三十二話、奔流
ノルマ達成
悲惨な夜を超えたとて、安寧は訪れない。
態勢を立て直すよりも先に不可逆的な状況の変化が訪れ、全てを圧倒していく。
それでも朝は来る、なんとか今日は乗り切れた。
レオの生存を確認したクトーこと、マクトー・ヤヴァは僅かな安堵感とそれ以上の焦燥感を抱きながら来たるべき時に向けて迎撃の準備を進めていた。
今はようやく周囲にいた部下たちに指示を割り振って僅かな小休止を得られるという局面だ。
少し休むべく、クトーは人気のない小部屋へと入り込む。
そして、部屋の中にいる存在に語り掛けた。
「ようキルロイ、まだ起きれねぇか?」
反応は無かった。
返ってくるのは浅くゆっくりとした呼吸音だけだ。
状況は良くない、だが最悪とまでは言えない。
まず最初に、レオが倒れた。
死んだわけでは無い、純粋に不眠不休で脳と精神を酷使した戦闘による疲弊が故だ。
壁内の掃討を行うという最後の会話から暫くした後、力尽きたように玄関の前で倒れ伏していた。
今や人型すら維持できずにスライムの如く崩れた肉体をクトーたちは手作業でなんとかかき集めて壺に詰め、覚醒するのを待っている状況だ。
今のレオは領主の館の中でも一番奥まった安全な閉鎖空間に半ば封印する様に安置されている。
或いはこの空間は戦前世界で金持ちが家に作っていたというセーフルームの様な物なのかもしれない。
赤黒い粘液のようになった血液だった成れの果ての上に青白い生首が浮いているという異様な光景。
士気に関わるが故に目につかない場所に置かざるを得なかった。
元より死人の様に青ざめた顔であるからして死体にしか見えないが、浅い呼吸は続いている。
そんなレオの有様を見やり、クトーは一人静かに呟いた。
「すまねぇな、キルロイ。お前には常に無理させ続けちまってる」
レオがこうなったのはある意味で自分達が不甲斐なかったからだ。
あのエンキの支配していた奴隷鉱山に訳ありの雰囲気で入ってきた新入り。
後ろ盾も無く、先行きも無さそうないずれ他の奴隷集団の玩具にされるか野垂れ死にそうだった男。
しかして、素人とは思えぬ身のこなしと貧相な食事では作られえない鍛えられた肉体を持っている事がクトーの興味を引くのにそう時間はかからなかった。
教会の人間にしては信仰心を持たぬ精神、地上の生まれとしてはありえない隙の多い振る舞い、しかして知性と理性が欠けているとは思えない仕草。
『外』の知識を持ってると踏んで仲間に引き入れた。
それはあの時の状況を打破する為の一手であったし、かつての探索隊の頃の手癖であった。
エンキに勝てずとも、奴隷連中相手であればなんら問題なく勝利できる程度の力と組織力でもって恩を売ってやろうという色気もあった。
だが、蓋を開ければレオと関わって以来、常に助けられてばかりであった。
人で無くなった後は言うまでもなく、人であった時ですらレオはミュータントの襲撃の時に幾度となく自分を助けてくれたとクトーはどこか懐かしくなりつつある記憶を思い出す。
与えてやれたのは『どこにでもいてどこにもいない奴』を意味する名前だけだ。
「俺も老いたって嫌でも感じるぜ、ここ最近ずっとな…」
昔ならばもっと身軽に動けた。
昔ならばもっと頭の回転が速かった。
昔ならばもっと勝てる算段を立てる事が出来た。
もう、舌も頭も回りゃしない。
若かりし頃から変わっていないのは外の世界への興味と命知らずな精神だけ―――――。
否、最早命すら惜しくなって来ている。
帰りたい、死にたくない。
帰ってかならずあいつと―――――。
「昔は死ぬのなんて怖くなかったのにな…。今じゃ怖くて仕方ねぇんだ。年食ってから女相手に本気になるもんじゃねぇよな…」
だから肝心な時にしくじるし、積極的に行動や発言が出来なくなっているのだ。
死を恐れるようになった。
だから運命が臆病者を嫌ったのだろう。
命をかける仕事をする者は自然、運命論者になる。
日常の細かい事に吉兆を見出すようになる。
女にうつつを抜かすなんてまさしく運の落ちる行いだ、弾丸が避けてくれなくなる。
クトーは弱気を追い払うように頭を振り、粗末な煙草を取り出しマッチで火をつけて一気に煙を吸い込んだ。
「起きてるか分からんが、まあ状況報告だ。俺も言葉に出して頭の体操でもしてよ、色々整理したいんだ。そうだなまずは―――――」
そうしてクトーは死んだように眠るレオの横で紫煙をくゆらせながら静かに独り言を始めた。
既にレオが倒れてから数日が経過している。
それでも生きていられるのはなんとか人員をかき集めて状況を立て直せたからだ。
なんといっても、あのボースが生きて帰ってきた事が大きかった。
キドが外から襲撃を仕掛けてきたミュータントの迎撃に出た際、巨大な腕の付いた黒ナマズとも言うべき大型ミュータントの死体のそばで尚も迫りくる『波』の集団に対して戦槌を振るい続けていたという事だった。
協力して敵を撃退したと報告こそ受けたが、キドの機嫌は非常に悪く、ボースの顔は怒りで歪み切っていた。
その際にボースの右耳が千切れ飛んでいたところから見て、おそらくボースは変異したキドを下卑た罵声を浴びせながら笑い飛ばして耳を撃ち抜かれたのだろう。
頭に当てなかったキドの理性に感謝せねばならないだろう。
素行にも言動にも思想にも問題はあれど、ボースという暴力存在無くして今の集団を維持する事は出来ない。
ここまで、悪魔憑き相手には敗北を重ねているとはいえミュータント相手となれば場慣れしている事もあって大型種とも互角以上に戦えている様だ。
人間であった頃から中型種とかち合って生き残ってきた猛者であるからして、奴がいなければとっくに自分達は全滅していただろう。
奴の配下であるレナルドとヤク中も生きて回収され、今は部隊指揮官として生き残りの都市生存者を転用した戦闘部隊を率いさせて防衛準備に奔走させている。
「だがな、イナゴの野郎は見つからねぇんだ。生きてるのか死んでるのかすら分からねぇ」
唯一帰ってこなかったのがイナゴレイダーだ。
クロエと交戦するところまではボースが確認しているが、それ以降の消息は様としてしれない。
既に死亡しているのか、或いは今もどこかを迷走しているのか。
元々正気とは言い難い男だっただけに今後また敵となって戻ってくる可能性すらある。
中々頭の痛い問題ではあるが、敵の攻勢が迫る中では後回しにするほかにない問題ではあった。
「車両は一応はなんとかなった。まあ、直せたかで言えば無理だったんでな…。街の生きてる奴を徴用した」
クロエの雷撃を受けた大型トラックは物の見事に内部を焼かれてどこもかしこもご臨終といった具合だ。
