エピローグ
僕は朝一、学校の机に突っ伏していた。
「おい奏多大丈夫かよ?いつもより顔が白いぜ?」
「保健室行くです?」
「大丈夫だから放って置いて」
悟と弥生に心配されるだけ僕の体調は良くないようだ。
願いの対価が少なくて済んでいる。いや、いたのだ。
最後の最後で尋常ではない執着を見せる横島のせいで【願望器】の記憶を消すのに思っていた以上に対価が要求された。具体的には真夜中にハーフマラソンをやった感じ。
そのせいでご覧の有様だ。
今回は楽出来ると思っていたのにな。あんな目にあったんだから【願望器】なんてもうウンザリだと思っててくれよ。そうしたら楽に記憶が消せたのに。
でもこれで【願望器】は回収出来た。
それでも【願望器】はまだ世界に多く存在する。適正がなければ願いを叶えないただのガラクタとなる為世間に存在が広まってないのが幸いだが、あんな風に人を不幸にする使い方をされ続けていると思えば回収を止める訳にはいかない。
だけど毎回毎回こんだけ疲れると心が折れそうになる。
しかも回収したからと言って被害者から感謝されるでもなく、寧ろ罵倒されるのだから心にくる。
そんな被害者である心川姉妹も記憶を消しているし、多少都合が良いように横島とは別れた事になっている。
本人が望む結末なら記憶を弄った所で違和感を持たれないし、一回やれば十分だ。
横島本人はベットから起き上がるどころか回復するのも数年単位で掛かるので問題はない。
これで万事解決、平穏な日々に戻ってめでたしめでたしだ。
「あ、おーい奏多。寝てる所悪いんだがお客さんだぞ?」
「……客?」
悟に言われ首だけ動かし入り口を見ればそこにはまさかの心川姉妹が立っていた。
「………嘘でしょ?」
どうやらいつもの平穏はまだ帰って来ないようだ。
・・・
朝の時間では話があまり出来ないからと昼休みの第二音楽室で会う事を約束し、そして今、目の前には心川姉妹がいる。今回は内容が内容なだけに悟と弥生には席を外して貰った。
この二人は罵倒するためだろうか。罵りには慣れているが泣きながら言われるのは何度受けてもキツイから嫌なんだよな。
それとも悪言でも垂れ流しに来たのか。どっちにしろ僕にとって損しかない。
「あの、まだ顔色が悪いようですけど…」
「平気だから問題ないよ」
朝も開口一番に罵倒されると思ってたけど最初に口に出たのは僕の心配だった。それだけ僕の顔色は悪いのだろうか。
しかし向奈さんが意を決したように口を開く。
「――昨日はありがとうございました」
「………はい?」
お礼?どうして感謝の言葉が出るのか。
そもそもこれだけは二人に聞いておかないといけなかった。
「あのさ、二人は姉さんに記憶を消されたんじゃないの?」
訝しむ僕に恵は昨日の事を思い出して苦い顔をした。
「あの怖いお姉さんが『やっぱり止めたわ。貴方たちは奏多ちゃんを恨んでないみたいだし』って記憶を消さないでくれたんですよ。ってか、あの人本当に怖かったんですけど。やる事無茶苦茶ですしブラコン拗らせ過ぎじゃないですか?」
「それはごめん。でも姉さんが何のつもりで……」
恨んでいなくても【願望器】の存在を知る人間は少ないに限る。
こんなものいくらでも悪用出来るし、存在が広まればそれこそ奇跡欲しさに殺し合いが起きる。
だからどれだけ懇願しようと記憶は消して来た筈なのにな。
それに僕を恨んでない?そんな訳がない。少なくとも僕は二人を見捨てようとしたのに恨んでいない方がおかしい。
「なんで崎原先輩はそんな疑いの眼を向けるんですか」
「二人にお礼を言われる事はしてないからね」
逆の意味、お礼参りって意味でならあり得そうだけど。
「でも私たちは感謝してます。崎原君がいなかったらお姉さんに見せられた記憶が現実になってましたから」
「………」
姉さん、何を見せたの?
