10
アルフレッドは、宣言通り六時きっちりに迎えに来た。
リリーは、アルフレッドが送りつけてきたドレスの中から、淡いピンク色を選んで着た。小さな薔薇のコサージュがベルト状にあしらわれている。胸のだぶつきが改善されているのは、店に依頼して手直ししてくれたのか、コレットが詰めてくれたのか。いずれにしても複雑な気分だった。しかし、それをアルフレッドに言うのも気まずい。
「ドレス有難うございます」
馬車に乗り込んでから礼だけは言った。
「あぁ」
アルフレッドからも短い返事だけが返った。お礼一つで済む金額のドレスではないのだが、他に言うと怒りだしそうなのでリリーは口を噤んだ。
それから、馬車に揺られること三十分。ローグウッド地区へ向かった。
アズウェルは避暑地として人気がある。土地自体は、オーウェン公爵が王家より賜ったものであるから売買はできない。借地権を賃借する形で多くの貴族が別荘を所有している。ローグウッド地区はその為に開放された区域だ。
向かう会場は、放蕩が原因で破産したジャネラード元侯爵所有の別荘だった屋敷だ。競売でリングル商会が競り落としダンスホールを始めた。内装も外観も絢爛豪華な造りだった為、殆どそのままの状態で使用している。
「ダンスホールに行って何するつもりなんですか」
「物見遊山だ」
「忘れてましたけど、クソ女への復讐はどうなったんですか?」
リリーの言葉に、アルフレッドは「あぁ」と、また、どうとでも取れる返事をした。
「その人をどうしたいんですか?」
「……別に」
「別にって、結婚の邪魔をされたから恨んでいるんですよね?」
「人の人生無茶苦茶にしておいて、自分の人生は他人に譲るから腹が立っているんだ」
「なんですかそれ」
「お前は知らなくていい」
残念ながら既に知っている。いつお前の人生を無茶苦茶にしたというのか、と抗議したいが出来ないことが、もどかしい。すっとぼけるのも辛いな、というのがリリーの本音だ。オーウェン公爵からの密告を信用し過ぎて後で恥をかくのは嫌なので話半分に受け止めていた。だが、ランスからもあれこれ教えられて、薄々気づいていたクソ女の正体を認めざるを得なくなってしまった。もし、ここでアルフレッドにオーウェン公爵とランスの裏切りを告げたらどうなるのだろう。それはそれであっちの思う壺のような気がして、リリーは話題を変えた。
「貴方とダンスホールに出掛けて変な噂が立つと、今後のわたしの人生に支障が出るんですけど」
「寝取られ女のレッテルを貼られているよりマシだろ」
皮肉でも嫌味でもなく真剣な顔で言うので改めて、幼稚だな、と思った。
人の噂なんていい加減なものだ。苛立ちはするが、反論するほど大きくなる。自分は元々目立つタイプではないから、放っておけばすぐに忘れ去られるはず、とリリーはしばらく引き籠る選択をした。家にいる限りは、嫌な噂は耳に入らない。だが、いつまでこうしていれば良いのか、という不安。外へ出て行ったら陰口を叩かれる、と思うと出掛ける気力が失せた。このまま自分は、本当に屋敷から出られなくなるのではないか。だから、アルフレッドに脅されたせいではあるが、王都へすんなり行く気になったことは自分でも意外だった。アルフレッドと一緒なら大丈夫、と何処か無意識に思っていた。アルフレッドは家来が馬鹿にされるのは許さない。何かあったら必ず報復する。いつもそうだったし、今もそうだろう、と。
――幼稚なのは自分も同じか。
リリーが黙ってアルフレッドを見ると、
「なんだ、じろじろ見るな」
安定の回答が返ってくる。
「酔うので黙りますね」
リリーは視線を外して馬車の窓に額をつけた。
到着すると既に夜会はスタートしていた。
