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15/30

第四話:また、明日

21:30

「…そろそろ就寝時間ですね」


紡が不満そうな顔をする。


「もうちょっと…」

「許可できません。睡眠が足りないと、すぐ体調を崩すでしょう?」

「足りなかったら、明日、また一緒にお昼寝しようよ」


先週の休日、確かにそういうことがあったが。

ノートに書いてあることから、推測したのか。


「睡眠リズムを崩すと、昼夜逆転しませんか?」


壮一郎がまっすぐに見返すと、紡の目が泳ぐ。


「残りの白湯を飲みなさい。もう、喋ることは禁止です」


半分ほどに減っていた白湯を、紡が飲み干した。

そして、テーブルにマグカップを置く。


「では――」


照明のリモコンを手にした壮一郎の胴に、紡の腕が回される。

壮一郎は、一瞬の沈黙の後、ふっと息を吐いた。


紡の体温が自分のシャツ越しに伝わってくる。

呼吸を合わせ、しばし目を閉じた。


微かに香る湯上がりの匂い。

白湯で温まった、小さな体温。


「……全く」


紡の後頭部を見下ろし、呟く。


「喋るのを禁止したら、今度は言葉以外の方法で、私の防壁を壊しにかかるわけですか」


紡は、何も答えない。

ただ、少しだけ、力が強くなる。


これが愛情表情なら、どれほど幸せだろう。

浮かんだ希望を、打ち消した。


壮一郎は、紡の背中を、ゆっくりと一定のリズムで撫でた。


「……いいですよ。このままで」


しばらく、そのままでいた。

紡の呼吸が、少しずつ穏やかになっていく。

壮一郎はブランケットを引き寄せ、紡の肩にかけた。


「……眠れそうですか?」


紡が、首を横に振る。


「……そうですか」


壮一郎は、紡の髪をゆっくりと梳いた。


「では、少し付き合いましょう。コグニティブ・シャッフルという睡眠法を試してみませんか」


紡が、顔を上げた。


「こぐに…?」

「コグニティブ・シャッフル――論理的な思考をゆるめて入眠を促す方法で、脈絡のない単語をイメージします。たとえば『あ』から始まるもの…アイス、赤、飴…」


続きを促すように、壮一郎は言葉を切った。

しばらく間があって、紡が続ける。


「あしびきの……」


壮一郎は、紡を見下ろした。


「……枕詞ですね」

「だって、言葉を出そうとすると、つい……」

「そうでしたね、あなたはそういう人でした…」


少し考えて、壮一郎が再び口を開く。


「では、私が言うものをイメージしていくのはどうでしょう?」

「いめーじ…」

「そうですね…沈む琥珀。崩れた積み木。夜明けの針…」


壮一郎は、思いつくままに言葉を呟く。

紡の呼吸がゆっくりとしたリズムへ変化していく。

穏やかな、深い呼吸。

言葉を切り、反応がないことを確認して。


「……よく頑張りました」


誰にも聞こえない声で、壮一郎は呟いた。


ノートに、一行書き加える。

『21:30 — 就寝。コグニティブ・シャッフル使用。単語を自分で出すと物語化する(「あしびきの」と言っていた)ため、イメージ提供。』


壮一郎はブランケットを直し、紡の額に短く唇を寄せた。


壮一郎は、紡の隣で本を開いた。

壮一郎の就寝時間は、もう少し先だ。

ページをめくる音だけが、静寂に溶けていく。


「……夢、みた」


微かな声に、目を開けた。


時計を見る。

23時14分。

紡が、目を開けている。

まだ、夢の中にいるような顔で。


「どんな夢でしたか」


紡が、ゆっくりと言葉を探す。


「……くろい、くまみたいなの」


壮一郎は、静かに耳を傾ける。


「車の窓みたいな、四角いガラスの向こうから……こっちをみてた。二匹」

「……二匹」

「最初は、一匹だったんだと思う。でも、増えてた」


壮一郎は、ノートを開き、書き留める。

『23:14 — 中途覚醒。黒いクマの夢。車の窓から二匹。最初は一匹だったと言っていた。』


「……ネタにしますか?」


紡が、小さく笑う。


「したい」

「……やはり」


壮一郎は、ノートを閉じた。


「まだ、夜は長い。クマも預かりましたから、安心してください」

「…ひいらぎさん、まだねないの?」

「もう少ししたら、寝ますよ」


紡が、壮一郎の腕に頭を預ける。

じっと見る紡に、首を傾げる。

また、分からなくなっているのだろうか。

ノートを手に取ろうかと思った時。


「ひいらぎさん、りらーっくす」


まるでおまじないのように、柔らかな声。

壮一郎は、溜息とともに体の力を抜いた。


「…ありがとうございます、紡さん」


紡は満足そうに、目を閉じる。


壮一郎は本を閉じ、テーブルへ置いて。

紡の呼吸に、耳を澄ませる。


規則正しい、穏やかな音。

壮一郎は、目を閉じた。


「おやすみなさい、紡さん。……また、明日」 

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