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第88話:真実

俺がぼんやりとした頭で家に引き返すと、路上にエマの姿があった。


銀色の三つ編みが街灯の淡い光を受けて薄暗く輝いている。しかし、青い瞳は夜の闇に溶け込むように不安そうで、月明かりの下でうつむき加減になっている。


「お帰りなさい」


エマの声はいつもより小さく、どこか心配そうな響きがあった。


「ああ......ただいま」


俺は力なく答えた。アンナとの別れの場面が頭の中をぐるぐると回り続けている。彼女の涙、そして突然の......。


「......ちょっと心配になって」


エマは俺の顔を見上げながら、慎重に言葉を選ぶように話し始めた。


「ほら、たまに、借りるといって持っていったものを、そのまま返さない人、いるでしょう?」


エマの言葉には何か含みがあるような気がした。まるで、俺の心の中を見透かしているような......。


「いや、俺は大丈夫だから。ほら、戻ってきたし」


俺は慌てて答えたが、自分でも声が上ずっているのが分かった。


二人で部屋に戻る間、俺の心は激しく動揺していた。アンナとのことが嵐のように俺の胸の奥で渦を巻いている。彼女の妹のこと、家族を失った悲しみ、そして最後のキス......。


エマはそんな俺の様子を敏感に察知していた。部屋に入ってからも、時々俺の顔を盗み見ては、何かを考え込むような表情を見せる。


しばらく重い沈黙が続いた後、エマが意を決したように口を開いた。


「アンナと......何かあった?」


その瞬間、俺の心臓が跳ね上がった。エマの透明感のある青い瞳が、真剣に俺を見つめている。


どう言っていいか分からない。頭をフル回転させる。何をどこまで話すべきか。ここは優しい嘘の出番だろうか。しかし、あらゆる嘘を否定するエマに対して、どんな嘘もつくべきではないのか......。


俺が悩んでいる様子を見て、エマは何かあったことを確信したようだった。三つ編みが微かに揺れ、白いブラウスの胸元が小さく上下している。


「テル、どうか、本当のことを話してください」


エマの声には、いつもの理性的な響きとは違う、深い感情が込められていた。銀色の髪が頬にそっとかかり、その表情には優しさと強さが同居している。


「私はどのようなことがあっても受け入れる覚悟はできています。そして、あなたが話したことは、誰にも話しません」


その言葉に、俺は覚悟を決めた。エマは俺のことを信頼してくれている。だったら、俺も彼女を信頼すべきだ。


「実は......」


俺は重い口を開いた。妹の危篤でアンナが街を去ること、彼女のきょうだいの多くが亡くなっていることなどを話した。


エマの表情が沈痛なものに変わった。銀色の髪が頬にかかり、青い瞳に深い同情の色が浮かんでいる。


「テル、話してくれてありがとうございます。彼女がそれを隠したい気持ちも理解できます」


エマの言葉に、俺は一息ついた。しかし、その時、あのキスのことが頭をよぎった。さすがにこれは黙っておくべきだ、と自分を説得しようとするが、表情が不自然になる。


エマはその変化を見逃さなかった。青い瞳が俺の顔を詳しく観察し、眉がわずかに寄る。


「秘密はもうありませんか? 全て私に話してくれましたね?」


エマの瞳が俺をまっすぐに見つめる。その視線に、どうしても嘘をつくことへの罪悪感が拭えない。そして、全ての嘘を否定する彼女を尊重する必要があると決心した。


「実は......」


俺は意を決して切り出した。


「別れ際に、アンナにキスされた」


エマは驚いたように瞳を見開いたが、すぐに自分を落ち着かせようとしているのが見えた。細い指先で三つ編みの端を軽く触りながら、深呼吸をしている。


「それは......唇ですか?」


エマの質問に、俺は黙って頷いた。


沈黙が部屋を支配した。俺は激しく後悔し、自分の馬鹿さ加減を思い知っていた。なぜこんなことを正直に話してしまったのか。


しかし、思ったよりも冷静なエマにも少し違和感を感じた。怒りや悲しみを表に出すのではなく、むしろ何かを考え込んでいるような表情だった。


エマは長いため息をついてから、話し始めた。


「いつか、こうなるのではないか、と私は考えていました」


「え?」


「アンナがテルに好意を持っていることは分かっていました」


エマが確信を持って言う。


「そうなの?」


「テル、あなたは時に度を超して鈍いところがあります」


二人から同じことを言われるのだから、実際にそうなのだろう。沈黙が支配する。


「覚えていますか?あなたと認識論のレッスンをした日のこと」


エマの突然の言葉に、俺は困惑した。


「もちろんだ。生徒会室で......」


その時のことを思い出した。エマが俺の目を閉じさせて、唇に何かを触れさせた。俺はそれをキスだと思ったが、実際は彼女の人差し指だった。


「あの時、私の人差し指を見て、あなたはどう考えましたか?」


エマが確認するように尋ねた。銀色の三つ編みが肩で揺れ、その表情に何か重要なことを伝えようとする真剣さが宿っている。


「いや、俺の唇に人差し指でエマが触ったのに、俺はそれをキスされたと勘違いしたんだ」


俺は当時の会話を思い出しながら答えた。


「もし、私がテルにキスをした後に、恥ずかしくなって人差し指をあなたの目の前に差し出したとしたら?」


エマの言葉に、俺は混乱した。彼女の頬がほんのりと桜色に染まる。


「いや、そんなはずは……だって、エマは嘘をつかないよね」


俺は慌てて当時の会話を再現しようとした。


「俺の『感性』は唇に柔らかさを感じた。それを『悟性』は誰かの唇と判断した。本当は人差し指だったのに。そして、『理性』はエマが俺にキスをしたと......」


エマも自分の言葉を正確に再現する。


「これは一般論ですが、悟性の段階で間違えた判断を使って理性が考えたのですから、結論が間違っていて当然です。つまり、正しい認識とは、感性、悟性、理性が正しく連携して生まれるのです」


エマが付け加える。


「思い出してください。私は、『一般論ですが』と言いました。つまり、これは正しい認識の理論一般の話であって、あの時の事実を意味しているわけではありません」


「ええっ」


俺は絶句した。もう何が何だか分からなくなる。


振り返ったエマの横顔に決意の色が浮かんでいる。


「つまり、テルにキスをしたのはアンナより私が先なのです」


そう言うと、エマは後ろを向いてしまった。


俺はアンナのこと、そしてエマのことで頭が完全に混乱し、ベッドに倒れ込んだ。


認識論のレッスンの時、本当はエマが俺にキスをしていた?それとも、今のは俺を慰めるための優しい嘘だったのか?いや、彼女は絶対に嘘をつかない。つまり......


アンナの記憶だけでも頭がいっぱいなところに、エマが明かした衝撃の事実が入り込んで、その日、俺はとうとう朝まで眠れなかった。


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こちらは「完全版」です。 「ライト版・挿絵入り」はこちら
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