ダンスホールは、貴族ばかりではなく平民も来場可能だ。ただし、参加料は貴族の三倍でドレスコードも厳しい。それでも、貴族との繋がりを求めて参加する人間は多い。
華やかな管弦楽が鳴り響く会場内に入ると、あちこちから視線を感じた。最初は自分に纏わりつく不愉快な噂のせいか、と自意識過剰に思った。しかし、ひそひそ聞き漏れてくる声のトーンから、アルフレッドに注目が集まっているのに気づいた。中身はどうしようもないのに、見た目とスペックは途方もなく良い。不公平さを感じるが、文句を言ってどうなるものでもない。ならばせめて見合う言動をしてほしい。
「変な喧嘩売らないでくださいよ」
馬車内での沈黙をアルフレッドがどう思ったか。交戦を望んでいると捉えていたら厄介だ。好き勝手言う連中にやり返したい思いはあるが、進んで揉めたいわけでもない。
「俺がいつ変な喧嘩を売った」
「大人しくしておいてくださいって意味です」
付け加えると、アルフレッドはニヤッと笑った。不気味すぎる。ダンスを踊り続けていれば人と関わらずに済むのではないか。
「踊りますか?」
リリーが誘うと、アルフレッドは一瞬間をおいて笑顔を向けてくる。珍しく非常に機嫌がいい。掌を差し出されて応じる。が、
「リリー様、お久しぶり」
と背後から声が掛かった。
振り向くと子爵家のナターシャ・ルグランが柔らかに微笑んでいる。
――鬱陶しいのが来たわね。
リリーはうんざり思った。
ナターシャは二歳年上で、アーサーと同じ年だ。令嬢達の間でひどく評判が悪い。恋人がいようが婚約者がいようが、金持ちの男性に声を掛けて拐かしては、次々男を渡り歩くと有名だ。庇護欲を唆るタイプだからフローラに似ているかもしれない。アーサーにも粉を掛けている時期があった。直ぐに伯爵家の嫡男に乗り換えたが、自分があのままアーサーに執心していたら籠絡できた、とリリーを下目に見ている。何故、話し掛けてきたのかは考えるまでもない。
「お久しぶりです。では」
リリーが去ろうとするので「え」という動揺がナターシャから漏れた。通常なら挨拶を交わし、隣の人物を紹介する流れになるから。
「……待ってください!」
ナターシャが慌てて呼び止めてくる。
「まだ何か?」
「え、あの……アーサー様のこと残念でしたわね」
「そうですね。でも、結果的には良かったです。メアリが無理な結婚をしなくて済んだので」
ナターシャとは、アーサーに紹介されて知り合った。同じ学年でダンスの実地授業をする際に、知り合ったという。だから、アーサーの話題が出るのは不自然ではない。が、婚約解消を慰められる関係性でもない。むしろアーサーとの仲を違わせようとしていた。アルフレッドを紹介して欲しい魂胆で近づいてきたのが見え見えだ。図々しくて腹が立つ。
「リリー様、悲しい時は泣いてよいのですよ? リリー様は本当はアーサー様をお好きだったのでしょう? 私にはわかります。私とアーサー様の仲を疑ってらっしゃった時に気づきました。私達はただのお友達だったのに、好きでないならあんな風に嫉妬したりしませんもの。人に話せば楽になることがあります。私で良ければ是非なんでも話してください」
何目線で喋っているのだろうか。
