過去:坂本絵里の消えた日
―私は、この世界の住人ではない。
エリー・スロープノート。本名は坂本絵里。
学校帰りのある日、人身事故に遭ったと思ったら、見知らぬ土地に転移していた。
最初は、何が起こったのかさっぱり分からなかった。
走馬灯でも見ているのか、と思った。植物人間にでもなった私が見ている夢なのか、とも思った。
だけど、いつまで経ってもその夢が、走馬灯が終わることはなく、日は瞬く間に過ぎていった。
―――
転移してきてから1週間。ここが元の世界とは違う世界なのだと、ようやく理解した。
理解する原因となったのは、名も知らない冒険家が魔術を使ったことだ。
それは、食べれる物を道で拾い、それを食べながらどこかの街を目指して歩いている最中だった。
土地勘という言葉とは無縁の私は、興味本位で森の中に入った。
もしかしたら、森の中に集落を作っている一族に匿ってもらえたりするかもしれない、なんて馬鹿みたいな考えを持ちながら。
―結果として、その判断のせいで私は命を失う所だった。
戦う術なんて持ち合わせていない。せいぜい、身長の小さな魔物をどうにか蹴飛ばせるぐらいの力量しか無かった。
そんな私は、毒狼の群れに囲まれて、為す術無くその場にへたり込んでいた。
毒狼に噛まれるその直前、私の目の前に現れた冒険家が、まず飛び掛ってきた毒狼の首を刀で刎ね、私が呆然としている内に残りの毒狼を殲滅していた。
助けてくれた冒険家の人はとても渋くて、表すなら「大家族の大黒柱」のような存在感を放つ男の人だった。
男の人は私の生存と周囲の安全を確認して、毒狼の死骸たちを炎で焼き払っていった。
そこで、何も無いところから炎がボッと出てくる所を見て、「ここは私がいた世界じゃないんだ」というのを、1週間経ってようやく理解した。
後に魔術と分かったソレを見る前も、元の世界とは異なる点は幾つもあった。
スライムやゴブリンなどの魔物を見た時、見たこともない野菜を口にした時の味。雄大な広原や、地平線の向こうに見える山脈。
それら全ては、「海外にはこんな生き物やこんな景色があるんだ」程度に思っていた。思うようにしていた。
認めたくなかった。ここが異世界で、もう家族や友人とは逢えない。そう思う度に、涙が出そうになるのを堪えた。本当は、最初から気付いていたのだ。
この世界に来てから初めての人を見て、私は涙を堪えきれなかった。
不安だった。怖かった。嫌だった。死にたくなかった。
それら全ての感情が、助けてくれた冒険家の姿を見ただけで、一気に消し飛んだ。
良かった、この世界にも人が居たんだ。
―泣き疲れた私は、その場で疲れ果てて気絶したそうだ。
―――
「気が付いたか?」
気付けば、私はベッドの上で寝ていた。
隣には、私を助けてくれた冒険家の人。
状況的に、この人が私をここまで運んでくれたのだ、と理解した。
それから私は、この人にありのままを説明した。
自分がこの世界の人間ではない事。行くあても無く、さ迷っていた所を助けて貰った事。
自分でも支離滅裂な説明をしていたと思うし、そもそもそんな話を信じて貰えるなんて思っていたのが馬鹿馬鹿しい。
だけど、冒険家の人は私の話を真剣に聞いてくれていた。
「ほう」とか「へぇ」とか、今思ったら適当に返事していただけだと思うけど、それでも反応してくれていたことは嬉しかった。
「・・・エリちゃんが異世界の人間なのは分かった。
だけど、多分帰れないと思うぞ?」
帰れない。
「・・・な、何で、ですか?」
その言葉は、とても震えていたと思う。
ようやく人と出逢えて、帰れるかもしれないと浮き立っていた私に、その一言はとても重く突き刺さった。
―この世界に存在する“禁忌”。
