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白夜の町で、雪色のきみと暮らす~北極圏の小さな雑貨喫茶とオーロラの魔法~  作者: 明石竜


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19/22

第十九話 オーロラ祭りの準備

 オーロラ祭りの当日が、とうとうやってきた。

 けれど、その朝、空は重く垂れ込め、いつもの白夜の淡い明るさとは違う、どんよりとした灰色に覆われていた。夏だというのに、頬を撫でる風は冷たく、雪でもないのに、地面の所々に薄い霜が張りついている。窓の外を見上げても、いつもの淡い青は見当たらず、まるで大きな灰色の布が、町全体に覆いかぶさっているようだった。

「なんだか、嫌な感じ」

 ミルヤが、店の窓から広場を見渡しながら呟いた。広場に張られたランプの灯りは、どれも心なしか弱々しく、風もないのに揺らめいていた。その揺らめきは、まるで何かにおびえているかのように、頼りなく感じられた。

「今日、本当に祭りができるのかな」

 町の人々の間にも、不安の色が広がっていた。準備を進める大人たちの表情は硬く、子どもたちも、いつもの祭りの日ほど、はしゃいだ様子を見せていない。屋台の前を通り過ぎる人々の足取りも、心なしか重かった。

「祭り、中止したほうがいいんじゃないか」

「こんな空模様じゃ、オーロラなんて、望めないよ」

 そんな声が、あちこちから聞こえてくる。その一つひとつが、まるで小さな棘のように、わたしの胸に刺さった。

 わたしは、白夜亭のカウンターの前で、これまで集めてきた歌の断片が書かれた手帳を、じっと見つめていた。窓の外の重苦しい空気とは対照的に、店の中には、まだ小さなランプの灯りが、頼りなくも灯っていた。

「灯りを消さない。道を忘れない。分け合って食べる。帰る場所をなくさない」

 四つの言葉は、確かにここにある。けれど、これらをどうつなげれば、完全な歌になるのか、まだわからないままだった。指先で、そのページを何度もなぞる。

「アイナ、大丈夫?」

 リーヴァが、心配そうに声をかけてきた。

「うん……。でも、最後の一節、まだ見つからなくて」

「私も、まだわからない」

 二人は、しばらく無言のまま、手帳の文字を見つめていた。窓の外の重い空模様が、なんだかそのまま、二人の胸の内を映しているように感じられた。

 そのとき、店の扉が勢いよく開いて、ミルヤが息を切らして飛び込んできた。

「アイナ、リーヴァ! 大変! お母さんが、みんなを広場に集めてる!」

「え……」

 わたしたちは、慌てて店を飛び出し、広場へと向かった。エプロンの紐を結び直す暇もなく、外の冷たい空気の中を駆けていく。

 そこには、思っていたよりもずっと多くの人々が集まっていた。町長のヘンリカさんが、広場の中央で、力強い声を上げていた。灰色の空の下、彼女の姿だけが、なぜかくっきりと際立って見えた。

「今年のオーロラ祭り、予定どおり開こう」

 その声に、集まった人々がざわめいた。

「でも、この空模様で……」

「オーロラが出なかったら、意味ないんじゃ……」

 不安げな声が上がる中、ヘンリカ町長は、まっすぐに人々を見渡した。その視線には、揺るぎない決意が宿っていた。

「怖いから中止するんじゃない。灯りを増やすために、開くんだ」

 その言葉に、わたしは、以前彼女が同じことを言っていたのを思い出した。あのとき、わたしとリーヴァが伝えた思いを、町長はずっと胸に留めてくれていたのだ。その事実に、胸の奥が、じんわりと熱くなった。

 わたしは一歩、前に出た。心臓が激しく鳴っていたけれど、ここで黙っているわけにはいかないと思った。足の裏に感じる冷たい地面の感触が、なぜか自分を奮い立たせてくれるようだった。

「わたしは……」

 声が震えたけれど、それでも続けた。

「大きな魔法は使えません。おばあちゃんみたいに、立派な冬守りにも、まだなれてません」

 集まった人々の視線が、一斉にこちらを向く。緊張で足がすくみそうになったけれど、隣に立つリーヴァの気配が、支えのように感じられた。彼女の存在の重みが、まるで見えない支柱のように、わたしを支えていた。

「でも、白夜亭で作ってきたもの――スープも、ジャムも、手袋も、ランプも――全部、少しずつ、みんなの暮らしとつながってると思ってます。今日、もし前と同じようにオーロラが見えなくても、みんなで灯りを持ち寄れば、何かが変わる気がするんです」

 わたしがそう言うと、リーヴァもゆっくりと一歩前に出た。彼女の横顔には、これまでのような不安の色ではなく、確かな覚悟が浮かんでいた。

「私も、まだ歌を完全には思い出せてません。でも、みんなが少しずつ覚えてる断片を集めれば、きっと、形になると思います」

 二人の言葉に、集まった人々の間に、静かなざわめきが広がった。誰かがひそひそと隣の人と言葉を交わし、それが波紋のように、広場全体に広がっていく。

「そういえば、俺も、あの歌の一節、覚えてるかもしれない」

「私も、母から聞いた歌詞、あったかも」

 これまで訪ね歩いて集めてきた歌の断片は、決して無駄ではなかったのだと、わたしはあらためて実感した。積み重ねてきた小さな行動の一つひとつが、今、確かに実を結び始めている。

