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俺たちの関係 (前)

「ねえ、あなた……本当にあの子に全部話してしまうんですか……?」

「ああ。いつかは話さなければならないんだ。いつまでも隠してはいられないよ」

「でも、まだ早いんじゃないかしら。最初はあの子が成人してからって……」

「正直、私もそう思ったさ。けど来年は、あの子も受験を控える身だ。いや、もしかしたら就職活動かもしれない。今後、あの子が自分の生き方を決めるためにも、この話は大切なことだ」

「…………」

「あの子も薄々勘づいているだろう。最近は昔のアルバムも何度か見ていたそうじゃないか」

「あなた、何を焦っているの……?」

「焦り、か……そうかもしれない。なぜだろうね、私にはどうしても被って見えてしまうんだよ……今のあの子の姿が、昔の兄の姿に……」

「あなた……」

「だから、もうあの子が大人になるまでなんて悠長に待っていることができなくなってしまってね。これは私の勝手な我がままかもしれない」

「それでも、あなたはそれがあの子のためになると思っているのですね?」

「ああ」

「わかりました。でしたら私ももう止めはしません。でもせめて、あの子が本当に話を聞きたいのかどうかは、確認してください」

「わかってる。なんの罪もないあの子に、また辛いことを思い出させてしまうと思うと心苦しいものだ」

「はい……」




 日曜日 午後六時四十分 神谷邸。

 ダイニングには三人の親子が集まり、今日も家族全員で平和な夕食をとっていた。

 今日のおかずはハンバーグ。

 きのこソースに副菜で彩られたそれは、料理店のようにとはいかずとも家庭的で温かみのある味に満ちていた。

 一人黙々と夕飯を口へ運んでいるリョウは、積極的に家族の会話には混ざろうとはしない。

 あくまでも振られた話に「ああ」や「別に」などと端的に首を動かすだけだ。


 リョウは常々疑問に思っていた。

 なぜこの二人は、腹を痛めて生んだわけでもない自分にこんなにも友好的に接してくるのか、と。

 よく子供を一人成人させるまで育てるのに、約二千万かかると言われている。

 二千万ほどの大金があればどれだけの娯楽ができように……二人にとって自分は、その二千万に相当する存在なのかと、あらぬ好奇心を抱いていた。

 だが、実際に問うなどという馬鹿な真似はさすがのリョウもしようとは思わない。

 二人のおかげで学校にも通うことができ、今日まで何不自由なく暮らすことができたのも事実なのだ。

 この家に住んでどれほど経ったか。

 リョウは今日まで一度もこの空間に居心地の悪さを感じたことがないのだった。


「涼、このあと時間あるかな? 大事な話があるんだ」

 ふと、叔父がリョウにそう尋ねると、今までニコニコと笑って話していた叔母も静かになった。

 和気藹々としていた空気に小さな亀裂が入ったような感覚にリョウも何かを覚えたのか、カチャカチャと動かしていたナイフとフォークを止める。

 そして伏せていた目を上げ、ああ、と返事をした。


 夕食後、一度自室に戻ったリョウは、気だるそうにベッドに寝転んだ。

(大事な話って言ってたけど、なんだろうね?)

 内で大人しくしていた涼も、叔父の言葉が気になっているようだった。

「そんなこと俺が知るか」

(でもさ、今週末に僕たちに帰ってきてくれっていったのも、この話のためかもしれないよ)

「そういやそうだったな。まあ、どうせ今後の進路とかそんなんだろ。なんならお前が聞いてもいいんだぜ?」

(聞かせてはもらうけど、僕はこのままでいいよ。コロコロ態度が変わったら、さすがに叔父さんたちも僕たちのことを不審がるだろうし)

「そうか? 俺はうまくやってやってるつもりだが」

(それには……うん、感謝してるよ)

 多少危なげではあるが、涼にもリョウが叔父と叔母の前ではリョウなりに慎んだ態度をとっているということは感じ取れていた。

 欲を出せば、もう少し愛想を良くしてくれればと思うものの、土日だけなら仕方がなしと、涼もその辺は大目に見ることにしている。

(でも、いずれは僕たちのことを話さなくちゃいけない日が来るかもしれない)

 そんな涼の心配をリョウは鼻で笑いとばす。

「はっ、そんな心配なぞ無用だろ。俺たちの勝負に決着がつけば、どうせ表に立つのは片方だけになるんだ。お前がな」

(……それは、どうだろうね)


