第2話
収録スタジオ。誠司はいつも通り、子供達の憩いの場になっていた。
両腕に子供がぶら下がり、背中に子供がしがみつき、両足にも子供が乗っている。
3、4歳ほどの子供から見ると、誠司は『みんなのひろば』に現れる大木だった。
「みんなー!今日はいっぱいぎゅーしますよ。近くのお友達とハグしてね」
悠馬の合図で『ぎゅーの歌』が始まった。真彩の軽やかな歌声と、悠馬の柔らかい歌声が合わさる。
「ぎゅー!ぎゅー!だいすきって伝えよう」
二人は歌いながら、打ち合わせ通り子供達とハグをしていく。
梓も床に膝をついて腕を広げると、小さな女の子が胸に飛び込んだ。
子供同士でもハグをしていて、スタジオには温かい光景が広がっていた。
そんな中、誠司の目線の先はやはり悠馬だった。
悠馬は笑顔でしゃがみ、男の子とハグしている。男の子も嬉しそうに悠馬に抱きつく。
誠司は羨ましかった。自分もあんな無邪気に、悠馬を抱きしめることができたら……。
誠司はすぐに首を振り、唇を強く噛み締めた。
こんな不埒なことを考えてはいけない。恋愛感情を職場に持ち込むなんて。
僕は体操のおにいさんだ。しかも、公共放送の伝統ある番組だ。
このスタジオには、幼い子供達がいる。その保護者たちも目の前にいる。
収録スタジオの前には、保護者用の観覧席がずらっと並んでいた。
誠司を含む出演者は、カメラを向けられるだけでなく、その奥にいる保護者達と対面しながら収録しているのだ。
誠司が顔を上げると、一人の親が子供に向かって手を振った。その子供も、笑顔で手を振りかえす。
誠司は気を引き締めるために、自分の胸を拳で叩いた。痛かった。
誠司も仕事に取り掛かろうと、しゃがんで子供達に腕を広げる。
子供達が次々と、楽しそうに胸に突撃してくる。
誠司は全身の筋肉を使って耐えた。子供の笑顔を守るのが誠司の使命だった。
「ぎゅー!ぎゅー!ぽかぽかするね」
悠馬は歌いながら、次は女の子とハグをする。
悠馬に抱きしめられた子供は、みんな温泉に浸かっているかのような顔になる。
スタジオを走り回っていた子でさえ、ふぅーと力が抜けて大人しくなっていた。
悠馬の腕に包まれると、どんな子も安らぐようだ。
「次はお兄さん、お姉さん同士でぎゅーしますよー」
「梓おねえさんといっぱいぎゅー!」
真彩は歌いながら梓を抱きしめ、持ち上げ、ぐるぐる回す。梓の綺麗にまとめたポニーテールが揺れる。
出演者としてプロフェッショナルな梓は、笑顔を保ちながらも真彩を何度も叩き、必死に下ろすように警告していた。
「悠馬おにいさんも、誠司おにいさんとぎゅー」
悠馬が誠司に向かって、笑顔で腕を広げる。
誠司の心臓が、大きく飛び跳ね続けた。目は忙しく周囲を見渡す。
幼い子供達に、保護者の目。悠馬さんに好意がある素振りを絶対に見せてはいけない。
子供と保護者にとって、安心できる存在でいなければ。僕は体操のおにいさんだ。
誠司はもう一度、自分の胸を拳で叩いた。痛かった。
誠司があれこれ考えていることなど知らない悠馬は、歌のおにいさんとして誠司に腕を回した。
誠司はふんわりと包み込まれる。その瞬間、誠司は全ての思考を手放した。
頭を駆け巡っていた喧騒がふっと消え去り、静寂が訪れた。
これが悠馬さんのハグ……。
誠司は子供達の気持ちがわかった。悠馬の腕に包まれるだけで、春の木漏れ日のような安らぎが訪れた。
温かな体温。無印良品みたいないい匂い。スタジオという緊張の場が、一瞬にして極楽浄土に変わったようだ。
身長が170cmはあり、お母さん達の王子様で、細身だが、いざという時は子供を二人抱えられる頼もしさがあり、番組出演者たちにとっては大黒柱。
そんな悠馬が、今だけは誠司に抱きついて微笑んでいる。
目を合わせたら好意が出てしまうと思いながらも、誠司には目を逸らすことなどできなかった。
脳内に一輪また一輪と花が咲き、お花畑が出来上がる。
誠司はついに「可愛い」と口走りそうになり、必死に言葉を飲み込んだ。
誠司は直立不動だった。頭ではわかっている。自分が出演しているのは教育番組であり、子供達に温かいハグを見せなければいけない。
そして何より、視界の端でディレクターがハグするようにジェスチャーを出している。
だが、どうしたらいいのかわからない。悠馬に触れていいのか。触れるとしたら、どこに手を置いたらいいのか。
恋を自覚する前、悠馬とどうやって接していたのか誠司は忘れた。誰か正解を教えて欲しかった。
「……誠司おにいさん?」
悠馬はマイクに入らないよう、小さな声で誠司に呼びかける。
誠司はハッとした。悠馬を見ると、戸惑うように眉を下げている。
急いで周りを見ると、子供達は不思議そうに誠司を見ていた。
誠司は思った。今すぐ抱きしめなければ。
体操のおにいさんらしく爽やかで、健全で、紳士で、清らかな心で。
嬉しそうな顔はしてはいけない。宝物のように抱きしめてもいけない。
誠司は慎重に腕を回していく。そのスピードは、ナマケモノといい勝負だった。
そして、ようやく誠司の指先が、悠馬の背中にたどり着いた。
腕は完全に浮いていて、指先だけがちょんと触れている。
背中に触れる面積があまりにも少ないので、悠馬は思わず振り返った。
カットがかかり、子供達が保護者のもとへ駆け寄る。
真彩と梓が離れる。誠司もすぐに悠馬から離れ、距離をとって背中を向けた。
誠司はこのまま梓と真彩の楽屋に逃げようかと思ったが、誠司の足はまだ悠馬のそばにいたがった。
真顔のまま、上半身だけが右左にゆらゆらする。
一方、悠馬は話しかけようか迷っていた。誠司の背中に手を伸ばしてはやめる。
悠馬は、誠司に距離を取られていることを察していた。
そして、それが今回のハグでより明らかになったと感じた。
誠司くんと仕事するようになって4年。昔はそれほど避けられていなかったと思う。
きっかけはわからないが、僕は誠司くんが嫌がることをしてしまったのかもしれない。
それとも……臭かったのかな。
悠馬は腕を少しだけ上げて、恐る恐る体臭を嗅いだ。
今年で36歳のため、そろそろ加齢臭が出てきたのだろうか。だが、自分では自分の匂いがわからない。
悠馬は原因を知りたがったが、誠司よりも年上で職場の先輩という立場なので、気軽には聞けなかった。
「僕のこと嫌い?」なんて聞くのはどうかと思うし、「怒らせることしちゃったかな」と聞けば、真面目な誠司は萎縮して「いいえ」と答えそうだ。
いくら考えてもわからないが、悠馬はどうしても寂しかった。
最近、梓と真彩と誠司は仲が良さそうだ。毎日のように、誠司は悠馬との楽屋を避け、梓と真彩の楽屋で過ごす。
年上の先輩の宿命だと思いながらも、悠馬は子供みたいに仲間外れになった気持ちだった。
ディレクターが悠馬を呼ぶ。悠馬は迷った末に、誠司の背中を一目見てから去った。
悠馬は、今日も誠司とろくに会話をしなかった。




