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第73話:生徒会と「正戦論」

医務室でベル先生との会話を終えた俺は、何となく足が向いた生徒会室のドアをノックした。中から「どうぞ」という声が聞こえ、扉を開けると見慣れた顔ぶれが揃っている。


エマが窓際の席で懐中時計を眺めながら何かを考え込んでおり、ミルは会計簿らしき書類を整理している。ジーナはいつものように威厳のある佇まいで椅子に座り、アンナは机の上でスケッチブックに何かを描いていた。


「あれ? ルーシーは?」


俺が室内を見回すと、確かにあの漆黒の長い髪と鋭い紺碧色の瞳が見当たらない。


「ルーシーはクラウス卿についてエンポリアに停戦交渉に行っているの」


ジーナが銀灰色のショートカットを軽く振りながら答えた。鋭い青緑色の瞳が俺を見つめる。


「卿のたっての願いで、ルーシーの言語能力を外交に活かしてほしいと。彼女の言葉の正確性は、微妙な外交交渉には欠かせないからね」


「なるほど、それは重要な任務だな」


俺は納得しながら空いている席に腰を下ろした。ローレンティアでの戦いの後処理は、まだ続いているということか。


「ちょうどいいタイミングだね、テル」


ジーナが俺に向き直った。コバルトブルーのマントが背もたれに優雅に掛かり、背筋の通った姿勢がいつもの彼女らしい知的な印象を与える。


「私たちは今、『正しい戦争』とは何かについて話し合うところだった。テルにもぜひ、参加して欲しい」


「正しい戦争?」


俺は眉をひそめた。つい先日まで戦場にいた身として、「正しい」という言葉に複雑な感情を覚える。


「そうです」


エマが懐中時計を胸元にしまいながら俺の方を向いた。銀色の三つ編みが肩で揺れ、透明感のある青い瞳に真剣な光が宿っている。


「戦争というものが存在する以上、その中にも道徳的に許されるものと許されないものがあるはずです。私たちは哲学的な観点から、この問題を整理してみたいと考えています」


「興味深いテーマですね」


ミルが小さな体を椅子の上で正しながら発言した。栗色のボブカットが顔を縁取り、大きな青灰色の瞳が知的な輝きを放っている。


「特に今回の戦いを経験したテルの意見も聞きたいところです」


「私も賛成!」


アンナがスケッチブックから顔を上げて明るく言った。金褐色のセミロングの髪が陽の光を受けて輝き、澄んだ緑色の瞳が好奇心に満ちている。


「戦争なんて本当は嫌いだけど、でも時には戦わなきゃいけないこともあるよね。その『時には』っていうのがどういう時なのか、ちゃんと考えてみたいの」


俺は少し迷った。正直なところ、戦争について冷静に議論できるほど、心の整理がついているとは言えない。しかし、みんなの真剣な表情を見ていると、この議論から逃げるべきではないような気がした。


「分かった。俺も参加させてもらうよ」


「ありがとう」


ジーナが微笑むと、生徒会室の空気が引き締まった。


「それでは、まず私から話させてもらおうかな」


ジーナは立ち上がると、いつものように弁証法的な思考の整理を始めた。


「戦争の問題を考える時、私たちはまず『国家とは何か』から考えなければならない。国家は単なる個人の集合体ではなく、それ自体が意志を持つ有機的な存在なんだ」


彼女の鋭い青緑色の瞳が室内を見回す。


「そして、複数の国家が存在する以上、それらの間には必然的に緊張関係が生まれる。これは避けられないことだ」


「つまり、戦争は避けられないものだということですか?」


エマが疑問を投げかけた。彼女の理性的な考え方からすれば、戦争は理性に反する行為のはずだ。


「完全には避けられないだろうね」


ジーナは冷静に答えた。


「しかし、重要なのは戦争の『質』。国家がその存立と主権を守るための戦争、そして長期的に見てより高次の秩序を実現するための戦争は、歴史の発展にとって必要な過程と言えるかもしれない」


「でも、ジーナ」


エマが立ち上がった。白いブラウスが午後の光を受けて輝き、彼女の美しい顔立ちに決意の色が浮かんでいる。


「私は根本的に異なる考えを持っています」


彼女は黒板の前に立つと、いつもの論理的な説明を始めた。


「戦争というものは、人間が理性的存在として従うべき道徳法則に根本的に反する行為です」


エマの透明感のある青い瞳が真剣な光を湛えている。


「人間を手段として扱ってはならない、という定言命法を思い出してください。戦争とは、相手の兵士を『倒すべき対象』として扱うことです。これは明らかに人間の尊厳を否定する行為です」


