君が教えてくれたもの (後上)
うっとうしい……
その声も、その視線も、僕を取り巻く何もかもが……
それは停学が解けて学校に復学してから、僕がよく思うことだった。
教室にいても、廊下を歩いていても、何かと視線を感じることがある。
誰かとすれ違ったときにも、こちらを見ながらコソコソと何かを話している者もいた。
今だってそうだ。
教室の戸の前で女子生徒二人が、僕を横目で見ながら話をしている。
以前の僕なら他人の目なんて気にならなかったのだろうけど……
今は違う。
自分に何かが向けられるたびに、胸の中で黒い霧がモヤモヤと立ち込めていく。
だから僕は、いつも昼休みになると、このうっとうしさから抜け出すために、どこか一人になれる場所を探して教室を出ていくことにしていた。
「どいていくれないかな? そんなところで立ち話なんてしてたら通行の邪魔だよ」
僕は自分の席を離れ、教室の戸の前で立ち話している女子生徒二人に向かってそう言った。
それを聞いたその二人の女子生徒たちは一度顔を見合わせそれぞれ別の表情で僕の顔を見る。
片方は僕のクラスメイトだ。
僕が注意したことに驚いたのだろうか、なぜか目が泳いでいる。
もう片方は、見知らぬ顔の女子生徒。
おそらく他クラスの生徒なのだろうが、彼女は僕をどこか不満そうな顔で見ていた。
「ご、ごめんね。すぐどくから……」
そう言って、クラスメイトの女子は戸の前から一歩横に移動する。
二人の妙な視線を両側から感じながら、僕は戸を開けた。
そして廊下に出たとき……
「ちょっと待ちなさいよ」
と、他クラスの方に呼び止められた。
「何かな?」
僕は振り向いて、そう聞き返す。
「何よさっきの言い方? あれが人にモノを頼む態度なの?」
予想外の彼女の言葉に僕は呆れて言葉も出なかった。
「何か言ったらどうよ!?」
何がそんなに気に障ったのだろうか?
彼女の態度は、ひどく攻撃的なものだった。
こんなところで時間を無駄にしたくはなかったが、このまま彼女を放置しておくと後々面倒になりそうだったので僕はしぶしぶ口を開く。
「別に頼んだ覚えはないよ。出入り口の前に立たれると通行の邪魔になるから注意した。ただそれだけだ」
こんなことをいちいち言わさないでほしかったが、僕は彼女にもわかりやすいように簡潔に理由を述べた。
しかしそれを聞いた彼女は納得するどころか、逆に眉をひそめていた。
「言ってくれるじゃないこの根暗男。だいたいあんた、よくそうやってのうのうと学校に来れるわね。文化祭が中止になったのって、あんたのせいなんでしょ? 学校中で噂になってるわよ」
彼女の発した言葉に教室内がピタリと静まり返る。
「ちょ、ちょっとそういうこと言うのやめなよ」
「はぁ? 何言ってんのよ、あんただってさっきまで私と話してたじゃない。こいつのせいで文化祭の打ち上げができなかったって」
「そんな……別に私は神谷君のせいとは言ってないよ!」
「でも、あんたは見てたんでしょ? こいつが他校の生徒と揉めてるところ」
「そ、それは……でもあれはちゃんとした理由があって……」
いつの間にか論点がズレていることにうんざりしながらも、僕は二人の会話を黙って聞いていた。
やはり僕に奇異の目が集まっていたのは文化祭での出来事が原因だったのかと納得する。
予想をするのは簡単だったが、これで確証を持つことができた。
だからといって、その件に関して僕からどうこう言う気など毛頭ないが……
「ねぇ、僕もう行ってもいいかな?」
誰が何を言おうと勝手だが、あれは僕にとってもあまり思い出したくないのも事実。
そういう話は僕のいないところで勝手にしてくれと思う。
「いいわけないでしょ、まだ話は終わってないわ。そうだあんたさぁ、今この場で全員に謝りなさいよ」
「やめなって!」
「いいからいいから。ねぇ、謝りなさいよ。みんなに迷惑かけたんだから謝るのは当たり前でしょ!?」
まるで楽しんでいるかのように薄ら笑いを浮かべながら、彼女は僕の顔を覗き込んできた。
彼女の相手をしているだけ時間の無駄と、僕は彼女の発言を無視して、この場を去ることにした。
「ちょっ、何無視してんのよ!? クールを装ってカッコでもつけてるつもり!? キモいんだよ!!」
歩き出した僕の背後から品性の欠片もない声が聞こえたが、僕は振り変えることなく歩いていく。
