僕の大切なもの (後下)
「テメェなんかが生まれてきてから、こっちはろくなことがねぇ!!」
それが、男が決まって少年に放つ言葉だった。
お前が生まれてきたから、お前さえ生まれてこなければ……
呪文のように繰り返される言葉と呪縛のように与えられる痛み。
それに抗う術を知らぬ少年の身体と精神は、確実にすり減り、日々摩耗していった。
少年はひどく憎悪していた。
なぜ自分だけにこんな仕打ちをするのかと……
体も痛かったが、それ以上に心が痛かった。
誰かを憎むことで、こんなにも心が痛むのなら憎しみなんていらないと……そう思った。
そして────
その日を境に少年の顔から憎しみが消えた────
それはいつのことだったのか、なんで起こったことなのか、そして誰が起こしたことなのか?
今の僕にはわからない。
でも僕は確かに覚えていた。
遠い昔に感じた痛みを……
今の僕の中に生まれている、胸の内をギリギリと締めつけるような痛みを……
そして僕の心をジワジワと蝕んでいく痛みを……
僕は確かに覚えていた。
あれはそう……
こんな物の壊れる音がよく聞こえる場所だった。
襲い来る痛みを今の僕みたいに何もできずにただ耐え忍ぶだけの日々。
もうやめて、とそう懇願したこともあった。
それでも、襲い来る痛みは一向に止まなかった。
いつも身体中がビリビリして痛かった。
でも、それ以上に痛かったんだ……
自分の内から奇妙な感覚があふれ出してくるたびに……
胸の奥が……心が……ギュッときつく締めつけられるように痛かった。
それが、とてつもなく嫌だった。
嫌いなんだよ……痛いのは……
誰だって、痛いのは嫌だろ?
なのになんでそうやって……
傷つけようとするんだ……?
痛みを与えようとするんだ……?
「なんでそうやって、僕の大切なものを奪おうとするんだ……壊そうとするんだ……!?」
僕の中にかかっていた白い靄。
その向こう側から、何かがあふれ出してくるのを感じた。
次第に『それ』は大きくなり、僕のすべてを支配していく。
(──くく……そうだ思い出せ、お前がなくしたモノを……)
「僕は誰にもそんな思いをして欲しくなかったから……だから……」
(取り戻せ、お前に欠けているモノを……!)
「でもね、もう……」
(それを取り戻したとき、お前が本当の『神谷 涼』になる────!!)
「もううんざりだっ!! 痛みを振りまいて、平気な顔をしている奴らが、いい気になってるのはっ!!」
それはとても懐かしいモノ、でも同時に思い出したくないモノ。
それはかかっていた白い靄とは正反対の真っ黒く染まったモノ。
そしてそれは、遠い昔に僕がなくしてしまった────感情だった。
「ウルせーよ!! さっきから何わけわかんねぇこと言ってんだオメーはよ!?」
涼の声に気分を害したのか、一人の男が棒立ちになっていた涼の胸元を掴もうと手を伸ばした。
「──汚い手で、僕に触ろうとするな」
「あっ!? 何調子こいたこと言ってんだコラッ!?」
男の威嚇をものともせず、涼は自らに向かってきた腕を掴み……
「……そうだ、最初からこうすれば簡単だったんだ」
逆側に捻っていく。
「な、なんだ……腕が動かせねぇ……いだ……いだだだだ……や、やめっ……」
男が言い終わるや否や、教室に鈍い音が響き渡った。
「ぎぃやあああぁぁぁぁ!!」
自分の骨が折れる痛みに男が耳をつんざくような叫び声を上げる。
その場に座り込み、折れた腕を押さえながら大声を上げている男の口を目がけ、涼はつま先から栓をするように蹴りを見舞った。
「うるさいなぁ、耳障りな声を出さないでよ」
涼を知る者たちは皆、唖然としていた。
そのらしからぬ非常な言葉に……
その氷のような冷たい表情に……
そして何より、その冷酷さに……
虫も殺せぬような少年の変化に誰もが戸惑いを隠せずにいた。
「はぁ、なんだかスッキリした気分だよ」
晴れ晴れとした表情で、涼は天井を見上げる。
「でも、まだ収まらないんだ、この気持ちが……どんどん僕の中からあふれ出てくる。こういうときはどうすればいいんだろう?」
(俺が教えてやるよ)