「では、エマは自衛戦争も否定するのですか?」


ミルが鋭い質問を投げかけた。小柄な体からは想像できないほど成熟した分析的な視線が、エマを見つめている。


エマは少し躊躇した。そして、慎重に言葉を選びながら答えた。


「理想的には、すべての戦争がない世界を目指すべきです。しかし、現実として不正な侵略を受けた場合、それに抵抗することはやむを得ない場合もあるでしょう」


「やむを得ない、ですか」


「はい。しかし、それを『正しい戦争』と積極的に呼ぶことはできません。あくまで『避けられない悲劇』であり、私たちは理性の力によってそのような状況そのものをなくしていかなければならないのです」


エマの声には強い信念が込められていた。


「なるほど、興味深い対立ですね」


ミルが立ち上がった。胸元の四つ葉のクローバーのブローチが光を反射している。


「では、私の考えを述べさせていただきます」


彼女は小さな手で眼鏡を直すと、功利主義的な分析を始めた。


「戦争の是非を判断する時、私たちが考えるべきは『最大多数の最大幸福』です」


「最大多数の最大幸福?」


俺が聞き返すと、ミルは頷いた。


「そうです。戦争によって失われる幸福と、戦争によって守られる、あるいは実現される幸福を比較考量するのです」


ミルの大きな青灰色の瞳が真剣に俺を見つめる。


「例えば、独裁政権によって苦しめられている人々がいるとします。その人々を解放するための戦争は、一時的な苦痛を伴っても、長期的には社会全体の幸福を増大させる可能性があります」


「でも、それはとても危険な考え方ではないでしょうか?」


エマが心配そうに言った。


「誰が『人々のため』と判断するのですか?その判断を間違えば、大きな悲劇を生みます」


「その通りです」


ミルは素直に認めた。


「だからこそ、慎重な検討が必要なのです。介入の効果、他の手段の可能性、長期的な結果の予測——これらすべてを総合的に判断しなければなりません」


その時、アンナが勢いよく立ち上がった。金褐色の髪が躍るように揺れ、緑色の瞳が情熱的に輝いている。


「みんな、とても理性的で素晴らしい議論だと思うけど、でも一つ忘れていることがあるんじゃない?」


「何ですか、アンナ」


ジーナが興味深そうに尋ねた。


「戦争って、理屈だけじゃ割り切れない感情の問題でもあるよね」


アンナの声には、いつもの明るさの中に深い思慮が混じっていた。


「家族を殺された人の復讐心、故郷を奪われた人の怒り、仲間を失った悲しみ——そういう人間の本能的な感情を無視して、戦争を語ることはできないと思うの」


彼女は窓の外を見つめた。


「私の故郷ヘルメニカでも、過去に戦争があった。その時の人々の話を聞くと、『正しい』とか『間違っている』とかより、『生きるために戦わざるを得なかった』という現実があったの」


アンナは振り返ると、みんなを見回した。


「だからといって戦争を肯定するわけじゃない。でも、戦争が起こってしまう時、そこには人間の自然な感情があることも認めなきゃいけないと思う」


彼女の言葉に、生徒会室に静寂が訪れた。


俺は自分の体験を思い返していた。ヴァルドフェールで戦った時、俺の中にあったのは複雑な感情だった。エマを守りたい、フィロソフィアを守りたいという気持ちがあった。しかし、作戦を成功させたい、と単純に思う気持ちがなかったと言えば嘘になる。


「みんなの話を聞いていて思ったんだけど」


俺は重い口を開いた。


「俺は『戦闘』と『戦争』を分けて考えるべきだと思う」


四人の視線が俺に集まった。


「どういうことですか?」


エマが興味深そうに身を乗り出した。


「戦闘っていうのは、実際に人と人が殺し合うこと。これはどんな理由があろうと、どんな大義があろうと、悲惨なものだ。それ以上でもそれ以下でもない」


俺は左肩の傷を無意識に触った。そこには、マキャベリア兵の槍が刺さった痛みの記憶がある。


「俺はヴァルドフェールで十三人の人間を殺した。たとえそれが国を守るためであっても、味方を救うためであっても、この事実は変わらない。戦闘の悲惨さを正当化することはできない」


