↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒殺された王妃、八歳に戻ったので今度は〈人食い公爵〉の養女になります ~一周目で私の毒殺に異を唱えたのは、あの方だけでした~  作者: 月城 友麻


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/5

1. この方の膝

 一周目、冬の王宮。杯を干した私を、王太后が眺めている。飲み終えるまで待っていたその口が、ようやく開く。


「よく飲んだわね」


 銀の杯の向こうで、義母フリデリケが微笑んでいる。


 夫である若き王エドムントは、目を逸らしたまま何も言わない。


 二十歳の冬、王妃の私は毒を盛られた。


 寝床まで届くのは、病を案じる言葉ばかり。薬湯の匂いと冷えた敷布のあいだに、公爵が私に会わせろと求めているという知らせが、一度だけ混じる。誰も来ない扉を、私は見つめていた。


 床に伏した七日のあいだ、宮廷で異を唱えたのは、北の〈人食い公爵〉ブルクハルト・ラーベンシュタインただ一人。


 その方が反逆の罪で捕らえられたと聞いた夜、私は息を引き取った。


       ◇


 目を開けると、八歳。


 寝台から下ろした脚が短い。探るように伸ばして、やっと床へ素足が触れた。冷たい。窓の外では春の鳥が鳴いている。乳母(うば)が服を広げる。


「顔合わせに遅れますよ。お父様はもう王宮で、お金のお話をしていらっしゃいます。さ、腕をこちらへ。今日の髪は、うんときれいに結いますからね」


 袖へ腕を通すと、亜麻色の巻き毛が襟に引っかかった。小さな手では、自分の髪ひとつうまく払えない。服の中で迷う腕を伸ばしながら、私は乳母を見上げる。


「今日は、わたしが返事をしたいです。誰かに決めてもらう前に、自分でお話しします。時間がかかっても、代わりに答えないでください。お願いします」


 今日は王太子殿下との顔合わせの茶会で、父は娘を王家に売る算段に忙しい。


 立つなり裾を踏みかけた。乳母が私の丸い頬を覗き込み、小さな鼻をちょんとつついてから襟を整える。


「若草色の目が、とろんとしてますよ。お返事は目が覚めてから。そんなに急いで大人にならなくても大丈夫。まずは、お足元をよく見てくださいな」


 私は乳母の袖を握った。洗いたての布の匂いがする。あの冬の寝床では、誰の袖もつかめなかった。ほどこうとすると、かえって布を握り込んでしまう。


「起きています。支度は続けてください。……その袖は、馬車に乗るまでです。そこまでは、つかませてください」


 なぜ戻れたのかは分からない。次は無いものとして、この短い手足で生きるしかないのだ。乳母の袖は温かい。本当のことを言えば、あの寝床の話まで口に出る。布のしわを直せないまま、乳母と馬車へ乗った。


       ◇


 王宮の庭では、八歳の令嬢三人に母親たちが付き添っている。私の乳母は庭の外まで。礼を受ける王妃が赤金色の編み髪を傾けた。細い腰が折れ、長身の影が私にかかる。私はその影から靴を出せない。侍従が末席へ盆を向ける。


「陛下のお求めで、ラーベンシュタイン公爵にもお越しいただいております。皆さま、どうぞお席へ。お茶の用意も整っております」


 殿下が淡金色の短髪を揺らし、長い脚で椅子を離れて手を出しかける。私はその向こうの公爵を見上げた。後ろへ流した黒髪の下で、顔がこちらを向く。肩幅だけでも椅子からはみ出す大男だ。噂では人を食うという人の隣には、誰も座っていない。


 一周目、王妃になった私に、王太后は王宮で『あなたが選んだ形にしたのよ。内定とはそういうものなの』と笑った。あの茶会を、私もよく覚えている。差し出された手を取ればいい。それだけを教えられていた。


