十八願目
僕が取り出したのは一本のワイヤーだった。
ワイヤーの先端には重りとして球体が取り付けてあり、投げるにしても適度な重量を持たせてある。それを僕は横島へと投げつけた。
「ソンナモノデェェェェッーーー!!!」
首に投げられたワイヤーを横島は手掴みすると、そのまま地面へと叩きつける。
本来そんな事をすれば手が切れてしまうものだが、皮膚の強度が変わった横島相手にワイヤー程度の切れ味は通じなかった。もっともそれも百も承知で投げたのだけど。
本命はこっち。ウエストポーチから取り出した一本の針。
さっきから何本も投げているのと何ら変わらない長く太い針で横島の肉体には通じない。だからこれも使う。
「これが【願望器】の使い方だよ」
当然ながら持っていた。使わないに越したことはないけれど、やっぱり戦う事になってしまえば自ずとこうなると理解していた。
だから目には目を。【願望器】には【願望器】で対処するのが一番だ。
「貫け」
「グゥッ…、ギャァアアアアアアアアッーーーーーーー!!!??」
刺さらなかった筈の針が横島の腹部へと突き刺さる。
「ナゼダーーー!?アリエナイ!?イタイ、イタイイタイーーーーッ!!!」
大げさに騒ぐ横島は針の半分まで埋まった腹部を見て悶絶しながら倒れ転げまわる。
暴力を振る事はあっても振るわれる事の無かった横島は痛みにまるで耐性が無かった。
今まで自分のして来た事を振り返ればこの程度の痛みなど取るに足らないものなのに。
「コノ人殺シガ!!」
「少なくともお前には言われたくないんだけど」
急所は外している。
それで人殺し扱いされるのは憤慨だ。
僕は針をもう一本同じ腹部に投げ込んだ。
「グケェッ!?俺ハ、俺ハ最強二ナッタンダ!!ナノニナンデダァアアアーーー!!?」
種を明かせば至極簡単。僕が【願望器】で貫通力を少し足したから。
横島の願いに比べたら微々たるもの。必要とされる対価も無いに等しい。
ここに絶対命中とか雷属性を付与とかそんな願いでも込めていれば横島と同じ様に命を削るだけの対価がいるだろうが、今込めた願いは精々50m走を一回したレベルだ。
針自体が元々貫通性を持っている物。これがハンマーにでも加えていれば別だろうが、針の先端に僅かな間だけ貫通力を増す力を加えただけ。それなら【願望器】に必要とする対価はあまりない。
つまり力関係で言えば横島の方が全然強い。なのに横島が無様に転がるのは単に覚悟が無かっただけの話。
傷付けるのは得意でも受ける覚悟を持っていない、端から一方的に傷付ける者だと思い込んでいた横島の傲慢さが生み出した喜劇だ。
ネズミに噛まれた猫が敗走するように力関係は変わっていなくても狩る側の思い込みでこうも結果が変わるのは笑うしかないだろう。
「終わりだ横島」
「マ、待テ!俺ハモウ向奈ニ手ヲ出サナイ!!ダカラ……」
「それで?僕の目的はお前の手に持っている物だと言った筈だけど?」
「ナラ、金ダ!イクラデモヤル!!」
「人の話を聞かないね。僕はその手に持ってる【願望器】を回収しに来たんだよ。お前には過ぎた物だ」
一歩横島へと踏み込んだ。
狩る側から狩られる側へと逆転した――、と思い込んでいる横島が怯えた表情を見せる。
「ヒィッ、俺ヲ逃ガセ【願望器】!!」
ギュオッ、と空気を強制的に圧縮したような音が響くと横島のいた場所には衣類とドロドロとした物質が残されていた。
よりにもよって転移なんて願いを叶えたか。
追い詰められた横島が攻撃ではなく逃走を選んだのは意外と言えば意外だった。
こっちは死ねと言った直接的な攻撃に【願望器】を使うと思って用意していたのに無駄になった。まあ楽になったと思えば良いか。
「ところで姉さんは何でまだいるの?」
さっさと二人を避難させて欲しかったのに。
もしうっかりで横島の攻撃の余波が向かったら、って姉さんがいるなら大丈夫か。
「だって奏多ちゃんの雄姿を見たいじゃない?」
「見たって暗殺者紛いの事やってるだけなんだけど」
少なくとも攻撃手段は英雄的ではない。暗闇に乗じての暗器の使用なんて誰がどう見ても暗殺者のそれだ。
格好いいとは思わない。そもそも観客だっていなくていい。だから姉さんにはこの二人を任せたのに。
「ところでなんで二人は焦燥してるの?……何か、した?」
「ええ。ちょっと現実を見せて上げただけよ」
「はぁ……」
どうせ姉さんだからな。二人が何かしら姉さんの逆鱗に触れたんだろう。でなければ二人がこんなにも憔悴し切る筈もない。
二人の目は僕を少なくとも英雄としては見ていない。敵ではないにしろ味方とも思ってはいない。
だからと言って動揺もしない。そんなのは二人を見捨てると決めた時から覚悟していた。
むしろ敵としてまだ見ていないのだから二人はお人好しだと思った。
「崎原先輩は、……いつもこんな事をしているんですか?」
恵の問い掛けには一体どんな意味があるのだろうか。
僕はそこに意味は無いと思いつつも正直に答える。
「そうだよ。これが僕にとっては日常だし必要なら何でも犠牲にする」
冷たい目で見下す僕は二人の事など眼中にないと言外に告げた。
僕は投げた針とワイヤーを回収しながら逆に疑問を返した。
「何で僕を信頼したのか不思議なんだけど?少なくとも僕は信頼されるような事はしていないと思うけど?」
