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 アーサーにメアリを紹介した時、一瞬変な間ができた。何かをさっと隠すような気配。今思えば、きっと互いに一目惚れだったのだろう。しかし、その時のリリーにわからなかった。まだ、アーサーに恋をしていなかったから。

 

 リリーが八歳、アーサーが十歳の時に二人は出会った。

 アーサーの伯父であるグレイン子爵は仲の良い夫婦であったが結婚二十年にして子宝に恵まれず、甥であるアーサーに子爵家を継がせようと、王都で文官をしていた弟一家を領地に呼び寄せたのだ。

 アーサーは都会育ちの為か、ひょろりとして青白く痩せた容姿で、非常に落ち着いた優しい少年だった。趣味は読書で、リリーにもよく読み聞かせをしてくれた。また、アルフレッドの横暴なふるまいも、笑って許容する寛大さがあり、一方、アーサーの見るからに貧弱な姿には、流石のアルフレッドも手が出しにくいようだった。アーサーが一緒ならアルフレッドは暴れない。リリーはアーサーを猛獣使いのように崇めるようになった。

 そんな二人に婚約の話が持ち上ったのは、アマリエ伯爵とグレイン子爵の酒の席でのことだ。リリーはアーサーに懐いていたし、アーサーはリリーを妹のように可愛がっている。リリーとアーサーが結婚してくれれば、両家にとって有益なことしかない。


「けれど、よいのですか? リリー嬢にはアルフレッド様がいらっしゃるのでは?」


 グレイン子爵は、可愛い甥っ子が後から婚約者を奪われることになっては気の毒だ、と懸念して尋ねた。


「いやぁ、リリーとアルフレッド様はそういう仲ではないですから。まぁ、そうですね、本人達の意思を確認してからでも遅くはないでしょう」


 そこで、アーサーとリリーに婚約の話が伝えられた。アーサーがいればアルフレッドに虐められないで済む。リリーは飛び跳ねて喜んだし、アーサーの方も伯父から爵位を引き継ぐために「貴族とはなんであるか」を懇々と教育されている最中であったから、政略結婚について抵抗はなく、相手が妹分のリリーであることに安堵さえした。かくして二人は婚約を結んだ。

 それから特に何かが変化したわけではない。リリーとアーサーはずっと兄妹のように仲睦まじかった。


 転機が訪れたのは十六歳のデビュタントの日だ。

 それまでリリーは既製品のドレスしか持っていなかったが、初めてオーダーメイドのドレスを作ることを許された。あまりお洒落に気を遣う質ではなかったが、生地と型を選び、サイズの寸法をし、仮縫い、本縫いと様々な工程を経ていく中で、世界で一つの自分だけのドレスに並々ならぬ拘りを持つようになった。

 寸法を終えた段階で、


「やっぱり別の型にする」


 と言い出し、一晩経つと、


「やっぱり前のままでいい。お店の人にはまだ何も言っていないからよかった」


 などと終始ドレスのことを気に病むようになった。

 そして、裁断の段階になって一番最初に決めたはずのドレスの色を迷い始めたのだ。


「なんだか、青の方がいい気がしてきた。淡い青が爽やかでよくない?」

「あの緑の生地は一番最初に一目惚れしたのでしょ」

「なんだかちょっとババくさい気がする」

「落ちついていていい色だと思うけど、まぁ、今ならまだ間に合うわ」


 青か緑か。ぎりぎりまで悩みまくるリリーに、姉のエリスが言った。


「アーサー様にエスコートして頂くのだから、アーサー様の目の色に合わせてみたら? ロマンチックじゃない?」

「え」


 言われて一瞬頭が白くなった。

 デビュタントが済めば大人の仲間入りだ。大手を振って恋愛をすることができる。多くの令嬢は出会いを求めて胸を躍らせる。リリーは既に婚約者がいてエスコート相手に悩むこともなく出会いを求めてもいなかった。デビュタントは楽しみだが、アーサーと共に出掛けることに特別な意識はなかった。


「ロマンス小説なんかでよくあるじゃない? わたしは照れ臭くてやったことないけど」


 言われてリリーは考えた。リリーは昔からロマンス小説が好きだ。しかし、自分に当てはめたことはなかった。遠い世界の物語で、想像上の産物だと割り切っていたから、姉の言葉を聞いて目から鱗がおちた。なるほどね、と。リリーは姉の言葉に感化される形で青を選んだ。


 ドレスの出来は素晴らしいものだった。

 全体は淡い青のシンプルなシルエットで、胸元、腰、裾にかけて濃紺の糸で細やかな刺繍が施されている。ドレスに合わせて七センチのヒールも用意した。自分で試した化粧がピエロのようだと言われ、母と姉に厳しく指導を受けた。当日がくるのを指折り数えて待った。


