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君が教えてくれたもの (後中)

「……わかった? 恭太郎程度がいくら頑張っても僕には勝てないんだよ。って言っても、もう聞こえてないかな」

 それは勝利者の特権。

 涼は、はるかな高みから目の前に倒れている敗者に向かって言葉を放った。

 完全に気を失ってしまったのだろうか?

 恭太郎は涼の言葉にピクリとも反応しなかった。


「この状況を見ても何も言わないんだね。てっきりまた昨日みたいに泣きついてくるかと思ったよ」

 恭太郎の姿を見てもなお毅然とした態度の美咲に向かって涼は言った。

「まだ菅君が負けたわけではありません。菅君が頑張っている以上、私だけが泣き言をいうわけにはいきませんから」

 キッパリとそう言い切った美咲。

 だが、美咲は今すぐにでも恭太郎のもとへ駆け出してしまいたい気持ちに駆られていた。

 それを拳を強く握り、歯をギュッと噛みしめることでかろうじて耐えていたのだ。


「頑張るって言ったって、恭太郎はもうこの有様だよ?」

「菅君は言っていました。どんな姿になっても俺が涼を止めてやるって。私はその言葉を信じてます」

 美咲の言葉を聞いても涼も微塵も動じることはなかった。

「そう……でも、もうお終いだよ……こんな茶番は。さっきも言ったよね、恭太郎の次は津山さん…………君の番だって」

 涼の冷たい視線が美咲の視線と絡まりあう。

「私だってただでやられたりはしません。私も菅君と同じで神谷君を止めたいことには変わりありませんから」

 美咲には、もう昨日のような恐怖はなかった。

 本人でも不思議なほどの落ち着いた気持ちで、しっかりと歩いてくる涼を見据えることができていたのだ。

 

 今、この場で涼を止められるのはもう美咲しかいない。

 それも当然だ。

 先ほど恭太郎が食らったのは涼の渾身の一撃。

 恭太郎の勢いに加え、涼の体重の乗った拳が見事に顎にヒットした。

 素人の涼のパンチであるとはいえ、脳震盪を起こしてもおかしくはないレベルなのだ。

 だからこそ……


「……待てよ」


 涼は自分の耳を疑った。

 背後から聞こえた、聞こえるはずのない声に……

 声を出せるはずもない、ましてや立ち上がることなどできるはずがないと、涼は後ろを振り向いた。

「まだ……俺との決着がついてないぜ…………涼」

 だが、確かに恭太郎はそこに立っていたのだ。

 口から血を流し、二本の足で自分の体を支えるのが精一杯という様子だが、恭太郎の瞳には、しっかりと涼の姿が映っていた。


「は、はは……まだ立ち上がれるんだ。驚いたよ…………」

 目の前の光景が信じられない涼は、できるだけ平静を保とうと余裕を見せるが、明らかに動揺しているのが見て取れる。

「なら……今度はちゃんと眠らせてあげるよ!!」

 動揺をかき消すように涼は涼の言う茶番を終わらせるため、恭太郎に向かっていく。


 ボロボロの恭太郎を見てか、それとも動揺のあまり忘れていたのか、涼は小細工なしで一直線に恭太郎のもとへと突っ込んでいった。

 しかし……

「うわっ!」

 恭太郎の体はまだ死んではいなかった。

 お返しとばかりに頬を殴られ、涼は大きく尻餅をつく。


「立てよ。まだ、勝負はこれからだぜ!」

 先ほどまでとはうって変わって、恭太郎を見上げることになった涼。

 だが、涼の中の動揺はもう消えていた。

 実際に恭太郎はこうして自分の前に立ちはだかっているのだ。

 涼はそれを事実として受けとめた。

 なんのために今こうして二人と対峙しているのか、それを思い出す。

 それは断ち切るため。

 自分に関わるすべてのモノを……

 そうすることしか今の自分にできることがないから……

 そうすることでしか自分の大切なものを守ることができないから……

 

