表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

134/164

ep.132 待つ側にも、言葉は必要らしい

翌日の朝、黒瀬琉衣奈はスマホを見なかった。


 正確には、目覚ましを止める時に通知欄だけは見た。


 湊の名前はなかった。


 でも、メッセージアプリを開いたわけではない。


 だから、見ていない。


 昨日と同じような理屈を、自分の中でまた繰り返す。


「……成長してないじゃん」


 鏡の前で髪を整えながら、黒瀬は小さく呟いた。


 けれど、昨日よりは少し落ち着いている。


 報告が来なくても、一日は始まる。


 報告がなくても、湊のスマホの中からあの一行が消えたわけではない。


 昨日、湊は昼に言った。


 消してない。


 聞いていないのに言った。


 その一言に、黒瀬はかなり助けられた。


 ノートにも書いた。


 ――助かった。むかつく。


 自分らしい一行だと思う。


 かなり自分らしい。


 そして昨夜、湊に見せた。


 湊は笑った。

 黒瀬は怒った。

 でも、消さなかった。


 それがもう、最近の流れになっている。


 今日も、あの一行は見せてもらえないのだろう。


 たぶん。


 でも、今日はそれでいい。


 ……たぶん。


 黒瀬は鞄を持ち、家を出た。


 教室に入ると、白瀬栞がいつもの席でノートを開いていた。


 今日も背筋が伸びている。


 今日も髪にはヘアピンがある。


 もう黒瀬が選んだヘアピンは、白瀬の朝の一部みたいになっていた。


 そのことが、少し嬉しい。


 でも、言わない。


「……おはよ」


「おはようございます、黒瀬さん」


 白瀬が顔を上げる。


 そして、少しだけ黒瀬を見る。


「今日は、昨日より少し落ち着いていますね」


「また顔?」


「はい」


「はいじゃない」


 黒瀬はむくれながら席に座った。


 白瀬は小さく笑う。


「すみません。でも、昨日より待てているように見えました」


「……待ててるかどうか、顔でわかるの怖い」


「少しだけです」


「少しだけならいいと思うな」


 黒瀬はノートを開いた。


 余白には、昨日の最後の一行が残っている。


 ――報告がない日も、たぶん待つ練習。


 夜に書き足したものだ。


 湊には見せていない。


 白瀬にも莉子にも見せていない。


 自分だけの一行。


 黒瀬はその下に、今日の日付を書いた。


 それから少し迷って、余白に小さく書く。


 ――聞かない二日目。


 書いてから、すぐに眉を寄せた。


 何かの禁煙日記みたいだ。


 いや、禁煙したことはない。


 でも、そんな感じがする。


 黒瀬が一人で微妙な顔をしていると、白瀬がそっと言った。


「何か、続いているんですね」


「見てないのに当てないで」


「すみません」


「謝るの早い」


 黒瀬はノートを少しだけ閉じた。


 全部隠すほどではない。


 けれど、見せるほどでもない。


 その半端な動きに自分で少し笑いそうになる。


 白瀬は、見ようとしなかった。


 そこへ莉子が入ってきた。


「おはよー。お、今日は平和?」


「第一声が雑」


 黒瀬が言う。


「いや、昨日のるいなは朝から戦ってたから」


「今日は戦ってない」


「じゃあ休戦?」


「何と」


「朝比奈くんの見せない一行と」


「莉子」


 黒瀬の声が低くなる。


 莉子は両手を上げた。


「はい、今日は浅く触れます」


「触れなくていい」


「でも確認大事じゃん」


「便利ワード使うな」


 莉子は笑って鞄を置いた。


 ツッコミ帳はまだ出していない。


 黒瀬はそれを見て、少しだけ安心する。


 莉子が気づいて、にやりとした。


「るいな、今ちょっと安心した」


「してない」


「ツッコミ帳出してないからでしょ」


「違う」


「でも今日は出さないよ。朝から大事そうだし」


「……莉子が空気読んでる」


「読めるんだって。読まない時があるだけ」


「それ、開き直りだから」


「便利だから」


「便利にするな」


 白瀬が少し笑った。


 黒瀬はその笑顔を見て、今日もヘアピンが光ったことに気づく。


 書きたくなる。


 ――白瀬、今日も笑った。


 でも、今日は書かなかった。


