第一話
空港を出た時から、潮の香りが漂っていた。
宮崎県南部のとある海岸にて、行方不明の事件が相次いだ。
被害者は、松森イブキ、竹林ロウタ、梅木ハジメの三人組。地元では少しばかり有名人だったらしい。
最初に彼らがいなくなり、警察が捜査をしていたところ、海岸沿いに奇妙な鳴き声が聞こえてきた。
海鳴りが怪異によるものではないかと思った警察署が、当局に調査を要請してきた。
空港に到着後、南郷まで列車を乗り継いだ。東京や都会に比べたら列車が来る頻度が少なく、昼前までに目的地まで到着するには、特急列車に乗らなくてはいけなかった。
車内では、山幸海幸の物語を紹介していた。宮崎県は陸は山に囲われ、雄大な海に面している。自然豊かである意味山と海に囲われているので、その分怪異に関する事件も比較的多くなるらしい。
これについては、東北と共通するとこらしいが……あの場所とはまた異なる環境下ではある。
前に上司に聞いたが、環境が変われば、流派も異なり、対処も変わるらしい。もっとも、私は人手不足でここにきたので、ひとりで対処せざるを得ないのだが。
地元の探索員がいないわけでない。いなくなったのだ。宮崎支部局の職員が対応していたが、彼らも行方をくらました。彼らが目的地に向かったのは、確か一週間前だったか。
だから私が呼ばれた。非常に嫌な予感がするが、それが私の仕事だ。
南郷駅を降りて、私はタクシーを呼んだ。ホテルに荷物を置き、私は目的地まで歩いて行った。
波の音がよく聞こえる、岩礁が多く、波がよくぶつかるため、自然と音が重なり、よく響くようになっているようだ。
しかし、事前情報のあった異音というのは聞こえてこなかった。少なくとも、立入可能なエリアや公道上では聞こえなかった。
であれば、あとは立ち入り禁止区域の方だろう。
訪れた海岸には、チェーンで塞がれていたが、侵入するのは簡単だった。成人なら容易に跨げるし、子供はくぐれば容易に通過できてしまう。
赤いペンキで書かれた立入禁止という文字も、何年も雨風波風に晒され、色褪せている。怖く感じるのは雰囲気だけだ。昼の、ましてや晴れの日に見たところで、引き返す人間はそうそういないだろう。
現に、チェーンを越えた先には不法投棄されたゴミが乱雑に放置されていた。中には釣り糸や、空の餌箱もあった。
ホテル近くの港でマナーを守って釣りをしてる人たちが可哀想だな。釣りに限った話ではないが、自己欲のためにマナーを守らず、危険な場所に赴いて迷惑行為をする人間ほど愚かな者はいない。
迷惑な輩のせいで、良識ある人間が被害を被る。そんな理不尽で世の中は構成されている。
どうして今、そんな事を話したかって?
結局のところ、今回はそんな話でもあったからだ。
閑話休題
私は行き止まりまで辿り着いたが、それまでに聞こえてきたのは、波の音や海鳥の鳴き声ぐらいだった。
三十分ほど歩いたので、私は塀に座り休むことにした。
水を飲み、深呼吸をする。海から来る風が、少しだけ心地よかった。
ふと、私は対面の森に不自然な隙間を見つけた。山の中の森は、草木が密集して、とても足を踏み入れる場所などないように見えた。しかし私の目の前には、木々の間に草が膝下までしか生えていない、人ひとり分の隙間があった。
私は隙間に近づき、覗いてみた。よく見るとその隙間の先には、石の道が奥に続いていた。意を決し、草と土の匂いが籠る隙間の中へ侵入した。
腰まで伸びる雑草の間を無理やり歩いた後、石の道が一本敷かれていた。
石は何年も放置されていた。辺りのほとんどは苔で覆われていた。私は苔で滑らないよう、慎重に足を運んだ。
空気が澱んでいるわけではない。だが、日の光が十分に届かないような場所なので、蒸した空気が流れることなく私を包んだ。
歩いている間、小さな生き物が私の周りを素早く飛び回ったり、私の目の前をちらついた。
やがて、石の道は終わり、階段に変わる。それもまた、手入れをされていなかったので、地面が欠けていたり、木の枠組みが朽ちてボロボロになっていた。
十分ほど歩き続けて、道の先に光が見えた。私は足を速くした。
草木の匂いがなくなり、波風が私のまとう空気を換えてくれた。生暖かい風でも、空気を換えてくれれば気分が楽になるとあらためて実感した。
草と土のこもっていたあの蒸した道を抜けた先は、波食棚の入り江だった。入江の周りは大きな岩壁が立ちはだかっており、陸からの通路は私が通ってきた道の他になさそうだった。
海岸側に続く道が一本だけ。ちょうど私が立っている場所から、真っ直ぐに敷かれていた。当然だがその道には凹凸が目立ち、拳以上の石や砂が転がっていた。影に苔があるが、潮の影響か草は伸びていなかった。
私は転ばないよう気をつけながら、海側まで向かった。足を取られそうで、つまづいたり、すべって挫いたりしないか不安だった。
歩いてきて聞こえてきた音は、波と、風と、揺れる木々のざわめき。
ちょうど道の真ん中まで来たとき、海側から鳴き声が聞こえてきた。
低い呻き声と、太く高い鳴き声が、波音の隙間から溢れ出て、虚空に響いた。岩辺は漂流してきた木材や布切れが散らばっていた。
私は暫く立ち尽くしてしまった。これ以上さきに進んではいけない気がした。或いは、私が臆病なだけかもしれないが。背中が嫌に涼しかった。
深呼吸を二、三回、繰り返した。やがて、波の音だけしか聞こえなくなった。
ふと、右手側を見ると、岩場から少し離れた場所にボロボロな小屋を見つけた。私はもう一度深呼吸をして、小屋に近づいた。
小屋はわずかな浜の上に、とりあえず建てたといわんばかりに不安定に建っていた。建物の下部は明らかに湿気っており、小屋に近づくにつれ、カビの臭いが鼻に入ってきた。
私は手袋をつけなおし、小屋の戸を開けた。
小屋の中はさして広くなかった。古い布が床に敷かれてたのと、机の代わりとして置かれていたであろう木箱がひとつだけ。
数匹のフナムシが住んでいたが、私が小屋に入ってくるなり、そそくさと陰に消えていった。
私は口と鼻を隠しながら、小屋の中に足を踏み入れて、木箱まで近づいた。そして木箱の上に置かれたノートを取り出した。
フナムシよりも前に住んでいた誰かが、ノートの近くにあったペンで日記を書いていたようだ。
私は軽く払い、ノートを開いて、内容を読んだ。




