明石優魔の姿
時期は二月、正樹の隣の生徒は曰くつき。けれど関わりさえしなければ、害らしい害もない生徒……それが明石 優魔の評価だった。
一番上の学ランを第一ボタンだけ留めて、まるでマントのように羽織っている。眼鏡はちょっとお洒落なラメの入った、金色のフレームを用いている。今時女子生徒でもやらないほどのロングヘヤーを、腰近くまで伸ばした男子生徒……それが『明石 優魔』だ。
瞳はいつもキラキラ……と言うよりギラギラと、どこか危険な輝きを宿して世界を見つめ、時折ブツブツと何事かを喋っている。呪文なのか、目に見えない何かと話しているのかは知らないが、ともかく触らぬ神に祟りなし。多くの生徒は距離を取っていた。
下手をすればいじめられるような格好と性格。にもかかわらず『アンタッチャブル』な空気が生まれるのは、このクラスに属した者なら皆知っている。やんちゃで、素行が悪いとされた生徒の一人――森脇と言う名字の生徒が、急に強烈な鬱となり不登校となった事件が尾を引いていた。
きっかけは何かは知らない。しかし優魔の持つ異物の気配を嫌ったのだろう。何かの拍子に森脇が強く当たり、明石 優魔に対し嫌がらせを始めた事が引き金とされている。
クラスメイト達も同調した。それは異物を除去しようとする本能か、それとも森脇に目を付けられないための行動か。どちらかは知らないが、優魔は四月下旬から始まった嫌がらせ……もはやエスカレートしていじめと呼べる状況で……六月上旬、その呪いを発動させた。
詳しい状況と手法は分からない。休み時間中に起きた事で、たまたま別クラスの友人の所にいた正樹は、決定的瞬間を知らない。彼が教室に帰って来た時は、明石は姿を消し、森脇は教室の隅でガタガタと震えていた。
明石が呪った、祟りが下ったんだ……このクラスの生徒はそう信じている。この事件以降、クラスのハウスルールのように……明石 優魔の呪いと祟りは定着した。
森脇が消えた後も、後発でちょっかいを掛けた人間もいたが……その度に害を成そうとした人間は、悉く精神を病んでいった。病んだ生徒を気にかけていた……と言うより贔屓していた教師もいたが、なんとその教師まで数か月の休養を余儀なくされたらしい。
そんな彼なのだが……正樹は、彼と普通に話が出来る、数少ない人間だったりする。呪いが発揮される場面を見ていないから? 原因は知らないし、普通に話しかける分には問題ない。
「……優魔君。次、体育だよ」
「おっと、ありがとう。君、平気なのか?」
「ん? 別に……普通に話す分には普通じゃん」
「何となく不気味らしいよ? ボクと話すのは」
「まぁ……変わってるなぁ、とは思うけど」
優魔はふぅん、と。適当な感じで呟いた。明らかに授業に遅れている彼は、手持ちのノートを閉まって着替えを始めた。
周りの生徒は、もうほとんど教室を出ている。正樹もたまたま遅れていたから、彼の事が目についたのだ。正樹もさっさと体育着に着替えよう。
男子生徒二人だけの教室で、ちゃっちゃと衣服を変える。しかしそんな中で、優魔はこちらに一方的に言葉を投げる。
「ふふ、しかし君は良い人だ」
「えぇ? そうかなぁ? 遅れてる人いたら、普通声ぐらいかけない?」
「それは『普通』の中にいる人だけだよ」
「どういうこと?」
「ボクは『普通』の外側にいる。だからだよ」
中二病をこじらせている。そんな表現にも思えたが……正樹は彼の、優魔の言葉を素直に聞いてみることにした。着替えながらだし、無言で淡々とやるのも味気ない。
「普通や常識が適応されるのは、そのグループの中に属している人間だけさ。ボクはどうやら、生まれつきその外側にいるらしくてね」
「ん……普通じゃない、ってこと?」