更に追い打ちの様に起こった夜行種との戦闘に巻き込まれ、今やフレームに至るまでベコベコだ。
撃ちぬかれた場所が同じとあっては共食い整備すら出来そうにない。
であるからして、生存者を探す為に編制された決死隊は更に脱出車両の捜索すらもせねばならなくなった。
「……決死隊にはドッグが先頭に立ってくれた。あいつにもいつも助けられてるよ」
二足歩行になったシベリアンハスキーとも言うべき、悪魔憑きと呼ぶには非力すぎる小心者な人狼型の第二世代悪魔憑き。
そうであっても一般的な人間よりは遥かに頑丈で戦闘力もあるが故に決死隊の班長をクトーから押し付けられたドッグは泣き言を喚きながらも、与えられた義務を全うした。
それも犠牲を一切出さないという大金星を挙げてだ。
いかに外よりましとはいえ、既に夜行種に取りつかれて下手に住居に侵入・接近すれば命の保証がなく、飛行種からはまともに防護されていない中で周囲の安全確認をしつつ、建物の蔭から蔭へ部隊を先導できるのはドッグだけであった。
だからこそ、クトーはドッグに隊長を命じたのだった。
『お前なら出来る!』という励ましを二桁ほどパターンを変えて連呼し続けた甲斐があったという物だ。
ドッグは言うなればクロエから戦闘力と狂気を引いて探索と運転特化にさせたような性格と能力と言える。
戦闘に使えなくても潰しが効く縁の下の何とやらと言える存在だった。
そうして集めてきた幾台かを無理矢理ニコイチ、サンコイチ。
規格の明らかに合わない部品群と無意味やたらに多い崩壊前のメーカーと車種への呪詛を吐き、信徒全員で偉大なる機械神になんとかしてくれと請願し、低位聖職者の免許を持つ配下の一人に作らせた聖油を祈りの言葉と共に塗りたくりながら無理くり加工した部品同士をつなぎ合わせるという暴挙を幾度か。
そうしてなんとか動く状態まで直した軽トラックと乗用車が計三台、大型トラックはついに見つからなかった。
レオとボースを輸送するための大型トラックがまだ無事なだけ救いはあるが、運べる物資も人員も明らかに減ってしまうが故に行軍計画が狂うのは言うまでもなく、このままでは脱出すらおぼつかなくなってしまった。
「まあ、車両が健全でも逃げれそうにないってのがミソでな…」
そこまで言うとクトーは煙草を持った右手を己の額において痛む頭を押さえる素振りをする。
実際、変異したキドとボースが敵を撃退する事三日三晩、なんとかこの領主の館の周囲は守りを固める程度の余裕が出来てはいる。
だが、逆に言えば周囲だけしか最早安全ではないのだ。
いかに一騎当千の悪魔憑きと言えども飢えに突き動かされて大量に突き進んでくるミュータントの群れを相手にしては洪水を素手で止めねばならないのと同じ状態だ。
この周辺のミュータントが飢えを満たせたとしても、それを察知した更に遠方のミュータントが殺到してくるが故に周囲のミュータントの密度は際限なく高まっていく。
いずれは大型種や中型種に追い散らされて周囲への再度散っていく事になるが、その時期が来るには今しばらく時間がかかるといったところだ。
既に外城壁は完全に消滅し、内城壁はスロープ状になった死体の山で壁としての機能が無くなりつつある。
その死体の山が今度は屍者へと変じて襲ってくるのだから脱出する機会がまるでない。
城門すら死体に埋まってしまっている。
状況はまさに終わりのないエンドレス消耗戦だ。
こうなると逆に襲来が予想される討伐軍とやらが来てくれた方が情勢が好転するまである。
「最も、俺が指揮官ならばこの状況で突っ込むようなアホな事はしないと思うが―――――」
そこまで言うとクトーは煙草を地面に捨て、無遠慮に靴で踏みつぶした。
それを咎める者など最早存在しない。
この建物すらあと何日維持できるかすら分からないのだから。
「まあ、お前さんが起きるまでにやれる限り準備は整えとくよ。でも出来りゃ早めに起きてくれよな、兄弟」
言いたい事を言い終えて幾分かすっきりしたような表情でクトーは立ち上がり、部屋を後にする。
まだだ、まだ手札は残っている。
きっとなんとかなる。
レオは死んでいない、生きている。
たとえ、ここから数日は連日連夜の波の如く大襲撃が待っていようとも、更にその後にあのクロエを擁する討伐軍主力が殴りかかってくると分かっていようとも。
最強の切り札であるレオがいる限りはどうにかまだ舞える。
絶対に生き残るのだ、絶対に―――――。
「クトーの兄貴、すまねぇ…」
そんなクトーの思考と歩みを中断させたのは苦し気で弱々しい声だった。
粗末で不衛生な敷物の上に寝かされているのはクトーの部下の一人である機械教徒だった。
あの最悪の夜の戦闘でクトーを庇って腹を貫かれ、片腕を砕かれている。
やはり寝不足と疲労なのだろうか、或いは無意識に仕事から逃げたくなったのか。
目指していた指揮所となっている応接間ではなく野戦病院もかくやとなった大食堂へとクトーは歩を進めてしまっていた。
「なんとか止血には成功しましたが重症です。すぐには動かせません」
負傷者のすぐ脇に控えていた金髪の女性がクトーに耳打ちする。
この貧困の時代にはそぐわぬ中肉中背の肉体に美しいがどこか能面の雰囲気を感じさせる顔。
「ああ、感謝するよ女医さん」
人ではないそれにクトーは疲れた笑みで応えた。
この女は人間ではない、脳髄啜りだ。
それもかなりの人間を捕食して高い知性と安定した言語能力を獲得した上位種とも言える存在だ。
一夜を生き残ったのちに、他ならぬ本人が自らそうであると告白し、同じく生き残っていた他の脳髄啜りたちの粛清に手を貸して生き残る権利を獲得した知能派である。
曰く、『こいつらまで生かしておくと食料の奪い合いで共倒れする』との事だった。
自分が生き残る為ならば同種すら平然と売るその冷徹さと先を考えられる思考が故に『女医』はボースとキドを含めた総会投票の末に生存を許された。
何かあれば真っ先に自分が疑われるという環境であるからして、女医は他の都市住人たちより遥かに慎重に行動する事から信用出来さえする。
人を食っていく過程で幾人もの医者の脳をも喰らい、それが故に医療に心得がある事からこの場を任せている。
裏切れば待っているのは死だけであると理解する脳みそがあるならば、それは人と変わらないだろう。
猫の手も借りたいならぬ、脳髄啜りの手すら今では有用だ。
食料は死んだ人間で賄うと約束済みだ。
無論、クトーの身内はたとえ死体であろうとも絶対に手を出さないように言ってある。
「心配するな兄弟、ゆっくり休め。俺が絶対に故郷に連れて帰ってやる」