ナターシャは、より良い男を求めて次々相手を替えるだけでなく、仲睦まじい恋人達を破局させて面白がる悪癖を持っている。アーサーにちょっかいを出したのも、金目当てというより、長年婚約している二人を引き裂いたら面白い、というただのゲームだった。リリーは、アーサーに紹介される前から、ナターシャの噂話を聞いていたし、実際、ナターシャのせいで破局した令嬢を二人知っている。アーサーにもその事実は告げた。アーサーはもちろんリリーの話を信じたが、リリーが露骨にナターシャを嫌悪するのに対して、アーサーはあからさまに態度を変えることはしなかった。優しいことが玉に瑕というのか、嫌な相手にも誠実に振る舞う。そんなアーサーを、ナターシャは自分に気があると解釈したようだった。それが余計にリリーを苛つかせた。当時、リリーはアーサーに恋心を抱いていなかった。だから、ナターシャに対する感情は純粋な嫌悪だ。人間としての不快感だった。「嫉妬していた」なんてのはナターシャの自惚れ故の出鱈目に過ぎない。リリーが嫉妬したのは唯一メアリだけ。見当違い甚だしいことが物凄く癇に障る。なんと返してやるべきか。
「彼女のことは、私が面倒見ますのでお気遣いなく」
リリーが口を開くより先にアルフレッドが言った。ナターシャの目当てはアルフレッドであるから、関わらせないようにしていたのに。余計なことを言うな、とリリーは思った。
「まぁ、リリー様のお知り合いの方? お初にお目に掛かります。私はルグラン子爵の娘ナターシャと申します。以後お見知りおきを」
待っていましたとばかりにナターシャが丁寧に挨拶する。これでアルフレッドとナターシャは知り合いになってしまった。ナターシャのことだから、今後はがんがん攻めていくだろう。無性に苛々する。そんなリリーの不快感をよそに、アルフレッドは、
「アルフレッド・オーウェンです」
と嫌味な名乗り方で返した。高位貴族は下位貴族に爵位まで名乗らないことはしばしばある。知っていて当然だから。そして、知らなければ不敬にあたり、今後の関係は御破産。シビアな世界だ。尤も、アズウェル領にいる人間でオーウェンの家名を知らない者はいないのだが。案の定、ナターシャの目の色が変わった。
「オーウェン卿! お会いできるなんて光栄です。授爵式にお戻りになると聞き及んでおりましたが、まさかここでお目に掛かれるなんて」
「えぇ。私もルグラン嬢の話はリリーから聞いていますよ。色々と華やかな方だと」
え、という顔でナターシャがリリーを見た。だが、内心驚いているのはリリーも一緒だ。アルフレッドに対して、ナターシャのナの字も口にしたことはない。
「あの、違うんです! 私は性別問わずに誰とでも仲良くなってしまうんです。ですから、変に誤解した方々がありもしない、さもしい噂を流しているんです。リリー様も、何か勘違いされているみたいで……私、リリー様とは仲良くなりたいとずっと思っていたんです。だから、今日だって心配でお声をお掛けしましたのに……」
「さもしい噂? それは初耳ですが」
アルフレッドが、しれっと返すとナターシャはまたリリーを見た。こっちは何も言っていない。自分で墓穴を掘っただけだろう。リリーは自分が勝手な噂を流されて以降、他人に関する無責任な噂も無闇に信じるのはどうかと頭を打った。だが、ナターシャに関しては事実を目で見て知っている。性別問わず仲良くとは、どの口が言うのか。異性としか仲良くしないではないか。か弱い素ぶりで平然と嘘を吐く厚顔無恥さ具合には、ある種の尊敬すら感じる。
「まぁ、噂なんていい加減なものですから。一方的に人の気持ちを慮るのは愚かですね。ですのでリリーのこともお構いなく。では、良い夜を」
アルフレッドは妖艶に笑い、話は済んだとばかりにナターシャに背を向ける。リリーも誘なわれるままに付き従う。ナターシャならしつこく食い下がるかと思ったが、あっさり引いたのは意外だ。
「アーサーはあんな女にも靡くのか?」
「ただの同級生です。お金持ちばかり狙っている性悪女ですけど、意外にすんなり引きましたね」
引っ掛かる言い回しだったが敢えて突っ込まずに答えると、
