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第64話:決戦前夜

夜の静けさが宿舎を包み込む中、俺とレオンは木製のテーブルを挟んで向かい合っていた。


ランプの灯りが揺らめき、二人の顔を薄っすらと照らしている。テーブルの上には手書きの地図が広げられていた。


「隊長、もう一度確認させてください」


レオンの深い緑色の瞳には真剣な光が宿り、筋骨隆々とした体格が頼もしい。


「ヴァルドフェール低地の出口で、隊長は歩兵100、弓兵50とともにマキャベリアの重装歩兵を待ち構える、と」


俺は地図上の位置を指差しながら頷いた。作戦の詳細を頭の中で整理する。


「数百もの敵の重装歩兵を迎え撃つには、いかにも少ない兵力ですが...」


レオンの言葉に、俺は苦笑いを浮かべた。確かに数だけ見れば圧倒的に不利だ。


「いや、これは『雷の剣』の力を大前提とした作戦だから、むしろ、これ以上の兵を割いても意味がないのさ」


俺が答える。レオンが頷く。


「一方の私は、歩兵50とともに待機し、合図とともにメルツ川の水門を開く、と」


レオンが自分の役割を確認すると、俺は深く頷いた。彼の冷静な判断力と行動力があれば、確実に水門を開いてくれるだろう。


「これで、ヴァルドフェール低地は沼地になる。マキャベリアの重装歩兵を目前に引きつけたところで、俺が雷の剣を発動する」


俺は光る銅線の束を思い浮かべた。あの装置が、明日の戦いの鍵を握っている。


その時だった。


「隊長、大変なことに気づきました」


レオンの声に緊張が走った。彼の緑色の瞳が見開かれ、その表情には狼狽の色が浮かんでいる。


「何?」


俺は身を乗り出した。何か重要な見落としがあったのか。


「沼地の中で、雷の剣を発動させれば、隊長も無事では済まないのではありませんか?」


その言葉に、俺の血の気が引いた。確かにその通りだ。水の中で雷の剣を発動すれば、自分も感電してしまう可能性がある。


「そうか…沼地の中で雷の剣を発動すればそうなるよな…」


思わず額に手を当てる。これは致命的な見落としだった。自分が感電してしまっては、作戦も何もない。


「ありがとう、助かった」


俺は心からの感謝を込めてレオンに言った。彼の洞察力がなければ、実に間抜けな理由で作戦は破綻していただろう。


「どうしましょう?」


レオンが心配そうに尋ねる。しかし、俺はすぐに解決策を思いついた。


「明日の朝一番で、銅線を束ねた場所に土を盛って足場を作ろう。50センチもあれば十分だ。これで、感電を防げる」


レオンの表情が明るくなった。彼の緑色の瞳に安堵の色が戻る。


二人はその後、細かな作戦の調整を行った。足場の大きさ、雷の剣を発動するタイミング、万が一の場合の退却経路。夜が更けるまで、様々な可能性について話し合った。


———


翌朝、俺とレオンは早速、ヴァルドフェール低地に向かった。


朝霧が立ち込める中、銅線の束がある場所に土を運び、1メートル四方ぐらいの足場を作った。高さは50センチほど。これなら水に足が浸かることなく、雷の剣を発動できるだろう。