「そうだね。実はさ、幼稚園の頃から、ボクはなんか変だったらしい」
「えっ? それって病気とか?」
「だったら良かったんだけどねぇ……ボクにはアスペルガーとか、生まれつきの疾患は無かったんだ。分かりやすい理由なんて何もない。けれどお前は変だ、おかしい奴だって言われ続けたんだ」
「……何か悪い事したの?」
「全然」
優魔は、堂々と嗤った。
「分かりやすい理由や原因なんてない。周りは、はっきりとボクの『変』を言語化する事も出来ない。でも『普通と違うから』って、みんなはボクを弾き飛ばしたんだ」
その優魔の言葉には、えげつない憎悪が滲んでいた。その瞬間に息を呑む正樹。ふっ、と煙のように表情を隠して、異質な彼は言う。
「生物の本能さ。知ってる? 人の臓器の話になるんだけど……拒絶反応ってものがある。自分の身体と同じ身分証を持っていないと、外部から来た物は弾き飛ばされてしまう。
病気から体を守る為の免疫機構。でもこれは、臓器移植の時に問題になる。他人の臓器だと、異物と判断して攻撃してしまうんだ」
「必要な事じゃないの?」
「面白いのはね。『必要だから。有益だから』ではなく――『異物だから』排除するって所なのさ」
呪いを扱う彼は一見、関係なさそうな生命の真理を語り始める。
「例えば、ボクの肝臓が壊れたとする。そして必要だから、誰かの健康な肝臓を移植したとしよう。肝臓が無ければボクは生きていけない。そして移植された肝臓は正常だとしよう。けれど、ボクの身体が『移植された臓器を異物だ』と判断した場合、肝臓を破壊しようとするんだ。それがないと、ボクが生きられないとしてもね」
「……優魔君は、自分がこのクラスの異物だと思っているの?」
「ボクじゃない。『普通』の人がそう思うって話。何となくボクが気味悪いから、何か変だから、良く分からないけど鼻につくから……有害か無害かじゃなくて、異物かどうかで弾き出す訳さ。現に……このクラスの有害度で言うなら、不良の森脇君の方が上だろう? 彼よりボクの方が弾かれるのは、そういう事だよ」
祟られたと言う噂の森脇君。確かに不良で、悪い噂もあったけど……運動は出来るし、普通に友人関係もあった。クラスに馴染めていない訳ではなかったと思う。少なくても明石 優魔よりは、普通に近かったと断言できるだろう。
分かるところもあるけれど、正樹は少し窘めた。
「もう彼も反省しただろうし、悪く言わないであげなよ」
「ごめんごめん。――でも君は違う。君の『普通』の範囲は、一般的な人の『普通』より広いみたいだ。ボクも含めて『普通』と判定している」
「どういう事?」
「どこまでが普通で、どこからが異常なのか。目に見えない境界は、けれど確かに存在している。ボクは多くの人にとって『普通の外』にいるんだ」
「でも、それも個性なんじゃない?」
「『個性』で許される範囲と、許されない範囲があるんだ。最近は枠が広がっているけど、それでもやっぱり、受け入れられない領域もある。ボクは、未分類の其処にいる。弾いて、孤立させて、勝手に死んでくれって、普通は密かに願っているんだ。冗談じゃない。死んでたまるか。自殺するぐらいなら、お前たちと刺し違えてやる……」
不穏な言葉を発する様子は、不思議な表情だった。隠しきれない憎しみと、羨むような眼差し。同年代のはずなのに、愛と憎悪の間で揺れる、生々しい大人のような気配。
彼は何なのだろう。怖ろしくも思うけど、でも感情を持って揺れている。なら、彼も……
「やっぱり、優魔君は普通の人間だよ」
「……君の中ではそうなのだろう。君の中ではね」
曖昧な笑みは皮肉交じり。でもどこか、正樹を見る目に親しみを覗かせていた。