「そうだ……だから……もう僕には誰も必要ないんだっ!!」


 守るために切り捨てる。

 矛盾を孕んだその行動を実行に移すため、己を奮起させながら涼は立ち上がった。

 今、二人の距離は手を伸ばせば届いてしまうほどに短い。

 そんな二人の距離とは裏腹に二人の想いはどんなに手を伸ばそうとも届かないほどに遠く離れていた。

 だからこそ、その想いを相手に届けるべく、二人は全身全霊をかけて互いにぶつかり合おうとしていた。


 先に仕掛けたのは恭太郎の方だった。

 涼に向かって一直線に放たれた右拳。

 だが、その拳にはまるで力が入っておらず勢いもない。

 涼はそれを難なく躱し、逆に恭太郎の腹と頬に一発ずつ拳を見舞う。

 手ごろな石を拾い直す暇がなかったのだろう。

 涼の拳も先ほどのように恭太郎の体の芯に響くものではなかった。

 しかし、今の恭太郎の足では踏ん張りきることができずに後ろによろけてしまう。


 その隙を逃すまいと涼はさらに前に出る。

 恭太郎もリーチの長い蹴りで応戦しようとするものの、力の入らない足では蹴りすらも出すことができなかった。

 顎に食らった一撃は、確実に恭太郎の体に大きなダメージを残していたのだ。

 涼の追撃を再びその身に受けるが、恭太郎はなんとか踏ん張り、転倒することだけは防ぐ。

 しかし、息を切らしながらもまだ体力に余裕のある涼と、もはや気力だけで立っているのが精一杯の恭太郎。

 二人の運動能力の差を差し引いても、涼に歩があることは明らかだった。


「ふん、偉そうなことを言ってた割にはだらしがないね恭太郎」

「へっ、このぐらい屁でもねーぜ……」

「……口だけならなんとでも言えるよ。そういうことは今の自分の姿を見てから言ってよね」

「言われなくても見せてやるよ……俺の本当の実力ってやつをな……」

 満身創痍な状態にもかかわらず、恭太郎は涼に弱みを見せるようなことはしなかった。

「そう。なら、見せてみてよっ!」

「ああ、見せてやるぜっ!!」


 再び恭太郎が涼に殴りかかる。

 今度の一撃はスピードには乗っているが、踏ん張りの利かない今の恭太郎の足腰では、それにパワーが加わっていなかった。

 涼はそれをしっかりと腕でガードし、代わりに蹴りを腹部に返す。

「……ッ!」

 声にならない苦しみの声を上げながらも、恭太郎は涼に反撃を試みる。

 しかし、そのどれもが涼に決定的なダメージを与えられず、逆に反撃を多くもらう結果となった。

 体に蓄積されたダメージが気力を超え、恭太郎はついにその膝をついてしまう。


「はぁ、はぁ……もうこれで勝負はついたでしょ。どっちが勝ちかなんて恭太郎にだってわかるよね?」

 もはや立ち上がる力さえ残っていない恭太郎に向かって涼は再三問いかける。

「まだ……だ。まだ負けたつもりはないぜ……」

「ッ! なんでそんなにムキになるのさ……こんなことを続けることになんの意味があるっていうの!?」

 理解の及ばない恭太郎の思考に涼は苛立ちを覚えた。


「お前の方こそ……なにをそんなにムキになってんだよ?」

「僕が……? 何を言ってるの、僕は何も……」

「なんでそうやって頑なに他人を拒絶するんだ? 本当にお前は一人でいいなんて思ってるのか?」

「……思ってるさ……僕は恭太郎たちとは違うんだ。そう言う恭太郎こそ、誰のおかげでこの学校に入学できたと思ってるの? 誰のおかげで、弟を助けられたと思ってるの? 一人じゃ何もできない分際で偉そうに説教垂れないでよ。そういうことされるとイライラするんだ!」

 恭太郎の言葉を一蹴し、さらに辛辣な言葉を涼は浴びせた。


「あー、そうだよ、できねーよ! 悔しいけど俺一人ができることなんて些細なことさ。でもな、だからこそ周りのみんなが、お前が力を貸してくれたから俺は今ここにいることができるんだ! 俺だけじゃない、俺たちはみんなそうやって生きてんだよ」