「待てって言ってんでしょ!」
すぐ後ろに感じる気配。
僕の後を追って彼女が近づいてくるのがわかった。
うっとうしいな……
すかさず体を一歩右にズラし、左足を軽く横に出した。
後ろから僕を掴もうとしていた彼女は目標を見失い、僕の左足に躓いて勢いそのまま無様に転ぶ。
「いった~い……何してくれんのよっ!!」
転んだ彼女を一瞥し、僕は彼女の横を通り過ぎていった。
「あんた、覚えてなさいよ!!」
これで懲りてくれればいいと思っていたが、面倒事の種をまいてしまった気がしなくもない。
頼むからもう僕にはかかわらないでくれと、僕は静寂を求めて、一人学校の中をさまようのだった────
「はぁ……」
悪い予感に限って当たるとはよく言ったものである。
放課後、僕は校門前で深くため息をついた。
「コイツか、お前に手を出したってのはよ?」
「そうよ」
どうやら面倒事の種は枯れずにそのまま芽を出してしまったらしい。
僕の前には今日初めて顔を覚えた彼女と僕よりも一回り大きい男子生徒が立ちはだかっていた。
学年色の色からして男は僕の一つ上の学年だということがわかる。
「おい、俺の女に手を出しておいてただで済むと思ってんのか、ああ!?」
「……手なんて出した覚えはありませんよ」
足は出したけど……
「しらばっくれんじゃないわよ! あんたが私にしたこと、忘れたとは言わせないわ!!」
男の横に立っていた彼女が落ち着きなく息巻いている。
「ねぇ、早くコイツに仕返ししちゃってよ」
「ちょっとツラ貸してもらうぜ。俺の女に手を出した落とし前はきっちりつけてやる」
彼女たちのテンションについていけない僕を差し置いて、向こうは完全にやる気になってしまっていた。
だが、僕がこんな茶番につき合うどおりなんてない。
「何度も言ってるけど、もとはと言えばあれは君が……」
「うるさいわね、今さら言い訳したって遅いんだよ!!」
「グダグダ言ってねぇで、こっち来いよオラッ」
彼女の声に続き、男が僕の胸倉を掴み、顔を寄せる。
ドクン……
僕の中でくすぶっていた痛みが、少し強くなった気がした。
「……わかりました。だからこの手を離してくれませんか?」
僕は相手の要求を受け入れ、後についていくことにした。
面倒事の芽は早急に摘み取ってしまった方がいいと考えたからだ。
連れて行かれた先は、学校の裏手にある川原だった。
開けた空間、人気が少ないという意味では、揉め事には絶好のスポットなのだろう。
ざっと見た限り、僕たち三人以外に他の人間は見当たらない。
「へへ、骨の一本や二本は覚悟してもらうぜ……」
余裕に満ちた男の表情とセリフから感じ取れたのは絶対的な自信だった。
体格は彼の方が僕よりも大きい。
捲られた袖から見える腕も僕より太く、筋力においても僕が劣っているのは一目瞭然だった。
きっと彼はこう思っているだろう。
僕なんかに負けるわけがないと。
だからこそ、彼は今こうして薄ら笑いを浮かべていられるのだ。
でもそれでいい……
そう思ってくれていた方が、つけ入る隙も大きくなるというもの。
「やけに静かじゃねぇか? 今謝るってんなら、骨は勘弁してやるぜ」
ああ……うっとうしい。
僕に向ける、その視線も言葉も態度も何もかもが……
痛い……
僕の胸の中を駆け巡る痛み。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い……
いくら時間が経とうとも、消えることのない痛みに僕は疑問を覚えた。
なんで僕がこんなに苦しまなければいけないのか…
「返事はなしか……なら覚悟しやがれ!!」
その声を皮切りに男が僕に向かって襲いかかってくる。
違う……
僕が悪いんじゃない……
僕をこんな気持ちにさせる奴らが悪いんだ。
そうだ、僕を『怒らせる』こいつらが悪いんだ。
だから……
ボクハナニモワルクナイ──────
「どうしたの、もう終わり?」
だらしなく倒れている男を見下げながら僕は言う。
しかし男からの返答はなかった。
「口の割には、たいしたことなかったね」
言いながら、もう必要のなくなった石を投げ捨てる。
始まってから決着までは、割とすぐに着いた。
正直、僕なんかが正面からまともにぶつかっても到底勝てる相手ではないが、そこは頭の使いどころ。