誰に投げかけるわけでもない涼の問いにリョウがすぐさま答えた。
「本当?」
(ああ、もちろんだ。なんたってお前は、もう一人の俺なんだからなぁ)
涼の変化に戸惑うのと同時にクラスの者の心には、涼に対する恐怖も生まれていた。
近づけば、自分もあの男のような目に遭わされてしまうのではないかという恐怖のせいで誰も涼を止めることができない。
しかし、そうしているあいだにも、涼と男たちの争いは激化していく一方だった。
「このガキっ!!」
入れ替わったリョウに向かって、男の一人が襲いかかっていく。
リョウは男の不意打ちをなんなく躱し、逆にカウンター代わりに左拳を顎先へと見舞った。
そしてグラリと揺らいだ男の後頭部を掴み、
「俺の奢りだ。遠慮なく──いただきなっ!!」
まだ茶器の置いてあるテーブルに向かって顔面から叩きつけた。
大きな音とともに赤く染まった茶器の破片が周囲に飛散し、純白のテーブルクロスにも同様に赤色の線が伸びていく。
「当店自慢の味だ。美味かっただろ? くく……」
リョウは口元を歪めて小さく笑いながら、ピクリとも動かなくなった男の頭から手を離し、次の標的へと狙いを定めた。
残りは三人。
今度は窓際に立っている二人の男たちに散歩でもするかのように悠々と近づいていき……
警戒を緩めた一人の顔面に向かって、有無を言わさぬスピードで拳を叩き込んだ。
「いがああぁぁぁっ!!」
その悲痛に歪む声が聞こえたのはそれから一秒後だった。
鈍い音とともに拳に感じた確かな手ごたえ。
間違うはずもなく、今までにリョウが何度も感じてきた感触。
それは破壊。
満足のいく一撃に納得しながらも、リョウはトドメとばかりに蹴りによる追撃を加える。
そして瞬く間に男は崩れ落ちた。
「て、てめぇ、こっちに来たらただじゃおかねぇぞ!!」
威嚇ともとれる言葉だが、今の光景をすぐ近くで見ていたもう一人の男は明らかに怯えていた。
「つれねぇなぁ。せっかくおもしろい余興を思いついたのによ」
「く、来るなっ!!」
リョウが一歩踏み出すと同時に男は一歩後ずさる。
二歩……三歩……と後ずさったところで、男は止まった。
背後にある窓によって、逃げ道をふさがれてしまったのだ。
だがリョウはもう目の前にまで迫っていた。
「く、くそがー!!」
ついにやけくそになった男は意を決してリョウに殴りかかった。
しかしリョウが一歩右に動いただけで、男の拳はあっけなく空を切る。
そしてリョウは、ガラ空きになった男のみぞおちに左拳を一発打ち込んだ。
男の体が「く」の字に折れるのを許さぬと言わんばかりにすかさず顔を掴み、そのまま男の体を後ろに押し倒していった。
「お……おいっ? ウ、ウソだろ?」
自分の置かれた状況に男がわななく。
男が取り乱すのも無理はない。
男の背後にあるのは開かれた窓。
すでに背中は窓のふちに引っかかっており、胸から上が仰け反るように窓の外に出ていたからだ。
「や、やめろっ!! 離せっ!」
「おいおい、命乞いってのはもっと媚びてするものだぜ?」
男の焦る姿を愉しむように口元を綻ばせながら、リョウはさらにその手に力を込めていく。
すると男の体は、さらに仰け反り、ふちに引っかかった背中を支点にして逆に足が浮いた。
「わ、わかった、謝るよ。俺が悪かった!! だから……か、勘弁してくれ……!!」
「って言ってるけど、どうするよ?」
この状況を見ているもう一人の自分に答えをゆだねる。
(そんなの……決まってるだろ……)
リョウが気を逸らしている隙に男は手足をジタバタとさせ抵抗を試みるが、まるで効果はない。
「答えが出たぜ」
言いながら、リョウは返答に従うままに行動を再開した。
今度は力を加える方向を下側に変え、徐々にその圧を強めていく。
「じ、冗談だろ……?」
浮き上がる足とは逆に沈みゆく男の体。
「安心しろよ、ここは校舎の三階。下には植え込みもあるんだ、死にゃあしねぇよ…………打ち所が良ければな」
そして……
「ああああああぁぁぁぁぁっ────!!」
重力に抗う術はなく、男は窓の外へと消えていった。