 デビュタントは毎年、王都にある王宮にて行われる。十六になる貴族が一堂に会するので前後三日間は盛大なお祭り騒ぎになる。王都にタウンハウスを構えていない貴族はホテルを押えるのにも苦労する。リリーの場合は、朝から出発すれば夕方の舞踏会に十分間に合う距離に住んではいる。しかし、王都に叔母の邸がある為、二日前に王都入りして観光を楽しみつつ入念に準備することにした。一方、アーサーは、当日、父と一緒に約束の時間きっちりにきた。着飾ったリリーを父は大はしゃぎで褒め称え、アーサーもいつもの穏やかな口ぶりで、


「リリー、凄く似合っているよ。お姫様みたいだ」


 と微笑んだ。それから、


「緑のドレスにするって聞いていたけど、青にしたのだね」


 と加えた。リリーは直ぐに、


「アーサーの目の色に合わせたのよ!」


 と言おうとした。言おうとしたが、言えなかった。頬が上気して胸が詰まった。いつもより締め付けているコルセットのせいかと思った。だけど違った。アーサーが差し伸べる手に掌を重ねてわかった。唐突に、突然に、アーサーを好きだと感じたのだ。

 こうしてリリーの遅蒔きの恋は始まった。



 リリーが恋に目覚めて大きく変わったことが一つあった。

 アーサーとメアリが一緒にいると不愉快。

 以前は全く感じなかったのに、とても気に掛かるようになった。

 メアリ・クロフォードとは、学園に入学してすぐに意気投合した。初めてできた同じ年の女の子の友人だ。仲の良い令嬢は他にも多くいるけれど取り分けメアリとは気があった。もちろん、すぐにアーサーにも紹介した。二年も前のことだ。これまで何も感じなかったのに、気持ちを自覚した途端、急に嫉妬し始めるなんて、自分はかなり焼きもち焼きな性格だったのだな、と笑えた。しかし、しばらくしてそれは笑い事ではなくなった。その赤い感情はメアリ限定で発動するからだ。何故? アーサーとメアリにやましいことがあるわけじゃない。大体二人の接点は多くない。同じ学校に通っているが学年は違うし、男女は分かれた校舎だ。三月に一度講堂で行われるダンスパーティーか、時折出席する夜会で顔を合わせる程度。むしろ、二人はお互いを避けている気配さえあった。


「グレイン卿とデートなのでしょ? お邪魔虫は帰るわ」

「女の子同士の集まりだろ? 僕は遠慮しておく」


 だが、そのことが逆に引っ掛かった。「何が?」と聞かれれば「女の勘」と答える他にない。例えば磁石のように、近づきすぎるとくっついてしまうから距離を置いている。アーサーもメアリも自分の気持ちに気づいてしまわないように、細心の注意を払っている。そんな気がした。そして、それは正解だった。二人は確実に惹かれあっていた。

 では、リリーはどうしたか。

 リリーは別に悲劇のヒロインではない。まして、アーサーとメアリの為に身を引く、いい子ちゃんでもなかった。もし、本当にリリーが二人を思うならもっと早い段階で婚約解消を申し出ていた。でも、しなかった。リリーはアーサーと結婚するつもりでいたから。アーサーは婚約者として完璧だったし、メアリは最高の親友だった。だから、リリーも二人同様に何も気づかないふりをすることにした。そして、自分の恋心にも蓋をした。アーサーとは親の決めた婚約者で、兄妹のように仲が良く、お互い尊重して大切に思い合っている関係。それを貫いた。愛の告白は結婚してからで充分だと思った。今、変に恋愛感情を暴露して、アーサーに負担を掛けるのはよくない。自分の「好き」が藪蛇になって、アーサーとメアリの恋が動きだしたら拙い。打算的に考えて、これまで通りの関係を保つ選択をしたのだ。

 早く、早く、学園を卒業し、十八になって、結婚したら自分の恋を始めよう。

 でも、メアリが意にそぐわぬ結婚を強いられる不測の事態が起きてしまった。見て見ぬふりをしようと思えばできた。このまま結婚しよう、と何度も思った。が、それをすれば、アーサーは腹底で一生後悔する。偶然街中でメアリと再会した時、子供と遊んでいる時、或いは隠居してぼんやり庭を見ている時、


「あの時、勇気を出していれば」


 きっと思うだろう。そんなのは耐えられない。だから、リリーは婚約を解消した。アーサーの為でもメアリの為でもなく自分の為に。


「わたし達の間に恋愛感情はないもの。ただ、家同士の決めた結婚で逆らう理由がなかっただけ。でも、今は違う。アーサーはメアリを助けたいと思っているのでしょ? わたしもメアリを助けてもらいたい。だから、婚約を解消しましょう」


 今更狡く嘘を吐く自分にうんざりしたが、リリーはめいいっぱい格好をつけて言った。せめて矜持くらいは守っても罰は当たらないはすだ、と。

 かくしてリリーの強かで歪な秘密の恋に幕は下りたのだ。

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