私が帰れないのは、その禁忌に触れてしまうことにあるからだ、と説明された。
この世界に存在する3つの“禁忌”。
1.この世ならざる世界に干渉しようとしてはならない
2.人体を創り出してはならない
3.寿命を全うした人間、病気で亡くなった人間を蘇生してはならない
というのが、禁忌の内容らしい。
私が元の世界に帰ろうとすると、1つ目の内容に触れてしまう為、帰ることは出来ないそうだ。
・・・でも、私はその説明に納得が出来なかった。
私がここに来たっていうことは、誰かが私たちの世界に干渉しようとした事になるはず。
禁忌に触れたその人間がどうなったのかは知らないけど、それなら、禁忌に触れることを覚悟で帰ることだって出来るはず。
私はその意志を冒険家の人に伝えた。
「・・・本気か?」
もちろん、怖いと思った。不安にも思った。
禁忌に触れてしまった人間がどうなるのかは分からない。
だけど、私はその禁忌を犯してでも、元の世界に帰りたいと思った。
生き物がいとも簡単に死んでしまう世界なんて、居たくないと思った。
「帰りたいです。どんな困難が待っていても」
「・・・」
私の選択は、冒険家の人を困らせてしまったのだろう。
本気の私を見て、冒険家の人は心底困ったような表情をしていた。
それから、閃いたような顔をして冒険家の人は立ち上がった。
「よっしゃ、じゃあ1人でも生き抜けるように俺が鍛えてやろう」
そうして私は、冒険家として、この世界を生きていく為の力を身につけることになった。
―――
グレイ・フィルナード。
それが私を助けてくれた、男性の名前。
私はグレイさんと共に、グレイさんの故郷であるレバック国のデルバー村に向かうことになった。
グレイさんには、8歳になる2人の息子さんがいて、私を助けた時は出張帰りだったそうで。
シングルファザーのグレイさんは、急いで帰って息子たちの世話をしないといけない、と言っていた。
ちなみに、留守中は幼馴染の家に預けて、面倒を見てもらっているみたい。
私は、デルバー村に向かう旅路の途中で、グレイさんに冒険の基礎を沢山教わった。
野宿の時のテント設営の方法、特殊な食材の処理の仕方、魔物と戦う時のノウハウetc・・・。本当に色々な事を教わった。
その中でも、特にこれだけはやっとけと毎回言われていたのが、「魔物の死骸は出来る限り早く燃やしておく事」。
魔物に限らず、死亡した生き物の周りには、しばらく残滓というものがまとわりついている。
残滓を消す為に、死体を焼却するのが1番手っ取り早いらしい。
死体をそのままにしておく(=残滓を残す)と、塊となった残滓が悪霊となって、人間に害をなす存在になってしまうとか。
悪霊の討伐は、Aランクの冒険家でも手こずるレベルなので、出来る限り発生させてはいけない。
人が亡くなった場合は、火葬して骨にしてから土に埋めるそうだ。
そこは、どことなく日本の埋葬の仕方に似ている。というよりほとんど一緒だ。
―――
「ほら、脇が甘い!」
「痛っ!」
昼は歩いて、夜は休む。
夜のテント設営が終わってご飯を作る前の数時間、私はグレイさんに稽古をつけてもらっていた。
お互い使うのは、木製の剣だ。グレイさんが、森の中で伐採した木を削って作り上げた、丈夫なものだ。
剣とは言っても、お互いが使う剣の形状は全く違う。
私が使うのは、2本のナイフのような形状の木剣だ。
グレイさんに「使いたい剣はあるか?」と聞かれて、「使いやすいのがいいです」と答えた所、この剣になった。
今となっては、グレイさんと同じ刀状の形にしてもらえば良かった、と後悔している。
間合いが違いすぎて、一本取るどころか近付けさえしない。
「ダガーの特徴は、軽い点と小回りが効く点の2つが大きい。