あの時は横島に集中してたから二人の事は無視してたけどよくよく思い返して見れば地面に吐瀉物が撒かれてた気がする。
「ですから私たちは崎原君がどうしてあんな行動をしたかも分かってるつもりです」
分かってる、か。
あまり分かっても欲しくないんだけどな。
僕の行為は偽善にもなれない。
ただの独りよがりで、世界に【願望器】はあるべきではないと僕自身の意思で動いているに過ぎない。
ある意味では横島よりも醜悪だと自覚している。
「間違ってるって言わないんだ」
「それでも崎原先輩は助けてくれましたから。あんな姿を見て文句は言えません」
「あー、あれね」
恵が言っているのは横島の変身とも呼べる肉体変化だ。
膨張した肉体の圧迫感と与える恐怖は正義のヒーローのように格好をつけている場合ではない。
計画的に被害を少なく、適切に処理をしなければ我が身が危ない。それを理解してくれただけに何故か言いようのない嬉しさを感じた。
「それにしても崎原先輩って倒れそうな見た目のわりに鍛えてるんですねー。じゃないとあんなシャキシャキ動けませんよ」
「くすぐったいから止めて」
うりうりと僕のお腹を突いて来る恵はこれが腹筋ですかー、と感心していた。
「ちょっと見せて下さい」
「いや捲らないでよ」
この子に躊躇はないのか。止める間もなく捲り上げられると僕の腹が外気に晒される。
「うわっ、何ですかこれ。バッキバキじゃないですか。肌焼いたらチョコですよ、チョコ」
「ほんと凄いね…」
恵は興味深々に、向奈さんは口に手を当てながらもその目は僕の腹筋を凝視していた。
「だから恥ずかしいって」
六つに割れた腹筋をマジマジと見られ、恥ずかしさで捲られた服をすぐに直す。
女の子なんだからもっとおしとやかにして欲しいよ。
「なんで隠すんです?良い腹筋してましたよ」
「見せびらかす為に作ったわけじゃないからね」
これも必要に駆られてだ。
【願望器】に固執する者たちとは否応でも戦う事になる。それこそ昨日の横島のように人を止めてでも死守したがる。
そんな相手と戦うのを想定すれば鍛えるのは仕方ないし、身体が出来ていなければその分だけ自身も【願望器】に頼る羽目になる。
そうなれば捧げた対価の分だけ疲れるし、場合によっては寝込むまで消費させられてしまう。
だからなるべく【願望器】には頼りたくない。自分の命を捧げるとはこう言う事なのだ。
横島の様に外部から対価を手に入れる方法もあるが、対価を決めるのは【願望器】ではなく己の価値観。その命がどれだけ自身に価値があるかで決まるので結局の所、自分の命を使うのが手っ取り早い。
そんな訳で僕が貧弱で倒れそうに見えるのは【願望器】に対価を捧げているのが大きかった。
「でもこんな話なら朝でも良かったよね?」
「ああ、それですか?分かると思いますが……、お姉ちゃん」
「崎原君、これお礼です」
差し出された一つのお弁当。さっきから視界に三つも弁当箱があったから薄々感づいていたけどね。
「別に気にしなくても良いのに」
「ああ、これは口実なんで気にしないで下さい」
「口実?」
また面倒なお願いでもする気だろうか。
お弁当を向奈さんから受け取りつつ警戒するも恵はニヤニヤと笑う。
「どうせこうでもしないとお姉ちゃんが言いたい事言えませんからね。昨日なんてあれですよ?崎原君に酷いこと言っちゃったし、なんてウジウジしてたんですから」
「ちょっと恵!?」
だから口実なのか。
こうしてお弁当を作っておけば逃げないで済む。
物が食べ物なだけに放置する訳にも行かず、顔を出すのに踏み出す一歩として作ったのか。
「ああ、うん。ありがとう」
「お、お口に合うか分からないけど…」
照れる向奈と向き合う形で座るとお弁当を広げる。
ここぞとばかりに楽しそうな笑みを絶やさない恵は邪魔をしないようにか、まるで仲人のように間に座った。
「お姉ちゃん、あれには冷凍と出来合いで適当に済ましてましたが崎原先輩には手作りですよ、手作り。美少女の細い指でねっとり転がすように優しく揉み込んだ、――唐揚げです」
「表現なんとかしようか。食べ難いよ」
蓋を開けると確かに唐揚げが入っていた。
他にも色々、卵焼きにポテトサラダ、それこそ冷凍ではない一から作った手間の掛かった物だった。
「これ大変だったんじゃない?」
「いえ、その…、お礼ですし」
照れる向奈さんは恥ずかしそうに頬を赤く染める。
これが何となく好意なのは分かる。しかしながら自分自身好意に結び付くような行動をしていない筈なんだが。
「取り敢えず食べましょう。言いたい事なら食べながらでも出来ますし」
「そうだね」
それぞれが食事を始める。
僕はまず、自信作のように語られた唐揚げを掴んだ。
「やはり崎原先輩は唐揚げから行きますか。どうぞたっぷりねっとりと口の中で堪能してください」
「だから変な言い回しするのは止めてくんない!?」
