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我々の宗教(キリスト教)は、真理と正しい生き方は教えてくれるが、

我々の宗教(キリスト教)は、真理と正しい生き方は教えてくれるが、現世的な名誉を重んずることを教えることはない。


しかし、古代人は、人間の行為の中では、名誉を最も重視していた。

それだからこそ、彼らの生き方は勇気にあふれ、力強いものになったのである。

また、古代の宗教の、もう一つの特色は、軍団の指揮官や国家の指導者等の、現世の名誉に光輝いた人にしか、祝福を与えなかったことにある。


それに対して、我々の宗教(キリスト教)は、行動的な人間より、つつましく瞑想的な人間のほうを評価する傾向が強い。

そして、謙遜と服従を、最大の美徳と決めつけ、人間が実際にある姿を軽視して来た。


古代の宗教は、精神の偉大さや肉体の強靭さをはじめとする、強い人間に備わったあらゆることを「善」とみなしていた。


しかし、現代の宗教(キリスト教)が、我々に強さを求める場合、「偉大な行為を為せ」と言う意味ではなく、「忍耐に要する強さ」について、語っているのである。


「政略論」


イタリア・ルネサンスの時代に生きたマキアベリ氏らしい言葉である。

キリスト教(実はローマ教皇庁)が、「絶対的な服従と忍耐」を強いて来ることに対して、「人間が実際にある姿を軽視して来た」と、反論を行っている。


なかなか論ずることも難しいことではあるが、キリスト教(実はローマ教皇庁)への、「絶対的な服従と忍耐」が、結果としてローマ教皇庁の堕落と欺瞞をもたらし、宗教革命プロテスタントが起こり、それを弾圧するため、異端審問を行い、数えきれないほど多くの無実の人に、惨い拷問を与え、財産没収のうえ、公開処刑を行い殺す(キリスト教の責任者は、公開処刑後に祝宴を開き神に感謝した)ことにつながったのである。


また、プロテスタント国との宗教戦争も、その惨さと理不尽さは、書き尽くせない程だ。


宗教的な「来世のための善」が、人間現実世界の「善」と、重なるとは限らない。

また、人間は「絶対的な服従と忍耐」には、耐えきれないし、いつかは爆発的な反抗を起こす。

現在世界各地で、「専制主義的な為政者に耐えている国」「一神教への服従を強いる国」があるけれど、やがては大暴動、大混乱が発生するかもしれない。


わが日本としては、「とばっちり」だけは、避けたいと思うけれど。

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