「スリや泥棒はな、隙のある人間を嗅ぎ分けるんだ。甘っちょろい奴をな。アーサーみたいな」
アルフレッドは勝ち誇って告げる。初対面の人間を泥棒呼ばわりとは。ナターシャの見た目と言動から推測して判断したのだろうが、洞察力があるというのか、偏見の塊というべきか。リリーの好きなロマンス小説のヒーローなら、ナターシャを悪く言うリリーを嗜めたりするはずなのだが。
「……そうですか」
嬉々として笑うアルフレッドに、この男がヒーローではなくただの屑で良かった、とリリーは思った。
ダンスフロアへ移動すると、まだ週初めだというのに随分混み入っていた。リリーは次曲を待つつもりだったが、せっかちなアルフレッドに押し流されて曲の途中からダンスに加わった。
リリーの知っているステップは古典的な三つだけだ。アルフレッドがそんなリリーを慮るわけはない。だが、アルフレッドにリードされるまま踊る自由な型は楽しい。時折足を踏んでしまい、睨まれるか、舌打ちされるのだが、全く気にならない。日頃の態度を鑑みてチャラだな、と思うだけだ。
アルフレッドは「嫌な思い出があるからダンスは嫌いだ」と言ったが、それがなければ好きなんだろう。リリーが休憩したいと申告しない限り自分から休むとは言わない。一方、リリーはダンスを好きだと言ったが、正直そこまででもない。一、二曲踊れば十分だ。
リリーがこれまでダンスホールに来た回数は五回。いつも心配してアーサーが付いてきてくれたが、大体一曲踊ると、後はダンスフロアの隣の歓談室で友達と喋ってばかりいた。毎回王都で流行りのスイーツが用意されているので、それが目当てだったとも言える。アーサーもその間、自分の友人や知人と談笑していた。擬似夜会といえ、社交界と同じく仕事に結びつく出会いは往々にある。商人達が高い対価を払い参加するのはその為だ。
結局本日も、三曲半連続で踊って息切れしたので、リリーが「休みたい」と告げフロアから出た。
「お前は、本当に軟弱な奴だな」
とアルフレッドが道端のゴミでも見るような視線を向けてくる。リリーは反応する代わりに、
「歓談室に行きましょう。喉乾いたし」
と返した。アルフレッドが溜息を吐いてしぶしぶ動き出す。すると、
「お久しぶりです」
またもや背後から声が掛かった。今度は、リリーではなくアルフレッドに。年は五十くらいだろうか。かなり厳つい風貌だが温厚な雰囲気。品が良いからそう見えるのかもしれない。リリーの知らない男性だった。
「サルマン辺境伯。いつこちらへ? 式に出席して頂けるとお聞きし、お会いできるのを父と楽しみにしていたんです」
アルフレッドが常識人みたいに話し始めるのでリリーは黙ってその様子を観察した。
「貴殿の叙爵式に合わせて休みを取ったんですよ。アズウェルに来るのは久しぶりですしね」
「確か、ローグウッドに別荘をお持ちでしたね。しばらく滞在なさるなら、是非、一席設けさせて頂きたい」
アルフレッドの為にわざわざ来訪しているらしい。サルマン辺境伯といえば、代々王立騎士団を統率している家系だ。この国の貴族なら誰でも知っている家名。こんなダンスホールに一人でいるのは若干不自然さがある。あまり年配の高位貴族が訪れる場所ではない。しかし、その答えは直ぐに出た。
「お父様!」
同い年くらいの令嬢がにこやかに近づいてくる。かなりの美人で歩く動作に育ちの良さを感じる。
「ダンスホールに一度行ってみたいと、娘にせっつかれてね」
「だって、うちの領地にはないのですもの」
「ほら、挨拶しなさい」
仲睦まじい父娘だ。リリーは自分の父親とは絶対にダンスホールには来ない。
「アルフレッド様、ご機嫌よう。バーロック公爵邸でのお茶会以来ですわね」
