キャスリング
時を同じくて雅と将門は、首塚、鎧神社、兜神社、築土神社へと立ち寄り、それぞれ、分霊された魂、鎧、兜、剣と回収した。
全てを回収し終えて、将門は「一ノ宮殿はよくあのように二重、三重に張られた結界を破るものだ」と感心しきりだった。
「分霊された魂以外は平和な世には無用の長物ですから、片付いたらまた奉納しに参りましょう。」
「ええ、そうですな。それがよろしかろう。」
それから、諏訪神社にて建御名方神と落ち合うと、常闇の御門へと入城する。
「ほう、これが黄泉の国の城か・・・・・・。」
将門と建御名方神はしげしげと常闇の城を見回しながら、「このような城が黄泉にもあるのか」と驚きに満ちた眼差しで見て回っている。
やがて先程まで血みどろだった玉座へと向かえば、室内はいつもと変わりなく綺麗になっており、今は静寂を取り戻していた。
「父上、我らをこのような地に呼んだのは、何故にございますか?」
「高天原が黄泉に攻め込んできた。我らは黄泉の国を援護する。」
「な・・・・・・ッ。」
建御名方神が「黄泉の国に加担するとは、どういう事かお分かりですか」と声を荒らげたが、奥からシャンと鈴の音が聞こえてくると、雅は建御名方神に「御前である。控えよ」と制した。
「お帰りなさい、妾の愛し子。」
伊邪那美命の声は相変わらず鈴が転がるように美しく、それでいて、心臓を鷲掴みにする程、彼女の力が乗っている。
「お待たせ致しました、御方様。」
「苦しゅうない。面をお上げなさい。」
近くに五十穹がいない故、不機嫌そうにしているかと思ったのに、伊邪那美命はいつになく笑みを称えていた。
「御方様に置かれましては、こたびの件、お楽しみのご様子。何よりでございます。」
「ええ、こんなに血が騒ぐ夜は、ほんに久しぶり。もしかしたら、愛しき、そして、憎き、あの人に会えるのかもしれないのだから。」
二つの世界が千引石で隔てられてからどれくらいの時が流れたか。その時間は酷く長く、伊邪那美命が恋焦がれ、そして、その愛情に比例して酷い仕打ちをした伊邪那岐命を許せぬ気持ちも分かるから雅は眉根を寄せた。
伊邪那美命の心が揺れれば、眷属たる自分たちも否応なく鼓舞されて、この御方様の為に命を賭してしまいたくなる。
「御方様、余り興奮なさると、我らが御方様を守護するのにも差し障ります。此度はあくまで防衛戦にございますれば・・・・・・。」
「そうだったわね、この力をそのままに解放したなら、うっかり総力戦をしてしまいかねないわ。そこまでは本意ではないのに。」
「お気持ちもお察ししますが、此度は小虫を払えば事足ります。それに、こうした事態に長けたものを二人ではございますが、御前に連れてまいりました。」
「あら、どんな二人?」
「平 将門公と、建御名方神にございます。」
少し離れた所に控えた二人にも「面をお上げなさい」と告げる。すると、ふんわりと優しく笑う伊邪那美命を見て、将門は「桔梗?」と呟いた。
「お前には私が《桔梗》という女に見えるの?」
ハッとしたのか将門が「申し訳ございませぬ」と伊邪那美命に言えば、伊邪那美命は「いいのよ」と楽しそうに笑った。
「ええ、不思議な程に似ていらっしゃる・・・・・・。」
「御方様、お戯れはその程度になさいませ。」
雅が制せば、伊邪那美命は「お前には加代子か、須勢理に見えているのでしょう?」と笑った。
建御名方神は目を伏せ心惑わされないように気を付けている様子だったので、伊邪那美命は「さすが、大己貴命の息子。懸命な心掛けだわ」と目を細めて笑う。
「それで? この後はどうするつもりなの?」
「御方様は夜の食国の襲来に備えて頂き、建御名方神はその傍に陣を張ってもらいます。三ノ宮殿にはこの辺りで陣を張ってください。現在の魚鱗から鶴翼に転じるつもりです。」
