第21話「潜入に向けて」
翌日。
後藤は、段ボールに入っていた特別交配承認票とカードを机に置いた。
「さっき説明したとおり、このカードのデータを空にして、承認票を持っていけば入れるはずだよ。」
「……後藤部長、それは本当に確かなのか?」
山崎がカードを覗き込みながら問う。疑いというより、失敗したときのリスクを計算していた。
「確かかは、やってみないと分かんない。でも、理屈は合う。少なくとも理論上は。」
後藤は肩を竦めた。
「証拠隠滅等罪…ですね…」
俺が言うと、山崎と中村は小さく頷いた。
誰もが、データ消失の重大さを理解している。
「わかった。やるなら手順は厳密に残す。証拠品の毀損や変造は刑罰がある。後で 『やむを得なかった』と説明できる形で記録を残す。もちろんバックアップもとる。」
山崎がそう言うと、それまで無言だった中村が口を開いた。
「それより前に、後藤部長、その情報をくれた知り合いは誰なの?」
後藤の瞳が一瞬揺れた。唇が小さく震えるのを誰も見逃さなかった。
「小さい頃から中学まで同じ団地で育った腐れ縁だ。違法風俗でバイトしてパクられて、刑期終わって出てきた女だよ。」
言葉は冷たいが、震えは消えない。
沈黙が落ち、誰もそれ以上追及しなかった。
だが全員が『やる価値がある』と理解した。
「じゃあ、私がデータを消します。仮に問題になったら『新人が解析に失敗した』って落としどころを作りやすいですよね。」
俺はそう言って、カードを端末に繋いだ。
「後藤部長は写真を撮ってください。あとで誰でも説明が出来るように出来るだけ細かく、枚数多めでお願いします。」
そう言って近くのカメラを後藤に渡した。
「まず作業ログを精緻に取るツールを起動し、作業工程を全部残します。そして、バックアップを取ります。係長、確認だけお願いします。」
作業は手際良く進んだ。
データを完全な形で複製され、元データを複製データが完全一致したことを確認した。
次に、カード内部の記憶領域に空白を何度も上書きしていく。
少し時間のかかる操作だが、消しが甘ければ、全てが台無しになる。
「内部のRAM,ROMの消込みに入ったので、後はしばらく待つだけです。」
「なんというか、佐藤主任は何でもできるんだな。鋭い現場判断に、擬律判断、フォレンジックも出来るなんて、本当に何者なんだ…?」
「いえ、大したことではないです。警大の時にサイバー専門技官の方と少し仲良くなりまして、いろいろ教わったんですよ。」
本当は前世での知見を元に警大でブラッシュアップしたのだが、そんなことは言えるはずがなかった。
しばらくして、俺の画面に"complete"と表示された。
「これで、カードの準備は整いました。誰が入ります?」
俺が、重要な問いを投げかけた瞬間、空気が止まった。
誰もが頭の中で同じ計算をしている。
後藤が息を吸いかけたとき、中村が静かに手を上げた。
「私が行きます。……私だけまだ成果を上げていません。」
そう言った中村は、普段よりいっそう真剣な瞳だった。
「分かった。だが単独行動はさせない。外部に合図を送る手段、万一拘束された時の対応。全部詰めるぞ。」
山崎は指示を出したそれは、仲間を守るための枠組みを作るためだ。
俺は袖机に入っていた小さなボタンを中村に手渡した。
「これ、使ってください。」
「え、なにこれ…?」
「これは押すと指定された端末に押されたことが通知されるボタンです。靴のつま先の上側につけて、いざという時親指を思いっきり上に反らせれば身の危険を伝えられます。」
「わかった。ありがとう。」
中村はそれを受け取り、自身の靴に設置した。
指先が微かに震えているのを、誰も責めはしない。
「服装は?今のスーツじゃ警察だってバレバレじゃない?」
後藤の目つきが厳しくなる。
「家が近いから着替えてから行くわ、悪いけど後藤部長は車回してくれる。」
中村は淡々と答える。
最後の項目は、精神的な準備だった。
客として入るのはたった一回のチャンス、失敗は出来ない。
そこで身分がばれないよう、出来るだけ多くの情報を収集しなければならない。
「一応、これもな」
中村の小さな恐怖を相殺するかのように、山崎が小型のボイスレコーダー、そして偽名の名刺を中村へ渡す。
録音機はポケットに隠せるサイズだ。
客観資料は多い方がいい。
「ありがとうございます。取れるように頑張ります。無茶はしませんから。」
たとえ録音が成立しなくても、目で見たものは消えない。
中村の声に、皆が頷いた。
「あ、佐藤主任は電話番頼む。あと、万が一の時は理事官への報告と増員への指示をよろしく」
「…わかりました。お任せください。」
「よし、じゃあ行くか!」
山崎の声の合図で後藤は車のキーを持ち、その後ろで中村が小さく震えながら部屋を出る。
それを見て、山崎が一言だけ言った。
「絶対に無理はするなよ」
「了解」
中村が答えを返したとき、いつもの冷静な姿に戻っていた。
だが、その静けさの奥に、誰も言葉にできない緊張が息づいていた。




