第十五話 白夜亭に置くもの
翌日の昼過ぎ、白夜亭の扉につけた鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
顔を上げると、リーヴァが小さな木箱を抱えて立っていた。
「リーヴァ。それ、どうしたの?」
「持ってきた」
「何を?」
「私のもの」
リーヴァは木箱をカウンターへ置いた。
中には、木のカップ、青と赤の刺繍糸、使いかけの櫛、雪原の模様が彫られた銀色の鈴が並んでいる。
「これ、全部置いていくの?」
「うん」
「忘れものにならない?」
「忘れたんじゃない。置いておく」
「ここに?」
「ここに」
迷いのない返事だった。
昨日、わたしたちは互いに伝えた。
ここにいてほしい。
ここにいたい。
けれどリーヴァは、言葉だけではなく、本当に自分のものを持ってきたのだ。
「どこに置こうか」
カウンターの奥の棚には、おばあちゃんの糸巻きや、わたしの編み道具が並んでいる。
わたしは使っていない箱を下ろし、棚の中央を空けた。
「無理に空けなくていい」
「無理じゃないよ」
「でも、エルナのものがあった場所」
「おばあちゃんのものは、こっちにまとめるから大丈夫」
糸巻きを丁寧に箱へ移す。
「白夜亭は、おばあちゃんだけの店じゃないから」
口にしてから、自分でも少し驚いた。
ついこの間まで、ここはおばあちゃんの店で、わたしは預かっているだけだと思っていた。
けれど今は、わたしが守り、新しいものを増やしていく場所でもある。
「わたしのものもあるし、ニエルのものも勝手に増えてるし」
カウンターの端には、ニエルが集めた瓶の蓋や木の実が積まれている。
「我の宝物だ。勝手に捨てるでないぞ」
「だから、リーヴァの場所も作る」
棚に木のカップと刺繍糸を並べ、櫛を奥へ置いた。
銀色の鈴だけは、どこへ置くべきか迷った。
「これは、大切なもの?」
「祖母にもらった。迷ったときは鳴らせと言われた」
「誰かに見つけてもらうため?」
「それもある。でも、自分がここにいると、自分で忘れないため」
リーヴァが鈴を振ると、澄んだ音が店に広がった。
わたしは棚の端へ小さな釘を打ち、そこへ鈴をかけた。
「ここなら、すぐ見えるよ」
「うん」
「リーヴァがここにいるって分かる」
リーヴァが、まっすぐわたしを見た。
「私も、そう思って持ってきた」
「理由がなくても来ていいんだよ」
「分かってる。でも、形がある方が安心する」
その言葉で、リーヴァが自分のものを置く意味が分かった。
ここへ帰ってきてもいいと、自分で確かめるための印なのだ。
「じゃあ、もっと置いていいよ」
棚には、まだ半分ほど余裕がある。
「まだ置けるから」
「そんなに持ってきてない」
「これから増やせばいいよ。少しずつ」
リーヴァは、空いた棚を見つめた。
「いっぱいになったら?」
「別の棚を空ける」
「それも、いっぱいになったら?」
「新しい棚を作ってもらう」
リーヴァは、ほんの少し頬を緩めた。
「分かった。少しずつ増やす」
「うん」
わたしは、洗っておいた淡い緑色のエプロンを取り出した。
「これも、ここに置いておく?」
以前、店番を手伝ってもらった日に渡したものだ。
「ここに置く。店で使うものだから」
リーヴァはエプロンを棚の横のフックへかけた。
それだけで、明日もまたカウンターに立つ姿が目に浮かんだ。
「む。巣作りを始めたか」
ニエルが言った。
「巣作り?」
「自分のものを運び込み、居場所を作る。獣も鳥も同じだ」
「私は獣でも鳥でもない」
リーヴァは真顔で答え、それから棚を見上げた。
「でも、帰る場所という意味なら、嫌いじゃない」
胸の奥が、やわらかく熱くなった。
リーヴァは木のカップを取り、カウンターへ座った。
「これで、お茶を飲んでもいい?」
「もちろん。今日から使おう」
わたしはベリーのお茶を淹れた。
自分のカップと、リーヴァのカップ。
二つを並べると、前からそこにあったように自然に見えた。
「冷めないようにする?」
「今日は、しなくていい」
「どうして?」
「冷める前に飲む。それに、また作ってもらえるから」
当たり前の未来として言われたことが、嬉しかった。
「うん。何度でも作るよ」
店の中を見回す。
おばあちゃんのレシピ帳。
わたしの編み針。
ニエルの宝物。
そして、今日新しく加わったリーヴァのカップと刺繍糸と銀色の鈴。
新しいものが増えても、おばあちゃんの白夜亭が消えるわけではない。
受け継ぎながら、わたしたちの白夜亭になっていくのだと思う。
銀色の鈴が、風もないのにかすかに揺れた。
ちりん、と小さな音がする。
「明日は、刺繍の続きを持ってくる」
「うん」
「その次は、雪原の茶葉」
「楽しみにしてる」
「そのあとは、まだ決めてない」
「ゆっくりでいいよ」
わたしは、棚に残された余白を見た。
「ここは、なくならないから」
リーヴァはゆっくりと頷いた。
「うん。分かってる」
棚には、まだたくさんの余白がある。
けれどそれは、足りないものを示す空白ではない。
これから二人で増やしていくものを待つための、あたたかな余白だった。