俺は立ち上がって、窓の外を見た。クロイツベルクの街が夕日に照らされて美しく輝いている。


「でも、戦闘が悲惨だからといって、敵に攻め込まれた時に戦わず降伏することが正しいとは思わない。エマや君たち、この街の人々を守るために、俺は再び戦うだろう」


「つまり......」


ジーナが考え込みながら呟いた。


「戦闘の悲惨さを認めた上で、なお戦わざるを得ない状況について考えるべきだ、ということだね」


「そうだ」


俺は振り返った。


「逆に言えば、どんなに『正しい戦争』だと言われても、戦闘の悲惨さが否定されるわけじゃない。『我々は正義のために戦っている』という大義名分で、人を殺すことの重さが軽くなることはないんだ」


俺は深く息を吸った。そして、これまで考えていなかった恐ろしい事実に思い至った。


「そして、俺はもう一つ気づいたことがある」


みんなが俺を見つめる中、俺は続けた。


「俺は雷の剣を効率的に使う方法を一生懸命考えていた。銅線で拡張し、水で威力を広げ、充電時間を短縮する——でも、これって結局、いかに自分が傷つかずに沢山の相手を傷つけるかを考えていたってことなんだ」


生徒会室に重い静寂が落ちた。


「恐ろしいけど、その時はそれに気づくことができなかった。俺は『作戦を成功させる』ことしか考えていなくて、『人を効率的に殺す方法』を追求していたんだ」


エマの顔が青ざめた。


「でも、それは仕方のないことです。戦場では——」


「いや、エマ」


俺は彼女の言葉を遮った。


「問題は、安全に敵を倒せる方法があることで、戦争のハードルが下がってしまうことなんだ」


「ハードルが下がる?」


ミルが困惑した表情で尋ねた。


「雷の剣があるから戦争を仕掛けても大丈夫、という発想になるかもしれない。本来なら避けるべき戦争でも、『雷の剣があるから楽勝だ』と考えて開戦してしまうかもしれない」


俺は席に戻って座った。


「だから、俺は決めた。戦場では雷の剣を二度と使わない」


「え?」


アンナが驚きの声を上げた。


「でも、テル、それはあなたの最大の武器じゃない」


「だからこそだ」


俺は真剣な表情で答えた。


「雷の剣があることで、俺たちは戦争を軽く考えてしまうかもしれない。でも、それがなければ、戦争がどれだけ危険で悲惨なものかを忘れることはない」


「しかし」


ジーナが論理的に反論した。


「それでは味方の犠牲が増えるのではないですか?」


「その通りだ」


俺は頷いた。


「でも、それこそが戦争の本当の姿なんじゃないかな。犠牲を伴わない戦争なんてない。雷の剣で敵だけを一方的に倒せるという状況が、むしろ異常だったんだ」


俺は立ち上がり、窓の外を見つめた。


「戦争に犠牲がつきものだということを忘れてしまえば、俺たちは簡単に戦争を選択してしまう。でも、戦争の本当のコストを理解していれば、もっと真剣に平和な解決策を探すはずだ」


エマが静かに言った。


「つまり、雷の剣を封印することで、戦争の悲惨さを忘れないようにする、ということですね」


「そうだ。それに」


俺は振り返った。


「これは俺自身のためでもある。雷の剣に頼っている限り、俺は本当の意味で強くなれない。実際、雷の力について、俺はいまでもよく理解できていないんだ」


しばらくの沈黙の後、ジーナが静かに言った。


「それは勇気のいる決断だね」


「でも、正しい決断だと思います」


エマが俺を見つめて言った。


「雷の剣に頼らないことで、あなたはより人間的な騎士になれるでしょう」


夕日が生徒会室を赤く染める中、俺たちは静かに座っていた。正しい戦争があるのかという問いに明確な答えは見つからなかったが、戦争について考える時の基本的な姿勢を確認できた。


戦闘は常に悲惨であり、その悲惨さから目を逸らしてはいけない。そして、戦争を軽く考えさせるような「魔法の力」に頼ってもいけない。


俺の決断が正しいかどうかは分からない。しかし、少なくとも俺は、雷の剣を封印する決心をした。

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