最終話:ノックの音
ノックの音に、編集長・瀬川は目を上げた。
「どうぞ」
「……失礼します、瀬川編集長」
「いらっしゃい、村瀬君」
村瀬の表情が硬い。
瀬川は応接セットへ村瀬を誘導した。
「今日は、どうしたのかな?」
差し出したコーヒーに、手もつけず。
なかなか話し出さない村瀬へ、水を向ける。
膝の上の、村瀬の手に力が入り。
「……上手く、編集できないんです」
瀬川は「そうなのかい?」と続きを促した。
「確実に、読みやすくは、なっているんです。なのに……」
掠れた声で、村瀬は呟いた。
「手を入れるたび、輝きが消えていく…」
「そう、感じるんだね」
瀬川は、コーヒーを口に含んだ。
「さすが村瀬くんだね」
村瀬は、はっと顔をあげた。
「彼女の文章、不思議だよね?」
瀬川は、いつもと変わらずにこにことしている。
村瀬は、暫く考え――言葉を絞り出した。
「……今の俺には、編集できません。力不足です」
「そうかい?」
時計の秒針の音が、やけに大きく響いている。
「じゃあ」
瀬川は柔らかい微笑みを浮かべたまま口を開いた。
「柊君に、声を掛けてみようか」
村瀬は何も言わず、頭を下げた。
そして、コーヒーに手を伸ばした。
村瀬が退出した後。
また、編集長室にノックの音が響いた。
「どうぞ」
「失礼します」
「いつ来るかと思っていたよ、柊君」
にこやかな瀬川と対照的に、柊は引き締めた表情を崩さない。
「その表情も、懐かしいねぇ」
「――瀬川編集長」
柊は、深く頭を下げた。
「白雨紡の担当に、戻らせてください」
「理由を、聞いてもいいかな?」
柊は、上半身を起こした。
「泣いたからです」
「作家が泣いたら、編集を変えるのかい?」
「助けて、のサインだと思いました」
「私情を挟んでいないかい?」
柊は、瀬川の目を見つめた。
「私情を挟んでいないか、何度も疑いました。その上で出した結論です」
「それを、常にできるかい?」
瀬川はにこにこと、いつも通りの顔をしている。
「やってみせます」
柊の言葉に、瀬川は「じゃあ、そうしようか」と答えた。
「ただし、作品の質が落ちたら外すからね?」
「ありがとうございます」
頭を深く下げた柊に、瀬川は笑みを深めた。
編集長室を出た柊は、デスクに戻り。
スマホの黒い画面を指で撫でた。
帰宅し、玄関の扉を開ける。
紡が顔をのぞかせた。
「おかえりなさい?」
「帰りました」
紡が少し首を傾げた。
「ごきげん、ですか?」
「…そうですね。担当に、戻ります」
ひとつ、瞬いて。
ぽつりと呟くように。
「…わたしの?」
「はい」
「ひいらぎ、さん…っ」
飛び込んできた紡と、しばらくそのままでいた。