 ヘンリカ町長が、大きく頷いた。

「今夜、広場に集まろう。それぞれの灯りと、覚えている歌を持って」


 その日の午後、白夜亭には、これまで関わってきた町の人々が次々と集まってきた。狭い店の中が、いつのまにか人々の熱気と灯りの光で満たされていく。

「アイナちゃん、覚えてる? 眠れなかった夜、ハーブミルクをもらった子」

 母親に手を引かれた小さな女の子が、はにかみながら小さなランプを差し出した。あの白夜祭の夜、ちらちらと青い光に悩まされていた子だと、すぐに思い出した。

「これ、私が作ったの。持っていってもいい?」

「もちろん」

 毛糸を染め直してくれた職人たちも、色とりどりの手袋や飾り紐を手に、店にやってきた。あの日、みんなで自然の色を集めて染め直した記憶が、鮮やかに蘇る。

「あの銀青色の糸、覚えてるか? あれも、一緒に持っていこう」

 トナカイを一緒に探した家族も、鈴を鳴らしながら広場へ向かう準備をしていた。鈴の澄んだ音が、店の中に響く。

「今年は、あの鈴、みんなで鳴らそう」

 サウナ小屋を直した町の人々も、湯気の精への感謝を込めて、小さな灯りを手にしていた。

「あの子、寂しがってたもんな。今夜は、賑やかにしてやろう」

 ベリー妖精へのお礼を覚えた子どもたちも、ジャムの瓶を大切そうに抱えてやってきた。瓶の中で、あの淡い緑がかった光が、まだ静かに揺れているのが見えた。

「森へのお礼、忘れてないよ」

 一人ひとりが持ち寄る小さな灯りや手仕事、食べ物を見つめながら、わたしは胸の奥が熱くなるのを感じた。狭い店の中が、これまで積み重ねてきた出来事の証のようなもので、いっぱいに満たされていく。

「わたしの魔法は、一人で奇跡を起こす力じゃない」

 わたしは、思わず声に出して呟いた。

「人の暮らしを、つなぐ力なんだ」

 その気づきは、これまでずっと感じていた劣等感を、少しずつ溶かしていくようだった。おばあちゃんのような、大きな奇跡を起こす魔女にはなれない。けれど、こうして、誰かの小さな思いを受け取り、つなげていくことこそが、自分にできる確かな役割なのだと、はっきりと感じられた。胸の奥にあった重い石が、少しずつ軽くなっていくような感覚があった。

 リーヴァは、祭りで歌う決意を固めていた。

「今夜、私が歌う」

「まだ、最後の一節、見つかってないのに?」

「うん。でも、みんなの力を借りれば、きっと」

 その表情には、以前のような不安げな色は、ほとんど残っていなかった。凛とした佇まいの奥に、これまでにない静かな強さが宿っているように見えた。

 ミルヤは町の子どもたちを集めて、広場の飾りつけを取り仕切っていた。

「みんな、灯りを忘れずに持ってきてね! 今夜は、いつもより大きなお祭りにしよう!」

 明るい声が、灰色の空の下でも、変わらず賑やかに響いていた。

 オスカリは広場中のランプを一つひとつ確かめながら、修理に走り回っていた。

「これで、あとは本番だけだ」

 彼の額には、うっすらと汗が滲んでいた。それでも、その表情には、疲れよりも達成感のほうが色濃く浮かんでいた。

 ニエルは、小さな体で広場を駆け回り、あちこちに指示を出したり、逆に子どもたちに追いかけられたりしながら、忙しなく働いていた。

「む、そこの子ども、我を追い回すでない!」

「ニエル、可愛い!」

 その掛け合いに、張り詰めていた空気が、少しだけ和らぐのを感じた。灰色の空の下でも、こういう小さな笑いが確かに町のあちこちで生まれていた。


 夕方が近づくと、白夜亭の前にリーヴァが立っていた。夕暮れとも呼べない淡い光の中、その姿は、いつもより少しだけ緊張して見えた。

 わたしは以前、雪原で交換したリーヴァの青い手袋をはめていた。

 リーヴァも、わたしの黄色い手袋を右手にはめている。

「今日も、迷わないように」

「うん。二人とも」

 わたしの手袋に縫い込んだおまじないと、リーヴァの手袋に刺繍された道しるべの印が、静かに重なり合う。

 二つの印が、まるでひとつになったかのような、不思議な温かさが手のひらに広がった。

「似合う?」

 わたしが尋ねると、リーヴァはわずかに頬を緩めた。

「うん。……アイナも」

 その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなった。

 片方だけ色の違う手袋を見つめる。これから訪れる夜を思えば、もちろん不安はある。それでも今は、不安と同じくらい確かな期待が、胸の中に灯っていた。

 夕暮れとも呼べない、けれどいつもより暗く沈んだ空の下、町の人々は、それぞれの灯りと歌の断片を手に、広場へと集まり始めていた。人々の足音、話し声、鈴の音が、少しずつ重なり合って、広場全体に確かな熱気を生み出していく。

 わたしは、片方だけリーヴァの手袋をはめた手を見つめながら、これから迎える夜への、静かな覚悟を固めていた。

 この祭りの夜が、これまで積み重ねてきたすべての出来事の、答えを出す夜になる。そんな予感が、胸の奥で確かに脈打っていた。


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