 今日の余白は、まだ少し湊の一行に占領されている。


 湊が教室に入ってきたのは、その少し後だった。


「おはよう」


「……おはよ」


 黒瀬はいつも通り返した。


 たぶん普通だった。


 湊は黒瀬を見て、少しだけ目を細めた。


「今日は聞かない顔してる」


「朝比奈まで?」


「何が」


「顔で読むやつ」


「いや、何となく」


「何となくで当てるな」


 黒瀬はむくれる。


 湊は少し笑った。


 その笑い方に、黒瀬は少しだけ安心してしまう。


 今日は朝の報告はなかった。


 でも、湊は普通にいる。


 普通に挨拶している。


 普通に少し笑っている。


 それだけで大丈夫だと思えるくらいには、昨日より少し待てているのかもしれない。


 一限目の授業中、黒瀬は昨日より集中できた。


 途中でスマホが気になることもあった。


 しかし昨日ほどではない。


 ノートもちゃんと取れている。


 余白も、今日は荒れていない。


 黒瀬は自分で少しだけ驚いた。


 待つことは、最初の日より二日目の方が少しだけ楽になるらしい。


 いや、楽というほどではない。


 まだ気になる。


 でも、気になっている自分を少し横に置いて、問題に集中できる時間が増えた。


 そのことが不思議だった。


 二限目の休み時間。


 白瀬が黒瀬の席へ来た。


「黒瀬さん」


「何」


「昨日より、少し落ち着いていますね」


「朝も言った」


「はい。でも、もう一度そう思ったので」


「普通に観察結果を言うな」


「すみません」


「謝るの早い」


 黒瀬は少しだけノートを見た。


 そして、迷った末に一行だけ白瀬へ向けた。


 ――聞かない二日目。


 白瀬はそれを見て、目元を少しやわらげた。


「良い一行だと思います」


「これが?」


「はい」


「何か、禁煙日記みたいじゃない?」


「禁煙したことがあるんですか?」


「ない」


「では違いますね」


「真面目に返すな」


 白瀬は少しだけ笑った。


「でも、続いていることがわかります」


「聞かないことが?」


「はい。聞きたいのに聞かない、というのは、ちゃんと選んでいるということなので」


 黒瀬は言葉に詰まった。


 白瀬は時々、本当に逃げにくい場所へ言葉を置く。


 黒瀬は視線を逸らした。


「……選んでるのかな」


「そう見えます」


「見えすぎ」


「はい」


「認めるな」


 白瀬はノートを返す。


「待つ側にも、言葉は必要なのかもしれませんね」


 黒瀬はその言葉を聞いて、少しだけ動きを止めた。


「待つ側にも?」


「はい。待つと決めたことや、不安なことや、安心したことを言葉にしないと、全部一人で抱えることになるので」


「白瀬」


「はい」


「今日も強い」


「すみません」


「謝るの早い」


 でも、その言葉は残った。


 待つ側にも、言葉は必要。


 たぶん、そうなのだ。


 黒瀬は昨日からずっと、待つことを何も言わずに我慢することだと思いかけていた。


 けれど実際は違う。


 消さないでと言った。

 なかったことにしないでと言った。

 たまに報告してと言った。

 でも毎日は重いと言った。


 それは全部、待つ側の言葉だった。


 何も言わずに黙っているだけが、待つことではない。


 昼休み。


 莉子は購買で買ってきたパンを開けながら、黒瀬の顔を見た。


「るいな、今日はちょっと余裕出てきた?」


「出てない」


「出てる」


「出てない」


「昨日は“報告ください”って顔だったけど、今日は“報告なくても死なない”って顔」


「どんな顔」


「成長の顔」


「雑」


 莉子は笑った。


「でも、ほんと。ちょっと落ち着いてる」


「白瀬にも言われた」


「白瀬さんは見えてるからね」


「莉子も見えすぎ」


「私も見えてるからね」


「二人とも怖い」


 湊はパンを食べながら、少しだけ黒瀬を見る。


「今日は、言わなくてもよさそうだなと思って」


 黒瀬の手が止まる。


 湊は続けた。


「消してないって報告」


 黒瀬は顔が熱くなる。


「本人が言うな」


「でも、今日は言わなくてもいいかなって思った」


「……うん」


「でも、消してない」


「結局言った」


「今は言った方がいいかなと」


「判断するなって」


「悪い」


