プロローグ 夏の風
八月。
北海道の空は、高かった。
白い車が、一本道を走っていた。
窓の外を、緑の畑が流れていく。どこまでも真っ直ぐな道。東京では見たことのない景色だった。
助手席の女が、窓を少しだけ開けた。
風が、短い黒髪を揺らした。
目を閉じて、風の匂いを吸い込んだ。
「あかね、寒くないか」
運転席の男が言った。四十代の半ば。目尻に皺があった。穏やかな声だった。
「大丈夫です」
女が答えた。二十歳くらいに見えた。彼の娘というには年が近すぎた。妻というには若すぎた。
「賢治さん、次のパーキング寄ってください。ソフトクリーム」
後部座席から、男の子の声がした。十二歳くらいだった。
「さっき食べただろ」
「あれは空港のやつ。北海道のソフトクリームは場所によって味が違うんだよ。調べた」
「どこで調べたんだ」
「ネット!」
男の子の隣で、女の子が窓にもたれていた。十六歳。イヤホンを片耳だけ外していた。
「あゆむ、うるさい」
「お姉ちゃんも食べたいくせに」
「……別に」
「顔に書いてあるよ」
「書いてない」
女の子は窓の外を見た。口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。
四人家族に見えた。
夏休みの旅行。父と母と、姉と弟。
ただ——
助手席の女が、バックミラー越しに後部座席を見た。
女の子と、一瞬だけ目が合った。
女の子は、すぐに視線を逸らした。
でも——イヤホンを外した耳は、こちらを向いていた。
運転席の男が、ハンドルを握りながら、遠くを見ていた。
道は真っ直ぐだった。地平線まで続いていた。
男の目が——一瞬だけ、もっと遠くを見た。
この景色の向こうにある、ここではないどこかを。
その視線はほんの一瞬で、すぐにバックミラーへ戻った。
「パーキング、あと五キロだ」
「やった!」
男の子が身を乗り出した。
女の子が、無言で男の子のシートベルトを引っ張った。
「座ってろ」
「お姉ちゃん、お母さんみたい」
車内が、一瞬だけ静かになった。
ほんの一瞬だった。
助手席の女が、窓の外を向いたまま、動かなかった。
運転席の男の指が、ハンドルの上で少しだけ強くなった。
女の子が、イヤホンをもう一度つけた。
男の子だけが、気づいていなかった。
「ソフトクリーム、何味がいいかな。バニラかメロンか——あ、ラベンダーってあるかな!」
車は走り続けた。
北海道の空の下を。
四人を乗せて。
――