「お久しぶりです。こちらはアマリエ伯爵家のリリーです。私とは幼い頃から懇意にしておりまして。リリー、こちらはサルマン辺境伯と御令嬢のセリーヌ嬢だ」
「まぁ! 幼馴染なんて素敵ね!」
――本物のお姫様だ。
ふわっと笑う表情があまりに美しくリリーは一瞬惚けたが、我に返ると丁寧なカーテシーをして頭を下げた。
「そうか。折角だからセリーヌと一曲踊ってやって欲しかったのだが、こんな素敵なお嬢さんと一緒じゃ邪魔できないな」
サルマン辺境伯は残念がって言った。「お前は邪魔だ」と暗に知らしめているのだろうか。その辺の駆け引きがいまいち理解できていないリリーは慌てて、
「いえ、わたしは友人の所へ行くのでどうぞ」
と答えた。夜会のパートナーを乗り合い馬車の席を譲るように差し出すのは如何なものか。サルマン辺境伯も本当にそんなつもりはなかったらしく、一瞬変な間ができた。失敗したと思ったが、
「ほら、お父様が余計なことを仰るから、リリー様にお気を遣わせてしまったわ」
とセリーヌが助け船を出してくれる。美人で爵位も高く性格も良いなんて。セリーヌならホールに一人で立っていれば、声を掛けて来る男は後を絶えない。だが、サルマン辺境伯は、素性の知れない男にダンスの相手をさせたくないのだろう。その気持ちは物凄く理解できた。
「いえ、本当に。わたしはもう十分踊って休憩するところでしたので」
リリーは、今度はうっかりではなくしっかり意思を持って言った。歓談室に行けば誰か知っている人間が来ているはずだ。別に一人でも、ケーキでも食べて時間を潰せばいい。アルフレッドがセリーヌをエスコートしてダンスホールに戻れば万事丸く収まる。しかし、その対応も拙かったらしい。アルフレッドは、
「すみません。私でよろしければ一曲お相手願えますか」
と誰にも見えないようにリリーの背中をぐりぐり押しながら言った。力の入り具合で逆らっては駄目なやつだと悟ってリリーは黙った。アルフレッドから掌を差し出されてセリーヌは困惑した表情になったが、
「折角だから踊って頂きなさい」
とサルマン辺境伯に促され、その手を取った。
「すまないね。ここには知り合いがいないもので、有難う」
サルマン辺境伯は、ダンスホールに向かう二人を見送ると、リリーに向かい礼を述べた。よほど娘が可愛いのだろう。自分がお礼を言われることではないのだが、
「いえ、とんでもないです。わたしは何も」
と恐縮して返した。なんとなくその場を離れづらい雰囲気ができてしまった。リリーはやむなくサルマン辺境伯の視線の先を追って、アルフレッドとセリーヌを見つめた。
新しい曲がスタートして、今まさにダンスが始まる。
セリーヌは何歳なんだろうか。気品も知的さもあるのに、笑顔が無邪気で、アルフレッドと踊る姿は絵画のように美しい。お似合いだな、と素直に思う。
「娘は去年デビュタントを迎えたばかりでね。上に兄が三人いるが、歳の離れた末の娘だからどうも過保護に育ててしまって」
ダンスホールに自ら付いてくるぐらいなのだから溺愛ぶりは窺い知れる。デビュタントが済めば恋愛も解禁。セリーヌの元へは釣書が山の如く送られているのではないか。なんとなく話の流れが嫌な方向へ進んでいる気がして、リリーはぎゅっと掌を握った。
「オーウェン公爵には、何度か婚約の打診をしているのだが、本人の意思に任せてあると断られてしまってね。だから、今回はセリーヌを連れて式に参加することにしたのだよ。不躾なことを尋ねるが、君は、彼とはただの幼馴染かね?」
