大禍時(おおまがとき)
一体どのくらいの時間、眠っていただろう。
加代子がうつらうつらとしながら、目を覚ますと、ひんやりとした氷嚢が頭に乗っていた。身体は鉛のように重く、胸元の鱗紋が原因なのは何となく分かるものの、身体の自由が効かなくて「はあ」と息を吐くのすら辛かった。
「姫様、お気付きになられましたか?」
小笹の声にコクリと頷くと「お水をどうぞ」と吸い口で飲ませてくれる。加代子はようやく少し口が利けるようになって「どれくらい、眠っていたの?」と、途切れ、途切れに訊ねた。
「今は着いた翌日の夕方です。」
身体が怠くて、上体を起こすことすらままならない。そんな面映ゆい気持ちでいると小笹に「旦那様からこちらを」とほのかに光る紫色の石を手渡された。
雅の紫の稲妻と同じ光――。
その石を手にすると、不思議とその石に熱が吸われて、苦しいのが幾分引いていく。
「不思議、少し楽になった・・・・・・。」
まるで身体を雅が支えてくれているかのように、苦しいのが幾ばくか楽になり、呼吸がしやすくなる。
「それはようございました。まだお辛いでしょう。ゆるりとお休みくださいませ。」
インフルエンザにかかった時のように、身体の節々も痛むから、加代子はこくりと頷き目を瞑る。
小笹はやがて加代子が再び眠りに落ちたのを見届けると、自分の指先が消えかかっている事に気がついた。
加代子が弱り、式神である自分の具現化もままならないのだと知ると、慌てて小笹は加代子の首からネックレスを外す。
「須勢理の具合はどうだ?」
不意に声をかけられ、後ろを振り返ると素戔嗚尊がすぐ近くに立っていた。小笹は伏して素戔嗚尊に挨拶をすると「先程、少し目覚められ、水を召し上がられました」と報告した。
「熱はどうだ?」
「まだ高うございます。」
「そうか・・・・・・。」
そうした内にも小笹は姿が薄れていき、徐々に透けていく。素戔嗚尊は半透明になった小笹の手元の、篠笛を渡すように言った。
「お主が動けなくなると困る。」
「ですが・・・・・・。」
「早う。」
素戔嗚尊は奪うようにして、小笹の依代となっている篠笛を握る。
「須勢理はお前を維持出来ぬほどに弱っているのか?」
「そのようにございます。先程、旦那様が幾ばくか肩代わりをなさって下さると仰せで、身代わり石もお渡ししたのですが・・・・・・。」
「大己貴命の身代わり石?」
「左様にございます。」
そう言われて見れば、加代子の右手には大己貴命の紫の稲妻の閉じ込められた石が握られている。
「大己貴命と連絡がついたのか?」
「上手く波長が合えば、姉の青竹と連絡がつくので、こちらの状況をお伝えしたのですが・・・・・・。」
しかし、紫色の石と死神界の雅の家の鍵が使い方と共に送らてきた後は、何度呼び掛けても応答は無く、ふっつりと交信が途絶えてしまった。
とはいえ、加代子が苦しそうにしてるのをそのままにも出来ず、ひとまずは雅からの指示に従って、預かった鍵を使って、雅のマンションへと鏡渡りをし、氷嚢とそれに使う氷を持ってきた。
人の身に施すように、冷やすのが正しいのか判断はつかなかったが、熱に浮かされている加代子を見ると居た堪れなくて、少しでも過ごしやすいようにと思って対処したが、その事が逆に加代子の負担になったのかもと不安になる。
「それで、主から依り代を外したか。」
口が利けなくなってきたのか、小笹が頷くと、素戔嗚尊は枯渇寸前の小さな篠笛のネックレスに気を流した。
小笹は主の須勢理毘売命以外の気を注がれて少し違和感を感じたが、それも最初のことで、力が枯渇ギリギリなこともあってか暫くすると素戔嗚尊の式として動けるようになる。
素戔嗚尊の《気》で持ち直した小笹は「ありがとうございます」とお礼をした。
