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第四話 奏紀

ーーここは次元の歪みにある妖かしが営むカフェ宿

   ここにだどり着くことができたなら、あなたの願い叶えましょうーー


 ◇ ◇ ◇ 


 俺は私生児だった。

 母は妻帯者と不倫の末、俺を身ごもった。

 相手はかなりの資産家で、母は俺をダシに相手から金を巻き上げるつもりで産んだらしい。

 俺が子どもの頃、酒に酔うといつも俺の前でその話を男とイチャつきながら話していた。

 男は取っ替え引っ替えだったから、男が変わるたびその話をするので何度聞いたかわからない。

 結局俺をダシにしてまとめて貰った金は数年で底をつきた。

 母は小学生になったばかりの俺をアパートに置き去りにしていなくなった。

 俺は福祉施設で暮らすことになった。


 中学に上がる前、父親と名乗る者が施設にやって来て、俺はそいつに引き取られることになった。

 何でもそいつの子どもは女ばかりで、男の後継が欲しいとのことだった。

 父親と名乗る男は地方の資産家で本宅は地方にあるが、別宅が東京にあった。

 

 本宅には正妻とその娘が二人、通いの家政婦がいたが、俺が引越したその日から全員の俺イジメが始まった。

 親父はほとんど本宅にはいなかった。別宅で寝泊まりする方が多かったのだ。

 初めのうちは食事を抜かれたり、無視されたりする程度だった。

 そのうちだんだんエスカレートしていき、部屋を荒らされたり、残飯を食べさせられたり、暴力も振るわれるようになった。

 親父が帰って来るとイジメは一切やらない。うまく誤魔化していた。

 俺は親父も信用していなかったので何も言わなかった。

 俺は実の母親をはじめこの家の女どものせいで、女という存在を吐き気がするほど嫌いになった。


 俺は名門中学に親父のコネで入学した。

 初めは未就学の頃から家庭教師がいたり塾に通っていた者ばかりの中で、授業についていけなかった。

 俺はひたすら勉強に打ち込んだ。家に帰っても居場所がないから遅くまで友人宅に行って勉強を教わった。

 そのうち頭角を表すようになって常に学年で一桁台の成績順位を取るようになった。

 親父からも褒められ、俺の頼み事はほぼなんでも聞いてくれるようになった。

 俺は最初に俺をいじめていた家政婦を親父に言って追い出した。

 そして家政夫を雇ってもらった。男同士仲良くなって継母や義姉からのイジメの抑止力になってくれた。


 高校に入るくらいの頃には俺の背も家では一番大きく、成績優秀でファンクラブができるくらいの容姿だったこともあり、姉たちは俺を自慢したり俺をだしに友人をこき使ったりして、俺へのイジメはなくなっていった。