サルマン辺境伯の言葉の意味を咀嚼して、リリーは改めてセリーヌを見た。柔らかい表情だが緊張している。頬が紅潮しているせいか、さっきより可愛らしさが増している気がする。アルフレッドを好きなのかもしれない。攻撃的な印象がなかったから、全く考えなかった。世の中、フローラやナターシャみたいな女豹ばかりが存在しているわけじゃない。爵位も見目も性格もよい女性がアルフレッドに懸想することは普通にある。自分は家来だから虐げられているが、お姫様相手にそんなことはしないだろう。アルフレッドが優しく笑いかけているのが見えた。リリーはすんとした気持ちになった。サルマン辺境伯に何と答えるべきか。クソ女への復讐の為に、初恋の女を演じる命令はまだ続行なのだろうか。やめろと言われていないから、続行だろう。どうすべきかリリーが言葉に詰まると、
「なるほど、彼の片思いのようだね」
サルマン辺境伯が笑った。もしかしたら王都での噂を知っているのかもしれない、とリリーは曖昧に笑った。長身のサルマン辺境伯をチラッと見上げる。怒っている様子はない。優しくセリーヌとアルフレッドのダンスを見つめている。リリーも黙ったままでいた。
じっとアルフレッドとセリーヌの様子を観察していると、ダンスの最中だというのに、アルフレッドと目が合う。リリーは、二人を見過ぎでいることに気づいて視線を逸らした。何故逸らしたかは考えなかった。
「お前、自分のパートナーを他人に押し付けるのが趣味か何かか」
サルマン辺境伯父娘と別れるなり、アルフレッドが不機嫌に言った。
「そんな趣味ありませんよ」
「じゃあ、何故執拗にダンスを勧めるんだ」
「知り合いもいないみたいだし、あんなお姫様みたいな人を、見知らぬ人と踊らせるわけにはいかないでしょ」
「辺境伯の娘は姫じゃないだろ」
「爵位の話をしているんじゃないの」
伝えたい意味はわかるだろうに。いい年して人を家来呼ばわりする人間が何を言うのか。
「喉が乾いたので飲み物取ってきます」
「馬鹿か。こんなところで一人でうろうろするな」
アルフレッドはリリーの手を取り、無理やり腕を組ませる。不気味に過保護な扱いをしてくるのでリリーは戸惑ったが、悪い気はしない。
歓談室に行くのはやめて、ダンスフロアの隅の休憩スペースに収まった。壁際の椅子に二人で並んで座っている。知り合いに会って、長々話す気になれなかった。休憩スペースにいたからといって声をかけられてないわけではないのだが。
先程ウェイターに貰ったワインに口をつけて一息つくと、
「サルマン辺境伯と何を話していたんだ?」
アルフレッドが、案の定のことを聞いてくる。人との会話内容を詮索するなんて失礼ではないか。だが、隠すことでもないし、言ってやりたかったので、リリーは正面のダンスフロアに顔を向けたまま、
「サルマン辺境伯は貴方とセリーヌ様を婚約させたいみたいですが、オーウェン公爵に断られたそうです。結婚のことは本人の意思に任せてあるからって」
と、ありのまま告げた。ただ「だから授爵式にセリーヌを連れてきた」ということは伏せた。セリーヌがアルフレッドを好きかどうかを言及するのは余計な一言だと思った。
「ふうん」
「ふうんって。サルマン辺境伯は諦めてないみたいですよ。わたしと貴方はどういう関係か聞かれました」
「もちろんちゃんと答えたんだろうな」
「ちゃんとってなんですか? 何も言ってませんよ。前に余計なことは言うなと注意されたので」
アルフレッドから忌々しげな舌打ちが返る。高位貴族相手に嘘八百言えないだろう。何も言わなかっただけ褒めてもらいたい。
「あんな可愛い子が相手で、何が不満なんですか。わたしを女避けにするのは止めてください」
「なんだ。嫉妬か」
「いえ、また昔みたいに妬み嫉みで虐められたら迷惑なんで」