クトーは仕立てたスーツが汚れる事を厭わず、片膝をついて傷ついた部下の手を握る。
現状出来るのは止血と消毒、鎮痛剤による対症療法だけだ。
レオが不在の状態で迂闊にレオの血を使った治癒は行えない。
血の影響で変異を起こせばそれこそ生存者が全滅するからだ。
「ああ、早く家に帰り―――――」
かけられた言葉に安堵した様に大人しくなった部下の姿にクトーは一瞬、最悪を想像する。
考えたことが同じであったろう女医も即座に脈拍と呼吸の確認作業を行う。
幸い、脈も呼吸も安定している。
単に眠りに落ちただけの様だった。
「眠っただけですね、ヤク中野郎さんの持ってた鎮静剤がようやく効いてきたようです」
「無理もねぇ、こんな状況じゃ死にかけでも寝てられねぇわな」
あの夜は最悪だった。
レオの守りと城壁を突破してきた夜行種は市街地の全てを蹂躙したのだ。
この最も堅牢だと踏んでいた領主の館ですらも外壁を破壊され、各部屋ごとの凄惨な白兵戦を行う羽目になり、多数の部隊が玉砕したのだ。
最悪を想定して手元に残していた都市の守備兵の幾らかがまだ生存している以外は壊滅状態だ。
変異したキドが正気を保って戦闘に参加してくれていなければ自分達も全滅していたであろう。
それでもなんとか、同胞の犠牲は最小で済んだ。
目の前の部下はその最小の枠に入ってしまった哀れな犠牲者である。
部下の周囲にはそれより酷い状態で虫の息の者や今まさに死につつある者達が無数に転がっている。
昨夜だけでなく、連日連夜の戦闘で発生する負傷者を現在は建物内で最も広い大食堂に並べていっている最中だ。
立て籠もっていたそれぞれの部屋の一角に押し込められていた彼らはここに運ばれる以前に大半が負傷や出血が原因で死亡している状態であり、回収や移動作業の序盤にはそれによる二次被害も多発した。
今やこの館の中すら安全とは程遠いのだ。
運んでいる者たちも負傷者が多く、ただの怪我だけならば良い方で手や指を失う、場合によっては腕すら無い者達も混じっている。
その中でも頭から下まで黒衣を纏った処刑隊に分類される幾人かの人間たちは油断なく負傷者たちの動向を監視し、死亡したと判断するや否やその首に戦斧や剣を叩きつけている。
動きに迷いは無い。
普段から死が近すぎて感覚が麻痺しすぎた者たちなのだろう。
あの夜の戦闘でも恐慌状態にならずに戦い抜いた数少ない勇者達であった。
今も本来は駆除対象であろう女医に付き従って作業の補助を行ってくれている。
今後どうなるかは不明だが、少なくとも今は処刑隊の生存者に頼る他に無いのが実情だ。
しかし、それもせいぜい4~5人程度。
ここ数日の戦闘でほぼ死に絶えてしまっている。
それ以外で動けるのは屋敷で領主に使えていた下僕や小間使い、そして兵士たちは十数人程度。
皆死んだような目でクトーの部下やレナルドから命じられた作業に従事している。
誰も彼も負傷者だらけで作業の効率は悪く、消毒薬と医薬品の欠如から今後感染症や敗血症を引き起こして死亡、行動不能になる可能性も高い。
士気は最悪であった。
ここの連中は苦境に慣れていない。
クトーと共に常人では耐えかねる苦難と苦渋を受けて尚ここまで生き残ってきた機械教徒たちやレオなどといった悪魔憑きとはまるで心構えや目的意識が違うのだ。
今は指示に従っている奴らも次に何かが起きれば容易く持ち場や役目を放棄して逃げ出すだろう。
ここらで一発景気の良い話をしてやる必要があった。
「今この場にいる全員に約束してやる!俺たちは必ず故郷に帰る!協力するならばお前たちも教会が誇る東部辺境伯領まで必ず連れて行ってやる!文明の光ってやつを拝ませてやるぞ!」
クトーは気合を入れて立ち上がり、腹に力を入れて叫んだ。
だが、返ってくるものは何も無かった。
安堵の声も、訝しむ声も、反感すらも湧いてこない。
明らかな空手形だと理解しているが故に、凄惨な死の気配が体から纏わりついて離れないが故に。
誰も彼も無気力で、無機質で、己の命にすら頓着していなかった。
クトーの『声』は最早誰の心をも動かさなかった。
やはり、己は老いたのだなと自嘲する。
クトーはその様に静かにため息を吐くと立ち上がり、女医にそっと耳打ちした。
「手当てするのは助かりそうな奴だけにしろ。身内以外に潤沢に使える程、資源に余裕が無ぇからな…」
加えて、既に死んでいる者を運び出して処理する様に命じてクトーはすぐに動き出す。
指揮官に絶望している暇などない。
いつも通りだ、これが外の世界の日常だ。
本質的にエンキの奴隷としてあの廃墟でのたうち回っていた頃と何も変わらない。
だからこそ、クトーは決してくじけない。
少なくともあそこから出れたから。
どれほど無様でも前に進んでいるという確信を抱いているから。
まだレオ、キド、ボースという三枚の切り札が残っているのだから。
諦めるにはまだまだ選択肢が多く残されているから。
「まだ終わりじゃねぇ、俺たちは生きてるんだ…!」
クトーは疲労と睡魔でボヤける頭を振り、簡易地図が広がる指揮所に入ると即座に情報の整理と行動の指示を行っていく。
ドッグに再度、数人を連れて生存者と物資の回収を命じる。
レナルドにボースとキドが休息している間の周辺防衛を指示する。
残る人員に損傷した館の壁や天井の補修と補強を行うように激を飛ばす。
死体の処理、武器弾薬の調達、破損した設備の修理、動ける生存者の指揮系統の再編、戦闘が無かろうと裏方のやるべき事は幾らでもある。
それを悪魔憑きにも負けぬ妄執でもって全力で進めていく。
「そうだ、俺たちは絶対に故郷に帰るんだ…!」
クトーは今日も悪化していく状況の収拾をつけるべく奔走し続けていた。
――――――――――――――――――――――――――――――
かつてはアスファルトに覆われていたであろう草むした大地を奇妙な車両の集団が驀進する。
それはかつての人類全盛期に人類が誇った装甲車や軍用車の群れ、しかしてその動力は最早内燃機関に非ず。
その先鋒を務めるのは四頭ないし、六頭の変異した大型軍馬に牽引された装軌式兵員輸送車や歩兵戦闘車の成れの果て、それが米軍正規軍の末裔たる48thの誇る戦車軍団だ。
かつての先進的な戦車は古代的な戦車となり果ててなお、人類の為に戦った守護者たちの末裔に寄り添い続けた。
主砲の砲弾は既に尽き、装甲材は錆と経年劣化に侵され、内燃機関から熱は消え、文字通りの『馬力』で走る鋼鉄の残骸。
朽ちるに任された不要な装備の多くが軽量化の目的の為に排除されたそれはよくよく見なければかつての栄華の名残とすら理解出来ぬほどだ。