 しばらくして、部屋のドアを叩くノックの音とともに叔母に呼ばれたリョウは、部屋を出て一階に降りた。

 居間で新聞を読んでいた叔父もリョウに気づき、ソファからダイニングの椅子へと移動する。

「涼もそこに座りなさい」

 言われたとおり、リョウもテーブルを挟んだ対面の椅子へと座った。

 今から就職面接でも始まるかのような緊張感を含んだやや重めの空気。

 夕食時の家族の団らんとはほど遠い。

 そんな空気を浴びて喉が渇いたのか、叔父は叔母に水を一杯注文した。

 叔母から水の入ったコップを受け取ると叔父は中の水を一気に飲み干し、ふう、と一息し間を整える。


「時間が経つのは早いものだね。私たち三人が家族になってからもう十年以上も経った」

「…………」

 そんな話の切り出しにリョウは眉を曇らせる。

「覚えているかい? 涼が初めてこの家に来てくれたときのこと」

「前置きはいい。さっさと本題に入ってくれ」

 与太話につき合うつもりはないとリョウは遠回しに抗議をする。

 リョウの反応に叔父は困ったように笑うと、いいや、と首を横に振った。

「これも本題の一つだよ」

「……そうかい。そいつは失礼」

 つとめて冷静にリョウは話の腰を折ったことに対して謝罪を述べた。


「では、改めて……涼はこの家に来たときのことを覚えているかい?」

「……なんとなくは、な」

「私たちとの生活は楽しかったかな?」

「まあ、それなりに」

 これもリョウなりに空気を読んでの答えだ。

「ふふ、それはよかった。私は涼がこの家に来てからのことを昨日のことのように覚えている。あんなに小さかった涼がここまで無事に大きくなってくれて、親としては嬉しい限りだよ」

 そうね、と隣に座る叔母が同意する。

 昔を懐かしんでいるような二人の様子をリョウは興味なさげに見ていた。


「本当にここまで育ってくれてよかった」

 叔父は小さくつぶやくと、示し合わせたように叔母と顔を見合わせる。

 もう一度リョウの顔を見た叔父の表情は今までのように優しさを含んだ柔らかいものではなかった。

 叔母もどこかよそよそしい態度を取り出す。

 二人の様子の変化に気づき、リョウはわずかに目を細めた。


「なら涼は、ここに来る『前』のことを覚えているかい?」

「っ……!」

 叔父の質問を聞き、リョウはとっさに唇をかんだ。

 己の内から溢れ出しかけた感情を抑えるために。

「それを聞いて、どうする?」

 自然と口調が刺々しくなる。

 リョウの刺すような視線を受け、叔父は決意を固めたように真の本題を口にした。


「率直に聞こう。涼は本当の両親ことを知りたいかい?」


 思いもよらぬ一言にリョウは目を見開き吐息を漏らす。

 叔父の意図をリョウは読み取ることができなかった。

「どういう風の吹き回しだ?」

 リョウがこの家に引き取られてからというもの、誰が誰に気を使っているのか、その話題は誰もが自然と避けていた。

 突拍子もなくそんな話をされては、リョウもそう聞き返したくなるのも当然だ。

「必要だと思ったからだ。私が勝手にね」

「聞きたくなかったら無理に聞く必要はないのよ。この話は、涼君が本当に知りたいと思ったときに聞けばいいの」

 そんな叔母の思いやりに満ちた言葉も、今のリョウには聞こえていないようだった。

「本当に全部聞かせてもらえるんだろうな?」

「ああ、涼が望むのなら」

 その言葉を聞いて、リョウは歪ににやける口元を手で覆い隠した。

 喉から手が出るほど欲しかった男の情報が、よもやこんな唐突に手に入るとは予想もしていなかったのである。

 リョウにとっては青天の霹靂と言えるのかもしれない。


「涼にとっては、きっと辛い話になる。もしかしたら思い出したくないことを思い出させてしまうくらいに。脅しに聞こえるかもしれないけど、それだけは理解して、話を聞くか聞かないかの選択をしてほしい」

「もちろん聞かせてもらう」

 一秒たりとも悩む様子を見せず、リョウは首を縦に振った。

「本当にいいの?」

 心配そうにリョウを見つめる叔母。

「ああ」

「聞きたくなくなったら、いつでも止めてくれて構わない。あと、今だけは親せきの叔父として話をさせてもらうよ」

「ご勝手に」

 話を聞くことをただ平然と待ち望んでいるリョウ。

 叔父は一度目を伏せ、小さく深呼吸をすると『神谷 涼』の本当の両親について静かに語り始めた────




 『神谷 涼』の父、本名を『神谷 隆一(りゅういち)』といった。

 神谷家の長男として生まれた隆一は弟の『神谷 修』と共にとある片田舎で育ったのである。

「兄は子供の頃から喧嘩っ早い性格でね。それに腕っ節も強いものだったから、私の父や母もやんちゃな兄にはいつも手を焼いていたよ」

 修は故郷を思い出すようにゆっくりと言葉を紡いでいく。

「でも、たしかに乱暴な人だったかもしれないけれど、私が上級生にいじめられたときなんかは、いつも体を張って助けてくれたんだ。不器用だったけれど、心根は優しい人だったよ」