「さてと、残りはあと一人か……あん? おいおい、どこに行くつもりだよ」
一連の状況を見て完全に腰を抜かし、地べたを這いつくばりながら、教室から出ていこうとする金髪の男を呼び止める。
気づかれたとばかりに恐怖に顔を歪めた男のもとへ、リョウはゆっくりと歩いていく。
「て、てめぇ……こ、こ、こんなことして、た、ただで済むと思ってんのか!! お、おお、俺たちにはまだ仲間がいるんだぞ!」
「はっ、相変わらず威勢だけはいっちょ前だな。ちょどいい、今すぐにそのお仲間とやらを全員、外に集めろ。そこでまとめて相手してやるよ。なんたって今日は記念すべき日になるんだ。祭りは派手にいかなくちゃなぁ」
自分の脅しに怯えるどころか、むしろ喜んでいるリョウに対して、男はさらに恐怖した。
「何やってんだ? はやく仲間に知らせろよ。じゃないと、今すぐお前を片づけることになるぜ」
リョウに催促されるままに男はポケットから携帯を取り出し、恐怖に震える声で仲間に連絡を取っていく。
「ほ、ほら、お前が俺たちの学校にケンカ売ってるって、全員に知らせてやったぞ……これで、お前はもうお終いだ。へへ……へへ…………」
「ふん、少しは楽しませてくれることを願ってるぜ。さて、行くか……残りのゴミを始末したらな」
そう言ってリョウは、座り込んでいる男に再び視線を向けた。
「お、お前の言うとおりにしたんだ……みみ、見逃してくれ……」
「なあ、どうする? ………………残念、ダメだってよ」
次の瞬間、大きな音を立てて教室の戸が吹き飛んだ。
頭から戸のガラス部に突っ込んだ男は、顔中にそのガラスの破片を受け、うつ伏せに倒れたまま痙攣していた。
「準備運動はこれくらいで十分か」
破れた戸の上を歩きながら、リョウは教室を出て校庭に向かっていく。
騒ぎを聞いて集まっていた野次馬の生徒たちもリョウに恐れをなしてか、すぐにその場を離れ、道をあけた。
リョウが校庭に出たときには、すでに先ほどの男たちと同じ、真っ黒な学ランに身を包んだ姿が集まっていた。
「てめぇーか、俺たちにケンカ売ってるって野郎は!?」
その数は実に20人ほど。
「ああ、そうだ。いい加減、目障りなゴミを掃除してやろうと思ってな」
しかし、リョウはその数に圧倒されることなく挑発を行う。
「この野郎、調子に乗りやがって」
「俺たちにケンカ売って、五体満足で帰れると思うなよ!」
リョウへの恨み言を口々に言いながら、男たちは逃げ道を塞ぐべく、リョウを取り囲むようにして陣形をとっていく。
男たちの中には、バットや木刀などで武装している者も見られた。
「はっはー! この人数相手に本当に一人でやろうってか!?」
「その勇気だけは褒めてやんぜ」
「どうした、今頃びびっちまったか?」
「もう土下座して詫びてもおせぇぞ」
余裕綽々の男たちは、次々にリョウに対し馬事雑言を投げつける。
「やれやれ……」
その姿を見て、リョウは呆れたように肩をすくめた。
なんとも単純な連中。
今まで自分が相手にしてきた者たちとなんら変わりはない。
だがそれでいい……いや、むしろそれがいいとリョウは思っていた。
これくらいわかりやすい方が今のアイツにとっては好都合。
すべてはリョウの思惑どおりだった。
「はっ、てめぇらこそ、このまま無事に家に帰れると思うなよ。くく……楽しみだなぁ、これから何が起こるのかよ」
この後のことを想像し、リョウが顔を緩ませていく。
「くく……はは……はーはっはははははははっ!!」
こらえきれずにあふれ出る感情。
突然、目の前で弾けるように笑い出したリョウに男たちは不気味さを覚えた。
しかし、リョウはそんなことなどお構いなしに笑い続ける。
「そうだ、すべてはここから始まる!! テメェーらはせいぜい良い声で鳴いてくれよおっ!!」
そして、リョウの声を皮切りに1対20での大乱戦が始まった────
1対20
喧嘩とは簡潔に言ってしまえば数の勝負である。
個々の実力が拮抗しているほど、数の優位性がものをいう。
それはリョウにとっても例外ではない。
リョウという圧倒的な個にしてみれば、二~三人の差など物の数ではない。
が、しかし今回は話が別である。