兵員や物資を可能な限り積載する空間を確保するためにエンジンや砲塔すら排除され、代わりに取りつけられたのは近接防御用のスパイク、壊れかけた機銃や原始的な火砲を乗せた簡易砲座、座席や溶接手すりといった利便性を向上させる諸々だ。
そこに、かつての人類黄金期の戦闘力はまるで残ってはいない。
だが、それでもこの戦車軍団は文明から見放された世界における最高水準の機動打撃戦力である言えた。
履帯で構成された足回りは多少の段差や障害物といった悪路を踏み砕きながら前進し、変異した事で持久力と速力をかつての馬よりも遥かに上回るミュータント軍馬は数十トンという鋼鉄の塊に巡航速度にて時速20kmから30kmの推進力を付与しうる。
下手に飛び出してくる人間であれ、小型種ミュータントであれ、銃での迎撃すら必要なく、軍馬と履帯に粉砕されて大地の染みとなるのが逃れられぬ定め。
それらは今この瞬間もアスファルトの成れの果てや飛び出した石、岩、草木、朽ちて散らばった車両の残骸を粉砕して地面を均し、後続部隊の前進を容易ならしめる見えざる啓開効果を発揮している。
本来ならばこの様な集団に近づいてくる敵というのは相応に厄介な者だけだ。
そう、この様な非常時でもない限りは―――――。
「これより我が隊は中央突破に移る。速度を上げ、本車を基点に隊列を維持させろ。落伍したら助からんと思え。後列車両部隊には『撒き餌』の投下を惜しむなと伝えるのである」
シュワンツの座する指令車の周囲を並走する伝令兼護衛の騎兵たちが主の命令を他の部隊に伝えるべく隊列を離れて散っていく。
一機の無線たりとも部隊には残ってはいない。
全ての命令は口頭もしくは紙面にて伝えられ、伝令が走って伝えるのみだ。
自然、連絡と部隊運用は困難となり大胆な機動は不可能となる。
せいぜい出来ても緩やかに曲がるか直進が精々だ。
そんな鈍重な足腰の集団は狂気の沙汰へと突入しつつあった。
今まさに、敵ミュータント集団に突撃をかけているのはこちら側なのだ。
目標としている都市の手前まで進出した討伐軍を待ち受けていたのはクロエが行った都市攻略の余波によって生まれた波の濁流そのものとの激突であった。
速度は十分出ている。
このまま衝撃力を維持して突破出来れば犠牲は最小で済むだろう。
だが、もし前衛が突破に失敗して足が止まれば―――――。
「……失敗すれば我々はここで全滅する事になるであるな」
主集団の最前衛から僅かな輪郭と土煙だけを上げる突破を試みる先鋒部隊を見守るゲネラル・シュワンツは険しい表情で前衛集団を見守っていた。
本来ならば前衛に尽き従って上空援護しているモルフォライダーたちも今ではシュワンツら本営集団の上空に結集している。
『構わず進むべきしょう、我らが血族がいればなんら問題ありません』
現在の前衛集団を率いるリュナが娘の片割れラペナを引き連れて血路を拓く事を買って出たのだ。
これまでの付き合いで大いに実力を示してきたリュナに害意が無く、今次遠征が終わるまで配下として仕える事を約束している事を信頼したシュワンツは迷うことなくその申し出を受け入れた。
どうであれ、今回の遠征は勝利か全滅かと決めていたが故に。
そしてそれ以上にリュナならば出来るであろうと信じたが故に。
それでも―――――。
「果たして何人辿りつけるのであるか…」
既に抗えぬ老いに蝕まれながら、激しく揺れる戦車の上で何ら頼りとする物を持たずに直立不動で立ち続ける姿からは未だ衰えぬ鍛え抜かれた体幹が見て取れる。
「大丈夫だって~、リュナちゃん強いからアレぐらい平気だよ~?特に今回はラペナちゃんも『肉体』付けて出てるし」
シュワンツの隣で気楽そうな女の声が上がる。
その声に反応する様にシュワンツは目だけを向ける。
そこにいるのはゆったりとした椅子に座る青髪の少女だった。
「航空偵察でこの先は大型種が複数、中型種が群れの如くと聞いているのであるがな、クロエ殿」
大型種複数に中型種が多数。
それは『波』終盤に起きる破局的な現象だ。
未だ餌場にしがみつく餌をまとめて喰らわんとする死の濁流。
これまでの小型種と中型種主体の攻撃を防げていた拠点や都市ですらこの攻撃を耐えきれずに陥落、滅亡する事など枚挙にいとまがない。
そんな最も驚異的な流れの一部を切り開く。
これまでのシュワンツであるならば常識的な思考から不可能と断じて進路を変更していたであろう。
「この程度突破出来ないならあの子が貴方たちを引き連れて突っ込むなんて選択は取らないって~。あ、ゴサンちゃんまだ痛むから痛み止めと回復薬ちょうだい」
その言葉にすぐそばで指令車にはためく軍旗の支柱にしがみついていたゴサンが素早く、同じく側に控えている緑尽くめが用意した薬箱へと手を伸ばし、怯えている様な挙動不審なぎこちない動作で恭しくクロエ所望の薬を献上している姿が見える。
卑屈な男だとシュワンツはゴサンを睨む。
上位種とも言える者たちがこの様な小心者を手元に置いて重用しているのか理解には苦しむ。
だが、そんな事を考えるのは後で良い。
今は―――――。
「ともかく、今はリュナ殿とその血族の実力の程を見届けさせてもらうのである」
「心配しないで気軽にね~。抜けてきたのは私が殺光線で撃ち落とすから」
その言葉と同時に、前衛集団の遥か前方で地を揺らす咆哮と閃光が木霊した。
――――――――――――――――――――――――――――――
力とは何か、それは理不尽の具現化である。
あらゆる道理や秩序を粉砕しうる力があれば、最早誰も法などに従う事など無い。
それは終末後の世界においてもなんら問題なく通用する。
48th前衛部隊のチャリオットに同乗を許されたかつての部族長にしてリュナの義理の息子となったジバは目の前の凄惨かつ壮大な光景に今や一つになった巨大な目を見開いて感嘆の声を上げた。
周囲の兵士たちも同様だ。
その光景に感嘆し、高揚し、歓喜の雄たけびを上げている。
これが死出の旅路ではなく、勝利と共に凱旋できる遠征であると認識を改めたが故に。
「すげぇ…!アレがオヤジと―――――」
集団の先頭を走るのは麒麟とペガサスを混ぜて大型化させたような冒涜的ながら気高さを感じさせる騎獣に騎乗し、片側の先端に刃が付いた黒い大弓で持って迫る敵を次々と射抜いていく偉大なる義父、リュナ。
そして―――――。
「ハハハァアアアアアッ!ガァアアアアアッ!」
そのリュナの遥か先にて狂気的な笑い声とも怪物の咆哮とも取れる声をあげながら金色の異形が目につくミュータントを片端から引き裂き、食いちぎり、薙ぎ払っていく光景だった。
その姿はまるで人間サイズになった死と暴力の化身だ。
