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8月 ペリドット  ~夫婦の在り方

焼き鳥『鳥肌』

店は小さく、カウンターと四人掛けのテーブルが二つ。

夕方になると常連客で賑わい、大将と妻の二人が忙しく立ち働く。

店の中では、毎晩のように酒の肴になる話題が飛び交っていた。


「弥生ちゃん、ビールと鶏皮二本お願い」

常連客の注文に、弥生は威勢よく答える。


「あいよ、生中と鶏皮二本入りまーす!」


「ありがとうございまーす!」

大将の声が厨房から返ってくる。


「大将、今日も元気だねえ」

カウンターに座る常連の修一が笑った。


「元気だけが取り柄ですから」

大将は串を回しながら返答すると、


「昨日、腰が痛いって唸ってたじゃないか」

弥生はすかさず言い返す。


「それはそれ、これはこれ」

大将は手を休めること無く返答する。


「都合のいい話だわ」

弥生の呟きに周囲から笑い声が上がった。


鳥肌は、そんな店だった。


特別に料理がうまいのかと聞かれれば、店主は胸を張るだろう。

客たちがこの店に通う理由は、それだけではなかった。


仕事の愚痴をこぼす者。

家で居場所がないと嘆く者。

定年退職して暇を持て余す者。


誰かが話せば、誰かが聞く。


そして最後には、決まって店主が焼き鳥を一本、おまけしてくれるのだ。


「大将、今日はつくね一本サービスしてくれよ」


「昨日も食べたでしょうが」


「昨日は昨日、今日は今日」


「修一さん、あんたの財布はいつも昨日のままだね」

弥生が笑いながら返す。


「弥生ちゃんは厳しいねえ」


「うちの人よりは優しいよ」


「おい、聞こえてるぞ」


「聞こえるように言ってるんです」

また、店内に笑い声が広がった。


そんなある日のことだった。


「なあ、大将。夫婦ってのは、何年一緒にいたら仲良くなるんだ?」

修一が、いつになく真面目な顔で尋ねた。


大将は焼き台の上の串を返しながら答えた。

「さあ。うちは三十年になりますけど、いまだに分かりませんね」


「おいおい。三十年も一緒にいてか?」


「三十年も一緒にいるからですよ」

弥生が注文を運びながら、口を挟んだ。


「この人、昔から頑固なの。自分が正しいと思ったら、絶対に曲げないんだから」


「そっちだって、間違ってても謝らないじゃないか」


「あら、私は間違えませんから」


「ほら、これだ」

常連客たちが腹を抱えて笑った。


修一はグラスのビールを飲み干すと、ぽつりと言った。


「うちの女房も、そんなだったらよかったんだけどな」

その一言に、店内が少し静かになった。


修一の妻は、半年前から入院していた。長年連れ添った夫婦だったが、修一は見舞いに行くたび、何を話せばいいのか分からなくなるという。


「昔はよく喧嘩したんだけどな。今じゃ、喧嘩する相手もいない」

弥生は何も言わず、カウンターに冷奴を置いた。


「修一さん、明日も来るんでしょう?」


「ああ、来るよ」


「じゃあ、また明日、うちの人の悪口でも言ってくださいな」

大将が振り返る。


「俺の悪口は決定事項かよ」


「そういうところよ」

修一は、久しぶりに声を出して笑った。


数日後、修一は小さな箱を持って鳥肌にやってきた。


「大将、ちょっと相談があるんだ」

箱の中には、黄緑色の小さな石がついたペンダントが入っていた。


「これ、女房にと思ってな」


「きれいな石ですね」

弥生が箱を覗き込む。


「ペリドットっていうらしい。店の人に聞いたら、夫婦の愛とか、幸福とか、そんな意味があるんだと」


「へえ、いいじゃないですか」


「でもな、今さらこんなもん渡したところで、喜ぶかどうか」

修一は箱を閉じかけた。


「修一さん」