正面から殴りあうだけが喧嘩ではない。
昨日の恭太郎のときのように地の利を活かせば、一人の相手くらい僕でもどうにかなる。
例えば、今倒れている彼のように自分の力を過信している者には、隙をついての奇襲が有効だ。
なぜならそういう者ほど、自分の予想外の行動をとられると、とたんに脆くなる。
後は簡単だ。
立て直す機会を与えないように、一気に勝負を決めてしまう。
僕の予想どおり、彼はとても単純で、この戦法はとても有効だった。
おかげで僕は、かすり傷一つ負うことなく、勝利することができた。
「さて、自慢の彼が倒れた今、君はどうするつもり?」
彼の敗北が信じられなかったのか、横で腰を抜かして座り込んでいる彼女に向かって僕は言った。
「お、覚えてなさい……次はこうはいかないんだから!!」
彼女の口調は相変わらず清々しいほどに高圧的なものだった。
でも彼女は何か勘違いをしている。
「次は君の番だよ……」
「え……?」
僕の言葉に彼女は驚きを隠せないように目を丸くした。
「な、何言ってるの? ……信じられない。あんたまさか女の子に手をあげるつもり!?」
「ずいぶん都合のいいこと言うね。先にけしかけてきたのは君じゃないか」
やっぱり彼女は勘違いをしていた。
「お、お願い。やめて…………わ、私が悪かったわ……」
「正直あまり気乗りはしないよ。でもね、まだ治まらないんだ。僕の中の痛みが……」
僕の中の痛みは治まるどころか、さらに強さを増していた。
この痛みを止めるには、原因を排除すればいい。
僕の感情を昂らせている原因を……
「彼でダメなら、後は君だよ」
原因を排除するため、僕は彼女に近づいていく。
「あ……あ、あなたの言うことなんでも聞いてあげる……だ、だだ、だから……」
「無理だよ。君の力じゃあ僕の痛みを止めることなんてできやしない」
彼女の前に立ち、僕は右手を振り上げる。
「や、やめて……いや……いやああああああああぁぁぁぁぁぁっっ!!」
そしてその手を静かに彼女に向かって振り下ろした────
「やめろっ!!」
「ッ!?」
振り下ろした手が彼女に当たる刹那、横から激しい衝撃が僕を襲った。
誰かが僕に飛びついてきたようで、勢いのままに僕たちは土の上を転がっていく。
転がる勢いが収まると同時に僕はその手を逃れ立ち上がった。
本当に今日は僕を苛立たせる輩が多いみたいだ。
「僕に関わるのはもうやめてって、昨日も言ったはずだよ……」
ゆっくりと立ち上がった目の前の人物に向かって、僕はそう言い放った。
「恭太郎。それに津山さんまで……」
恭太郎の後ろ数メートル先には、津山さんの姿も見られる。
「いったい、なんの用? 今、取り込み中なんだよ」
僕がそう尋ねると、先に返答してきたのは津山さんの方だった。
「事の一部始終を見させてもらいました。どっちが悪いかなんて言うつもりはありません。でも、誰が見たってもう勝負はついています。これ以上この人たちを痛めつける意味なんてありません」
津山さんの言うことは客観的に考えればもっともなことだ。
確かにそこで寝ている彼が僕に挑んでさえ来なければ、僕から二人に手を出すことはなかった。
僕は自分の身を守るために応戦しただけなのだから……
自分の身を守るという目的が果たされた以上、僕から彼らに危害を加える意味はない。
と、傍から見ればそう思うかもしれない。
でも違うんだよ……
もう遅いんだ。
モウトメラレナインダヨ──────
「津山さんにそんなことを言われる筋合いはないよ。これは僕たちの問題なんだ。邪魔しないで」
「おっと、これ以上やるってんなら今度は俺が相手になるぜ」
歩き出そうとした僕の前に恭太郎が立ち塞がる。
「はっ、笑わせないでよ。昨日あれだけ僕にやられておいて何言ってるのさ」
僕に指一本触れられなかった恭太郎では、すでに結果は目に見えている。
「へへん、昨日の俺と同じだと思うなよ」
だが、なぜだが恭太郎は自信に満ちていた。
根拠はわからない……いや、恭太郎の考えていること自体が僕にはさっぱりわからなかった。
「本当はもっと時間をかけてお前と接していくつもりだったけど、どうやらそうもいかねーみたいだだからな」
昨日はできるだけ拒絶の意思を見せつけたつもりだったが、恭太郎たちには理解できなかったのだろうか?
