14 侵入者
誤字報告をいただき、ありがとうございます。
誤字の多いタイプでして、スミマセン。。。
そして、リアクションもありがとうございます!
その一押しで、私の心とやる気が上がります。
「ムーンさん。ルシアンは、どこに行ったのですか?」
グリムズ・キャットを出てすぐ、「事務所とルシアンが心配だ」とムーンは言った。
事務所を一緒に出たルシアンとは、グリムズ・キャットに行く道中で別れている。ルシアンがどこに行ったのか、エマは知らない。
「ルシアンは、この店に来ていました。ですが、トマスに確認したところ、すでに事務所に戻ったそうです」
何事もなければいいのですが、とムーンが呟く。何事が何か聞けぬまま、事務所に着いた。
ドアに鍵を差した瞬間、ムーンの顔が曇る。
「……開いている?」
ドアノブを捻ると、確かに動いた。
扉を小さく開いて、中をのぞく。荒らされているような様子はない。警戒するムーンの後に続いて、事務所の中へ入る。
玄関から奥へ進むと、応接スペースがある。来た時にエマがお茶を出してもらったソファだ。
依頼客などを受けるためであろう3人がけのソファに、赤毛の女性が一人で眠っていた。
「アメリアさん!?」
昨夜、夜会であったアメリア・ターナーだ。
どうして彼女がムーン探偵事務所にいるのだろう。
駆け寄り、肩を揺する。アメリアが「んん?」と、眉間にシワを寄せた。
「アメリアさん、大丈夫ですか?」
「あれ、わたし……」
頭を振りながら、ゆっくりと身体捻ったアメリアは、エマを認識するなり跳ね起きた。
「エマさん、無事なの? 怪我は……」
ずれかけの眼鏡をかけ直して、エマの顔や身体をキョロキョロと見渡す。
「怪我? えぇ、無事よ。特に怪我はないわ」
グリムズ・キャットに閉じ込められていたことを言っているのだろうか。何故、アメリアがそのことを知っているのだろう。
「アメリアさん、どうしてここに? 何かあったの?」
「何かって……え、だって……」
アメリアが偏頭痛のときによくやるみたいに、こめかみを抑えた。まだ意識がぼんやりとしているのか、何度も瞬きしている。
「エマ嬢、彼女は酷く混乱しているようです」
ムーンが床に膝をついて、アメリアと目の高さを合わせた。
「はじめまして。私は、ムーン探偵事務所のアリステア・ムーンと申します」
アメリアは「探偵のムーン……さん?」と首を傾げたが、すぐに、ハッと表情を改めた。姿勢を正して、座り直す。
「ご挨拶が遅れました。アメリア・ターナーと申します。昨晩、セレスティアン・コートで行われた夜会で、エマ様と親しくお話させていただきました」
頭を下げる仕草はきちんとしていて、夜会に出入りする令嬢のものだ。
「ターナー嬢、貴女はどうしてこちらにいらっしゃったのですか? 私に何か御用でしたでしょうか?」
ムーンが尋ねると、アメリアは「いえ、違います」と首を振った。
「私がお会いしたかったのは、エマさんです」
アメリアによると、彼女は今朝、エマに会うためにアーデンベイルの屋敷に行ったらしい。そこで、エマは出かけていると聞いた。
「勿論、どこに出かけているかは教えていただけませんでした。ですが昨晩、エマさんと別れる時に『ムーンさん』と呟いていたので、もしかして…と思って」
窓に映るムーンとクラドールの姿を見かけた時のことだ。
アメリアには、爵位を持つ『ムーン』という名に他に心当たりがないから、アリステア・ムーンのことだと当たりをつけた。
「それで、その……探偵事務所というものにも興味がありましたし、ちょっと足を伸ばしてみようかしらと思いまして」
好奇心を口にするのはややバツが悪いのか、アメリアは小さく身を竦めた。
「事務所の中へはどうやって入ったんですか? 鍵がかかっていたでしょう?」
「あ、いえ……ノックしたけど、どなたも出てこなくて。でも鍵は開いていました。それで、『こんにちは』とお声をかけて入りました」
表には『ムーン探偵事務所』の看板がかかっている。探偵事務所というものは初めてだったので、普通のお店のように中に入って構わないのだと思った。
