてきたことに少女は目を輝かせて応じる。
「なんでキミは、いつもボクのところにくるの?」
少年の疑問に少女は頭に「?」マークを浮かべて悩んだ。
「んー、どういういみ? きちゃいけないの?」
「ボクなんかといるより、あっちで女の子とあそんだほうがおもしろいでしょ」
少年の理屈に少女は顔をきょとんとさせたのもつかの間、間髪入れずに答えた。
「だって、あなたいつもムスッとしてつまらなさそうな顔してるんだもの」
「……?」
「わたしね、ここがスキ。パパとママのいるお家もスキだけど、せんせいやお友だちとみんなでわらってあそべるこの場所が大スキ」
楽しい思い出の数々に興奮冷めやらぬのか、少女は立ち上がり熱弁する。
「だからあなたも、いっしょにあそぼうよ。わたしやみんなと、いっしょにあそんで、いっぱいわらおうよ。そうすればきっと、あなたもここがスキになる。そんなつまらなそうな顔してるともったいないよ」
陽気に語る少女は、雲の上で光る太陽のように明るかった。
にっこりと笑いながら、差し伸べられた手に少年は戸惑いを覚える。
思い返してみても、少女のように笑えるほど楽しかった思い出なんてあっただろうか……
少女の言葉に心打たれたのか、つい少年は、たどたどしい手つきで、差し伸べられた少女の手を握手をするようにそっと握った。
少女も少年に応え、手を握り返す。
「ふふ、これでわたしたちもお友だちだね」
少女の純真な笑顔が、少年にはまぶしかった。
ドキドキと胸の鼓動が早まったのも気のせいではないだろう。
少年は気恥ずかしさを覚え、少女の顔から目を逸らす。
「まだ自己しょーかいしてなかったよね。わたしはね『ニシザキ アカネ』っていうの。あなたは?」
「……『カミヤ リョウ』」
「そっか、リョウくんっていうんだ。よろしくね」
これが『神谷 涼』と『西崎 茜』の出会いだった。
その日以来、涼と茜の二人は、よく一緒に遊ぶようになった。
内向的な性格から、なかなか友達を増やすことはできなかったが、涼が一人でいることは、ほとんどなくなった。
なのにも関わらず、涼はまだ一度も笑顔を見せることはなかった。
いつも真顔でいるか、顔をしかめるか……
乏しい表情だけでは、涼の気持ちはなかなか読み取れなかったが、それでも少年の関心は確実に外側にも向けられていた。
過去に受けた仕打ちに凍てついた心は、徐々にだが溶かされていたのだ。
義理の両親からの愛情が、少女の持つ純真さが、涼が失くしたものを再び形成させようとしていた。
涼にとって楽しい日々が続いた。
腕も完治し、皆と一緒に外で元気に走り回れるようにもなった。
だが、そんなある日……
「おい、カミヤのパパって、わるいことして、ケイサツにつかまったんだってよ!!」
誰がどこから聞いて広めたのやら、園児たちにまで涼の過去が知れ渡ってしまったのだ。
確かに、涼が虐待を受けていた事実が明るみに出たときは、新聞の片隅にも乗るほどの事件となった。
悪い噂ほど、すぐに広まるとはよく言ったもの。
しかし人の噂も七十五日。
この一件もニュースや新聞などで毎日のように報道される不幸な事件の一つとして、関係のない人間にはすぐに忘れ去られていくはずだったのだが……
子供とは純粋無垢なゆえに、時に残酷だ。
大人でも難しい人の心という面においての善悪の判断が全くままならない。
ただの悪ふざけのつもりが、当事者にとって、とてつもない痛みとなることに気づけない。
「えー、マジかよ。おまえの親ってハンザイシャなんだ」
「じゃあカミヤもいつか、つかまっちゃうんじゃない?」
本来なら涼は同情されるべき被害者であるのだが、虐待の意味を知らない幼子ではいた仕方がない。
これらに関しては、子供のしつけに関する親の問題でもあるだろう。
涼が顔をしかめても、この三人の園児たちは悪びれる様子もなかった。
これが涼のいつもどおりであり、三人にしてみれば、これは一種のコミュニケーション。
ちょっとからかっている、程度にすぎないのだから。