 俺が跡取りになることは間違いないことをやっと認識したらしく、逆にへつらうようにもなっていた。

 そんな姿を見て俺はますます女嫌いになった。


 学校では女が寄って来たり、手紙や物をくれる度に愛想笑いしていたが、本当は反吐が出るほど虫唾が走った。

 しかし将来のことを見据えて我慢していた。


 大学は都内の名門大学に入り、別宅で住むようになった。

 あの反吐が出るような家族から離れられて晴晴した。


 大学に入り二年になってすぐのことだった。

 入学式の日、俺はテニスサークルの新入生勧誘のために先輩から駆り出された。

 俺の周りに女が集まって来る。俺はビラを配りながら愛想笑いを振りまいた。

 女たちは大学に入ったという気の緩みもあるのか、平気でボディタッチをしてくる。連絡先の交換も半ば強制のように言ってくる。

 もう限界だった。

 俺はビラをばら撒いてその場から一目散に逃げた。

 追って来る女もいたが俺は男トイレに駆け込んだ。

 だが、トイレの前から離れようとしない。声からしてかなりの人数いるようだ。

 そのとき声がした。


「男子トイレの前にたむろしているなんて恥ずかしくない?」


 その声は透明感があって優しい声色だがキッパリとした口調だった。


「なんですって⁈」


「他の男子が入れなくて困ってるわよ。それともあなたたちも男子トイレを利用するの?順番待ちなの?」


 彼女の言葉に周りにいた男たちも加勢した。


「そうだ、お前ら邪魔なんだよ。どけどけ!」


「きゃーっ」


 どうやら近くにいた男が追い払ってくれたらしい。

 俺はトイレの外を覗いた。数人の男がいた。中にはサークルの同期もいた。


「奏紀、モテる男も大変だな」


「ありがとう、追っ払ってくれて。で、お前はどうしてここに?」


「新入生にモデルのような美人がいて追いかけて来たのさ」


 こいつらもさっきの女とたいして変わらないなと思った。


「彼女今トイレに入って行ったんだけど、ここにいた女たちに喝を入れていて、カッコよかったぜ」


 同期はコソッと耳打ちをした。

 きっと彼女もトイレに逃げ込んだんだろう。


「トイレの前で待ち伏せされてたらキモいと思うぞ。さっきの女たちと変わらないじゃないか。第一印象最悪になる前に去ったら?」


 俺は他の男たちにも聞こえるように少し大きな声で言った。


「ヤベェ、そりゃそうだな」


 同期と他の男たちも散って行った。

 俺も先ほどの女たちに見つからないように家に帰ろうと、辺りを見まわしながら人のいない方へ歩いて行った。

 なんだかずっと後ろから足音がしているような気がした。

 誰かにつけられているのだろうかと振り向いてみた。

 すると亜麻色の長い髪が艶やかに揺れる女がうつむき加減で歩いていた。

 俺が止まって振り向くと彼女もビクッとして止まった。


「俺になんか用?」


「……ごめんなさい。あなたに用があるわけではなく……あなたの後をついて行ったら人に会わずに大学から出れそうな気がしたので」


 彼女は俯いたまま答えた。

 この声はトイレの前で他の女に喝を入れていた女の声だ。

 ああそうか、彼女も男どもに追いかけられていたな。


「ここを真っ直ぐに行くと塀にぶち当たるからそこを右に曲がって、あ、ちゃんとした道じゃないよ。木々の中を通り抜けるんだ。しばらく行くとほとんど誰も通らない西門があるからそこから出られるよ」


「ありがとうございます」


 彼女は俯いたまま礼を言って俺の傍を通り過ぎようとした。

 そのとき、俺もトイレでのことを礼を言わなくてはと思い、つい手を出して通り過ぎようとする彼女を阻んだ。

 彼女はギョッとして顔を上げた。

 俺は彼女の顔に釘付けになった。

 なんとも言えない、今まで出会ったことのない神々しいともいえるような清楚な顔立ちだった。


「あ、ごめん。俺も礼を言わなくてはと……そのトイレで女たちを追っ払ってくれてありがとう」


「…いえ…わたしと同じような苦しみを抱えた人がいるなと勧誘をしているときから見ていたので……それに追っ払ったのは男の方ですし、あなたも同じように男の方達を追っ払ってくれましたよね。ありがとうございます」