「こちらに入ると、エマさんがいて……」
「私が?」
グリムズ・キャットに行っていてのだ。ここにいるわけがない。エル・クラドールの変装だろうか。
エマとムーンは互いに視線を交わし、頷き合う。
「それで、私はここで、何をしていたの?」
エマの言い方で、その時にいた『エマ』が偽物であるということはアメリアに伝わったようだ。
「エマさんは『ムーンさんに用事があって、ここに来た』と言っていました。『ムーン探偵と奥で少し話してくるから、ソファで待っていて』と。それで、ちょうど本を持ってきていたので、ソファに座って読みながら待っていたんてです。そしたら……」
アメリアは言葉を切った。その時のことを思い出したのか、眉間に不快そうにシワが寄る。
「口元をハンカチのようのもので覆われて、何か変な匂いを嗅がされたわ」
「変な匂い?」
「鼻の奥を刺激するような、ちょっと甘いような……それを嗅いだら、急に意識が遠くなって」
アメリアは自分の身体がソファに横たえていくのを感じだが、どうすることも出来なかったという。
「ターナー嬢。貴女を襲ったのが、どんな人物だったのか分かりますか?」
「いえ、後ろから襲われたので姿を見ていません」
アーデンベイルの別邸で、厩の使用人、ジョン・ベイリーが襲われた時と同じだ。あちらは殴られたのに対して、アメリアは薬のようなものを使用されている。
「どんな人かは分かりませんが、男の人だったと思います」
「男の人? どうして、そう思ったのですか?」
「口元を塞いだ手が大きかったし、声も男性でした」
アメリアの答えに、エマは困惑した。
「どういうことでしよう? アメリアさんを襲ったのは、その場にいた『偽の私』とはまた別の人ということでしょうか?」
「それは別の人だと思います」
アメリアはハッキリと断言した。
「気を失う直前、二人が何か言い争っているのを聞きましたから」
「言い争っていたんですか? どんな様子か詳しく教えください」
ムーン尋ねられ、アメリアが懸命にその時の状況を思い出しながら語る。
「正確には、エマさんが一方的に責め立てられていた…という感じでした。『ここで何している』とか『いつまで、こんなところにいるんだ』とか、そんなふうに叱りつけているような男性の声がしました」
だから余計にエマが何かされているのではと心配になったのだ、とアメリアが言った。
「ターナー嬢は、その男性の声に聞き覚えは?」
「いえ、全く」
ワケがわからなくなってきた。エル・クラドールが変装していたと仮定して、そこに別人がいるのだ。しかも、アメリアが聞いたやり取りからすると、後から来た人間のほうが上下関係の上位にいるらしい。
「どういうことでしょう? 私になりすましていたのがエル・クラドールの手下で、後から来たのが本人……とか?」
エル・クラドールはムーンとエマを足止めして、ここで何をしていたのか。
ムーンは難しい顔をしたまま、考え込んでいる。
「あら?」
座り直したアメリアが、ふいに動きを止めた。
「ソファの……私の下に何かあるわ」
スカートの裾の当たりをガサゴソと手で探っていたかと思うと、襞の隙間から紙を取り出した。白い封筒だ。
「ムーンさん……これ!」
鍵を咥えた狼と月桂樹の刻印。
受け取ったムーンが黒い印を破り、中の手紙を読んだ。
『本日、二つの鍵を我が手中にお迎えいたしました。
残る一つの鍵につきまして、五日後の晩、六つ目の鐘が鳴るまでに見つけ出し、私の許へとお持ちください。
私は一足先に亡き公妃のティアラの傍にてお待ちしております。
尚、真の美は偽りの輝きを嫌いますこと、ゆめゆめお忘れなく。
L.C.』
「二つの鍵を盗った? ……いえ、そんなはずはありません」
エマは自分の両耳に触れた。朝と変わらぬ重み。確かに鍵は二つともある。
やっぱり嘘じゃないかと安堵したのも束の間、ムーンが「それは偽物です」と告げた。
「夜会の前に、私がダミーのイヤリングとすり替えました」
「ムーンさんがすり替えた……偽物?」
エマは慌てて両耳のイヤリングを外した。