昔、アルフレッドの命令でお茶会に来る女の子達を煽りまくったが、単にアルフレッドと仲良くしていただけだったとも言える。リリーは、一人でいる時、取り囲まれて散々な目に遭った。封印した過去だが、アルフレッドの傍にいると色々蘇ってくる。
「あの頃は楽しかったな」
アルフレッドはリリーと同様に視線をダンスフロアに固定したままで言う。
「全然楽しくなかったですけど」
「リリー」
「なんですか」
「もし、あの時、」
「キャリー・ローグ嬢に一万ギル!」
唐突に横槍が入る。気づけば音楽が止み、ダンスフロアの中央に燕尾服の男が一人立っている。
「ではフロアへどうぞ」
男の指示と共にわっと歓声が上がり、一組のカップルがフロアへ出て行く。
「なんだあれ」
「チャリティーですよ。好きな令嬢と一曲踊る権利を得るために寄付するんです。月一回開催されるんですけど、今日だったんですね。どうりで人が多いと思った」
「下衆いチャリティーだな」
身も蓋もないことを言うので、リリーは吹き出しそうになった。
集まったお金は孤児院に寄付されるため、指名された令嬢がダンスを断ることはほぼほぼない。意中の相手を誘うきっかけとなるから、ダンスホールならではの人気イベントだ。どんどん参加者が令嬢を指名する中、
「ナターシャ・ルグラン嬢に二万ギル!」
「ナターシャ・ルグラン嬢に三万ギル!」
と聞き慣れた名が呼ばれた。リリーが少し身体をずらして前方を確認すると、ナターシャが二人の男に挟まれて困惑した演技をしているのが、人の隙間からチラチラ見えた。同じ令嬢に声が掛かれば高額の方が優先される。ナターシャが男性二人を手玉にとって遊んでいるようにしか見えないが、当人達は気づいてないんだろう。恋は盲目なんだな、とリリーは対岸の火事を見るように眺めていたが、話が途中だったのでアルフレッドに視線を戻した。
「それで、なんです?」
話の続きを尋ねないと拗ねるので、聞いてあげたまでなのだが、
「リリー、あんな女に負けるなよ」
とアルフレッドはニヤッと口の端を上げた。一瞬で嫌な予感が走った。リリーが止めるより先に、
「リリー・アマリエ嬢に十万ギル!」
とアルフレッドが手を挙げる。一気に視線と響めきが集まってくる。リリーは動悸と眩暈でくらくらした。
「リリー・アマリエ嬢に十万ギルです! 他にはいらっしゃいませんか?」
チャリティーの司会者が呼びかけるが、他にいるわけないだろうに、恥をかかさないで欲しい。相場は一万ギルで、競争相手がいれば競り上がっていくシステムだ。競合していないのに十万ギル払う馬鹿がいるか。リリーは泣きたいような羞恥心に見舞われるが、アルフレッドは涼しい顔をしている。従業員が気を利かせて二人からワイングラスを回収すると、アルフレッドはリリーに掌を差し伸べた。自然と人波が裂けてフロアまでの道ができる。死ぬほど目立つのだが、俯くのも潔くないのでエスコートされるままに従う。
ざわざわ揺れる場内は居心地が悪い。高額寄付者の為、中央に配置されたのも、隣に並んだナターシャが睨んでくるのも気まずい。ナターシャのことは嫌いだが不必要な恨みを買いたくない。
「無駄金ですよね?」
「孤児院への寄付金だろ? お前はもっと慈善の心を養え」
こんな男に付き合っているのだから、十分慈善の心で満ち溢れていると思うが。
アルフレッドが空気を読まない金額を提示したせいで、その後参加者は出なかった。
静かな音楽が流れ始める。
既にフロアに並んでいた三十組ほどのペアだけでダンスがスタートする。チャリティーに選ばれる選曲は決まってチークダンスだ。
「本当に下衆いな」
アルフレッドが吐き捨てるように言って、リリーの腰を引いた。密着する踊りではあるが、何処の夜会でも一度は流れる。下衆いと考える方が下衆いのではないか。
