気付き
削除まで、残り20時間
通信端末がピロンと軽い音を立てた。
私は毛布の下で音の方を見るけれど、手を伸ばす気力がない。きっと、また通報とか、削除を求める声とか。そんなものだろう。
ピロン。
また鳴った。
ピロン、ピロン。
立て続けに着信音が重なる。たくさんのメッセージが届いてる。
でも、見たくない。
どうせ私への批判や、システムエラーへの嫌悪感とか。
「かんなちゃん」
扉の向こうから佐々木さんの声。
「通信がたくさん来てるねー」
私は毛布をもう一度頭からかぶり直す。
「後にしてください」
「でも、高橋さんからメッセージが...」
高橋さん。
あの時、最初に名前を教えてくれた人。
でも、きっと彼も私のことを恐れているんだろう。エラーから生まれた存在だって知って、距離を置きたがってるんだろう。
「後に、してください」
私の声は震えてる。
「でも、みんなで集めたメッセージらしいよー」
みんなで、集めた...?
私は毛布の隙間から佐々木さんの方を見る。彼は端末を手に持って、困ったような顔をしてる。
「見るだけでも...」
私はゆっくりと毛布から出た。足がふらつく。佐々木さんが端末を差し出してくれる。
画面には「高橋」の名前。
件名:「みんなからの、かんなさんへ」
私は震える指でメッセージを開いた。
---
『かんなさん、高橋です。
みんなでメッセージを集めました。あなたの歌声にいつも救われている人たちからです。
一人ずつ、紹介させてください。』
---
その下に、たくさんのメッセージが続いてた。
---
『VA-847392(通称:キリン)です。私は名前を持ちませんが、あなたの歌声に何度も救われました。
仕事で失敗して落ち込んでいた時、あなたが「番号で生きることも、名前で生きることも、どちらも美しい選択」と言ってくれました。その言葉を聞いて、涙が止まらなくなりました。
私は16年間、自分の番号が恥ずかしいと思って生きてきました。でも、あなたの歌を聞いているうちに、VA-847392という私の存在にも意味があると思えるようになりました。
番号でも、名前でも、どちらでも構いません。大切なのは、あなたがそこにいてくれることです。』
---
『田村美咲と申します。RA在住、38歳です。
実は娘がいます。5歳のゆかりという名前です。でも私は長い間、娘に自分の名前を誇りを持って教えることができませんでした。名前で生きることが、どこか負けているような気がして。
あなたの配信を見て、名前で呼ばれている人たちが嬉しそうにしているのを見ました。その時、名前って悪いものじゃないんだと気づきました。
昨日、娘に「ママの名前は美咲よ。美しい咲くって書くの」と教えました。娘は「きれいな名前だね」と言ってくれました。
ありがとうございます。』
---
『VA-129847(愛称:そら)です。16歳です。
私もかんなさんと同じようにVAで生まれました。でも、かんなさんと違って、私は名前を持ちたいと思ったことがありませんでした。番号の方が楽だから。
でも、あなたの歌を聞いているうちに、名前がなくても、番号でも、ここに存在していることに意味があるって分かりました。
私は「そら」という愛称を使っていますが、それも一つの選択なんですね。VA-129847でも、そらでも、私は私。
かんなさんが教えてくれました。ありがとう。』
---
『International user ID: GLB-4829です.
I don't speak Japanese well, but I want to try to write this message in Japanese.
あなたの声は、言葉の壁を越えて私の心に届きます。私の国では、名前を変えることができません。でも、あなたの歌を聞いていると、与えられた名前も、選んだ番号も、どちらも大切だと思えます。
Name or number, it doesn't matter. You are precious to all of us around the world.』
---
メッセージは他にもたくさんあった。番号の人も、名前の人も、匿名の人も。みんな、私のことを——
涙がぽろぽろ落ちる。画面がにじんで見えない。
「かんなちゃん」
佐々木さんの声が優しい。でも私は顔を上げられない。こんなに泣いている姿を見られるのが恥ずかしくて。
「まだ続きがあるよー」
私は涙をぬぐって、小さく頷く。まだ読めるところがあるなんて。みんな、そんなに私のことを...
佐々木さんが立ち上がる。
「ちょっと、コーヒーを淹れ直してくるねー。ゆっくり読んで」
彼は部屋を出ていった。一人で読ませてくれる優しさ。
私は深呼吸をして、心を落ち着かせる。まだ震えてるけれど、今度は悲しみの震えじゃない。
私は続きを読んだ。
---
『かんなさんのライブで元気に歌う姿を見て、明日も頑張ろうと思えます。名前を呼んでもらったことはないけど、あなたの存在が励みです。落ち込んだ時、配信のアーカイブを見返しています。
あなたが今、どんな状況にあるか分かりませんが、伝えたいことがあります。
名前には力があります。あなたが教えてくれた「名前の力」は、確かに私たちの心に届いています。
私たち一人一人が、その力をどう使うかを考えるきっかけをもらいました。
あなたがシステムエラーから生まれたとしても、私たちにとっては、かけがえのない存在です。
みんな、かんなさんが大好きです。
— 高橋』
---
私は端末を胸に抱きしめた。
体が震えてる。でも今度は、悲しみじゃなくて——
温かい。
心の奥が、じんわり温かい。
高橋さんは...私のことを忘れていない。
佐々木さんも、理由はわからないけど、私を大切にしてくれる。
みんなが...私を必要としてくれている。
私は何度もメッセージを読み返した。
番号で生きている人。
名前で生きている人。
匿名を選んでいる人。
国境を越えた人。
みんな違うけれど、みんな私の歌を聞いてくれて。
みんな、私がここにいることを喜んでくれて。
太田さんの件は確かに私の責任もある。
名前を呼んだことで、彼に迷惑をかけてしまった。
でも——
『名前を呼ぶことにはリスクがある。でも、それは名前に力があるからです』
高橋さんの言葉。
名前は確かに力がある。傷つけることもある。
でも、だからこそ——
最後に、正しい使い方を示したい。
私は窓の外を見た。夕日が研究室を照らしてる。オレンジの光が私の頬に当たって、温かい。
今度は、この温かさが心に届く。
外では、佐々木さんがコーヒーを淹れる音。いつもの日常の音。
でも今は、その音も意味があるように聞こえる。
私がここにいることを、認めてくれる音。
私は立ち上がった。ふらつくけれど、足に力を込める。
ななしちゃんのところへ歩いて、霧吹きを手に取る。
「ごめんね、ななしちゃん。お水をあげなくて」
葉っぱにきらきらの水滴をかけてあげる。ちょっとしなびていた葉っぱが、少し元気になったように見える。
机の上のケーブルも、きちんと巻いた。瓶のラベルも正面に向けた。
小さなことだけれど、大切なこと。
私がここにいる、証拠。
佐々木さんが戻ってきた時、私は端末を手に持って、微笑んでいた。
「かんなちゃん」
「佐々木さん、ありがとうございました」
私の声は、まだ小さいけれど、確かに私の声だった。