その特徴をしっかりと押さえて立ち回れば、戦闘が出来る程度には立ち回れるはずだ」
「そ、そんなこと言ったって・・・」
―グレイさんは、流派“夢幻一刀流”の中伝を持っている人だ。
その一太刀はまるで、夢や幻のようにあやふやで、防御をしようにも、別の所から攻撃が来る事もある。
そもそも剣なんて振ったことも無い私なんかが、剣術を学ぶ人に勝てるはずがない。
グレイさんとしては、私に剣術を教えているつもりらしいが、私はそれが全く理解出来なかった。
この人から一本取れる日なんて、来るのだろうか。
―――
それから13日後。
私たちは、デルバー村へと辿り着いた。
ミレーア大陸の北部に位置する小国、レバック共和国。その南西部に、山に囲まれたデルバー村がある。デルバー村に辿り着く前にも、山の中の洞窟を抜けてきた。
「わぁ・・・」
山に周りを囲まれ、森や川など自然溢れるその風景に、私は初めて、この世界に来て感動した。
こんな景色は、元の世界ではそう簡単に拝めるものではない。そう思った。
「さて、息子たちを引き取りに行ってくらぁ」
グレイさんは一軒家の前で立ち止まると、そう言ってドアの前へと歩いていった。
1人になってやることがなくなった私は、改めて村を見回してみる。
村はどれも基本一軒家で、私が居た世界にあるようなアパートなんかの集合住宅の類は見当たらない。
家の種類は2種類ある。
殆どがログハウスのような外見をした1階のみの建物だが、3軒ほどは2階建てのログハウスとなっている。
ここの家のどれもが、現代日本ではあまり見ないような家の形をしていて新鮮だ。
家の数はそう多いわけではない。両手と両足の指の数で数えられる程度の軒数だ。
その為か、村の領土の7割ほどは、農業や林業などに使われている。
外から見て自然が多いと感じたのは、これのお陰だろう。
残りの3割は、2割が歩道で1割が住宅に当てられている感じだ。こうやって見ると、田舎だなぁと思う。
村の考察を一通り終えると、丁度いいタイミングで家の中からグレイさんと3人の子供たちが出てきた。
2人の男の子と1人の女の子。グレイさんは「息子たち」って言ってたから、女の子の方はここの家の子だろう。
「待たせたな」
「いえ、早かったですね」
子供たち2人は、女の子の方を向いて大きく手を振っている。
「じゃあ、また明日」
「じゃーなー、エリスー!」
2人の声のトーンはそれぞれ違う。大人しい子の声は静かに響く感じだけど、大きな声の方の子の声は、村中に響いたんじゃないかと思う。
「おら、お前ら行くぞー」
グレイさんの言うことに従って、2人は後ろについて歩き出す。
私は、その2人に着いて行くようにして後を追った。
―――
長男のクールな男の子の名前はラルド・フィルナード。
長めの黒いストレートパーマで左目が覆われていて、初めは中二病かと思ったけど、ラルド君の左目には特殊な能力があって、制御が効かないうちは左目を隠すようにしているらしい。
次男の元気いっぱいの子の名前はレオン・フィルナード。
こちらは兄のラルド君とは対称的に、ツンツンした髪の毛が無造作になっており、これが天然なんだと思わせるような髪の形をしている。
レオン君の方には、特に能力を秘めているということは無いってグレイさんは言ってた。元気が良くて運動が好きな、至って普通の男の子だ。
長男次男とは言ったものの、2人は双子のような存在だ、とグレイさんは言っていた。
どういうことかと聞くと、2人の内のどちらかは実の子ではなくて、森で捨てられていた所を拾ってきた子供なんだ、と言っていた。
「どっちが孤児なんですか?」と聞いたら、「どっちか当ててみな」と返された。
なるほど、確かに2人の顔つきに似ているところは無いが、父親であるグレイさんと似ている部分はある。