「なんでそんなに僕に構うのさ?」
問題を解決するには、その原因を知ることが第一だ。
僕はその理由を尋ねた。
「決まってんだろ。俺たちはお前のことを友達だと思ってるからだよ。友達が間違ったことしてたら、それを正してやるのが当然ってもんだろ」
恭太郎からの返答はシンプルかつ抽象的なものだった。
「友達だから、か……ははっ……」
理由を聞いて、僕の口から笑いがこぼれた。
ああ、やっぱりか……やっぱり僕には恭太郎の考えなんて理解できない。
友達を助けることになんの得がある?
そんなもののために体を張る必要がどこにある?
今の僕には、そんなもの必要ない。
他人なんて僕の痛みを大きくするだけの要因でしかないのだから……
「もう一度だけ聞くよ。どうしても僕の邪魔するつもり?」
恭太郎たちが僕の邪魔をする理由はわかった。
けれども、人の思いを断ち切ることはそう簡単ではない。
「ああ」
ならば……
「そう。なら……力ずくで、もう僕に関われないようにするしかないみたいだ」
頭でなく体で理解してもらう……
もう僕には、誰も必要ないのだと。
恭太郎の後ろにいる津山さんに目を移す。
「津山さんも逃げるなら今の内だよ。昨日忠告したとおり、僕はもう君にも容赦はしない」
これは決して脅しなんかではない。
僕は僕のために、この場で二人との繋がりをすべて断ち切るつもりでいた。
「私も覚悟はできています」
やはり津山さんの返答も僕にとって望ましいものではなかった。
「そう」
それだけ言って、僕は視線を再び移す。
「君たちはもう邪魔だから帰ってくれていいよ。でも見逃すのも今回限りだ。今度来たときには……」
僕の眼中には、もう恭太郎と津山さんしか映っていない。
もはや彼女たちは今の僕たちにとってただの部外者でしかなかった。
彼女は顔を青ざめさせたまま、意識の朦朧としている男を起こし、どこかへと去っていった。
「さて、これで邪魔者はいなくなったね。まあ、僕にとっては恭太郎たちも邪魔者以外の何者でもないけど」
言いながら、再び視線を恭太郎に戻す。
「へへ……」
「何がそんなにおかしいの?」
「考えてみたら、お前と知り合ってから、こんな風にマジで喧嘩なんかしたことねーなって思ってよ。それどころか俺はいつも涼に何かと助けられてたなって」
過去を懐かしむように恭太郎は話し始めた。
「だから今度は俺がお前を助ける番だ。いくぜ、涼!!」
こうして邪魔者のいない夕暮れの川原で、文字通り僕たちの最初で最後の死闘が幕を上げた────
「おおおおおおっ……」
声を高らかにあげながら、恭太郎は一直線に涼に突っ込んでいく。
恭太郎の単純な思考に涼は半ば呆れていた。
前回と同じパターン。
作戦も何もあったものではない、がむしゃらな戦法。
ならば追撃は簡単だと、涼の中で瞬時に数秒後のイメージが出来上がる。
前回同様、涼は避けるような動作をせずに恭太郎の来るタイミングに合わせ、目くらまし用の土を蹴り上げた。
が……
同時に恭太郎の姿が涼の視界から消える。
蹴り上げられた土は目標を見失い空中を舞っていた。
「同じ手が何度も通じると思うなよ!!」
恭太郎は直前で横に飛び、涼の迎撃を回避していた。
よく知っている相手だから、一度倒した相手だから……
その僅かな思いが、涼の油断となり、自らに大きな隙を作る結果を招いてしまった。
そして相手のことをよく知っているのは恭太郎も同じ。
「喧嘩の技術じゃ涼の方が上かもしれねーけど、単純な力じゃ俺の方が上だ」
土を蹴り上げるため、大きく脚を上げていた涼に次の恭太郎の攻撃を躱す方法はなかった。
「く……!?」
恭太郎に組みつかれ、踏ん張ることもできず涼はなす術もなく倒れる。
「今度はこっちの番だぜ」
仰向け倒れた涼の腹に恭太郎はポジションをとった。
マウントポジション。
