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第72話:生徒会と「恋愛論」

午後の生徒会室には、いつものメンバーが集まっていた。窓から差し込む柔らかな日差しが、部屋全体を温かく照らしている。しかし、いつもより一人少ない。ルーシーはクラウス卿とともに停戦交渉のためにエンポリアに向かっていた。


「そういえば、テルは英雄的な戦果を上げたみたいじゃないか」


ジーナが口火を切った。銀灰色のショートカットを指で軽く弄りながら、鋭い青緑色の瞳で仲間たちを見回す。


「それは凄いわ! さすがテルね」


アンナが明るく応じた。金褐色のセミロングの髪が肩で踊り、澄んだ緑色の瞳が輝いている。


しかし、エマの表情は曇っていた。銀色がかった淡いブロンドの三つ編みが微かに揺れ、透明感のある青い瞳に心配の色が浮かんでいる。


「でも、テルはそれを喜んでいません。むしろ、人を殺したこと、生き残ったことへの罪の意識に苛まれています」


エマの声は普段の落ち着いた調子とは違い、少し沈んでいた。


「何かしてあげられることはないかな」


ミルが小柄な体を椅子の上で起こしながら言った。栗色のボブカットが窓の光を受けて柔らかく光り、大きな青灰色の瞳に真剣な光が宿っている。


「テルの気持ちについては、本当の意味で分かってあげることはできません。私は戦場を経験していないからです」


エマは自分の限界を率直に認めた。その声には無力感も滲んでいた。


「では、せめて戦争とはどういうものなのかについて理解を深めることができれば、彼の気持ちを考える手がかりぐらいにはなるんじゃないか」


ジーナが対案を提示した。現状を受け入れつつより良い解決策を模索する姿勢を見せる。


「そうですね。それなら私たちにもできそうです」


ミルが頷いた。実現可能で最大の効果が期待できる方法を支持した。


四人は時計を見上げた。テルが生徒会室に顔を出す時間はとうに過ぎている。普段なら、この時間には必ず現れるのだが。


「今日は医務室に行っているのかもしれませんね」


エマが呟いた。左肩の傷の経過を見てもらっているのかもしれない。


「待っていても仕方ないから、何か違うテーマで話そうよ」


アンナが提案した。彼女らしい積極性で、停滞した空気を変えようとする。


「例えば?」


ジーナが興味深そうに問い返した。


「恋バナ」


アンナの一言で、生徒会室の空気が一変した。エマの顔がみるみる赤くなり、ミルは慌てて姿勢を正し、ジーナでさえ少し驚いたような表情を見せた。


「恋愛について?それは...学術的議論として、というでいいのかな?」


ジーナが確認するように尋ねた。


「それはみんな次第!」


アンナは屈託なく笑った。


「エマは、テル...じゃなくて、恋愛について、どう考えているの?」


アンナの問いかけに、エマは一瞬言葉を失った。しかし、すぐに理性を取り戻すと、いつもの論理的な口調で答え始めた。


「恋愛について考える時、最も重要なのは相手を『手段』として扱ってはならないということです」


エマの青い瞳が真剣な光を湛えている。


「人間は目的それ自体として尊重されるべき存在です。恋愛においても、相手を自分の欲望を満たすための手段として見てはいけません」


「具体的には?」


ミルが質問した。


「例えば、見た目や財産、地位だけを理由に相手を選ぶのは『手段』として扱うことになります。真の愛とは、相手の人格そのものを尊重し、その人の幸福を願うことです」


エマの説明は整然としていた。


「そして、愛においても誠実であることが絶対に必要です。相手に嘘をつくことは、どのような理由があろうとも許されません」


「えー、でも、相手を傷つけないための『優しい嘘』もダメなの?」


アンナが驚いたように聞いた。


「はい。たとえ相手を傷つけまいとする優しさからであっても、嘘は嘘です。もし皆が『相手のため』という理由で嘘をついて良いとなったら、何を信じて良いのか分からなくなるでしょう」