 俺は女嫌いなはずなのに何故か彼女には嫌悪感を抱かなかった。

 このときはそのまま別れた。


 数日後の休日、偶然家の近くのコンビニで彼女と会った。

 彼女はダボダボのトレーナーにスエットパンツを履いてノーメイクだった。

 それでもその美しさは劣らなかった。

 彼女は特に恥ずかしそうにするでもなく、俺と目が合うと会釈をした。

 俺はコーヒーと紅茶のペットボトルを買い会計を済ませると外に出て彼女を待った。

 何故こんなことをしているのか、彼女に何をいうつもりなのか、何も考えていなかった。

 ただなんとなくこのまま彼女と別れてしまうのが嫌だと思った。

 彼女がコンビニから出てくると俺は両手のペットボトルを彼女の前につきだした。


「やるよ。どっちがいい?」


 彼女は少し驚いているようだった。


「え、もらう理由がないけど」


「この間女どもを追っ払ってくれたお礼」


「それはわたしじゃないって…それならわたしの方も…」


 そう言ってエコバックからいちご大福を取り出して俺に差し出した。


「男の方を追っ払ってくれたお礼」


「いや、自分が食べる分がなくなるのでは?」


「大丈夫。まだあるから、ほら」


 彼女はエコバックの中を見せてくれた。

 いちご大福が三個とクリーム大福が一つ見えた。


「……いちご大福が好きなのか?」


「ふふ、和菓子は大抵好き。大福は特にね。いちごは普通だけどレジ前に並んでいたいちご大福たちが買って欲しそうにしていたから」


 俺は美人なのに気取らない彼女に好感を持った。


「じゃあ俺の家すぐそこだから一緒に食べないか?」


「え?……いや、それは……ごめんなさい。お断りします」


 俺は深い意味はなかったのだが、流石に家はまずかった。


「そんな意味じゃ…俺一人暮らしじゃないし親父と一緒に住んでるんだ。家政夫もいる。だけど家に誘うのはいただけなかったな。庭にテーブルと椅子があるからそこでどう?」


「あ……一人じゃないんですね……じゃあせっかくなのでお庭にお邪魔します」


 俺はホッとした。

 彼女を家に連れて行くと家を見て彼女は少し固まった。


「ここが先輩の家ですか…?」


 別宅といっても本宅とあまり変わりない大きさだった。

 親父の仕事の関係上取引相手を呼ぶこともあったからだ。


「わたし、こんな格好でお邪魔してもいいのかしら?」


「大丈夫だよ。ただ庭で大福食べるだけなんだから」


「そう?……そうよね。パーティに行くわけじゃないしね。では遠慮なくお邪魔します」


 彼女のこういうところもいいなと思った。

 他の女なら着替えに帰るだろう。そしてバリバリにおしゃれして俺にへつらうんだ。

 顔良し、スタイル良し、成績良し、金持ち良し、いうことないと言って玉の輿を狙ってくる。

 俺が私生児だと知ったら引くが、後継ぎと聞くとまた言い寄ってくるハエのような女は今まで飽きるほど見てきた。

 俺の表面だけ見て、俺の中身を知ろうともしないで。


「お帰りなせいませ、坊ちゃん。!……おやこれは珍しい。女性とご一緒ですか?雹でも降りますかね?」


 家政夫は地元からそのまま連れてきた。一番気が許せる人だったので是が非でもとお願いしたのだ。


「余計なことは言わなくていい。彼女は……大学の後輩だ」


 そういえばまだ名前を聞いていなかった。


「遠山紗栄子と言います。突然お邪魔して申し訳ありません」


「いえいえ、とんでもない。坊ちゃんが女性をここに連れてくるのは初めてなもので」


「だから余計なことを言わなくていい。庭で大福食べるだけだから」


「大福ですか?では緑茶をお持ちいたしましょう」


「いいよ、コンビニで飲み物買ってきたから」


「承知いたしました」


 家政夫の森山尚也はにっこり笑って下がった。

 俺は遠山紗栄子を庭に案内して一緒に大福を食べた。


 彼女はよほど大福が好きなのか二つ目を頬張り、三つ目を食べようか思案していた。

 俺にも二つ目を勧めて来たが、俺は甘いものがそれほど好きではなかったから断った。

 俺の前でこんなに素のままでいる女は遠山紗栄子が初めてだ。それにちっとも毒がない。

 俺は彼女に惹かれ始めている自分を制する一方で、彼女と一緒に入る時間を心地よく感じていた。


 それからは家が近いということもあって、電車に乗っていたり近くの店や街頭で会ったりして自然に一緒にいることが増えていった。


 俺は彼女となら一生変わらない気持ちでいられるような気がした。

 彼女以外の者は必要ないとさえ思い始めた。


 遠山紗栄子と出会ってから半年後、俺は彼女にプロポーズをした。


「大学卒業したら俺と結婚してくれ!」


 彼女は顔を赤らめて頷いた。


 紗栄子は男たちが寄ってくるのが煩わしいからサークルに入っていなかったが、大学一のハイスペックの彼氏持ちならもう誰も寄ってこないだろうから、俺と同じサークルに入りたいと言ってきた。