深紅に輝く瞳、全身を覆う金色の強固な竜鱗、背から飛び出た剥き出しの骨と薄い被膜で構築された巨大な翼、大地を踏みしめる太く強靭な足、太く長い尻尾、燃え盛る肉体、薙ぐように振るわれる腕には鋭い爪が生え揃っている。
「ラペナ様…」
変じる姿を直接目撃していなければ誰に言われても信じる事は出来なかっただろう。
もはや二足歩行を行っているという点を除けば人から完全に逸脱した形状、人のそれであった頭部すら変形し、完全な竜頭と化している。
その変わり果てた姿こそがジバにとっての義理の姉、その片割れたるラペナ・ドラクリアの真実の姿であった。
先祖返りした最高傑作、純粋な力だけならば己を超えて一族最強。
それがジバに対して義父リュナが語ったラペナに対する簡潔な説明だった。
その力はまさしく、生ける理不尽を体現した人間サイズの燃え盛る黄金竜がそこにはいた。
「そう、アレが寄生する肉体を得た時の妹の本気」
ジバの呟きに答えるのはその腕の中で抱きかかえられて共に戦闘を見守る義理の姉となったデュラだった。
二人に与えられたのは戦いの見学という役割だった。
デュラは負傷が癒えぬが故、そしてジバは戦うには未熟が故にこの『波』の突破を企図した戦闘においてすら投入されずに温存されている。
最前衛がラペナ、その後方にリュナ、前衛戦車隊がその後方につき、更に背後を本隊が追随する行軍形態となっている。
本隊に座するクロエは前衛をすり抜けて来た敵に対する最後の守りとして配されていた。
「パパも本気になればああいうのに成れるって言ってた。成っても妹ほど強くなれないし、理性が飛んで逆に弱くなるから滅多にやらないらしいけど」
「いえ、しかしラペナ様もなんてぇ言うか…」
「うん、殆ど頭がおかしくなってる。でも一割ぐらいは理性が残ってるから家族は襲わない、大丈夫」
「じゃあデュラ様を持ってろってぇおっしゃられたのは…」
「私といれば少なくともあんたは大丈夫だからね。他の味方はまあ、危ない時はパパが止めると思う。あとね―――――」
ジト目で頭もとい全身を動かしてデュラは上を向く。
言葉に合わせて頭を垂れたジバの単眼とデュラの目がまっすぐ見つめ合う。
ジバはそこに敬愛する義父と同じ紫の瞳の色を見た。
「その他人行儀な口の利き方はやめなさいよ。これからあんたは私の弟になるんでしょ?私の事は姉と呼んで敬いなさい」
その言葉にジバは大きい単眼を更に見開いて驚愕したようだった。
その意図が読めないデュラにジバはゆっくりと返答する。
「……ラペナ様に姉扱いしたら殺すと脅されたんで」
「ああ、そういう…」
そこでデュラは今朝方、ラペナが人体寄生を行う前にジバと二言三言会話を交わしていた事を思い出した。
昨夜に比べてえらく卑屈な態度と言動に得心がいったデュラは悩まし気に眉間にしわを寄せた。
妹の悪い癖が早速、発揮されたのかと。
「ああ見えて他人にかなり無関心で排他的だからね、妹…。ババアを受け入れるのにも結構時間かかったし」
「無関心って…かなり殺気立ってて機嫌悪い時のエンキ様みてぇだったってのに…」
「身内以外どうでも良いからこそ、最初に心が折れる程脅してそれ以上関わらない様に釘刺すぞ妹は」
「おっかねぇ…」
「アレでもかなりマシになった」
その言葉にジバはあんぐりと口を開けて呆然とした。
口以上に態度で物を語るジバのあり方にデュラは自然と愉快さを覚えて口が緩む。
「まあ、あんたもパパに選ばれたんだからしゃんとしなさい。出来もしない敬語なんて見苦しいからいつも通りで良いから態度と敬意だけ示せば良いのよ」
「で、でもよ…。ラペナ様は俺に冷てぇし、オヤジは結局、俺に戦働きさせてくれねぇし…!」
「弟、あんた馬鹿でしょ。あの戦いについてけるの?アレ、万全の私でも無理だよ?」
言うが早いか、二人はほぼ同時に前方の戦闘に視線を戻す。
そこには今まさに、骨ばった翼で空に舞い上がったラペナが開いた大口から蒼い炎を吐き散らして逃げ惑う中型種の群れを焼き払っている最中の地獄絵図が映し出されていた。
ドラゴンブレス、或いは火炎放射器の原理はただ対象を炙るだけのガスバーナーではない。
それはむしろホースから放たれる燃え盛る高圧の液体噴射であり、付着した相手を決して逃がさず焼き尽くす必殺の一撃だ。
空から降り注ぐ灼熱の面制圧攻撃により、散開して逃走を試みていた人とネズミを混ぜ合わせたような四足歩行の中型種5体がブレスの一撃で灰燼と化し、その残骸を後続の戦車隊は踏みつぶしながら前進する。
相応の質量や水分を含んでいたであろう中型種の亡骸は、戦車隊が到達する頃には形を遺しただけの黒い灰と化していた。
文字通り、ラペナのブレスは敵を焼き尽くしたのだ。
後に残るのは履帯に巻き上げられて宙を舞う、かつて生命だった残骸の灰だけ。
「えげつねぇ…」
今にして思えば、自分はなんと愚かだったのだろうか。
相手の実力も碌に見抜けず、都合の良い話を信じて過小評価の元に戦いを挑み、そして一度死んだのだ。
そんな愚かな人間をオヤジは救いあげ、あまつさえ己と同じ高みまで押し上げてくれたのだ。
最早この命は己の物ではなく、偉大なる義父の物だ。
その期待に応えねばならない事の重さを今になってジバは実感しつつあった。
だが、今のあり方では貢献など出来はしない。
それこそがジバにとっては疑問であり、不満であった。
「パパはあんたをあの場に投げ込んで使い潰す事だって出来た。なんでそれをしなかったと思う?」
ジバは少し考え、力なく頭を振った。
他人を思いやった事も無ければ学も無いが故に、なんら考えが浮かばなかったのだ。
「パパは本気であんたを育てるって決めたからこそ、ここに置いてるの。変じて数日の新参を戦場送りにするなんてよほど切羽詰まってるか使い潰すつもりじゃなきゃやらない」
ハっとしたジバは再び抱えているデュラを見下ろす。
それに対してデュラは目の前の戦闘を見据えながら言葉を続けた。
「あんたはまだ赤ん坊と同じ、体の動かし方だってまだ理解しちゃいない。まずは変じた体を慣らす事、そして己の力の使い方を理解する事。それが出来なきゃ多少頑丈になった人間とさして変わらないんだからね」
お前は既に子として大切にされているのだ。
言外にそう言われたジバは僅かに涙ぐむ。
「オヤジ…!俺をそこまで…!」
「長生きしたいならちゃんとパパと私の言う事聞いときなさい」
「見た目だと姉貴のがよほど傲慢ちきに見えるってのに、姉貴のがオヤジみたいだ」
父親みたいだ、そう言われたデュラは振り向くことなく僅かに微笑んだ。
そこに感じた父への敬意、そして何よりもようやく姉らしく振る舞える格下が出来た事にへし折れていた自尊心が僅かに回復したが故だった。