「やめなさいよ! リョウ君もいやがってるでしょ!!」
見かねた茜が割って入る。
「なんだよニシザキ、おまえこいつのことがスキなのか!?」
「ハンザイシャのことをスキになるとおまえもいっしょにケイサツにつかまるぞ」
「う、うるさい! いつまでもやめないのならせんせいに言っちゃうからね!」
「わー、ハンザイシャがおこったぞ。ケイサツをよべー」
「……わたし、わるいことなんてしてないもん……ハンザイシャなんかじゃないもん……」
次々と攻め立てられ、茜の目に次第に涙が滲んだ。
いずれは男勝りと言われる少女も、このときばかりは、まだ女の子さながらだった。
不意にそんな少女の手を涼がとった。
「……あっち、いこう」
涼は茜を連れて、教室を出て行こうとする。
「あっ、ハンザイシャがにげるぞ!」
「つかまえろ!」
「ぼくたちはケイサツだ。おとなしくつかまれ!」
おもしろおかしく涼を”からかい”続ける三人の行動はまだ止まらない。
警察ごっこなるものを始め、二人を囲む。
「なあ、なんでカミヤのパパってつかまったの?」
「ドロボーしたのか? それともユーカイ?」
「…………」
徹底して涼は無視無言を貫いた。
すべてが嘘やデマなら否定のしようもあったが、父親のことが事実である以上、何を反論しても無駄と判断したのだろう。
その点においては、子供ながらに涼は賢かったのかもしれない。
「なんだよ。なんかしゃべれよ、ハンザイシャのくせに」
涼がずっと無反応でいることに三人は不満を抱く。
「「ハッンザイシャッ、ハッンザイシャッ、ハッンザイシャッ!!」」
涼の対応によるその不満が、さらなる”いじめ”の助長を招いてしまった。
しかし園児たちには知る由もなかった。
──うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい──
表には出していない少年の感じていた痛みを。
少年の抱いていた怒りを。
そして少年に宿っていた────狂気を。
「ハンザイシャのカミヤをタイホしろー!」
「もう、やめなさいって!」
「ケイサツのじゃまをするなー」
「きゃっ──」
一人が茜を突き飛ばす。
大きく尻餅をついてしまった茜は、ついにその目にため込んでいた涙を流してしまう。
そんな光景を目の当たりにしたとき、ふいに涼の中で何かのスイッチが切り替わったような気がした。
胸の奥に黒く濁った何かかが生まれ、涼の心に灯されていた光を浸食していく。
闇が少年の何もかもを覆い、闇の中から溢れでる漆黒が、少年の心を呑み込んだ。
「へっへーん、ハンザイシャを一人たいじしたぜ」
「よーし、つぎはカミヤだ」
そう言って、掴みかかろうとしてきた手を涼は弾いた。
「うるさい──」
「えっ?」
「──きたない手で、ボクにさわるな」
少年の体は黒い心の赴くままに自然と動き出した────
残忍にして凶悪。
純粋にして醜悪。
牙を剥いたの少年の狂気は、何をためらうことなく、三人の園児をまたたく間に赤く汚した。
はしゃぎまわっていた周りの園児たちも、突然の事件に恐れ、黙り、泣き出し、教室内は小さな地獄と化す。
ざまあみろ──ボクを怒らせるからこうなるんだ。
ボクは何も悪くない、悪いのは全部あいつらだ。
気分の爽快に、胸がスカッとする。
少年の中で、もやついていた闇の霧が晴れたとき、そこに光は一射しもなく、辺り一面が暗黒の世界へと変貌していた。
「くく……」
自然と笑いが込み上げてくる。
──思い出した、これがたのしいってことなんだ。
こらえきれない悦びに、快感の波が押し寄せる。
──でも、まだ足りない。
胸の奥から、心の中から、沸いてくる。
その闇が、その漆黒が、少年のすべてを黒一色に染め上げる。
心が、体が、頭が──アレを、あの記憶を、あの男を──想起させるあいつらを排除しろと命令する。
ふと少年の目に、なんとか泣き止んだ茜の姿が目に映った。
──そういえば、あの子はもう大丈夫なのだろうか?