 俺は一緒にいる時間が増えるからいいと思ったが、他の男といる時間もできることになる。サークル仲間と一切話をしないなんてことはあり得ないのだから。

 俺は躊躇した。

 紗栄子はそれを感じ取ったのか、


「やっぱりやめとく。テニスやったことないし」


 と言って微笑んだ。


 俺は飲み会のときは必ず紗栄子を誘った。

 一緒にいたかったのもあるが、俺に彼女がいることを知っていても平気で言い寄ってくる女がいたからだ。

 その女たちの前で俺がどれだけ紗栄子が大事か見せつけてやった。


 俺に彼女ができたことをどこからか聞きつけた親父が、資産家や事業家の令嬢の見合い写真を持って帰るようになった。

 俺が一切見ずに突っぱねると親父は脅して来た。


「今までお前が女嫌いだと聞いていたから遠慮していた。だが彼女ができたなら話は別だ。後継者としてそれなりの家柄の者と婚姻を結ぶ。そのためにお前引き取ったのだ。できないというなら今すぐ家を出て行け!」


 俺はこんなこともあり得ると考えて一年前からIT 関連の企業を立ち上げていた。

 会社は軌道に乗り始め利益も順調に上がっている。


 俺は親父に言われてすぐに荷物をまとめた。


「お世話になりました」


 俺は親父にそれだけ言って家を出て、とりあえず紗栄子のアパートに住まわせてもらった。

 紗栄子は心配したが、俺は紗栄子以外とは一緒になる気はないから親父とは縁を切ると伝えた。

 紗栄子のアパートは別宅から近いのでいつばれるかわからない。俺は急いで会社と大学に近いマンションを契約してそっちに移った。

 紗栄子にも来てもらいたかったが、大学卒業するまでは親が許してくれないから卒業まで待って欲しいと言われた。


 親父は俺がすぐに戻ってくるだろうと高を括っていたようだ。

 俺を探して大学までやって来たが、俺は合わなかった。

 大学の授業料を差し止めされたが自分で払った。

 俺の会社もバレないように代表者の名前は紗栄子にしてある。

 一度紗栄子のアパートまで親父が訪ねていったらしいが、俺がいないことを確認してすぐに帰ったそうだ。

 

 そうして俺は大学を卒業し、会社も大きくしていった。

 一年後、紗栄子の卒業を待って入籍し、親しい友人と会社の社員と紗栄子の親族だけで式をあげた。


  俺は俺が居ないところで紗栄子が知らない行動をしていると思うと息が苦しくなった。

 だから専業主婦になってもらい出かけるときは必ず同行した。

 毎週土曜日に友人と会うことだけは許した。

 なぜならその友人は大学時代からの付き合いで俺も同じサークルだったからよく知っている。

 その友人は癖のないいい奴だし、紗栄子の恩人でもある。


 ところがある日、紗栄子が思いもしないことを言ってきた。


「できれば午前中だけでもアルバイトしてみたいの」


 俺は当然容認できなかった。


「奏紀さんが私のこと大事に思ってくれているのはわかるわ。でも私も色々なことしてみたいの。それに……はたから見ると私には自由がないように見えると言われたの。だから、それを払拭するためにも…」


「誰に言われたんだ⁈」


 俺は紗栄子を惑わしている奴が許せなかった。


「え、あの……那月が、ね……そう見えなくもないかなって……」


 あの友人が!俺と紗栄子との平穏な生活を壊そうというのか!