「これで安心ですね」


レオンが満足そうに言った。土まみれになった彼の顔には、達成感が浮かんでいる。


「ありがとう、君のおかげでここに俺の墓標を立てず済んだよ」


俺は改めてレオンの的確な指摘に感謝した。


———


その後は、待つ日々が続いた。


朝はヴァルドフェールの視察。銅線の状態を確認し、水門の動作をチェックする。土で作った足場の状態も毎日確認した。


昼はレオンに剣の稽古をつけてもらう。彼の剣術は実戦的で、俺の技術向上に大いに役立った。


夜は酒場で食事をとりながら情報収集。鉱山労働者たちの様子、マキャベリア系労働者の動向、自治政府の動きなど、様々な情報を収集した。


———


そんな日々が1週間ほど続いたある夜のことだった。


「カリア団長の素晴らしさについて語らせてください」


宿舎の俺の部屋で、レオンが少し酔いが回った様子で、熱っぽく語り始めていた。彼の緑色の瞳が部屋のランプの光を写している。


「団長は、単に強いだけではありません。戦術眼、判断力、そして何より部下を思いやる心...」


レオンの話に俺も頷きながら聞き入っていた。確かに、カリアは理想的な指揮官だ。強さと優しさを兼ね備え、常に冷静で的確な判断を下す。


レオンが続ける。


「団長は、哲学を語るだけではありません。実際に、そのように生きておられる。それが凄いのです。騎士団の中には身分の低い者もいる。しかし、団長は本当に分け隔てなく接するのです」


レオンのカリアへの賛辞は止まりそうにない。


「それに、あの美しさ。栗色の髪が風になびく姿なんて、まるで戦場の女神のような...」


その時、部屋の扉が静かに開いた。


「取り込み中、悪いのですが…」


聞き慣れた声に俺とレオンは振り返った。そこに立っていたのは、騎士の装備に身を包んだカリアだった。胸当てと肩当てを着用し、腰には剣を下げている。栗色の髪を後ろで一つに結んだ彼女の姿は、宿舎の薄暗い照明の中でも凛々しく映えていた。


「カ、カリア団長!」


レオンが慌てて立ち上がる。彼の顔が真っ赤になり、さっきまでの雄弁さはどこへやら、しどろもどろになっている。


「今の話、聞かれていましたか?」


「容姿以外の称賛は、有り難く受け取っておきましょう」


カリアの琥珀色の瞳に微かな笑みが浮かぶ。彼女は俺たちのテーブルに近づくと、空いている椅子に腰掛けた。鎧が軽く音を立てる。


「レオン、お疲れ様。テルをよく守ってくれてありがとう」


カリアの温かい言葉に、レオンはますます赤面した。


「い、いえ、当然のことです」


俺は思わず笑いそうになったが、カリアの表情が急に真剣になったことに気づく。


「実は、二人に伝えておきたいことがあります」


カリアは声を低くして言った。周囲に聞こえないよう、慎重に言葉を選んでいる。


「フィロソフィア軍は少数ずつクロイツベルクを出発し、すでに大半がローレンティア郊外で野営しています」


俺とレオンは身を乗り出した。いよいよ本格的な作戦が始まるのだ。


「ここ数日が山場です。鉱山労働者の暴動が発生する確率が高まっています」


カリアの琥珀色の瞳には、戦場を見据える指揮官の鋭さが宿っていた。


「具体的には、どのような流れになるのでしょうか?」


俺が尋ねると、カリアは静かに答えた。


「騒乱が起こり次第、私の部隊が鉱山事務所を守って暴動を鎮圧します。同時に、ローレンティア自治政府の建物を包囲してマキャベリアへの救援要請が行かないよう足止めをします」


「その間に、俺とレオンはヴァルドフェールに向かって作戦を発動する、ということですね」


俺の確認に、カリアは深く頷いた。


「その通りです。テルの成功が、この作戦の全てを左右します」


カリアは俺の目をまっすぐに見つめて言った。その視線には、絶対的な信頼が込められている。


「必ず成功させます」


俺は力強く答えた。胸の奥で、決意が燃え上がるのを感じる。


「それでは、皆の無事と作戦の成功を祈ります」


カリアが立ち上がると、レオンも慌てて立ち上がった。鎧の金属音が小さく響く。


「ありがとうございます」


俺とレオンは同時に答えた。


カリアが宿舎を出て行った後、俺とレオンは顔を見合わせた。


「いよいよですね、隊長」


レオンの声には緊張と興奮が混じっていた。


「ああ、いよいよだ」


俺は腰のエミールの剣に手をやった。明日から、本当の戦いが始まる。


宿舎の外では、夜風が木々を揺らしていた。静かな夜だが、嵐の前の静けさのようにも感じられる。俺は窓の外を見つめながら、心の中で呟いた。


「エマ、みんな、必ず成功させてみせる」


フィロソフィアの命運を賭けた戦いが始まろうとしていた。


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