 兄である隆一の話をする修はどこか誇らしげだった。

 まるで兄を心の底から尊敬していたように────


 そして時は流れ、大人になった二人の兄弟は、それぞれ上京をして自立することを決めた。

「私たちが家を出ると言ったときは両親もすごく心配していたなぁ。特に兄の方をね。私は心配していなかったよ、兄は一人でも強い人だと知っていたから」

 だからこそ驚いた、と修は続ける。

「兄から結婚するという報告を受けたときは────」


 上京して働き、一人で生きていた隆一は偶然知り合った一人の女性と恋に落ちた。

「それが涼の本当の母親だった 彩夏(さやか)さんだ。何事も丁寧で、優しくて、おしとやかで、兄には不釣り合いなほど、見た目も心も綺麗な人だったよ」

 粗暴な男と温和な女。

 まるで性格的には正反対の二人。

「そんな正反対の二人だったからこそ、互いに惹かれあったのかもしれないね」

 修は隆一たちの恋路をそう推測する。


 二人は交際を経て、無事に結ばれた。

 結婚後の二人は家庭も仕事もうまくいき、幸せの絶頂にいた。

 しかし二人もすべてにおいて恵まれているわけではなかった。

 彩夏は生まれつき体が弱かったのだ。

 貧血などで倒れることもしばしばあった、と修は当時の彩夏を語る。

 だが、隆一はそんな彩夏の体をいつもそばで支え、彩夏も喧嘩っ早い隆一の心の抑止力となっていた。

 そんな二人に人生の転機が訪れる。

 彩夏が新たな命をその身に宿したのだ。

 その命こそが後の『神谷 涼』であった。


 夫と妻。

 夫婦から一変して今度は父と母。

 親へと変貌を遂げるときが二人には近づいていた。

 しかし、出産は母体に大きな負担がかかる。

 そのため体の弱い彩夏にとって、出産は自身の命を脅かす可能性があった。

 二人に重大な選択の時が迫る。

 隆一は彩夏の体を気遣い、最初は出産を見送ろうとしたものの、どうしてもという彩夏の強固な意志により、ついに二人は子を生むことを決意した。


 二人にとっては夢にまで見た我が子の誕生。

 だが、出産は想定していた以上の難産を極めることとなった。

 出産には隆一も立ち会い、徐々に体力を消耗し、弱っていく彩夏を隣で必死に励まし続けた。

 二人の想いが届いたのか、長い闘いの末についに無事、赤ん坊は生まれる。

 しかし……

 新たな命が生まれた代償に一つの命が失われた。

 母体にも想定以上の負担がかかってしまった結果……

 彩夏は一生帰らぬ人となってしまった────


 そこまで語り聞かせた修は、まるで我がことのように彩夏の死を悼んでいた。

「なるほど。つまり俺は母親の命を引き換えにして生まれたってわけだ」

 そんな修とは逆にリョウは、まるで他人事のように皮肉めいた口調で悪態をつく。

「あれは悲しい事故だった。誰にも罪はない」

 自身を貶すようなリョウの発言を叔父は真っ向から否定した。

 叔父の意思を反映したような強固な視線に、リョウは冗談半分で開いた口をおとなしく閉じた。

 それを見て、叔父も話を再開する。


 彩夏の死に、隆一は深く悲しんだ。

 それこそ弟であった修が生まれて初めて兄の大泣きする姿を見たほどに。

 隆一は深い絶望に叩き落されつつあった。

 しかし、そんな隆一を唯一繋ぎ止めたものこそ、彩夏が命がけで生んだ涼だったのだ。

 彩夏を失った悲しみを押し殺し、隆一は涼を一人で育てることを決意した。

 仕事と育児の両立。

 それがどんなに大変なことか、当時の隆一には想像もできず。


 どんなに仕事で疲れて家に帰っても、慣れない家事と育児をこなさなければならない。

 やっと眠ることができると安心をしても、赤ん坊が夜泣きをするたびに起きてはあやし続ける。

 隆一の睡眠時間はどんどん削られていく。

 時には隣近所に泣き声がうるさいと苦情を入れられ、時には寝不足のあまり仕事で失態を犯すこともあった。


 自分が涼を育てなければいけないという義務感。

 そう決めたのは自分なのだという決意。

 頭ではわかっていても、溜まるばかりのストレスは着実に隆一の精神を蝕んでいった。

 今まで自分のために孤独に生きてきた男にとって、突然誰かを背負い、守って生きると言うのは荷が重すぎたのだ。

 背負うために必要な大事な支えを男は失ってしまっていたのだから。

 初めは仕事と育児の両立に孤軍奮闘していた隆一だったが、それが長く続くことはなかった。


 ストレスを緩和するために一度はやめたはずの酒を飲み始める。

 月を重ねるたびに酒の量は増えていき、次第に溺れていった。

 仕事を辞め、自分の殻に閉じこもり、現実から逃避するように酒とギャンブルを繰り返す日々。

 涼が駄々をこねて泣きだせば、うるさいと怒鳴りつけ、それでも泣き止まなければ手を上げる。

 そして、子育てを始めてから三年余りを経て、ついに男は壊れた。

 いつしか隆一の躾けは、その枠を超え、一方的な暴力へと成り下がったのだ。

 隆一が現実から逃避するためだけのサンドバックとなる、涼の地獄の日々の幕開けだった────

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