「それはないよ、恵…」
心底食い難い。ただこの唐揚げを一口食べて本当に美味しいと感じた。
「美味いよ」
「ありがとう」
「良かったねお姉ちゃん」
他のおかずも手抜きが無くて美味しかった。
お弁当を食べ進めながら、ふと思う。この二人は何で普通に接しられるのか。
形的には助けたとしても、その助け方は冷酷なもの。日常に戻れたのならお礼は言ったとしても遠ざかるんじゃないか。
「ところで二人は僕を怖いと思わないの?」
だから率直に聞いて見た。
怖いと思われているなら今後は二人と接触しないように気を付けよう。
二人は【願望器】の存在を知ってしまった。それだけでなく【願望器】の起こした奇跡の被害者だ。どう考えてもその【願望器】を所有する僕との関係はおかしくなる。
ならこの食事を機にすっぱりと関係を断ってしまうに限る。
なのに二人は目をキョトンとさせた。まるで言っている意味が分からないと言わんばかりに。
「どうしたんです崎原先輩?変な物でも食べましたか?」
「それこの弁当に混入されてる事になるけど?」
「ああ、自白剤入れときましたよ」
「ホントに混入してんの?!」
「嘘ですよ。本当は漂白剤です」
「混ぜるな危険!?」
「恵はからかってるだけだから…」
何故こんなにも躍らせられるのか。
そもそも冗談を言えるだけ関係が回復しているのが不思議で仕方ない。
「まあ冗談はともかく崎原先輩が怖いとは思ってませんよ。最初は酷いとか、この童貞とか思ってましたけど」
「最後は関係ないよね」
どうしてこうも笑顔で居られるのか。
「でも崎原君は助けてくれました。それに崎原君もあれを使えるんですよね?なのに何もせずに私たちといてくれるなら多分そういう事なんじゃないかなって――」
ずるいな。信頼なんて無縁だと思っていたのに。
二人は今とても危険な立ち位置にいる。
二人は被害者で横島は加害者。その加害者が持っていたのが【願望器】であり、その所有者が変わり今は僕が持っている。
つまりそれはいつでも二人に行使出来ると言う意味だ。
僕自身にそんな意思が無くても二人の心の何処かにはあの恐怖体験が残っている筈だ。少なくとも傷が癒えるには早過ぎる。
【願望器】が見せる奇跡は人によって希望から絶望に変わるのに、こうして笑いながら食事が出来るなんて思ってもみなかった。
と、ここで僕は更に予想外の台詞を聞かされる。
「――それにあの目で見られた時、凄くドキドキしました……」
ピタリと、僕と恵の箸の動きが止まる。
「………ねえ、お姉ちゃん」
「なに?」
固まった笑顔のままに恵は姉へと疑問を投げかける。
「あの目って、人を人とも思ってない虫でも見つめてるような目?」
「いや僕そんな目してないでしょ」
「してましたよ。私はそう感じたんですから」
「でも、良いよね。あの目…」
聞かなかった事にしたい。
どう反応して良いか分からなくて戸惑っていると恵が右肩を掴んで来た。嫌な予感しかしない。
「崎原先輩」
「何?」
恵は満面の笑みを浮かべた。
「責任取って下さいね」
「何でだよ!?」
責任って何の!?僕に責任なんて絶対無いよね?!
「だってこれどう見ても先輩のせいじゃないですか!責任取る以外にどうするって言うんですか!?」
「人の性癖にまで責任取れるか、バカ!!」
ただここで僅かに残っていた疑問が解消されてしまった。
【願望器】がどのようにして心川向奈を横島の恋人として繋ぎ止めていたのか。
必要とされる記憶操作以外に精神操作まで行っていたとしても長続きする筈もない。それこそ横島のような傍若無人な性格で合わせようとするのは無理がある。
そこで【願望器】は心川向奈の持つ深層心理を利用した。
素質はあったのだろう。何も無い所に水を与えても何も咲かないものだが心川向奈はある種を持っていた。
【願望器】はその種が発芽するよう何度も何度も促し、結果としてそれが今花となって完全に開いてしまったようだ。
「恵いいな…。あんな風に言われて」
「お姉ちゃん正気に戻って!」
「それ開いたら行けない奴だから!」
『M』マゾヒズムと呼ばれる禁断の花を心川向奈は咲かせてしまったのだ。それも昨日の夜に。
最後の鍵はもしかしたら僕だったのかも知れないが潜在的に持っていたのは向奈さん自身だ。それなら僕に責任はない。ないったらないのだ。
「僕は関係ないからな!」
「いいえ!先輩のせいですからね!!」
【願望器】の起こした事件は解決した。しかしその影響は想定を超えて計り知れない爪痕を残した。
「とにかく責任をお願いしますね!」
「偶にで構わないのであの目で見てくれると嬉しいかな?」
「僕を巻き込まないでくれーーーー!!」
これなら記憶を消してくれてた方がマシだったよ姉さん。
評価も低いので速やかに終了いたします。
最後まで読んでくださった方ありがとうございました。(;´Д`)




