頭にしかと入れておかねばならないのは、
頭にしかと入れておかねばならないのは、新しい秩序を打ち立てるということぐらい、難しい事業はないということである。
このうえなく実行が困難で、実行したとて成功はおぼつかなく、実現の過程では細心の注意を必要とすることなのだ。
なぜなら実行者は、現体制下で甘い汁を吸っていた人々を全て敵に回すだけでなく、新体制になれば得をすることであろう人からも、生ぬるい支持しか期待はできないものだからである。
この生ぬるさは、二つの原因から生まれる。
第一は、現体制を謳歌している人々に対する恐怖感であり、第二は、異例の新しきことへの不信感によるものである。
「君主論」
日本史における典型的な例としては、明治維新である。
徳川幕府という約260年続いた体制を倒すことは、既得権益層(武士・幕臣など)を敵に回すことを意味した。
実際に、戊辰戦争(旧幕府との戦争)、旧勢力の武装抵抗、新選組等、まさに「旧体制の利益を守る人々の強い反発、維新妨害」が発生した。
また、 新体制の受益者ですら冷淡だった
明治新政府は、身分制度の廃止、武士の特権剥奪、徴兵制導入をなどを実行したが、その結果
元武士は、 生活困窮になり不満を募らせ、農民も 新税制・徴兵への不満を強く持った。
となり、「本来は恩恵を受けるはずの層」すら強くは支持しなかった。
その結果、西南戦争などの反乱(1877年 )につながった。
「恐怖」と「不信」という2つの原因にも、実例がある。
① 旧勢力への恐怖は、旧幕府軍や武装勢力がまだ存在し、内戦状態(戊辰戦争等)になった。
つまり、 新政府支持を公然と表明することが難しい世情だった。
② 新しい制度への不信として、西洋化や近代化への不安、身分制度の崩壊への戸惑い等の「未知の秩序」への抵抗感は、簡単には消えなかった。
どこの時代、どの国(地域)においても、新事業に反対する、邪魔をし、不安を煽る「抵抗勢力」は必ず存在する。
日本の戦後史だけでも、
「新幹線、東名建設は国費の無駄」(巨大投資=失敗したら責任を取らされる恐怖)
「オリンピックは時期尚早、税金の無駄遣い」(巨大投資=失敗したら責任を取らされる恐怖)
「宅配事業開始に抵抗した運輸省(当時)」(既得権益の防衛)
「男が音楽をするなど、実に軟弱だ」(既存の価値秩序の維持反応)
「外来音楽は、下品だ」(既存の価値秩序の維持反応)
「ギターを持つ者は不良」(既存の価値秩序の維持反応)
「ジーンズをはく者は不良」(既存の価値秩序の維持反応)
「パソコン好きは、変わり者」(既存の価値秩序の維持反応)
等、限りなくある。
最近では
「マイナンバーカード反対」、「AI使用に、ことさらに不安を煽る」(未知への不信 + リスク過大視)等の例もある。
新事業(新体制)がどれほど、先見性があって合理的であったとしても、常に旧秩序の利益者から敵視され、新秩序の受益者からも疑われることが多い。
そしてこの疑いは、人間の恐怖と不信に根ざしているため、完全に消えることはない。