仮にも自分のことを庇ってくれた少女に、手でも差し伸べてやろうと、涼は気まぐれに茜に歩み寄っていく。
いまだ立ち上がることもできずに身をすくませている少女。
少女の体は小さく震えていた。
茜が何に怯えていたのかなど、このときの涼にはまるで頭にない。
まさか自分自身に対して恐怖されているなどという考えに至ることもなく、涼は茜に近づいていく。
一歩、一歩、涼が近づくたびに茜の緊張は増した。
そして、そんな緊張の中で少女は見てはいけないモノを見てしまった。
少年がその狂気に心を堕として作り上げた、その表情を────
震える体で、喉をしぼる。
「やめて……」
生まれて初めて感じた形容し難い、恐いという思いに、
「……こないでっ!!」
少女は叫んだ。
──どう、して?
少女の叫びに少年は絶句し、唐突に我に返った。
──どうしてあの子は、ボクの顔を見て、あんなにもふるえているんだろう?
静かに、少年は自分の口元に手をあてる。
「……………………」
それは、なんとも愉しそうに歪んでいた。
悦びに満ち、狂気を被せ、醜悪に染まった『嗤い顔』。
そんな涼の姿を茜は見てしまったのだ。
──ああ、そうか。
少年は思い出す。
"…………くく……さようなら────"
最初に嗤ったあの日のことを。
──ボクずっと前から、コワレテイタンダ…………
少年にとって、唯一の存在であった少女の拒絶は、痛みよりも耐えがたいものだった。
けれども、それ以上に恐れ。
その唯一を失ってしまうことを。
広げた両の手のひらに目を落とす。
映るのは、園児たちの血によって赤く穢れた手。
ああ──少年は、確信した。
このままでは、いつか自分がこの少女すらも赤くしてしまうことに。
自分の手で、その唯一を奪ってしまうだろうと。
──そんなのは絶対にイヤだ。
だから、少年は考えた。
自分がどうするべきなのか……
どうやって変わるべきなのか……
そうやって悩んでいるうちに、少年は強い眠気に襲われ、理解する。
自分がどうするべきなのかを。
──そうだ……忘れちゃえばいいんだ。
痛みを忘れるようにして眠っていた、あの夜のように。
──こんな悦びも、こんな嗤いも、あんな男も……今のボクの何もかもを全部。
自分が舞台から降りているあいだの代役も、少し”いじれば”また使えるようになる。
そうして準備を整えた少年は、眠りに就くことにした。
これで安心して眠ることができる。
これで安心して変わることができる。
深く、長い、夢うつつの中へと落ちていく。
次に目覚めたときは、きっと少女と二人で楽しく笑いあうことができると信じて────
「ねえねえ、アカネちゃん、いっしょにあそぼうよ」
「……あなた、だれ?」
「えっ、なにいってるの? ボクだよ────『カミヤ リョウ』だよ」
「リョウ……くん?」
「そうだよ、どうしたの? ボクのことわすれちゃった?」
「う、ううん。ちゃんとおぼえてるよ」
「うん? なんか、今日のアカネちゃん、ヘンだね」
「ヘ、ヘンじゃないよ! それで、なにしてあそぶの?」
「んーとね、きょう”も”いっしょに絵本を読もう」
涼は変わった。
見た目に変化があったわけではないが、性格の方はまるで人が変わったようだった。
叔父と叔母は最初は不信に思ったものの、その変化が望ましい方向だったことに安堵した────きっと園に通い、友達ができたことで心に変化が起こったのだと。
園の先生たちも優等生らしからぬ涼の振る舞いに安心した────きっとほかの園児たちと揉めてしまったことを深く反省したのだと。
しかし、ずっと涼の隣にいた茜だけは、その変化に素直に喜べるわけもなかった。
涼を拒絶してしまったときにふと見えた、悲しみに満ちたような顔が、今でも忘れられない。
少女は思った。
きっと、私があんなことを言ったせいだと。
私が涼を変えてしまったのだと。
少女は深く自分を責め、涼の変化を受け入れた。
もうこれ以上、涼を傷つけないために……
そして涼を変えてしまった罪を償っていくために……
いつか、以前の少年が帰ってくることを願って────