エマの主張は一貫していた。


「でも、それって少し窮屈じゃない?」


アンナが異議を唱えた。緑色の瞳が疑問の光を放っている。


「恋愛は自然の力よ。理性でコントロールできるものじゃないと思う。心が動くのに理由なんて要らない。感情に従って、迷わず愛すればいいのよ」


アンナの恋愛観は、エマのそれとは正反対だった。


「永遠でなくても構わない。一瞬でも真実なら、それで十分。恋愛の情熱こそが人間を成長させ、創造力を生み出すのよ」


「ちょっと待って」


ジーナが二人の議論を制止した。


「恋愛を単純に感情か理性かで分けるのは一面的すぎるんじゃないか。恋愛はもっと複雑なプロセスとして捉えるべきだと思う」


「複雑なプロセス?」


ミルが興味深そうに身を乗り出した。


「そう。最初は確かに一方的な憧れや情熱から始まるかもしれない。でも、真の愛はお互いを認め合うことで発展していくものだ」


ジーナの青緑色の瞳が思索の光を湛えている。


「お互いが相手を認め、相手からも認められることで、より深い愛の形に成長する。個人的な感情を超えて、お互いを支え合う絆を築く愛こそが最も価値のある愛だと思う」


「なるほど」


ミルが頷いた。


「でも、私は愛についてもう少し実用的に考えたいかな」


小柄な体に似合わない成熟した口調で、ミルが自分の意見を述べ始めた。


「恋愛は関係者全員の幸福を最大にするものでなければならないと思う。お互いの自由と平等を尊重し、お互いの成長を助け合う関係が理想的なんじゃない」


「具体的には?」


エマが尋ねた。


「例えば、一方が他方を支配したり、束縛したりするような関係は、たとえ情熱的でも健全な愛とは言えない。真の愛は、お互いの可能性を最大限に引き出し合う関係のこと」


ミルの現実的な観点は、説得力があった。


「みんな理屈っぽすぎない?」


アンナが再び口を挟んだ。


「恋愛に理論なんて持ち込んだら、つまらなくなっちゃうわよ。愛は芸術。美しいものに惹かれるのに理由はいらないでしょう?」


その時、アンナの緑色の瞳に何かを思いついたような光が宿った。


「そうそう、エマ。ちょっと聞きたいことがあるの」


「はい、何でしょうか?」


エマは身構えた。アンナのその表情には、何か重要な質問が隠されていそうだった。


「純潔について、どう思う?」


アンナの直球な質問に、生徒会室の空気が一瞬凍りついた。エマの顔が真っ赤になり、ミルは目を丸くし、ジーナでさえ眉を上げた。


「じゅ、純潔ですか?」


エマは動揺を隠しきれずにいた。透明感のある青い瞳が泳ぎ、三つ編みの髪が微かに震えている。


「そう。最近思うのよ。この国の人たちって、男女の関係にすごく厳しいでしょう?でも、それって本当に必要なの?」


アンナの疑問は率直だった。ヘルメニカ出身の彼女にとって、フィロソフィアの厳格な道徳観は時として窮屈に感じられるのかもしれない。


「純潔を守ることは、道徳的義務です」


エマは少し声を震わせながらも、毅然とした態度で答えた。


「人間は理性的存在として、自分の身体と心を大切にしなければなりません。軽はずみな行為は、自分自身を『手段』として扱うことになります」


「でも、それは個人の自由の問題じゃない?」


アンナが反論した。金褐色の髪を耳にかけながら、真剣な表情でエマを見つめる。


「愛し合う二人が望むなら、周りがとやかく言うべきじゃないと思うの。自然な感情を無理に抑え込むのって、かえって不健全じゃない?」


エマは深呼吸をして、いつもの論理的な思考を取り戻そうとした。


「アンナの言う『個人の自由』という考え方は理解できます。しかし、真の自由とは『何でもできる』ということではありません」


「どういうこと?」


「真の自由とは、きちんと考えて行動する能力のことです。一時的な感情や欲望に流されることは、実は『不自由』な状態なのです」


エマの青い瞳が真剣な光を放っている。


「それに、軽はずみな行為は相手を傷つける可能性もあります。もし、その行為が一時的な感情に基づくものだったら、後で相手に対して責任を負えるでしょうか?」


「でも、エマの考え方だと恋愛が窮屈になりすぎない?」


アンナは頬を膨らませた。


「私の国では、もっと自然なのよ。恋愛に明確なルールなんてない。心が動けば素直に表現するし、身体の触れ合いも愛情表現の一つとして大切にしているわ」


「それは文化の違いかもしれませんが...」


エマは少し困惑した。


「でも、どの文化であっても、人間の尊厳を守るという考え方は変わらないはずです」


「人間の尊厳って具体的には?」


アンナが詰め寄った。


「人間を『物』のように扱わないということです」


エマは自分の信念を改めて言葉にした。


「相手を自分の欲望を満たすための道具として見たり、一時的な快楽のために利用したりしてはいけません。真の愛なら、相手の人格全体を愛し、その人の幸福を心から願うはずです」


「でも、それなら愛し合う二人がお互いを尊重していれば問題ないでしょう?」


アンナの反論は的を射ていた。


「そうです。しかし問題は、本当にお互いを尊重しているかどうかを、どうやって判断するかです」


エマは慎重に言葉を選んだ。


「一時的な感情の高まりの中では、冷静な判断ができないことがあります。だからこそ、一定の期間をおいて、本当にその人を愛しているのか、その人の幸福を願っているのかを確認する必要があるのです」


「つまり、結婚まで待てってこと?」


「理想的にはそうです。少なくともお互いの将来について真剣に考え、責任を持てる関係になってからが望ましいと思います」


エマの主張は一貫していた。


「でも、愛って本質的に理性を超えるものじゃない?」


アンナの問いかけに、エマは言葉に詰まった。


「私は...その...」


しばらく沈黙が続いた後、エマが小さな声で言った。


「確かに、愛には理性では説明できない部分があるのかもしれません。でも、だからといって理性を完全に放棄してしまうのは危険だと思うのです」


「そうね。理性も感情も、どちらも大切よ」


アンナも少し歩み寄りを見せた。


「私だって無責任に『何でもあり』だと言いたいわけじゃないの。ただ、型にはめすぎるのはよくないと思うだけ」


「お互いの考え方の違いが明確になったわね」


ジーナが総括した。


「エマは理性と責任を重視し、アンナは自然性と個人の自由を重視する。どちらにも一理あるし、どちらも極端に走れば問題がある」


「結局、人それぞれということかな」


ミルが苦笑いを浮かべた。


「でも、この議論を通じて、お互いの価値観を理解し合えたのは良いことよ」


その時、廊下から聞き慣れた足音が聞こえてきた。規則正しくも、どこか重い足取り。


「テルの足音ね」


アンナが小声で言った。


四人は何事もなかったかのように、机の上の書類を整理し始めた。しかし、心の中では今の議論の余韻がまだ残っていた。特にエマは、自分の価値観について改めて考えさせられる機会となったようだった。


ノックの後、ドアが開いてテルが顔を覗かせる。左肩を無意識にかばうような仕草を見せているが、表情は以前より少し落ち着いて見えた。


「お疲れさま、テル」


エマが自然な笑顔で迎えた。頬に微かな赤みが残っているのは、きっと先ほどの議論の影響だろう。


「みんな、お疲れ」


テルが挨拶を返す。


恋愛について語り合ったばかりの四人の視線が、何となくテルに集中した。しかし、彼は気づいていないようだった。

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