「これ程、抵抗なく小笹の所有権が我に移るとは。八嶋士奴美は間に合うだろうか――。」
思っていたよりも加代子の容態は篤く、勾玉や身代わり石で対症療法をすることでしか対応出来ない。加代子に勾玉も握らせると素戔嗚尊はその上から熱を帯びた加代子の手を握った。
「子供のために何も出来ぬ事が、ここまで歯痒いとは思わなんだ。」
奇稲田姫を失いかけていた前夜、足名椎命と手名椎命が沈痛な面持ちになっていた事を思い出す。あの時の二人の気持ちもこうしたものであったのだろうか。
「小笹よ、早蕨を呼んで参れ。あれは須勢理の乳母ゆえ我らの気が付かぬところを助けてくれるやもしれぬ。」
「承知致しました。すぐに行ってまいります。」
紫に輝く身代わり石と翡翠色に輝く勾玉でどうにか抑えているものの、鱗紋は次々と加代子を蝕んでいるかのように見える。
(早う――。)
素戔嗚尊は心から願った。
◇
酷く喉が渇く――。
加代子は枯れた川の前にいた。ここが河原だとわかったのは、その足元に転がる石のどれもが丸く、いくらか足元が湿っていたからだ。
川幅は底石の様子からして、かなり大きいはずなのにすっかり干上がっている。しかし、その理由も少し進んだだけで分かった。
大きな鱗で覆われた不思議な壁が水の流れを堰き止めている。
これを退かせれば、この内側から燃え尽くされそうな熱さも、少しは緩和されるだろうか。
加代子はふらつく足で、その壁へと近付くとそっと手を伸ばした。
「それに触れてはいけない――ッ!」
声が聞こえた時には遅く、絡まるように腕は壁の隙間に飲み込まれ、反射的に反対の手を着いて踏ん張ろうとした腕を取られる。
「反対側まで手をついたら、飲み込まれますよ。今、助けますから、そのままじっとしてください。」
声の主を見れば、雅がいて「大丈夫ですからね」と言ってくれる。加代子は熱に浮かされながらもこくりと一つ頷いた。
三輪山に あり立てる十種を
いま栄えでは いつか栄えむ
そういうと小さなつむじ風が手の平に現れ、そのまま肩巾に変じて、加代子の肩に掛けてくれる。
淡い紫色の光を放つ不思議な肩巾を雅が代わりに振ると、不思議と目の前の壁の戒めは緩んでいく。
「今です、手を抜いて――。」
そして、上を見上げて目の前にある巨大な壁が、実は、大きな、大きな、蛇である事に気がついて目を丸くする。
二匹の大蛇が鎌首を持ち上げ、赤く濁った目をこちらへ向ける。加代子は思わずその場に尻餅をついた。
襲われる――。
そう思っても身体は思うように動かない。一方の雅は平然として、加代子を抱き上げ、向かって「蛟龍 弥栄ましませ」と祈る。すると、一方の大蛇が大きく動き、先程よりは緩く塒を巻き直す。
二匹の蛇の動いた影響か、堰き止められていた水が青く輝きながらとろとろとこぼれてくる。
「喉が渇いていらっしゃるのでしょう?」
その言葉に頷くと、雅は加代子を抱えたまま流れる水のすぐ傍まで行く。
「もう少し、頑張ってくださいね。」
そう言うと水を口に含み、そのまま口移しで飲ませてくれる。加代子はとろんとした目のままで雅に訊ねた。
「ここは、どこ――?」
「そうですね、加代子さんの《夢》というべきか《深層心理》というべきか・・・・・・。」
「深層心理――?」
雅が頬に触れてくる手の感触が心地よくて、ほうと息を吐く。
「逆鱗の呪を解呪できればとここまで来ましたが、こんな事になっているとは。あれでは呪を解いたとして、反動で貴女の身が持たないでしょうし・・・・・・、参りましたね。」
困り顔の雅の様子に「また、イレギュラー?」と訊ねる。
「ええ、何度目のイレギュラーか分かりませんが、ね。」
くすりと笑って言う雅の様子に「それでも何とかしちゃうんでしょう?」と言えば「ご期待に添えるように努力しますね」と言われた。