「鶴翼に? 守備力的に賄えるのか?」
「夜の食国が来なければ、それで叩き潰せる算段です。」
「夜の食国が来たら・・・・・・?」
「その時はどう足掻いても、明日の昼過ぎには我らの敗走でしょう。そして、根の堅洲国も戦いに巻き込まれますが、そうなったら素戔嗚尊も動かざるを得ないでしょうから、助力を乞い総力戦に移行します。」
そう冷たく断じると、視線で「先に進めていいか」と確認をとる。将門は頷いた。
雅は「ここに陣を張ることで」と話すと、前面の高天原軍には地形柄、魚鱗もしくは鏑矢と見せかけ、相手の思惑に乗り、ジリジリと後退する事と、うまく情報操作する事で夜の食国を牽制、誘い込んだ高天原の軍を左右の秘してある隊を使って一網打尽にすると話す。
この案を少彦名命に話した際は「えげつないな」と言われたが、それくらいしないと勝てる見込みが無い。
「気をつけねばならぬのは敵本丸にいるであろう建御雷命と、轟の軍が遊軍。」
しかし、そこまで話して、雅は押し黙った。急に何か大きな思い違いをしているような気になったのだ。
「どうかしました? 父上。」
建御名方神に果たして轟を制するだろうか。あの鋭く飛んでくる雷電の珠は、伊邪那美命の力を受けた自分でさえ避けるのがギリギリであった。
「建御名方神、やはりお前は先程話した将門公の位置に付いて貰えますか? 三ノ宮殿は御方様の傍に侍り、私の代わりに全軍の指揮を取っていただけますと幸いにございます。」
「一ノ宮はどうなさるので?」
雅はトンと、轟の軍を指さしたのは最前線の淤加美神が陣のすぐ近くだった。
「これは推測に過ぎないのですが、私にはここに《建御雷命》がいるように思えてならないんです。」
建御雷命の魂がなぜ轟と一体化しているのかまでは分からなかったが、そう考えれば、いくつかの事に合点がいく。
伊邪那岐命の加護を感じる青々と輝く勾玉と、同じように青黒く光らせた瞳。
轟の攻撃の一つ一つが重かったのも、建御雷命なのだと考えれば、八雷神と同じような威力の攻撃を使うのも納得がいく。
そして、推測通りなら相手はきっと誘いには乗らず、多少こちらに軍を動かしたとしても、鶴翼に転じた瞬間に、手薄になった淤加美神を一点集中で攻撃し、先に淤加美神を狩ろうとするだろう。
しかも、あちらは《青天の霹靂の軍神》だから、雷電を生み出すまでにタイムラグがほとんどない。また、甕の水をぶちまけたかのような豪雨で全てのものを洗い流し尽くす《天誅の神》でもあるから厄介だ。
淤加美神と一対一の戦いになったとしても拮抗しうると考えておいた方が良いだろう。
一方、建御名方神は建御雷命がいる可能性があると聞くと、急に声を大きくした。
「恐れながら、申し上げます。そちらに建御雷命がいるのであれば、私めが必ず討ち滅ぼしてみせましょう。」
「生憎、許可できません。今の彼奴は御方様の眷属たる私にもギリギリの戦いを強いたのです。そうした力を持たぬ状態ではお前が敗れるのは目に見えています。こちらの戦いは見送ってください。」
そう返せば、伊邪那美命も「建御名方神は妾の眷属にするには父親譲りで大変そう」と話す。
「お前を妾の眷属にするには、少しばかり気性が真っ直ぐ過ぎるのよね。もう少し、雅信のような老獪さがあれば良いのだけれど。」
そして、桔梗の君の姿に見えて戸惑っている将門に近付くと、雅に見せつけるようにして深く口付けをする。
「な、何を・・・・・・?」
伊邪那美命は甘ったるい声色で「私を失った時の怒りを思い出してくださいませ、旦那様」と耳元で囁く。将門は目を見開いた。
伊邪那美命はじっと将門を見つめる。
「思い出して。貴方の頭に、矢が刺さり、首を、四肢を、切り刻まれた事を。」
そうして、しなを作って将門に寄り掛かると、途端に将門は沈痛な面持ちなまま、パリパリとその身体に赤い雷を纏った。