ジバの血族加入によってデュラは自然、家族内での序列最下位から脱出したのである。
「いきなり口調が砕け過ぎじゃない?まあ私はそっちのが良いけどさ。ともかく、パパから無駄な仕事なんて渡されないからしっかりやるよ。弟」
「ああ、分かったよ。姉貴」
僅かながら打ち解けた二人は再び戦闘へと意識を集中する。
今度はラペナが逃げ惑う飛行するエイの様な中型飛行ミュータントの背に組み付いて今まさに両手で引き裂かんとしている光景が繰り広げられていた。
「マジで鬼強ぇ、エンキ様みてぇだ…」
「妹は最強だからね、だから私はあの夜も妹を参加させなかった」
デュラの言葉には嫉妬の色があった。
姉として生まれたにも関わらず、大きく水をあけられた能力差に思う所が無い筈がなかったであろう事をジバは察する。
嫉妬に関してはジバは生まれて以来常に感じて来た感情であったが故に。
「姉貴、姉貴が負けた奴ってのはラペナ様を出せば勝てた相手だったのか?」
ジバの問いに帰ってきたのは短い沈黙だった。
「姉貴?」
「……多分、妹がいても勝てなかった。或いはもっと悪くなったかもしれない。アレを見なさい」
デュラがアホ毛で金色の竜と化したラペナを指し示す。
ようやく慣れてきたが故に、目で追うのがやっとだった高速機動を繰り返す金色の肉体から何かが滴り落ちているのが見える。
それは青い飛沫の様であり、ラペナの体を離れると僅かな間を置いて燃え上がり、霧散する。
己の体から漏れ出す血によってラペナは焼かれているのだ。
「あれは、血?まさか出血?いつやれたってん―――――」
「怪我じゃない」
「え…?」
「妹は強すぎるから寄生した肉体が変異に耐えきれずに絶えず自壊し続けてる。一時間もしたらあの体も砕け散る」
それこそが最強たるラペナの致命的な弱点。
他者の肉体を得る事でより完成を迎える脳髄啜り亜種にあって、ラペナに適合するだけの肉体は早々存在しえない。
故に不適格な肉体は変異直後からラペナの血に耐えきれずに崩壊と再生を繰り返しながらすり減っていく。
ドラゴンブレスすらも肉体から溢れ出て来た血を攻撃に転用して吐き散らした結果に過ぎない。
その行きつく結末はエーテル欠乏による自滅。
肉体は崩壊し、生命維持に必要な最低限の血液とエーテルだけを残して電池切れとなった金髪の生首が地面に転がる事になる。
それまでに勝敗を決める必要があり、投入する場面を間違えればむしろこちらが窮地に陥る諸刃の剣がラペナという存在だ。
あの夜、妹がいたとしてあの赤鎧を殺しきれたかは怪しいというのがデュラの見立てだった。
むしろ負傷者が増える事で誰かしら回収が間に合わずに戦死者が出る。
或いは妹の参戦それ自体が起因で全滅した可能性も―――――。
「ぬ、姉貴。アレ―――――」
ジバの言葉で思考を中断したデュラの視界に映ったのは巨大な何かだった。
視界に捉えづらい、半透明なそれは長く太い鞭のようにうねりながら竜体と化したラペナへと天から振り降ろされてくる。
ラペナを遥かに凌駕する大きさのそれは落ちてくる柱にも見える程の巨大な物だった。
デュラは直感的にそれを理解して呟いた。
「大型種、それも特殊個体―――――」
続く言葉はラペナと半透明なる柱の激突によって起きた甲高い金属質な不協和音によって打ち消された。
二つの巨大な質量同士の激突において、勝利したのは黄金竜の方であった。
ラペナがその一撃を全身で受け止めると同時に、不可視の何かを爪で切り裂き、引き千切る。
だが、それを嘲笑うように複数出現するは先ほどと同じ半透明の柱の如き鞭だった。
そうして全貌をようやく理解した。
これは多数ある触手の一本だと。
「妹!それは―――――」
「それは末端だ!中心を撃ち抜くぞ!」
デュラの声をかき消す程の巨大な声量。
叫んだのは部隊前方にてラペナの撃ち漏らしを処理していたリュナであった。
「戦車部隊は各自の使命を全うせよ!グイリンは戦線維持!私がアレを始末する!」
叫ぶと同時にリュナは前衛の突破維持を戦車隊と騎獣単体のみに任せ、己が黒翼を羽ばたかせて宙へと舞う。
優雅に飛ぶために作られたような翼からは想像のつかない速度で推進力を得たリュナが不可視な何かに向けて弓を握りしめたまま急上昇していく。
「我が子よついてこい!狙うは中核のみ!時間をかければ後続の足が止まり全滅だ!」
リュナの言葉に呼応するように燃え盛る金色の竜が咆哮し、その機動に追従する。
放たれた矢の如く虚空へと突き進む銀の騎士とそれに追いすがる様に鋭角にジグザク機動を取りながらその周囲を高速で飛び回る金の竜が目指すは上空の一点のみ。
「ラペナ様、荒ぶり過ぎじゃねぇですか?」
「違う、速度を合わせてる。妹の方が速いから無駄な機動をやって速度を殺してる」
理性を蒸発させてなお、味方に追従し支援出来るのは家族を守るという本能が成せる業。
ラペナの持つ数少ない執着である家族愛が故。
「そこにいるのだろう!」
叫びと同時にリュナは大弓を構え、何かを射出した。
鋭く細いそれはエーテルで練られた氷結した蒼い矢であった。
射出された氷矢はかつてデュラが投擲した槍が如く、蒼く輝くと同時に自らのエーテルを消費して更なる加速を行い対戦車徹甲弾が如く空へと突き進み、そして―――――。
蒼き矢が甲高い金属音の如き悲鳴を上げながら宙にて停止する。
阻みたるは蒼い燐光をまき散らす半透明状の障壁。
大型種が展開する魔導防壁の明確なる痕跡であった。
「我が子よ!ぶち破れッ!」
リュナが叫ぶとほぼ同時に咆哮を上げた黄金竜が未だ防壁に食い込んで推進し続ける矢へと突撃、体当たりでもって矢諸共に防壁を粉砕し、内部へと突き進む。
「よくやったぁ!」
防壁が砕け散る絶叫の様な音が響き渡る中、ラペナのすぐ脇を幾本もの氷矢が過ぎ去り防壁内へと突入していく。
だが―――――。
敵を貫く筈であった矢は突如として次々と空中にて砕け散る。
それと同時に今まで透明であった存在が姿を顕現する。
それは最も近い姿で言い表すのであればクラゲ。
エーテルで練り上げた氷矢すらも弾く強固な茶色の装甲外皮を形成し、無数の巨大な鞭の如き触手を持った浮遊要塞めいたクラゲの成れの果てであった。
終末によって海を失った海洋生物の多くは、エーテルの力でもって己が生存領域を空に求めたのだ。
「一点集中!粉砕するぞ!」
その言葉の意図を察したラペナはリュナへの追随をやめて一路クラゲへ向けて突撃を再開。
迎撃で振るわれる多数の触手の連撃を紙一重で回避しながらリュナが取ったのは投擲の構え。