真ん中には淡い緑の石。それを飾る、シルバーの縁取り。デザインも着け心地も、アーデンベイル邸で初めて着けたときと変わらない。
「どうして……?」
滅亡した公国に伝わる『白霜のティアラ』は頑強な宝石箱に納めてられている。その箱を開けるには、4つの鍵の全てが揃っていなくてはいけない。
そのうちの二つの鍵が、対になっているこのイヤリングだ。
この世界では、長く大切に使われて来た道具には、時として不思議な力が宿ると言われている。
イヤリングについたエメラルドの宝石が、その類のものだった。
しかし、そのことはムーンには話していない。夜会の前に告げようとしたが、彼自身に遮られた。
ゲーム中でも、この時点でムーンは、鍵が何であるかを知らないはずだ。
「これが鍵だと、いつから気づいていたのですか?」
「一つ目の鍵が盗まれたときです」
「そんなに早くから?!」
アーデンベイル邸でエマとムーンが初めて出会った日。二人で出かけている間の出来事だ。
事件の後、ムーンはミセス・エバンズの案内で盗まれた現場に行った。
「鍵が納められていたという小箱は宝飾品を入れるようなもので、しかもクローゼットの中にありました。そこで、『鍵』と呼ばれるものは一般的に思い浮かべる形状のものではなく、その類ーーー宝飾品のようなものかもしれないと推察はしたのです」
ムーンの言う通り、1つ目の鍵はネックレスだった。トップの飾りに、同じエメラルドが嵌め込まれている。
「そのエメラルドのイヤリング。貴女は出会ったときから、ずっと、常に身につけていましたよね。ドレスのときならまだしも、街歩きには少々豪奢なデザインです」
ムーンは、エマのことを細部まで、よく見ている。彼の言うとおり、2つ目と3つ目の鍵であるイヤリングを守るために、エマは常に自分の手元に置いていた。
「いつの間にダミーを作ったのですか?」
「先程、訪れた時計店にトマスという職人がいます。彼はとても手先が器用で、その手のものを作るのが上手いんです」
「でも、デザインは? いくら手先が器用でも、デザインがなくては作れませんよね?」
「私が覚えて伝えました。それほど複雑なデザインではありませんし、覚えるのは得意ですから」
俄には信じられない話だ。
いくら、デザインが簡単だからといって、いくら記憶するのが得意だからといって、持ち主に気づかれないほど精巧な贋作を作らせてしまうなんて。
「では、本物はどこに?」
ムーンが痛恨の表情を浮かべた。
「ルシアンが持っていました」
「ルシアン? それなら、私たちより先に戻って……」
ハッとした。
ルシアンは、エマたちが立ち寄った時点で、とっくに時計店を出ていた。にも拘らず、まだ事務所にいない。
「まさかエル・クラドールは、ルシアンごと?」
「おそらく」
ゾッと背筋が凍った。
怪盗が『最後の鍵を持ってこい』などと、傲慢に告げた理由が分かった。大事な助手を人質にとられて、ムーンは断れない。
でも、どうして? ルシアンが攫われるストーリーなんて、まったく知らない。
アメリアだってそうだ。
こんなところに現れて襲われるだなんて筋書はなかったはずだ。
そもそも、本当なら私がグリムズ・キャットに行くことはなかった。
私がここで待っていたら、あるいはアーデンベイル邸に戻っていたら、彼女が傷つくことはなかったのだろうか。ルシアンが攫われることは、なかったのだろうか。
私が行動を変えたから、展開が変わった。ちょっとした変化が、恵麻の知らない出来事へと変わっているというの? 私のせいで……ーーー
「貴女のせいではありませんよ」
ムーンの低い声にハッとした。
黒い瞳が労るようにエマを覗き込んでいる。
まるでエマの頭の中を読んでいるかのように、ムーンに諭される。
「エマ嬢。ルシアンのことも、ターナー嬢のことも、貴女のせいではありません。全てはエル・クラドールがやったことで、貴女が責任を感じることではない」
「でも私は……」
エマは、そのあとに続く言葉を見つけることが出来なかった。どうしてそう思うのか、ムーンに説明するのは難しい。
ストーリーを知っているから?
シナリオにないことを、勝手にしたから?