仰向けに倒した相手の上に座り込んで押さえることである。
上側が圧倒的に有利であり、一方的に相手を殴ることができる。
逆に下側からの行動は大きく制限され、ましてや非力な涼の腕力だけでは恭太郎を上からどかすこともできない。
「今日の俺は本気も本気だ。手加減しねーからな、覚悟しろよ!!」
恭太郎の拳が雨のように涼に降りかかる。
かろうじて両腕で防ぎ、直撃は避けているものの、涼にはそれが精一杯の抵抗となっていた。
「く……くそ…………」
ドグン……
胸の中の痛みがまた一段と強くなり、それが黒い靄となって涼の内であふれていった。
「調子に乗るなあぁぁぁ!!」
叫び声とともに両腕のガードを解いた涼は、上体を起こし、向かってくる恭太郎の拳を自らの額で迎撃した。
「ってぇ!」
人体で最も頑強な頭部をモロに叩いた恭太郎は不慣れなダメージに攻撃の手を休めてしまう。
その隙を逃さず、涼は恭太郎の顔面に張り手を食らわせた。
さらにもう一度、勢いをつけて上体を起こし、今度は恭太郎の顔面に向かって頭突きを放つ。
「にゃろぅっ!!」
しかし恭太郎も負けじとばかりに顔を下げ、額を涼に向けた。
結果……
「ぐあっ……!!」
「ッ……!!」
ゴンッという鈍い音とともに二人の額と額が弾けあう。
互いに大きく後ろに倒れることになり、二人のあいだには再び間が生まれた。
「はぁ……はぁ……」
息を小さく荒げる涼に比べ、
「へへ……ざまあ見やがれ」
恭太郎は涙目ながらも小さく笑みを浮かべていた。
「どうした涼、もうヘタれたのか? 来ないならこっちから行くぜ!!」
このとき勝負の流れは恭太郎にあった。
恭太郎自身もそれを自覚している。
次の攻防で勝負を決めると意気込み、恭太郎は再び涼に向かって走っていく。
恭太郎が注意しているのは涼の手と足の動き。
力で劣る涼の戦法は端的に言ってしまえば、相手の虚を突いて一気に自分のペースに持っていくというもの。
そのために相手の気を散らせる何かを涼は仕掛けることになる。
しかし涼がどんな小細工を弄してこようが、事前に察知さえしていれば恭太郎でも十分に対応は可能だ。
そしてこの川原にあるものでは涼ができる行動にも限界があり、決着が長引けば長引くほど、涼はジリ貧に陥っていく。
恭太郎はそのことを昨日の経験と今の攻防、そして先ほどの涼と男の戦い方から気づいていた。
その予想は決して誤りではない。
だが……
それに気づいているのが恭太郎だけとは限らない。
自分の行動が制限されていると知られているからこそ、有効な戦術もあるものなのだ。
それは恭太郎が走り出してから数秒にも満たない時間の中で起こった。
恭太郎が視界のスミに捉えたのは、涼が片足を振りかぶるという小さな仕草。
そこから恭太郎が導き出した答えは、土による目くらまし。
それがわかれば恭太郎が次にとる行動は決まっている。
先ほどと同じように直前で横に躱し、涼に組みつく。
相手の視界を奪うのは隙を作るのにはうってつけだが、三度目ともなれば、相手が恭太郎と言えども通用するはずもない。
そして、それを一番理解していたのは、それを行う本人。
そう、涼自身も理解していたのだ。
自分の次の攻撃が必ず避けられることを……
それは涼の誘導。
相手の次の行動がわかってさえいれば、攻めることは容易いもの。
涼の行動がフェイントだったと知ったときには時すでに遅し、横に飛んだ恭太郎の顔には、すでに先回りしていた涼の拳が飛んできていた。
非力な涼のパンチとは思えないような重い一撃に恭太郎の視界が揺らぐ。
当然、今回も涼の手にはパンチ力を上げるための石が握られていた。
そんな一撃を下顎にモロに受けた恭太郎は、糸を失った操り人形のように、あまりにもあっけなく地面にその身を預けることとなった────