 俺が黙っていると紗栄子はそれ以上何も言わなかった。


 そのことがあって数日後、俺は紗栄子がいなくなったと言って紗栄子の友人を呼び出した。

 最寄りの駅にいることを伝えると紗栄子の友人は慌ててやって来た。

 そしてこの近くの神社でGPSが途絶えたと嘘をつき人気のない神社に連れて行った。


 神社に着くと俺は友人を脅した。


「余計なことを紗栄子に吹き込むなら二度と会うな!」


「何を言っているの?余計なこと?…ああ、先輩が紗栄子を束縛しているって話?」


 俺は頭に血が上った。


「束縛だと⁈ 違う! 俺は紗栄子が心配で俺の手の届く範囲でいて欲しいだけだ!」


「それが紗栄子の自由を奪っているんでしょう。紗栄子のこと信用していないの?」


 自由を奪っている?何不自由ない生活を送っているじゃないか!信用だと?そんなものは一方的に思っているもので、それこそなんの証明にもならない言葉だ!


「うるさい!お前に何がわかる!紗栄子に二度と会うな」


「お断りします!」


「このっ!その口聞けないようにしてやる!」


 俺は紗栄子の友人の胸ぐらを掴んだが、すぐに振り解かれて俺は勢い余って尻もちをついた。

 紗栄子の友人は走って逃げた。

 俺は急いで立ち上がり後を追ったが、暗がりの中見失った。

 帰ろうとしたとき、叫び声と水しぶきが上がるような大きな音がした。

 すぐ近くに池があった。

 紗栄子の友人が池に落ちたのかもしれない。

 俺は池を覗いたが暗くてわからなかった。

 こんなときは消防署に連絡すればいいのか?

 でも何事もなかったら?消防士を呼んだ俺は笑い者か?


 落ちていないのかもしれないし、このまま帰っても誰も見ていない。


 俺の心に悪魔が囁いた。

 俺は急いで家に帰った。



 紗栄子の友人の訃報が届いたのはそれから二ヶ月後のことだった。

 あのときは死んではいなかったと少し安堵した。

 でももしかするとあのとき池に落ちたことが原因かもしれない。

 もしかしたらあの日のことを誰かに話していたら?

 俺は怖くなった。

 それを確かめたくて紗栄子と一緒に通夜に行った。

 友人の旦那と話したが何も聞いてはいないようだった。

 俺は今度こそ本当に安堵した。



 友人の葬儀の翌日、俺は紗栄子から衝撃的な話をされた。

 子どもができたという。

 そんなバカな、ずっと避妊してきたはずだ。

 いや、待て、そうだあの日、紗栄子の友人と会ったあの日だ。


 俺は子供は欲しくなかた。紗栄子さえいればそれだけで良かった。

 子どもができても大事にする自信がない。大事にされた憶えがないからだ。

 母親や父親と同じように利用価値でしか子どもを見れなかったら?

 俺と同じような辛い思いをさせてしまったら?

 