今回はリョウ一人に対して、相手は両の手では数えきれない数。
それに加え、相手は武器も持っているというおまけつき。
いくらリョウが強いと言っても、さすがにこの人数差では軍配はどちらに上がるかわからない。
否、傍から見る分には誰がどう見てもリョウが圧倒的に不利である。
誰もがリョウの敗北を予想し、悲惨な結末を想像したであろう……
そう、本人たち以外は────
「おっと!」
自らに降りかかる攻撃を軽やかなステップで躱していく。
そのあいだも常に拳に力を込め、反撃のチャンスを窺う。
回避の際は大きく体制を崩さずに、小さな動きで紙一重に躱すことを心がけ……
「オォラァッ!!」
相手の体制が崩れたところに渾身の一撃を叩き込む。
リョウが一撃、二撃とその拳を打ち込むたびに、空中に異物が飛散する。
殴る個所によって変わるが、それは赤い液体から、今日の昼食まで様々だ。
トドメは決まって顔面へ一発。
そのせいか、倒れている者たちを中心にグラウンドに赤い血だまりが広がっていた。
「ちくしょうっ! なんで当たんねぇんだ!?」
襲い来る攻撃を躱して、反撃を加える。
一見簡単そうに見えるが、前後左右様々な方向から来る攻撃をすべて捌くのは並大抵のことではない。
それをこなすリョウの反射神経が、常人よりも飛びぬけているからこそできる芸当だ。
「もう一度囲め! 全員で一斉に攻撃するんだ!!」
幾度の攻防で個対個の図式では不利だと察したのか、先ほどまではバラバラに向かってきていた男たちが、今度は一斉にリョウに襲いかかる。
百人組手のように数はいても、結局は一対一の戦いであった今までとは違い、今度は複数人によるコンビネーション。
リョウと言えども、常に全員の動きを把握できるわけではない。
男たちが統率をとることによって、やっとリョウと互角の戦いに持ち込めると思われた。
が……
「……わかってる」
ボソリとつぶやき、前から来る二人の男の避けてくださいと言わんばかりの雑で大ぶりな攻撃を余裕をもって躱す。
そして即座に振り向き、背後から迫っていた男に向かって地面を抉るようにして砂を蹴り上げた。
前の二人は搖動で、背後からの奇襲が本命であることをリョウは見抜いていたのだ。
そして砂に驚き、怯んでいる男に膝蹴りを見舞う。
顎に重い一撃を受けた男は、勢いそのままに倒れ込み、校庭にまた一つ、赤い模様を描いたのであった。
「バカな!? あいつの死角から攻撃してんだぞ……なんで一発も当たらねぇんだっ」
「ビビるな! 数じゃあこっちが圧倒してんだ、俺たちが負けるわけねぇだろ!!」
いつまでもリョウに主導権を握られている男たちに徐々に焦りが見え始めていた。
それもそのはず、リョウの動きはすでに予測や勘といった域を超えている。
動きをすべて把握されているかのようにリョウはすべての攻撃に対して、的確な処理を施していた。
格闘技に精通しているわけでも、特別な訓練を受けているわけでもないリョウがなぜこのような動きができるのかなど、本人以外知る由もない。
しかしその謎は単純明快。
(……次が来るよ。前方、左横、右後ろの三方向だ。前から来ると同時に右に飛んで)
「あいよ」
そう、リョウは一人ではなかった。
二人で戦っていたのだ。
リョウの喧嘩の強さの理由として、その恵まれた身体能力の他にためらいのなさが挙げられる。
敵とみなした相手に対する容赦のなさ、そしてそれを支える精神力の強さがリョウの力の源になっていた。
さらに今は、もう一人の涼による知略も加わっている。
高い知能と高い身体能力。
今までバラバラだった二つの力が合わさるだけで、数の優位性が皆無となっていたのだ。
しかし二人を結びつけた理由が、今まで二人の考えが最も食い違っていた部分で合わさるとは、皮肉な話である。
「はっ、いくら数が集まっても、こんなお粗末な戦い方じゃ意味がねぇよなぁ! 烏合の衆どもがよぉ!!」
男たちの焦りとは裏腹にリョウは誰も手がつけられないほどに調子を上げていく。
苦痛に歪む悲痛な叫び声が上がるたびに愉しげな笑い声が校庭に響きわたる。
