第11話「朝のひと時」
翌朝、6時半に出勤した俺は、特務係の部屋の掃除を始めた。
雑多におかれた備品を棚に整頓し、机や床に雑巾をかける。
前世でも最初は掃除やお茶くみから始まったなと、少し懐かしい気持ちになった。
「…あれ、鍵空いてる?」
ガチャリと扉をあけながら7時半過ぎに後藤が出勤してきた。
「おはようございます」
俺の姿を見るなり、後藤は真っ青になった。
「なんで居るのよ!年下でも上司なんだからこんなに早く来てんじゃないわよ!」
口調は乱暴だが、どうやら後藤は俺より出勤が遅かったことに自己嫌悪しているらしかった。
「この組織では後藤さんの方が先輩ですから、俺の方が早くても気にしないでください。それよりも朝飯、食べました?」
唐突に聞くと、後藤は「は?」と眉をひそめた。
「……食べてないけど、悪い?」
ぶっきらぼうに返しながらも、どこかバツが悪そうに視線をそらす。
目の下にはうっすらと隈が見え、寝不足なのか、それとも飲み過ぎなのかわからない。
「固茹でと半熟、どっちが好みですか?」
俺は苦笑しながら後藤に質問した。
「はぁ?いきなり何!?…まぁ、ゆで卵なら精液みたいなとろっとろが好きなんだよね。ま・さ・か、そこの男性様が作ってくれるのかなぁ?」
後藤がニヤニヤとした表情を浮かべ、からかうような返事をした。
俺は冷蔵庫を開け、今朝買っておいた卵、豆腐、インスタント味噌汁を取り出す。
「その、まさかですよ。私もこれから食べようと思ってたところなので、ついでですしね。」
俺は、マグカップ二つにインスタント味噌汁の素を入れ、部屋の片隅で沸かしていた湯を注ぐ。
そして、余った湯に卵を静かに沈める。
その間に冷奴を器に盛り、刻みねぎと鰹節をのせた。
そして、とろとろに仕上がったゆで卵を器に入れ、さらっとだし醤油をかけ後藤の卓上に並べた。
「はい、どうぞ。簡単ですけど、朝はちゃんと食べた方がいいですよ。」
後藤は目をぱちくりさせ、口を開けたまま固まった。
「……あんた、なんでそんなもん用意してんの?男が、そのうえ上司が部下に飯出すとか聞いたことないんだけど。」
「私も初めてですよ。でも、食べないと頭まわらないでしょう。」
そう言って笑うと、後藤は少しだけ視線を落とした。
そして「まさか本当に私程度が男の手料理が食べられるなんて…」と、小声でつぶやいた。
そのまま後藤は卵の器に手を伸ばした。
「ずずっ……うんまっ。これ醤油じゃないの?」
後藤は一口啜った途端に小さく息をついた。
「瀬戸内海の島で作られてるだし醤油ですよ。同期同教場にそっちの出身がいて教えてもらいました。」
「へぇ、良いこと聞いた。ってか、その子とあんたは良い仲なの?」
部屋に入るまではむすっとしていた後藤が、今や少し笑みを浮かべている。
口調は相変わらずぶっきらぼうだが、声の端にやわらかさが混じるのがどこか可笑しく感じた。
「まぁ、同じ釜の飯を食った普通の同期ですね。それ以上の関係は無いですよ。」
食べ終わったあと、後藤は湯飲みに手を伸ばし、残っていたお茶をすすった。
少し間を置いてから、ぽつりとつぶやく。
「……昨日から上司に向かって雑な態度とって、ごめんなさい…あたし貧困層生まれで育ちも悪いから、生まれながらに苦労しなくていい男ってあんま好きじゃなくて…」
「気にしてませんよ。むしろ後藤さんみたいな何でも言ってくれる人が居てくれたら心強いですから」
後藤は、照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「……言っとくけど、そうやって年上を転がそうしないでよね!」
「そんな器用じゃないですよ。事実を言っただけです。」
俺と後藤の間に、ほんの少しだけ温かい空気が流れた。
外の窓から朝日が差し込み、机の上の湯気をきらきらと照らしている。
「さてと、片付けはあたしがするから、あんた座ってて」
そう言いながら後藤は俺の席の食器を回収していった。
「じゃあ、お言葉に甘えてお願いしますね。」
「てっきり、「やりますよ!」っていうかと思ったのに」
「人の好意は甘んじて受けるようにしてるんですよ。」
後藤は「やっぱり男って扱いずらい!」と言いながら微笑んだまま部屋を後にした。
始業時間まで余裕はあるが、昨日覚えた違和感に動かされ被害男性である石田の資料に目を通す。
山崎が帰り際に投げた資料には石田の機微情報も含まれていた。
氏名:石田翔一
国家生殖資源登録番号:B-4563256
職業:国家繁殖プラン適応プログラム3年目
勤務先等:国立新宿プログラム校
繁殖適格判定:ランクD
掛り付け病院:国立男性総合病院新宿
現担当医:倉橋和美
SP担当:ランク降下につき選定中
国家生殖資源登録番号の先頭はB、つまり初回からB判定であったことは間違いない。
そして、ランクDでSPは選定中の表記ということは、直近でランクが下がったことは間違いない。
しかし、何かが引っ掛かるな。
「紙じゃ分からないな、生データが欲しい。」
ぽつりと呟いた時、「おはよう」と山崎の挨拶が聞こえた。
よし、今日の捜査を始めよう。
ここから捜査が始まる予定です。