「悪いと思ってない」


「半分くらいは」


「禁止」


 いつものやり取りなのに、黒瀬の胸の中が少しだけ軽くなった。


 昨日と違う。


 昨日は、言われるまで待つのが苦しかった。


 今日は、言わなくてもあると思えた。


 そして言われたら、やっぱり安心した。


 どっちも本当だ。


 黒瀬は焼きそばパンの袋を見つめながら、小さく言う。


「今日は、言われなくても大丈夫だった」


 湊が少し驚いた顔をした。


 白瀬も、莉子も黒瀬を見る。


 黒瀬はすぐに顔を赤くする。


「でも、言われたら助かった」


 莉子が両手で口を押さえる。


「書きたい」


「書くな」


「めっちゃ書きたい」


「だめ」


「でも今のいい」


「褒めるな」


 白瀬が静かに言った。


「今のは、待つ側の言葉ですね」


 黒瀬はノートを出していないのに、何かを書かれた気分になった。


「白瀬、それ今日二回目」


「はい」


「強い」


「すみません」


「謝るの早い」


 昼休みの空気は、昨日より少しだけ柔らかかった。


 放課後、黒瀬は自習会の最後にノートを開いた。


 今日は湊の一行に関するメモを、三つ書いた。


 ――聞かない二日目。

 ――言われなくても大丈夫だった。言われたら助かった。

 ――待つ側にも言葉が必要らしい。


 書いてから、少しだけ眺める。


 悪くない。


 自分の中の面倒くささが、そのまま整列している。


 白瀬のノートほど綺麗ではない。


 でも、自分のノートには自分がいる。


 白瀬がそう言ってくれた。


 なら、これでいい。


 帰り際、湊が黒瀬に聞いた。


「今日、来る?」


「……行く」


「確認?」


「うん」


「何の?」


「待つ側にも言葉が必要らしい件」


「白瀬さんが言いそうだな」


「言った」


「やっぱり」


「カフェラテ」


「当然?」


「当然」


 夜。


 黒瀬はいつものように湊の部屋に来た。


 カフェラテを両手で包み、ノートをテーブルに置く。


 今日は最初から開いた。


「見せるのか?」


「うん。今日のは」


 湊はノートを見る。


 そこには三行。


 ――聞かない二日目。

 ――言われなくても大丈夫だった。言われたら助かった。

 ――待つ側にも言葉が必要らしい。


 湊はゆっくり読んだ。


 そして、少しだけ黙った。


「……いいな」


「普通に言うな」


「でも、すごくいいと思った」


「二回言うな」


 黒瀬は顔を赤くした。


 湊はノートの三行をもう一度見る。


「黒瀬、ちゃんと待つための形を作ってるんだな」


「何それ」


「ただ我慢するんじゃなくて、言葉にしてる」


「白瀬みたいなこと言う」


「影響されてるかも」


「みんな影響されすぎ」


 黒瀬は少し笑った。


 それから、湊のスマホへ視線を向ける。


「今日は、見せなくていい」


「うん」


「でも、消してない?」


「消してない」


「なかったことにしてない?」


「してない」


「ならいい」


 黒瀬はカフェラテを飲む。


「今日は、聞かなくても少し大丈夫だった」


「うん」


「でも、言われるとやっぱ助かる」


「うん」


「だから、たまに言って」


「わかった」


「でも、あたしもたまに言う」


「何を?」


「待ってるって」


 湊は黒瀬を見た。


 黒瀬は目を逸らさなかった。


 少し顔は赤い。


 けれど、逃げなかった。


「待ってる」


 湊は、すぐには返せなかった。


 その言葉は短かった。


 けれど、短いからこそまっすぐだった。


「うん」


 湊はようやく頷いた。


「ありがとう」


「普通に礼言うな」


「言いたかった」


「ずるい」


「今日も?」


「今日も」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 待つ側にも、言葉は必要らしい。


 聞かないこと。

 聞きたいこと。

 言われなくても大丈夫だったこと。

 でも言われたら助かったこと。


 それをノートに残して、相手に少しだけ見せる。


 黒瀬琉衣奈は、待つことをただの我慢にしない方法を、少しずつ覚え始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