 今の王妃は椅子の脇を示し、深緑色の目で返事を促す。甘い香油の匂いが、茶の湯気に混じる。


「こちらへ、オディリア。殿下を待たせては可哀想でしょう。あなたに会うのを、それは楽しみにしていたのよ。さあ、お顔を上げてちょうだい」


 靴の先が止まった。あの杯はない。声が同じだ。優しく笑う口元まで、あの冬と少しも変わらない。開きかけた口を閉じ、私はやっと声を出す。


「……怖いのです。返事を急がせないでください。皆さまが待っていても、すぐには言えません。わたしの口で言うまで、待っていただけますか?」


 王妃は柔らかな頬を緩めたまま、薄い唇を開く。


「皆さまが楽しみにしているのに、困らせないでちょうだい。怖がるようなことは、何もないでしょう? 殿下にも失礼になってしまうわ」


 私は母親たちの膝に重なる手を見た。自分の手の置き場は、ない。服を握るとしわになる。だから両手をぴったり重ねる。


「失礼はしたくありません。でも、怖くないと言われても、足が動きません。そばへ行く方は、わたしが決めたいです。……わがままでも、そうしたいです」


 王妃の笑みは動かない。こちらへ差し向けた手も、そのままだ。


「殿下は優しい方なのよ。あなたが手を取れば、それでよいの。難しく考えることではないでしょう? 皆さまを安心させてちょうだい」


 私は重ねていた手を離した。


「嫌だと言ったら、困らせることになるのですか? わたしが、お返事をします!」


 言い終えて、私は口を押さえる。八歳の声は、思ったよりずっと大きく庭に響いた。王妃の爪が椅子の縁にかかる。


「大きな声を出さなくても聞こえます。礼を忘れてはいけませんよ。皆さまもご覧なのですから。きちんとお話しできるでしょう?」


 私は口を覆っていた手を下ろす。今度は、声を小さくするところからだ。


「はい。大きな声は、ごめんなさい。……では、皆さまの前で伺います。そばにいたい方を、自分で選んでもよいですか? わたしの望む方で、よいのですか?」


 侍従が盆を持つ手を止める。王妃は満座へ顔を向けた。


「もちろん。本人が選んでよいのです。無理強いなどいたしません。オディリア、あなたが望む方のそばへいらっしゃい」


 私は公爵のいる末席へ体を向ける。


「ありがとうございます。決めました。自分で行きますので、そのまま見ていてください」


 王太子の婚約者は、八歳の顔合わせの茶会で内定する。


 殿下が手を伸ばす。私に届くよう、少しかがんだ姿勢だ。


「母上が……いえ、僕が案内するよ。こちらへ来てくれるかな? 庭の奥に、君の席もあるんだ。急がなくていいから、一緒に行こう」


 その手の前を通り過ぎ、公爵の膝に手を掛ける。高い。服ばかり引っ張って、短い脚では届かない。公爵が黙って腰を低くすると、登れる高さに膝が来る。


 茶会の庭で、私は王太子の差し出した手を素通りし、末席にいた黒衣の公爵の膝によじ登った。


 黒衣をつかんだまま、私は顔を上げる。口を開けば泣き声が出そうで、言うことだけを、しっかり口の中で形にする。


「わたし、この方のお家の子になります」


 王妃の笑みが止まる。盆も鳴らない。風に揺れていた茶の湯気さえ、止まって見える。殿下は空いた手を下げ、幼い頬をこわばらせて空色の目を伏せた。その下がり眉に何も言えない。今の殿下は、あの夫ではないのだ。


 凍りつく庭で、公爵は膝の上の私を見下ろし、一言だけ告げる。


「……理由は、大きくなってから聞こう」


 低い声だ。どうして、あの方だけが異を唱えたのか。訊けない。固まった背を、大きな手が支えた。私はその手に寄りかかりかけて、慌てて背筋を伸ばす。王妃が腰を浮かせる。


「そこへ行くとは聞いていません! オディリア、降りなさい。わたくしの話が分からなかったの?」


 私は外套(がいとう)を握った。黒い布の下で、心臓の音がうるさい。膝から滑らないように、足まで縮める。


「……選んでよいと仰ったのは王妃さまです。わたし、この方のそばにいたいのです。笑われても、ここがいいです。お願いします。降ろさないでください」


 王妃が令嬢たちと母親たちを見回した。誰も手を差し出さない。やがて、その口元に笑みが戻る。


「ほほ、子供の戯れですものね。そんなにしがみつかなくても、誰も取り上げはしませんよ。泣かれては公爵もお困りでしょう。皆さま、お茶を続けましょう」


 公爵は答えず、私の背から手を離さない。私は遠い皿を見た。焼き菓子の甘い匂いに、口の中が勝手に緩む。言うべきことはもっとあるのに、目が皿から戻らない。


「公爵さま、ここで焼き菓子をいただいてもよいですか? 降りると、また登れなくなります。礼は尽くしますので、足の短さはお許しください。……こぼさないように、気をつけます」


 黙って皿が寄る。公爵が角張った顎を引くと、琥珀色の目の上で濃い眉が緩んだ。私は菓子をかじる。焼き色のついた縁がほろりと崩れ、蜂蜜の甘さが舌に広がった。下ろされた殿下の手を見ないまま、床に届かない足がぶらぶらする。私は菓子を持つ手を止め、公爵を見上げる。


「オディリア・リーベナウです。座らせてくださって、ありがとうございます。重くなったら、お知らせください。……公爵さまのお膝、あったかいです」


 名を聞いた公爵が小さく頷いた。外套の温かさは、膝から背中まである。あの寝床の冷たさが、少しずつほどけていく。こぼした欠片を拾おうと傾くと、支える手もついてきた。私は菓子をのみこみ、大きな顔を見上げる。


「今度は、私があなたを守る番です」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。