それと同時に片側の先端に刃が付けられた異形の大弓が音を立てて精密機械の如く高速で変形していく。
弓なりに曲がった形状が直線へと均され、完成したのは一本の槍。
リュナが詠唱するかの如く叫び、その槍を全力でもって投擲する。
「『三日月』よ!真の姿を示せぃ!」
主の言葉に呼応し、黒き槍がその真実の姿を晒す。
刀身が幾筋かの金色をあしらった蒼き刃へと変わり、柄の黒色が弾き飛ばされて内に隠された純銀の輝きを取り戻していく。
そして、光り輝く槍は自らに内包されたエーテルを推進力とし、投擲によって得た以上の速度と運動エネルギーでもってクラゲの斥力場すらも容易に突破して装甲を貫き、爆裂した。
これこそがリュナが祖たる来訪者より継承した武具が一つ、可変式弓槍『三日月』であった。
茶色の装甲外皮の下にあるのは本来のクラゲがそうであった様な透明な内部組織、それが焼けただれて露出する。
そして―――――。
「ガァッ!ハハハァっ!」
間髪おかずに穿たれた穴へと組み付いたラペナが狂気じみた咆哮を上げながら、その柔い内部組織に向けて全力のブレスを叩き込んだ。
内部へと送り込まれる灼熱のエーテル流がクラゲの体を膨張させ、外皮が内圧に耐えきれなくなると同時に割れた風船の如く蒼い閃光と共に爆裂する。
その光景にジバは愕然とし、あっけに取られていた。
あの偉大なる父と姉は自分達であれば勝利するどころか全滅する事は必至であろう大型種の短時間撃破をやってのけたのだ。
確かに、アレに並び立つには余りにも自分は弱すぎるのだ。
だがそれでも―――――。
「いつかオヤジと一緒に戦えるぐらい強くなりてぇ…!」
湧きたつ敬意と自分もああなれるかもしれないという希望にジバは打ち震えていた。
その腕の中には『分かる』という神妙な顔のデュラがいた。
肉体があれば腕を組んで何度も頷いていただろう。
「次に死にたいのは誰かッ!このリュナと我が子ラペナにかかってくるが良い!」
爆炎の中帰還したリュナの勝鬨とラペナの咆哮に周囲のミュータントたちが更なる恐慌状態に陥っていく。
『波』の流れに逆らい、逆走する者。
距離を取ろうと並走する別の集団へと突撃する者。
大型種すらも方向転換を開始し、『波』の流れ自体がリュナを基点にせき止められ、変化していく。
「皆の者突き進めぃ!我らを止められる者など無しッ!」
その日、討伐軍は許容範囲内の犠牲でもって『波』のど真ん中をぶち抜いて都市へと肉薄する事に成功した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
歪んだ木々が揺れ、人の自我をやすりで削る様な囁き声が盛れ響く白い闇の様な霧の中、フードを被った小柄な男がぶつぶつと何かを呟いて確固とした意志と進路をもって進む。
「違う、そうではない。存在しえぬ存在の存在証明、その完成された美とは…極みとは…」
すぐ脇に現れる不気味な人型の影など気にする素振りもなく男は一つの大樹の前に立つ。
周囲の異様な光景に負けず、その木の有様もまた、異様であった。
無数の人間が木に打ちつけられているのだ。
枝には腕と足が、幹には胴体が、縄で、或いは釘でもって打ち付けられ、一部は屍者となって蠢いている。
もがく屍者によって、動くはずのない木がひとりでに揺れ、まるで胎動する生命の様に動いている。
生きていいないのに生きている、存在しえない筈なのに存在している。
二律背反する矛盾を孕みながら、それはそこにある。
「違う!これではまだ理想には程遠い!美とはッ!完成とはッ!」
頭を抱え、フードを力任せに握りしめながら男は膝から崩れ落ちる。
よくよく見ればそのフードや衣服は人皮と思しきなめされた肌色だ。
人を狂わす霧の中、平然と生きている者もまた、狂人。
「ゴーモン様、お待たせいたしました。その辺で採ってきた偉い人です」
頭を抱えていた男、ゴーモンは背後からかけられた言葉に立ち上がり、振り返る。
そこにいたのは小汚い男を抱えた全身を骨で作った衣装に身を包んだ、これまた異形の男だった。
獣の骨を頭に被り、動物と人骨を継いで作った鎧で身を包み、それにすら飽き足らず、全身に対象様々な骨を突き刺した狂人だ。
「スケルジさん、よくぞ来た!早速その男をこの木に埋め込むのだ!失敗作であれど、創作とはまずは完成させることが肝要だ!」
「はい!ゴーモン様!」
ゴーモンを師と仰ぐスケルジははきはきとした口調で命令に快諾すると縄で拘束している『お偉いさん』と呼ばれた小汚い男を大樹に背中から叩きつける。
「ごえ…ッ!き、貴様!俺を族長サハクと知っての狼藉か…!」
「はーい、黙らないともぎもぎしちゃいますよー?」
慣れた手つきでスケルジはサハクの腹に己が刺していた骨を大釘の如くを叩き込む。
「ご…ッ!ぼあ…ッ!」
「はい、頑張って生きてくださーい。貴方はコアになるんですからねぇ~」
スケルジは手早くサハクの肩と膝にも骨を打ち込み、大樹の幹へと固定する。
木の中央、人で言うならば心臓とも言うべき位置に族長は据え付けられた。
「うっす!完成しましたよー!ゴーモン様!」
一仕事を終えた快活なスケルジの言葉に対し、ゴーモンは終始黙り込んでいる。
「えーと、ゴーモン様?」
「駄目だ、足りん」
「え、足りない?」
「この様な小物では格が足りぬ!やはり失敗作だ!ああ、神よ!貴方の与える想像力に至らぬ我が無能をお許しください!」
創作における生みの苦しみがゴーモンを襲う。
望んだ形を作れぬ苦しみだ。
未だ耳元で教えを垂れてくれているのに。
期待され、愛されているのに。
これほどまでに神が親身に作るべき形を提示してくれるのに、それを成せないのだ。
「この…!イカれキチガイ…!」
ゴーモンの思考を止めたのはそんな場違いな罵りだった。
弾かれたように目をやれば、口から紫の血をまき散らしながら、空気を吐くように族長サハクがゴーモンを罵っていた。
勝ち目の無い仇討ちに興じようという狂人たちの集団から逃げたサハクを待っていたのはやはり狂人だった。
リュナが討伐軍を掌握する以前に集団から脱走した族長の一人であるサハクは帰路の道中で盛大に道に外れて、精神を汚染する霧型アノマリー地帯へと迷い込んで部下を失い、こうして狂人の手に堕ちたのだ。
それは、他の死の運命へと突き進んだ族長たちの中でも最も悲惨な物であったかもしれない。
他のミュータントは喰らう為に殺すが、このゴーモンは芸術の為に殺すのだ。
故に、簡単に死ぬ事を許さなかった。
木に飾られるまでの過程で腕と膝下の足を切断され、鼻を削がれ、片目を抉られている。
そして、それを美の為と称して目の前で粉砕され、木にまき散らされたのだ。