ラルド君は唇の辺り、レオン君は目の辺りとかが似ているように見える。
「さて、今日からお姉ちゃんが一緒に住むことになったぞ〜」
なんて茶化したような言い方をして、グレイさんは2人に私のことを紹介してくれる。
2人は私の事を興味津々といった感じにチラチラ見てくる。
なんか、そういう風に見られると落ち着かないなぁ。
「ほらエリ、自己紹介を」
「あ・・・」
グレイさんに背中を押されて、2人の前に立つ。
改めて自己紹介するってなったら、何だか緊張する。
前々から思っていた。名前を変えようって。
この世界で、私のことを知ってる人はいない。なら、この『坂本絵里』という名前に意味はあるのか、とずっと考えていた。
両親が私の為に付けてくれた名前だけど、その両親も、今はこの世界にいない。
なら、私が『坂本絵里』を次に名乗るのは、元の世界に帰った時にしようと、ずっと思っていた。
だから私は。
「エリー・スロープノートです。
・・・宜しくね、レオン君にラルド君!」
『エリー・スロープノート』として、元の世界に帰る方法を探すことに決めた。
それは、この世界から『坂本絵里』がいなくなった瞬間である。
―――
新陽暦1292年、8月24日。
あれから私は、グレイさんの家のお世話になる代わりに、家事を担う事になった。
とは言っても、当番制ではある。
この世界には曜日という概念は無くて、日にちは1ヶ月に28日で固定だと教えられた。
1ヶ月28日。私の家事当番は、1週間内の2日目と5日目、4週目の7日目に当てられた。
日本風に分かりやすく言えば、月曜日と木曜日、4週目の土曜日ということになる。
ラルド君が日曜日と水曜日、1週の土曜日。レオン君が火曜日と金曜日、3週の土曜日。
グレイさんのみ、2週目の土曜日だけとなっている。
というものの、グレイさんは私たちに剣術を教えているので、普段から疲れて家事をする気力が無いと言う。
・・・訓練の後もピンピンしているくせに。
―そんなこんなで、子供たちと一緒にグレイさんから剣術を教わりながら、時には家事をしながら過ごしている内に、2ヶ月が過ぎた。
「ほいやっさい」
「あいたっ」「いてぇ!」
口笛を吹きながら、グレイさんは私とレオン君の波状攻撃を、いとも容易くあしらってみせた。
今回でもう127回目の試みとなる挟撃は、またも失敗に終わってしまった。
「ふ〜ん・・・」
グレイさんは、木刀を地面に突き刺して、柄の先に顎を乗せるようにして私たちを見つめている。
何というか、小馬鹿にしたような目だ。
それからグレイさんは、閃いたというような明るい声をあげ、木刀を地面から抜いた。
「お前ら、戦ってみろ」
「え?」
グレイさんは、のそのそと木陰の方に歩いていく。
私とレオン君に、戦えって・・・?
「グレイさん、どういうことですか?」
「どういうことも何も、そのままの意味だ。
剣を交えれば、互いの弱点も見えてくるもんだろ?」
木陰のハンモックでのんびりしているグレイさんは、休日のお父さんみたいな寝方で、こちらの様子を伺っている。
チラッと、レオン君の反応を見てみる。
「おお!確かにそうかも!
やろうぜ姉ちゃん!」
メチャクチャやる気だった。
レオン君と戦うとなると、私は子供相手に剣を振るう事になる。
・・・子供相手に、剣なんて振るえるのかな。
仕方が無い。子供相手とはいえ、相手はグレイさんの息子。
私なんかよりも多く剣にさわっているし、私より強いのは間違いない。
けど、私だってそれなりに訓練は積んできた。そう簡単に負けることは無い。はず。
これもいい訓練だ、程度に考えて双剣を構える。
「では、始め〜」
グレイさんの気の抜けた声と共に、私たちは剣戟を繰り広げた。