その様相は、まさに地獄絵図と化していた────
「さて、これで全員か……」
すでにその場には当然の結果だけが残っていた。
1対20
数では圧倒的にリョウが不利。
「ふぅ……」
その場に立つ勝者が息を整える。
「さすがに20人まとめてってのは、思ってたよりも骨が折れるな……」
そう、この場には当然の結果が残っていた。
リョウの勝利という結果が……
「て、てめぇ……このままただで済むと思うなよ……」
地面に這いつくばりながらも、まだ意識を保っていた男の一人がリョウに向かってそう言い放った。
それを聞いたリョウは、嬉しそうに笑みを浮かべながら男の前に立つ。
「ほぉ、まだ活きの良いのが残ってるじゃねぇか」
男の目は死んではいなかった。
まだギラギラと光る鋭い眼光でリョウを睨みつけている。
「てめぇの実力はわかった。今度は……もっと人数連れてここを潰しに来てやるよ。俺たちのプライドにかけてな…………」
「おもしろいこと言ってくれるじゃねぇか。けど、お前に次なんて言葉があると思うのか?」
言いながら、リョウが男の手を踏みつける。
「ぐあ……!!」
痛みをこらえるように男が小さく声を上げた。
「ちょうどいい、最後の生贄はお前になってもらうとしよう。そのご自慢のプライドとやらが、いつまでもつのか見ものだな。くく……さて、ここからはお前の出番だ。見せてくれよ、新しく生まれ変わったお前をな──────」
直後、ボギッと何かが壊れた小さな音がした。
「ぎゃああああぁぁぁぁ!!」
その痛みに耐えかね、今度は男が大声を上げる。
そんなことなどお構いなしに男の指の上に乗せられた足は隣の指の上へと移動した。
そしてまた無慈悲なまでに圧力が加えられていく。
「ま、待ってくれ!!」
男の懇願する声が聞こえたが、圧が緩まることはなかった。
「ぎぃいああああぁぁぁぁ!!」
再び聞こえる音と声。
「わ、悪かった、もうこの学校には近づかねぇ。だから見逃してくれよ……か、金でもなんでも払う……だから……」
顔を上げ、男は必死に許しを請う。
プライドも何もかもを投げ捨てた男の目には、すでに先ほどの闘争心など毛ほども残っていなかった。
もはや光を失い、濁りきった目だ。
「──お前たちは、いつもそうだ。他人に痛みを振りまくことを躊躇しないくせに自分に降りかかるときだけはどんなに媚びても避けようとする。不愉快なんだよ……」
反面、男を見下す涼の目には、男とは全く違うものが宿っていた。
しかし、その目が濁っているという意味では男と大差はなかったが……
「今日のために、みんながどれくらい頑張ってきたのか知ってる?」
涼の目には……
「僕だけじゃない。お前たちは学校のみんなに痛みをバラまいたんだ」
大きな憎しみと……
「全部、お前たちが悪いんだ!」
激しい怒りが宿っていた。
(そうだ。憎め、怒れ)
「謝罪なんていらない」
(お前が……)
「だから……」
(お前になるために!)
「僕の前から消えろ!!」
トドメとばかりに振り上げられた腕。
涼がその腕を振り下ろそうとしたとき……
「もうやめて、涼ッ!!」
振り上げられた涼の腕を何者かが抱きかかえるようにして止めた。
思いがけない乱入に二人の涼が戸惑いの様子を見せる。
「茜……」
(チッ、邪魔をするなっ! おい、今はこの女に構うな!)
「僕は……」
(おいっ! 聞いてんのかっ!!)
リョウの呼びかけに涼は答えることはなかった。
ただ、何かに怯えるように涼は呆然と茜を見つめていた。
「お願いだからこれ以上は、もうやめて……」
必死に涼を止める茜の頬を一筋の涙が伝う。
「なんで……茜が泣いてるんだよ?」
絞り出すように発せられた声は、涼の心境を表すようにひどく震えていた。
「僕はそんな茜は見たくないよ。茜にはいつも笑って……あ、ああぁぁぁ────うわあああああぁぁぁぁぁぁ────!!」
自分の中に生まれた新たな痛み。
そんな痛みにもだえ苦しみ、その痛みから逃れるように涼は頭を抱え、叫び続けた。
涼の中に訪れた変化がもたらすものは、幸か不幸か……
それはまだ、誰にもわからない────