弥生がその手を止めた。


「喜ぶかどうかは、渡してみないと分からないでしょう?」


「……そうだな」


「うちの人なんて、結婚記念日に花を買ってきたことがあるんですよ」


大将が驚いた顔をした。

「おい、なんで今その話をするんだ」


「しかも、値札がついたままでね」


「取ったつもりだったんだよ!」


「それでも、うれしかったですよ」

弥生は笑った。


大将は何か言いかけて、結局焼き台に向き直った。

「……そういうことだよ、修一さん」


修一はペンダントの箱を見つめた。


翌週、修一はいつもより少し遅い時間に店へやってきた。


「大将、弥生ちゃん。聞いてくれよ」

その顔は、いつになく晴れやかだった。


「女房がな、ペンダントを見て泣いたんだよ」


「そりゃ、よかった」

大将は笑う。


「それで、なんて言われたと思う?」

修一はもったいぶって、ビールを一口飲んだ。


「『こんなもの買うお金があるなら、もっと早く見舞いに来なさい』だとよ」


一瞬の沈黙。


そして、店内は大きな笑い声に包まれた。


「修一さん、それは怒られてるんじゃないの?」

弥生は笑いすぎて涙を拭いている。


「そうなんだよ。まったく、昔と何も変わらん」

そう言いながら、修一の目尻には弥生とは違う涙が浮かんでいた。


「でもな、最後にありがとうって言ってくれた」

修一はグラスを置いた。


「それだけで、十分だったよ」


弥生は黙って、いつもの鶏皮を二本、皿に載せた。

「はい、サービス」


「おっ、今日は気前がいいねえ」


「たまにはね」


大将が横から言う。


「俺にも何かないのか?」


「ありません」

弥生はキッパリ言い切る。


「なんでだよ!」

また笑い声が上がった。


その夜も、焼き鳥『鳥肌』は賑やかだった。


誰かが笑い、誰かが愚痴をこぼし、誰かが明日の話をする。

人生は、思いどおりにならないことばかりだ。


長く一緒にいても分からないことがある。

伝えたい言葉ほど、なかなか口に出せないこともある。


一本の焼き鳥を囲み、同じ酒を飲み、他愛もない話をする。


そんな時間が、人の心を少しずつ近づけていくのかもしれない。


閉店後、店主と弥生は並んで片付けをしていた。


「なあ、弥生」


「なに?」


「今度の結婚記念日、何か欲しいものあるか?」


弥生は手を止めて、夫の顔を見た。

「どうしたの、急に……。鳥肌たったわよ」


「いや、たまにはな」


「そうねえ……」


弥生は少し考え、笑いながら、

「じゃあ、明日も一緒に店を開けてくれる?」


夫は、きょとんとした。

「そんなことでいいのか?」


「そんなことがいいの」

弥生は再び片付けを始めた。


窓の外では、夏の夜風が暖簾を揺らしている。

明日もきっと、常連客たちがやってくる。

いつもの注文が飛び交い、いつもの冗談に笑い声が重なる。


そして、焼き台には、今日と同じように火が入るのだろう。


いつものように夫と言い合いをして、常連客の笑い声を聞きながら一日を終える。

そんな何気ない日常が、弥生にとって何よりの幸福だった。


あとがき

ペリドットの石言葉には、

「夫婦の愛」「幸福」「安心」

私の仕事柄、長年連れ添った夫婦と相談業務がありますが、会話はまず奥様の愚痴から始まります。

もちろん夫への不満ですが……。


ただ、お話を聴いていると夫婦の周りにある空気感というか、妙に居心地の良い雰囲気を感じます。

本人たちも気が付いてないのかなと思います。

若い頃には感じなかった安心感、阿吽の呼吸というのでしょうか。


夫婦の在り方は、若い頃とは違った新しい感覚が芽生え、成長するものなのかもと思ってます。


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