未だ自我を維持しているのはジバと同じく、自分が族長であるという自負だけを頼りに生きてきたが故。
それのみに立脚し、縋るサハクもまた虚無の男だった。
「……分からぬか」
虚ろな表情をしたゴーモンは力なく声を出し、歩み出す。
「分からぬか」
手に持つのは刃が死んだ彫刻刀。
「分からぬか!」
それを振り上げ、サハクへと迫り―――――。
「分からぬか!分からぬか!分からぬかぁああああ!」
「ああ!ゴーモン様殺しちゃだめです!殺したら作品が…あっ」
前後不覚となったゴーモンが彫刻刀をサハクの頭部へと幾度となく振り降ろし殺害する。
そして、それと同時に十分な死体が集まったと判断した括りつけられた屍者たちが形状を変えて屍肉玉へと変じていく。
「あー、だから言った…のに!?」
スケルジが頭をかきながらぼやくと同時に屍肉玉に更なる変化が起きた。
屍肉玉が蠢き、胎動し、徐々に人の形へと変じていく。
大気が震え、白い闇の中に潜む影が荒れ狂い、精神汚染アノマリー全体が甲高い女絶叫の様な音を発する。
おぞましい何かがここに生まれようとしているという確固たる確信がスケルジの内に生まれる。
だが、対するゴーモンは崇高な者の到来を予感していた。
「おお、まさか…!まさか…!?」
「失敗しちゃったね!」
中肉中背で半袖短パンの味のあるアジア人顔の色黒の男がそこにはいた。
それは他ならぬ奇怪にして正体不明の男、ナイデス・J・ヴァイヤーであった。
「おっはー!君が、ゴーモンくんだね?」
「はい!神よ!なんなりと!」
体を逸らせ、腕を組んで立つナイデスにゴーモンは土下座でもって応える。
「ちょい~っとね、殺って欲しい子が出来たからこの霧動かすよ?良いね?」
「は?それは…」
「これも俺の一部みたいなもんだから、まあ多少の命令はね?君もここに住んでるんだからお家賃だとでも思ってさ」
困惑するゴーモンにナイデスは腕を組んだまま前傾姿勢になって問いかける。
「なんか問題がありありあり?」
「いえ、これより知り合いが来る予定でしてな…」
「強いの?」
「いえ、彼の者に戦闘力は…。しかし、テイエス殿は同じ美の志を持つ―――――」
「キャンセルだ」
「は?」
「キャンセルだ。さっさと殺りに行って、どうぞ」
戦闘力が無い。
それを聞いたナイデスはにべもなくゴーモンの願いを退けた。
「まぁ~別に行かなくても良いけどね。俺の声が聞こえるのはこの霧の中だけだよ?」
その言葉にゴーモンが怯えたように身を震わせる。
導きの声が聞こえなくなる?そんな事は許容できない。
「畏まりました!どうか、どうかこれからも私に導きを!」
「ほい、じゃあ行くんだど~」
「ははぁ!」
土下座を続けるゴーモンを無視し、ナイデスはおもむろに自らの右指を左手の爪で切る。
そこから滴り落ちたのは墨汁の様に黒い血、それが地に落ち弾けると同時に霧が鳴動し、まるで生き物のように動き出していく。
「はいじゃあ、後はよろしくぅ!」
ゴーモンが霧と共に去っていくのを見送りつつ、ナイデスは見事な180度ターンを決めて虚空を指さした。
「全部あなたたちのせいだよー!」
その先には白い霧とは対照的に暗黒に揺らめく闇と幾つもの唇たちがいた。
ナイデスは上司たる彼等に対し、一切の遠慮もなく言葉を続ける。
「レオちゃんがさぁ!幾ら最高の素材でもああなっちゃったらお母さんでもどうにもならないんだからね!」
今後は予備案を実行せねばならぬというのに何度もレオと会えとゴリ押してきた上司たちをナイデスは叱責しているのだ。
「焼いた魚を生に戻せって言われても無理だからね!水をワインに変えた事ならあるけどさぁ!」
レオは素晴らしい個体だった。
それは認めるしかない。
だが、既に完成されてしまっている。
あれ以上の発展はあり得ない。
『器』として使うにはあのように変質してはダメなのだ。
神への強烈な憎悪と反感が生まれているのも良くない。
これでは懐柔も説得も出来はしない。
「ノンケにいきなり尻穴確定宣言したらそらああなるってそれ一番!」
あれは最悪、一番の敵となって立ちはだかってくるタイプだ。
今までの永き布教活動を思い出し、ナイデスはレオの属性を当てはめていく。
信仰を打ち砕かれ、しかし宗旨替えをしなかった者は最も恐ろしい破戒者であり殉教者に変じるのだ。
ただ、己の信じる『思想』の殉教者にだ。
「まあ、あなたたち頭お猿さんには分からないでしょうね!頭脳役がお母さんだもんね!」
ナイデスは大げさに頭を抱えた仕草をしながら頭を打ち付けんほどにのけ反り叫ぶ。
だが、突然機嫌を直したようににっこりと笑みを浮かべるとばね仕掛けの様に上体を起こして叫ぶ。
「まあいいや!良い物はたくさん見れたしね!」
ナイデスは城壁の特等席からあの夜の戦いを思い出す。
滅殺の光すら飲み込む暗黒、純粋なる人間の闇の力の顕現。
上司たちが推したがるのも分かる逸材であることは否定しようがなかった。
願わくば、もっと早く会いたかったものである。
正しい教えを与えられたのに。
「まあ、しばらく泳がせときましょ。こうなりゃ極上の料理にした、したて…してやるんだよ!」
だから、あの時にあの連中を撃墜するのをやめたのだ。
戦いに敗北し、哀れにも逃げ出す騎獣を指さし、撃ち落とそうとした間際にやめたのはまだまだ役割があると踏んだが故だ。
なんでもかんでも役者たちに手や口を出すのはシナリオライターのやる事ではない。
やらねばならない事以外は全て、アドリブであってこそ良い塩梅に物語は収束するのだ。
故に―――――。
「さて、それじゃあ僕は行きますかね。レオちゃんの故郷にでも」
ナイデスは既に目指す場所、そして介入すべき場所の目星をつけていた。
いずれにしろ、新しい『器』となる人間を見つけねばならない。
その為にかつての戦争が終わる間際に残してきた『種』があと幾つ残ってくれているかもわからない状況であるからには、その残存が確認できた希少な事例を見逃す手は無かった。
「終幕を引くのはやっぱり王道を往く、人類自らですねぇ!」
ナイデスもまた、己の使命の為に歩み始めていた。
全く関係ありませんが、族長たちの名前は基本的にネガティブな言葉のアナグラムとなっています。
ズーク→屑
ホア→アホ
ゴゾク→姑息
ジバ→恥
コシギ→腰ぎんちゃく
サハク→浅はか
という塩梅です
今回のクラゲの発想元はbarotoraumaというゲームのモロクという装甲クラゲになります
元々不可視で人を襲う大型透明クラゲってのは構想してたのですが、これだけだとインパクトがないので装甲が盛られました
今回はここまで