親密な雰囲気に建御名方神は目のやりどころに困って視線を逸らし、一方、雅は底冷えする声で「御方様」と声を掛ける。
「そのような事をせずとも、三ノ宮殿は指揮してくださいます。」
雅は知らず知らず表情を歪ませ、唐草模様の影を立ち登らせ紫の雷を纏う。雅の目には加代子の姿に映る伊邪那美命は妖艶に笑った。
「雅信、妾に怒っているのかえ?」
「ええ、我が妻を侮辱するのはお止めください。」
すると、将門が急に雅の喉元に腕を伸ばし、首を締め上げた。
「三ノ宮殿、何を――。」
その目は先程までと違い、雅を映すことはなく虚ろなものに変わっている。伊邪那美命は笑みを消した。
「この者の心は既に妾のモノ。それに引替え、お前はなかなか妾に心を許さぬ。お前は、一体、誰のモノ?」
「ぐぅ・・・・・・ッ!?」
微かに口を動かし「御方様のモノです」と答えれば、操られている将門の手は緩み、雅はゲホゴホと咳き込む。
「なかなか受け容れぬようだけれど、頭で理解しているなら、まあ、いいわ。分かっているなら、もう一度、妾が力を受け容れなさい?」
そう言うと唐草の呪縛に苦悶の声を上げる雅に一気に力を流し込む。建御名方神はその様子を見ても、金縛りにあったかのように動けなかった。
立ち上る蔓に囚われて、身を喰らい尽くされるような苦痛に、牙を剥き、唸るようにして呻く。
「大己貴命よ、後継者を次々と殺され、国を奪われた挙句、甘んじて身を引いた須勢理の姿や、敵方の姫を正妻に据えるように強いられた事を忘れたの? 幽世に閉じ込められている間に須勢理を淤加美神に奪われた事は?」
伊邪那美命が畳み掛けるように言えば、雅は「もう止めてくれ」と叫ぶ。
伊邪那美命の力が流れている間、見せられたビジョンに雅は胸が張り裂けんばかりだった。
愛した妻子、愛した土地、そして、自らの命。全てを奪われ、荒御魂にならざるを得なかった頃に引き戻される。
伊邪那美命は「お前が須勢理毘売が魂を恋うるのは分かるわ」と、苦しげな表情の雅の頬を撫でる。
「お前の愛情が深いほど、お前の絶望も深くなると言うもの。」
雅が苦悶の表情で「もうお赦しください」と言えば「分かればいいのよ」とこの上なく優しげな声を掛ける。
「お前の苦しみ、悲しみは、この将門の何倍も強いモノ。しかも、お前はこのように傀儡にはならぬ稀有な魂。」
須勢理が純に美しい魂ならば、大己貴命のそれはさながらパンドラの匣のようにこの世の災厄が閉じ込められた魂だ。
「大己貴命に命ず。轟の軍を撃破せよ。」
「御意・・・・・・。」
黒い風が巻き起こり、悲痛な表情のまま、雅は姿を消す。建御名方神はその間、言葉を発することも動くことも出来ずにいた。
将門は伊邪那美命を抱えようとする。伊邪那美命は優しくそれを制した。
「もう少しお待ちなさい。建御名方神にも伝えたき事があるのです。」
それから呆気に取られている建御名方神に、声を掛ける。
「建御名方神よ。お前は大己貴命が力を信じなさい。」
そう声を掛けられて、ようやく「父をですか?」と声が出せた。
「ええ、お前の父は逆境に置かれたら、とても強い。長く弱者の立場に置かれていたからこそ、不利な状況下での戦い方を誰よりも知っている。」
それは建御名方神が、建御雷命に仕掛けらた狡猾な罠の、さらに裏をかくような強かさだ。
「お前にはないのは、そういう強さ。お前はまだ強くなれるわよ?」
建御名方神は伊邪那美命の姿に母親の姿を見、「母上」と驚くから伊邪那美命は満足した表情を浮かべた。
「妾は持ち場へゆくだけです。心配しないでその剛腕を振るいなさい。期待しているわよ。」
そう建御名方神を鼓舞すると踵を返す。そして、将門に抱えられて去っていく伊邪那美命を仰ぎ見ながら、建御名方神は今度は片膝をついて「承知しました」と返事した。