伝えられるわけがない。仮に伝えても、信じてもらえるはずもない。
じくじくとした罪悪感に心を苛まれる。
言い訳の代わりに、胸に宿った決意を告げた。
「私も……私も、一緒に連れて行ってください」
もし私のせいで話が歪んでしまったのだとしたら、私自身が責任を持たなくてはいけない。
「ムーンさんは、ルシアンを助けに行くのですよね? 公妃のティアラの箱を開ける鍵を探し出して。それなら、私も一緒にエル・クラドールのところに行きます」
エマが何も動かなかったとして、全ての事件をムーンが解決してくれるのか。そうなれば、恵麻は帰ることができるのか。
でも、もし、そうやって帰ってしまって、ルシアンはどうなるのだろう。万が一のことがあったらーーーそんな後味の悪い結末は勘弁だ。
「危険ですよ?」
「分かっています」
百も承知で、それでも行くべきだと思った。説得されても折れるつもりはない。
「エマ嬢は、最後の鍵の在り処は知っているのですか?」
不意な切り返しに、一瞬、答えに詰まった。
4つの鍵のうち、3つはアーデンベイルで管理している。最後の1つの保管場所は明かされていない。けれど……恵麻は知っている。
ゆっくりと頷いた。
「……分かりました」
ムーンはため息とともに、エマの申し出を受け入れた。
「いいのですか?」
「望んだのは、貴女でしょう? それに鍵の在り処が分かっているなら、5日間を丸々準備に使えるわけです」
彼らしい理知的な微笑みを浮かべて言った。本当に止めるつもりはないらしい。
「行きましょう。一緒に、ルシアンとティアラを守るために」
「はい!」
◆ ◆ ◆
時計店を出たルシアンは、キョロキョロと用心深く、辺りを見回した。
ムーンがエマとグリムズ・キャットに行くことになったから、代わりにルシアンは、一人で別の用事をこなすことになった。警戒はいくらしても、し過ぎるということはないだろう。
手をポケットに突っ込んだまま、内側の小箱をギュッと握った。そこにはトマスから預かった大切なものが入っている。
ムーンがトマスに調べてほしいと頼んだものだ。
ムーンから任された仕事だ。尊敬するムーンが自分を信じて託した。絶対に無事にやり遂げなくては。
少し猫背になって、キョロキョロと左右に視線を巡らす。往来を歩く人はルシアンのことなど気にも留めていない。
それでも人目を避けるように、心持ち端によって歩いた。大丈夫だ。誰もルシアンのことなど見ていない。
そう言い聞かせた刹那、ルシアンの身体がガクンと揺れた。
次の瞬間には、固い石畳の上に、全身が突っ伏していた。
どこかの路地裏に引きずり込まれた。ザラザラとした地面が頬を擦る。背にはずっしりとした重みがかかり、息がうまく通らない。
頭上から誂うような声が振ってきた。
「やぁ、ルシアンくん。久しぶりだね」
聞き覚えのある人懐っこい声。それが何故自分を取り押さえているのか。加えて、そいつが起こした昨日の失態を思い出して、余計に腹が立つ。
「なん……の真似だ、ワンコロ警察」
グライトン市警、警部補。ランドール・ピアス。こいつのことは、前々から怪しいと思っていた。
ムーンは実直が過ぎるが、優秀な男だと評している。
だがルシアンから言わせれば、この男は実直ではなく、ただの単純馬鹿だ。馬鹿なだけで悪党ではないと思っていたのに……ーーー
「あぁ、あんなところに飛んでいた」
ルシアンの背を抑えつけたまま、ランドールの手が頬の横を掠めて伸びる。その先には、倒された衝撃でルシアンのポケットから転がり落ちた小箱。
ランドールはそれを手に取って、ばかりと開いた。直後、落胆のため息が漏れた。
「なんだ。コレも偽物か。まったく。あれもこれも、偽物ばっかり用意しやがって」
心の中で「ヨシ」と安堵したのも束の間、ランドールがコンコンと小箱の内底を指で押した。カタンと底が抜ける音がした。
フフと勝利を確信していた男の笑い声がした。二重底の下に隠した本物は、いとも簡単に暴かれた。
「おい、ワコンロ警察! お前、こんなことして、どうなるのか分かっているのか? ムーン先生が知ったら、ただじゃおかないぞ」
ランドールに何の狙いがあるのかは分からない。だが、グライトン市警の警部補は失脚するだろう。
悔し紛れについた悪態にも、ランドールは動じなかった。「おぉ、怖い、怖い」と茶化すように言う。
「だが、なるほど。君の言う通り、いつまでもこんな追いかけっこを仕方がないな。よし。1つ、君に協力でもお願いするか」
「はぁ? 協力? 俺がムーン先生に仇なす事などするわけがないだろう? そんなことも分からぬとは、お前は……」
馬鹿なワコンロ野郎だと思っていたが、犬以下だーーーそう言おうと思ったのに、言葉は出てこなかった。
代わりに、つんとした刺激臭が鼻を突き、ルシアンはそのまま意識を失った。
次回、また舞台が首都から移ります。