「リリー、喜べ。将来有望な公爵家の嫡男としがない伯爵令嬢のラブロマンスが、広まっていくぞ。どんな馬鹿が、どんな難癖つけてくるか、楽しみだな」
百人は踊れるフロアに三十人だけだ。当然に目立つし噂になるだろう。リリーは呆れて、返事をしなかった。
「リリー」
「……」
「リリー」
しかし、踊っている相手を無視するのは限度がある。
「なんですか」
「お前はずっとアーサーを好きでいろよ」
「は?」
「お前は鈍臭いから初恋は忘れられないだろ」
アーサーを好きなことは誰にも秘密だ。一生。ただの片思い。よくある話。いつか思い出して懐かしくなるような。そんなに大袈裟なものじゃない。
「勝手に決めないでください」
リリーが嫌悪感露わに言うと、
「お前がそうなら、俺もそうする」
「なんですかそれ」
ぐいっと引き寄せられたので、鼻先がアルフレッドの肩についた。アルフレッドの表情は見えない。相変わらず何の匂いもしない。香水は誕生日に渡す予定だ。叙爵式には、他にも沢山祝いの品が届くはずだから、その中に適当に混ぜ込めば目立たない。
「結婚できたのにしなかったのは、結婚できなかったこととは全然違う。手に入ったのに逃した。お前は、きっとこれからこの先、いろんなところでそれを痛感するだろう。自業自得だな。だが、仕方ない。俺達は同類だ。俺もそうだしお前もそうで、公平だ。だから、ずっとそれでいいんじゃないか。だから、アーサーを好きでいろ」
色々デリカシーが欠けすぎではないか。アーサーのことはもういいのだ。本当にもういい。言葉にすると動き出すから、決して言わなかった。もし、あの日、デビュタントの日に、メアリのことを知る前に、思ったままの気持ちを口にしていたら何か違っただろうか。いや、どの道答えは同じだった。婚約解消の打診をした時「そんなことはできない」とアーサーは頑なに拒絶したけれど「したくない」とは言わなかった。「リリーが好きだから、婚約解消はしたくない。君と結婚したい」とは。
「拒否したらどうなるんですか?」
「どうなるだろうな」
頭の上から振ってくる声は、不敵に笑っている。
「わたしの初恋はアーサーじゃありませんけど」
「往生際の悪い奴だな」
「貴方の初恋はクソ女ですよね。とっくにわかっていますよ」
「……だったらなんだ」
「復讐なんかせずに告白したらいいじゃないですか」
うるさい、と言うかと思ったが、
「お前はモテないから知らないだろうが、人を振るというのは気分の良いものじゃないんだ」
とアルフレッドは苛々返した。今告白しろと言ったはずだが、なぜそんな回答になるのか意味不明すぎる。
「どういう意味ですか? 振られるのが嫌ってことですか」
「馬鹿か。そんなんじゃない」
「じゃあ、なんですか」
「迷惑が……かかるだろ」
リリーが吹き出すと、
「何がおかしいんだ」
忌々しげな低い声が返った。笑いを取るために言ったのでないことに、逆に驚くのだが。
「そんなに好きなんですか?」
「そんなに好きなんだ。悪いか」
アルフレッドがあっさり答えるのでリリーは黙った。明らかに余計なことを聞いてしまった。
音楽が止む。
身体を離してダンス終わりの礼をすると、チャリティーダンスの間、観客にまわっていた人達が、再びフロアに戻り始めた。
「おい、ぼやっとするな。休むか続けて踊るか決めろ」
「じゃあ、もう帰りましょう」
瞬時にアルフレッドから盛大な舌打ちが返る。いつも通りでほっとする。アルフレッドにはアルフレッド・オーウェンでいてもらわねば困る。でないと幼稚な人間が自分だけになってしまうから。