「……俺は子どもが苦手なんだ…………悪いが堕してくれ」


 その言葉を吐いたときの紗栄子の俺を見る目が怖かった。

 俺はそのまま家を出て会社の社長室で寝泊まりした。


 二日家に帰らず会社で泊まった。秘書から紗栄子が心配していることを聞いた。

 なぜ俺に直接連絡してこないんだ。


 俺は尋常な状態ではなかった。

 家に帰ると今まで見たことのない反抗的な紗栄子に俺の心は壊れていった。

 あんなことをするべきではなかった。

 紗栄子が二度も俺から逃げて初めて俺がどれだけ紗栄子を苦しめていたか気づいた。


 神社で倒れている紗栄子を見つけたときは心臓が止まるかと思った。

 それと同時に紗栄子のお腹に宿った小さな命も俺にとってかけがえのない宝に思えた。



 紗栄子は無事に男の子を出産した。

 目の中に入れても痛くないと言う人を俺はバカにしていたが、どうやら俺もバカだったようだ。

 こんなにも子どもは愛らしいのに、どうして俺の親は利用することしか頭になかったのだろう。

 俺は俺の親とは違う感情で子どもを見れることが嬉しかった。

 俺はますます紗栄子と子どものために仕事に精進し、二人の日々の安全を確保した。



 息子が中学に入った年のことだった。

 紗栄子から最近元気がないと聞いた。

 本人に聞いても「なんでもない」と答えるだけらしい。

 学校で何かあったのかと心配になり、俺は学校を訪ねた。

 担任と話したが特に何かあった様子はないという。

 だがその言葉は信用ならない。何かあっても何もないと答えるのが教育現場での保護者への対応だ。

 俺は小学生のときイジメにあったいたが、親が何も言わないので教師にも見て見ぬふりをされていたことがあった。

 俺は息子をそのまま連れて帰った。


「学校は信用ならない。お前はもう行かなくていい。お父さんがちゃんとした家庭教師をつけてやる。義務教育だから出席日数足りなくても卒業はできる。高校も行かなくても大学は入れる。家でしっかり勉強すれば大丈夫だ」


 そう言い聞かせていると息子の顔がみるみる怒りで歪み始めた。


「……そういうとこだよ……」


「なんだって?」


「お父さんのそういうとこだよ!僕の意思は関係ない!全部お父さんの言う通りにしなきゃならないんだ!」


「何を言って…お父さんはお前が大事だから…」


「大事って何?束縛すること?檻の中に閉じ込めることなの⁈ あれは危ないからダメ、これは似合わないからダメ、友達は選べ、勝手に遊びに行くな、僕がどれだけいろんなことを諦めてきたか…」


「それは全部お前のために…」


「僕のためなんかじゃない!お父さんは自分が安心したいだけ、自分が満足したいだけ。僕の気持ちを考えたことあるの?僕はお父さんの操り人形じゃない!」


 息子は家を飛び出した。俺は後を追った。

 一軒家が立ち並ぶ住宅街を抜けると車通りの多い道路に出る。

 早く捕まえないと危険だ。

 ようやく追いついたと思ったその瞬間、宅配のトラックが息子の目の前に。


「直樹!!」


 俺は咄嗟に息子の腕を引いて道路脇に投げた。



 ここはどこだ…?

 気がつけば山の中にいた。

 確かにトラックと接触した感触はあるのになぜこんな薄暗い山の中に?

 とにかく人か民家を探してここがどこか聞かなければ。

 俺は辺りを見渡した。

 上の方に薄っすらと明かりが見えた。民家があるのかもしれない。俺は明かりを目指して上へと登った。

 どのくらい登っただろうか。歩いても歩いても全く明かりに近づけない。

 俺は疲れ果てて座り込んだ。


 息子は無事だろうか。

 考え方が違えど、俺は結局親父たちと同じことを息子にしてきたのか。

 大事なのは息子が何をしたいかだ。それは一番自分が経験してわかっているはずだったのに。

 そうだ、息子が言ったように俺は自分が安心したいがために息子の気持ちを考えず押し付けていた。

 それはきっと紗栄子にたいしても同じなのだろう。

 なんてバカなんだ俺は…………。



 香ばしいコーヒーの香りが漂ってきて俺は目を開けた。

 どうやら眠っていたらしい。

 夢を見ていたのか?ここは病院か?

 周りを見るとどうも病院ではない。古民家の宿のようだ。


「気がついたようだね」


 いつの間にか青年が傍にいた。金髪に赤い目…日本人じゃないのか?


「ここはどこです?」


「ここは次元の歪みにあるカフェ宿khaosだよ」


 は?まだ夢を見ているのか?それともこいつがおかしいのか?