だって僕はいつも傍にいただけ。
向奈さんのデートをストーカー紛いに見守っていたのも恵がいたからだし、話し相手になったのも二人からの接触があったからだ。
僕は二人に自分から近寄ったつもりはない。まあ音楽室でフルートを吹いているのが向奈さんだと分かった時点で逃げるべきだったけど、その時直ぐに立ち去らなかったのは例外として。とにかく僕は彼女たちに近寄った気はない。
「崎原先輩なら助けてくれると思ったから……」
「それなら期待外れだったね」
「でも崎原君は助けてくれました」
「善人ならもっと早く助けるよ」
針とワイヤーを回収し終えるウエストポーチからマッチを取り出し、残った衣類とドロドロの物質へと火を着ける。
………予想通り、これはよく燃えるな。
ボゥ、と一瞬で燃え広がると辺りをチリチリとした熱気で包み込んだ。
「じゃあ姉さん。僕は回収に向かうから二人をよろしく」
「ええ、分かったわ」
「……余計な事はしないでよ」
「大丈夫よ。いってらっしゃい」
その笑顔が何かを企んでいそうで嫌だった。
けどそんな事よりも【願望器】の回収の方が優先だ。凄く気になるけど横島のいるであろう場所へと向かう事にした。
・・・
奏多がその場から消えた事により、心川姉妹はより警戒の姿勢を見せた。
何故なら目の前にいるのは同じ女性でありながら女としての尊厳を平気で奪う記憶を叩き込んだサディスト。
普通であれば警戒するのも無理はなかった。
「さてと」
「「―っ!」」
くるりと振り向いた姿は妖艶で妖怪めいていた。
見る者が見れば虜にされているだろうが、生憎と心川姉妹にとって言えば恐怖でしかない。
「奏多ちゃんのあの姿を見てどう思った?」
恐怖が語り掛けて来る。
間違った答えを出そうものなら一息で飲み込まれてしまうのでは、と錯覚させられる。
向奈は誤った答えを出さないように慎重に考えてたから呟いた。
「……とても辛そうに見えました」
「それはどうして?」
笑みを絶やさない七海の顔色を伺いながら向奈は続ける。
「崎原君は感情を押し殺しているようでした。そうしなければならないみたいに、誤魔化すように私たちを見ないふりをして助けてくれました」
「え?」
姉の出した答えに分からず、恵は疑問符を浮かべた。
恵は理解していなくても向奈は理解していた。【願望器】がどんなカラクリであり、どうするのが一番被害もなく効率的に回収出来るのかを。
そしてその効率的手段を自分には取られなかったと分かってしまった。
「もしも本気で見捨てるのなら私たちが喰われるのをただ待てば良いのに、崎原君は喰われる寸前、願いが叶う直前で救ってくれました。それって一番危ない時に助けてくれたんじゃないですか?」
願いが叶えば【願望器】としての役目は果たされる。
しかし願いが叶う直前で妨害が入れば、それは【願望器】にとっての矛盾になりかねる。
背後から横島に迫っていながら気付かれたのは【願望器】が願いを叶えられないのを拒絶したから。
そうでなければ後ろから最大限気配を消した奏多に気付く筈が無い。
そして結果はあの様だ。横島に【願望器】の使用を許し、異形となった横島と正面から戦う羽目となる。
もしも横島が軟弱な精神をしていなければ針の攻撃など無視するか、回避に【願望器】を使い戦闘が長引いた可能性がある。
偶々無傷で何事も無く終わったが、あの豪腕を受ければ骨折は免れずには下手をすれば致命傷を負っていただろう。
「うーん、及第点だけど分かる所は分かったみたいね」
向奈の満点とも呼べる解答を七海は少し不満そうに受け入れた。
「じゃあ何で助けたか分かる?」
「それは……」
分からない。知り合いだから助けたとするなら、それは絶対に間違っている。
なにせ横島が向奈に服を脱ぐ命令をしようが恵を押し倒そうが奏多はけして姿を現さなかった。
しかしながらそれ以上に助ける理由が無いのも事実だ。
デートを見守って感情移入をした?向奈と二人で話して思う所が出来た?恵が弁当を渡したから?どの理由も今までの流れが否定する。
だったら何故?
「…………………せいよ」
「「え?」」
言葉の詰まる二人に何故か苛立ちを見せる七海はポツリと漏らした。
「貴方たちが助けを求めたせいよ」
それは怒るにしても理不尽な理由だった。
助けを求めたから?あんな状況になれば誰だって嫌でも助けを求めてしまう。なのに怒りを露わにされるのは向奈たちにとって理不尽としか言いようが無かった。
「だから奏多ちゃんには出て欲しくないのに。こんな私たちは被害者ですって言いたそうな顔した子たちを何度も何度も助ける羽目になるんだから」
二人への、と言うよりも今まで起きて来た事への愚痴を漏らし始める七海は悔しそうに爪を噛む。
しかしそれも数秒の間であり、二人に向き直った時にはその顔には温厚な面を張り付けていた。
「まあ奏多ちゃんにも事情があるもの。後は貴方たちの処分ね。記憶は消させてもらうけど少しはその心に感謝の念でも刻んでいてね」
「ちょっ、待ってください!」
恵の制止。にも関わらず、先程嫌な記憶を植え付けたように七海は二人の頭を掴んだ。
「ごめんなさいね。私にもやる事があるの」
その笑みは何故か怒りも憎しみもなく、何処か哀傷めいていた。