「ふん、とんだ綺麗事だね。そんなの所詮、表面上だけのことさ。ギブアンドテイクな関係、それでいいでしょ? 人との繋がりなんて。うっとうしーだけなんだよ、他人なんてさ…………友達なんていらない、もう僕には必要ないんだ!」

 これが自分の本心だとばかりに涼は語気を強める。

 それは恭太郎だけに言っているのではない、傍にいる美咲に対しても同様だった。


「本当に……そう思ってるのかよ?」

 涼を見上げる二つの瞳。

 それを聞いた恭太郎の瞳に強い力が灯った。

「思ってるよ。僕にとっては恭太郎も津山さんもその辺を歩いてる他人と同じだ」

 涼の口から出る言葉の真偽が二人にはわからない。

 しかし、ずっと涼のことを想っていた二人にとって、重い一言であることに変わりはなかった。


「ずっと……そう思ってたのかよ?」

「そうだよ」

「ッ!! ならお前は、俺たちが知り合ったときから、ずっとそう思ってたのかよ!?」

「それは……」

 恭太郎の言葉に涼は答えを言いよどむ。

「俺や津山や西崎と作ってきた思い出も全部嘘っぱちだっていうのかよ!!」

 たとえ嘘でも、自分たちの思い出を穢されたことに恭太郎は我慢ならなかった。

 その覇気に気圧され、涼は完全に言葉に詰まってしまう。


「神谷君っ!!」

 この機を逃さんと、次は美咲が涼に言葉を投げた。

「神谷君が本当に私たちのことを必要ないと思っていないのなら、話してくれませんか? 神谷君がそんなに苦しんでいる理由を……神谷君が私たちを助けてくれたように私たちも神谷君の力になってあげたいんです!」

 美咲の言葉にも涼は何も答えることができなかった。


「あ……ぐ、うう……!」

 二人の言葉に涼の集中力がプツリと切れ、忘れかけていた痛みが、再び涼の中にぶり返す。

「……違う…………僕は……苦しんでなんか……」

 言葉とは裏腹に涼の表情は自分の中の痛みに必死で耐えるように苦悶に満ちていた。

 誰が見ても正常な状態とは到底思えるはずもない。


「このわからず野郎ッ!!」

 もはや言うことの聞かない体を無理やり奮い立たせ立ち上がった恭太郎の一撃が涼の頬を捉える。

 恭太郎の想いがすべて籠った一撃に涼の体が大きく揺らいだ。

 それは、涼が今までに食らったどの攻撃よりも重い一撃だった。

「なんでそうやって全部自分で背負い込もうとするんだ!? 俺たち友達だろうが! 津山だって西崎だって、みんなお前の味方なんだよ!!」

 感情のままにあふれ出る恭太郎の言葉が、夕暮れの川原に響き渡る。


「……さい、る……さい、うる……さい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさいっ!」

 しかし、それでも涼の気持ちは揺るがない。

「だから……それがうっとうしいっていうんだよ!!」

 狂気を目に宿らせ、涼は恭太郎に掴みかかる。

 恭太郎には、それを振りほどく力は残っていなかった。

 そして涼は自分に向けられたすべてを拒絶するかのように、何度も何度も恭太郎を殴りつけた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

「ゴホッ、ゴホッ……どうした涼……もうお終いか? ほら、お前一人じゃ俺程度も倒せないんだぜ……」

 身体中アザだらけになりながらも恭太郎は余裕そうに笑い、立ち上がる。

 

「もう……やめてよ……もう立ち上がらないでよ。……なんでだよ? いい加減にしてよっ!! 何度立ち上がったって無理なんだ! 何をしたって、無駄なんだよ!!」

「……無理かもしんねー、無駄かもしんねー……でもな、それでも男にはやらなきゃならねーときがあるんだよ……」

 強がってはいるものの恭太郎の体は、すでに限界が近づいてきていた。


「これ以上…………僕に傷つけさせないでよっ!!」


 だが、限界が近いのは恭太郎だけではなかった。

 ドグンッ……

「ぐ……ああ……!!」

 さらなる痛みが涼を襲う。

 胸の中だけでなく全身に広がっていく痛みに頭を抱え、涼は狂ったようにその場で悶え苦しみだした。

「……がああ……うう……ああああっ!!」

 そう、涼の精神もすでに限界を迎えていた。

 なんとか自分を保つためにこらえていた痛み。

 しかし、とうに許容できる範囲を超え、冷静な自分を保つのも不可能なまでに涼は追い詰められていた────




 止めてくれ……誰か……この痛みを止めてくれ……

(─やれやれ、残念ながら時間切れだ)

