第48話「着手」
内山いまりが顔を上げた瞬間、照明の光が瞳に反射し、その中に無数の影が揺れた。
「あれ、最近の常連さんと……えっ。」
目の前には、夜のビル内でありえない数の影が動いている。
いまりは一瞬、後ずさりした。
逃げるでもなく、立ち止まるでもなく。
その隙に、後藤が足を滑り込ませ、ドアを押し開けた。
LUXEの中に捜査員が入り込む。
「内山いまりさん。ひとまず中で話しましょうか。」
中村に促されるまま、いまりはLUXEに入っていった。
室内には淡いアロマの匂いが漂っていた。
部屋の電気をつけると、清潔感のある受付が現れた。
受付カウンターの裏に、バッグやタブレット、レジの端末が見える。
「内山さん。私たちは警視庁です。何で来たか分かりますか?」
内山は中村の質問に答えようとしない。
目が泳ぎ、化粧が浮くほどの冷や汗をかいている。
男性関連犯罪はどれも重罪だ。
まさか裏引きに応じた客が警察官とは思わなかったのだろう。
中村の身分がわかり、既に頭が真っ白なのかもしれない。
茶封筒の中から、中村が一枚の紙を取り出した。
厚紙の端が擦れる音が、静まり返った室内に響く。
「裁判所からの令状です。これよりLUXEの捜索差押を行います。強制的に我々が証拠品を押収していいと言う事ですね。」
そう言いながら、中村が内山に令状を示した。
「これがその書類。理由も記載があります。4月4日、LUXEの従業員が医療廃棄物を通常の可燃ゴミとして出しました。廃棄物処理法違反の捜査のため、この捜索差押許可状が出ています。分かりましたね?」
中村の説明に、いまりはさらに混乱した表情を浮かべた。
「え、あ、ゴミ?ゴミですか?男と……あ、……いや、はい、分かりました。」
一瞬ぽかんとした表情を見せたあと、いまりの目が焦りに変わった。
その焦りは、混乱ではなく防御の色に見えた。
何かを守ろうとしているのか、意識を逸らそうとしているのか。
俺は腕時計を見て、周りに聞こえるように声を張った。
「午前2時48分、着手!」
俺の声が響いた瞬間、LUXEの中が一気に動いた。
ライトが点けられ、白手袋にした捜査員が散開する。
誰もが無言で手順をこなし、足音と無線の音だけがフロアに残った。
受付カウンターの上では、データ保全班が端末を回収している。
「タブレット2台、スマホ1台、決済端末一基!」
「レジ後方の収納、鍵付き引き出し発見!」
報告が次々と飛ぶ。
「ちょっと!レジとかタブレットとか、ゴミに関係無いじゃない!」
内山がいきなり声を荒げた。
「医療廃棄物ですから、この店舗のどのような営業で出たゴミか捜査する必要があります。家庭ゴミか産業廃棄物かでも法律の条文が違うんですよ。」
中村が淡々と静止する。
「それより、内山さん。スマホや鍵類出してください。」
「はぁ!?スマホは私物だし、鍵だって別フロアのやつもあるから、関係ないじゃん!!」
「それはこちらが判断します。私用携帯でゴミ出しを依頼してるかもしれないですし、別フロアの鍵がかかる部屋にこれから廃棄予定の医療廃棄物がある可能性がありますので。漏れなく押収対象です。」
中村の言葉に、内山はしぶしぶハンドバッグを突き出した。
「では、検めますね。」
中村と俺でハンドバッグの中身を一つずつ出すと、スマホが2台とカードキーが1枚と鍵が4本出てきた。
「佐藤主任、このカードキー5階のものみたいです。」
「そうですね。確認します。」
俺と中村の会話を聞いていた内山が突然叫んだ。
「それは違うって言ってんだろ!!」
内山の肩が微かに震えた。
次の瞬間、彼女は弾かれたようにこちらへ飛びかかった。
俺は反射的に左手で受け流し、右足で体を支えながら重心を崩す。
鈍い音と共に、内山の体が床に沈んだ。
床に仰向けに倒れた内山の背中に、近くにいた捜査員が乗り制圧した。
「佐藤になにする!公務執行妨害で現行犯逮捕だ!」
中村が激しくおこり、声を荒げた。
「やめろバカ!俺に怪我は無い!イタズラに仕事増やすだけだ!」
俺の言葉で少し冷静になったのか、中村が内山を睨みながら言った。
「これは上のフロアの鍵ですね?これから我々が入って何があるか確かめます。」
「は?さっきの令状には4階LUXEって書いてあったけど?あんたらが上に行ったら、令状無しで勝手に入ったって訴えるからね!!」
中村の言葉に、内山は床に臥しながらも噛み付いた。
俺は彼女達を見ながら冷静に言葉を紡いだ。
「残念ながら、我々には入る権限と責務があります。」
「そんなの越権行為だろ!違法捜査だ!!」
今度は俺の方を見て内山ががなる。
俺はカードキーを持ちながらしゃがみ、内山に視線を合わせた。
「警察官職務執行法第六条。」
俺は一拍置いて、さらに内山に顔を近づけた。
「被害者の救助のためなら、我々はあらゆる場所に立ち入れる。」
俺はさらに続ける。
「LUXEの男性セラピストは全員行方不明者。なら、確認しに行くのが私たちの仕事です。」
俺のその言葉に、内山はいよいよ顔を真っ赤にし、何かを言いかけて口を閉じた。
冷たい沈黙が、アロマの香りより重く部屋に沈んだ。