「家に帰る。タクシーを呼んでくれ。宿代はカードでもいいか?」


 そう言って俺は立ち上がった。


「はあ〜。khaosはどうしてこんなおじさん呼んだのかなぁ」


「どういう意味だ?」


「とにかく下に降りて。タクシーは来ないから他に帰る方法を教えてあげる」


 俺は不審に思いながらもとりあえず彼の後をついて行った。

 カフェのような所に入ると俺は一瞬足を止めた。

 ハロウィンでもないだろうに仮装した連中ばかりが座っていた。

 俺は個室に案内された。

 

「どうぞお座りください」


 個室の中には別の青年が座っていた。

 これはまた、白銀の髪に緑?金色?の瞳だ。ドキッとするほど美しい。

 ここは日本じゃないのか?だからタクシーでは帰れない?

 いやしかし、俺は日本で事故に遭ったはずだ。


「なぜここにいるのか不思議でしょうがないようですね」


「ええ、ここはどこです?」


「ここは次元の歪み、異世界といった方がわかりやすいですか」


「異世界⁈」


 俺は思わず立ち上がった。

 つまりあの事故で俺は死んだのか。


「あんたたちは天使とかそういう類のものか?」


「僕たちは妖かしです」


 あやかし?妖かしって妖怪?


「じゃあ、あんたたちは閻魔の使いなのか?」


 金髪の青年がクスクス笑った。


「おじさん、閻魔様は神様だよ。それにここは冥府じゃないし」


「冥府じゃない?じゃ俺は生きているのか?」


「今のところはね。おじさんが帰る時間によるよ。元の時間とピッタリなら命はないかもね」


 どういう意味だ?さっぱりわからない。


「空夜、余計なことは言わなくていい」


 白銀髪の青年が言うと金髪の青年は個室から出て行った。


「あなたが理解できなくても仕方ありません。ここは夢の中だと思ってください。そしてこの夢の中ではあなたの願いを一つだけ叶えることができます。あなたの十年分の寿命と引き換えですが」


 胡散臭いな。まあ夢の中なら騙されたと思って見てもいいか。


「何でもいいのか?」


「はい大抵のことは」


 俺はしばらく考えた。会社をもっと大きくしたいし、いい人材も欲しい。

 でもそれより……


「家族が幸せで居続けられるように」


「申し訳ありませんが、具体的でなければ叶うことができません」


 俺はまたしばらく考えた。家族が幸せになるために必要な具体的なことは何だろう。

 息子はなんと言っていた?紗栄子が悲しい顔をするのはどういうときだった?


「……俺の…俺の家族に対する束縛癖を直して欲しい」


「その願い叶えましょう」



 頭がボーっとする。身体中が焼けるように熱いが、手足の感覚がわからない。

 誰かの泣き声が聞こえる。指先の感覚が少しずつ戻ってきたみたいだ。誰かが握っているのが分かる。

 俺は目を開けた。


「あなた!」


「お父さん!」


 そうか泣き声は紗栄子と直樹か。俺はまだ生きているようだ。

 直樹が何度も謝っている。謝るのは俺のほうだ。

 今までお前の気持ちも考えずに俺の意見を押し付けてきて悪かった。

 そう言葉にしたいが声が出ないようだ。

 だが生きているならこれからいくらでも言える。

 紗栄子、直樹、こんなお父さんと今まで一緒に暮らしてくれてありがとう。

 これからは違う道を一緒に生きていこう。



 ◇ ◇ ◇


「なんであのおじさんをkhaosは助けたんだろうね。那月を見殺しにしようとしたやつなのに」


「空夜も聞いていたんだろう?彼の願いを。根っから悪いやつではないのさ。彼は彼で幼い頃からの因縁のせいでああなってしまった。きっとkhaosはその因縁を今世で断ち切ってあげたかったのだろう」


「そういえば物欲がない人ばかりがここに来るよね。金持ちにしてくれだとか、モテたいだとか誰も言わないね」


「そういう人間はここには来れない。khaosはちゃんと選んでいるんだ」


 水晶が淡く光った。また誰か次元の歪みに迷い込んだらしい。khaosはカフェ宿に呼ぶだろうか。


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