「時間切れ……? ……ッ! ぐ、ああ……がああっ……!!」

(このままだとお前のほうが先に壊れちまう)

「僕は……どうすれば……」

(大人しく受け入れろ。お前の中で渦巻いているモノを……言ったはずだ、お前の中に生まれた『それ』はお前にとって必要なモノだと……)

「受け入れる……?」 

(そうだ拒むな。何も考えずに受け入れるんだ……感情のままに身を任せろ)

「でも、それじゃあ……」

(そうすれば、お前はきっと『それ』を扱えるようになるだろう。そうなれば、お前はもう自らの痛みに苦しむこともない)

「僕はもう……誰も傷つけたくないんだ……」

(今さら何を言ってやがる。俺はちゃんと忠告したはずだぜ。『それ』を扱えなければ、お前の大切なものを失ってしまうかもしれないと……お前はそれができなかった)

「でも……」

(大丈夫だ。お前は何も悪くない……)

「……僕は、悪くない?」

(そうだ。お前は何も悪くない。考えてもみろ、なぜお前の中の痛みが強くなったのか……何がお前をそんなに苦しめているのか……)

「それは……」

(今、お前の目の前にいるそいつらだ。その二人が今のお前を苦しめている原因。お前もそれをわかっているからこそ、断ち切ろうとしたんだろ?)

「違う……僕は……」

(何を躊躇することがある? お前はその二人と引き換えに、お前の嫌いな痛みを止めることができるんだ)

「この痛みを止めることが……」

(痛みを止めること、それがお前の望みなんだろう……?)

「そうだ……僕は……僕の嫌いな痛みから……逃れるために……」

(それでいい……さあ、やれ。これでお前は楽になれる……くくく……)

「これで、僕は────」




 まるで何かに憑りつかれたように涼は苦しむことをやめ、力なく歩き出した。

 そして傍に落ちていた石を拾い、まだ立ち上がれていない恭太郎の前に立つ。

「………………」

「……涼?」

 どこか虚ろな涼の目に恭太郎は怪訝な顔をした。

 先ほどまでとは違った涼の様子に二人は無気味さを覚える。

「……これでやっと止められる……僕の中の……痛みを……」

 石を握る涼の腕が、空高く上げられた。


「まさか……神谷君……」

 迷いのない見られない涼の動作。

 二人がこの先に何が起こるのかを予想するのにたいした時間はかからなかった。

「これで……さよならだよ。恭太郎……」

 悪いことに二人の予感は的中してしまう。

「くそ……もう体が動かねー。へへ……悪い津山、どうやら俺はここまでみたいだ」

 もう逃げられないとわかった恭太郎は、自分の最後を悟り、どこか困ったように美咲に笑いかけた。


「俺の代わりに涼のこと頼むわ」

「菅君ッ!!」

 そんな恭太郎を見た美咲は無意識のうちに恭太郎の名前を叫んでいた。

 もはや美咲も二人の様子を黙って見ていることができなくなってしまった。


「やるなら早くやれよ。でも、あまり痛いのは勘弁な……」

 恭太郎の中には、涼に対する恨みの気持ちは欠片もなかった。

 恭太郎の中にあったのは、涼を救ってやることができなかったという後悔だけ。

 友達一人も助けてやれない自分の無力さを嘆く気持ちでいっぱいだった。

「大丈夫……すぐに楽にしてあげるよ……」

 そしてその腕が今……

「ごめんな涼。俺、お前を助けてやれなかった……」

「ダメです、神谷君っ!!」


 静かに振り下ろされた──────

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